◆『ヤクザ』にまつわる話
すすきので飲みながらヤクザに絡まれた話してたら。。
肝の冷えた話ね…🤔
すすきので飲みながらヤクザに絡まれた話してたら「失礼ですが素人に手を出すのはチンピラで、ヤクザじゃあないです。一緒にされるのも無理はないですが、覚えておいて頂くと嬉しいです。では」と本物に声掛けられた時は芯から冷えたねぇ…
その道のプロフェッショナルが一言置いていく"FF外から失礼します"感覚なんだろうけども
友達としばらくテーブルに突っ伏してたの覚えてる
@toshibou 刑務所から出た人達の就業支援のボランティアをしてる元組長さんに同じ事を言われた事あるわ
@toshibou 歌舞伎町で働いているので本物もチンピラも相手しますが、本物ほどこちらの事を考えてくれますね。半グレが一番メンドクサイです(笑)
@toshibou 私は仕事で事務所へ行ったことがあり、入り口が分からなくて迷っていたら下っぱの方に「ウロチョロすんじゃねー!」と怒鳴られたんですが、すかさず上の方が「言い方考えろ!」と注意した後「怒鳴って悪かったね。入り口分かりづらいでしょ?こっちだよ」って優しく案内して頂きました。
@toshibou 私の母も言っていましたが、本物の方は礼儀正しく金遣いも上品(?)らしいです。店での部下の方の粗相も謝罪に来たとか…。やはりどの業界でもプロは違うんだと思います。FF外から失礼しました。
◆『イラン人』にまつわる話
30年近い前の話だけど、イラン人が大量に日本に出稼ぎに来てた時代があったんだよね。。
30年近い前の話だけど、イラン人が大量に日本に出稼ぎに来てた時代があったんだよね。ある日、日暮里の駅のロータリーで「仕事を見つけたい。日本語わからない。コレ読んでくれ」と新聞を片手に日本に来たばかりだというイラン人に英語で話しかけられたことがあった。
仕事…を見つけるのは新聞では難しいかもなぁ、と思い、今日の宿はあるの?と聞けば「仕事がないから宿もない」という。それなら今日はウチに泊まっていったらいい、と実家に帰って、一緒にメシ食って、日本の狭い風呂に入ってもらって、畳の上に布団を敷いて、その日は寝たんだったかな。
翌日の朝、自分の部屋から出てイラン人を寝かした茶の間に行くと、今はもう死んじゃった祖母とイラン人が掘りゴタツでお茶を飲んでいて、あ、やべえ説明もしてなかった、と慌てる俺に祖母は「誰だか知らないけどこの人はエライよ!アタシ起きてきたら自分で布団畳もうとしてたんだよ?まったくエライ」
意気投合した様子で言葉もわからんだろうにニコニコお茶飲んでて。今となっては祖母のいい思い出でもあるんだけど。なんだかんだで3日ほどウチに滞在して、近所の町工場で雇ってもらえることになって、なんだかんだで友達になったのね。
しばらくするとイラン人同士のコミュニティでもあるのか近所の町工場にイラン人が集まってくるようにもなって、イラン人が済まされてるタコ部屋でのホームパーティに招いてくれることもあって。彼らが言うには昔はイランに日本人がいっぱい出稼ぎに来てたんだよ、就労ビザもいらなかったんだよ、と。
日本とイランは昔から交流があるんだ、昔イランが多くの日本人を助けた、今は日本がイラン人を助ける、と笑うのだ。
酒も飲む。ムスリムなのに?と聞けば、ここはニッポン、遠い、神さま見えないね、と笑う。ホントに気のいい連中で、ナッツや豆類をよく食べた。千切ったキャベツをサラダと言い張った
イランの国技はサッカーだ。サッカーは好きか?と聞かれた。俺の生まれ育った墨田区は野球文化の根強い地域でサッカーの話を熱っぽく語ったのはこの頃が初めてだったかもしれない。
テヘランには。彼がいう。
「素晴らしいスタジアムがある。この世の興奮のすべてがそこにある。いつか一緒に行こう」
その約束は果たされないまま、30年ほどが過ぎる。鉛筆で書いてくれた彼の実家の住所のメモ書きもすでに紛失した。
でもいつかテヘランに行くんだ。スタジアムに行く。サッカーを見る。約束したんだ。だから困るんだ。困るんだよ。サッカーは戦争であり、平和あっての戦争で、ホントに戦争は困るんだよ
@kick_master 素敵なお話ですね!中学生の頃、イラン人の用務員さんが学校に居ました。ある日、露出狂のおじさんが敷地内で走り回る事件が。女子校でしたので若い男性教員も居らず、私達はパニック!しかし用務員さんが竹ボウキを持って追いかけ戦い、見事に確保。警察へ引き渡してくれました。拍手喝采の思い出。
◆『以前付き合ってた人』にまつわる話 その①
昔、5年付き合った人と別れた日の話。。
昔、5年付き合った人と別れた日の話。夜通し話し合い、最後に朝食でもと喫茶店に入った。メニューを見ながら、お互い言わなくてもどれ選ぶかわかるのに何で別れるんだろうね、私が言うと彼が泣いた。 一度交わりすれ違い、気づけば随分離れていた。お互い道が違う。それだけのこと。でも悲しかった。
@melon_7211 長いこと一緒にいると好きの気持ちの他にも情も生まれるし正直どちらかわからなくなります。
ただこれからも一緒にいるには距離的に無理があったのと、一緒にいるのが当たり前になり過ぎてお互いを思い合えているのかもわからなくなったのです。
@____paNda06 簡単に言えば、結婚したい私と消極的な相手と温度差があったからです。私自身が仕事を辞めてまで相手に合わせるかどうかを秤にかけ始めていることにも気づいてしまいました。さらにお互い近くなり慣れすぎたんだとも思います。
多分一度別れても縁があればくっつくはずで…結局縁がなかったのです。
◆『以前付き合ってた人』にまつわる話 その②
昔付き合ってた彼氏のワンルームの家に遊びに行った時。。
昔付き合ってた彼氏のワンルームの家に遊びに行った時、風呂場の前のキッチンでご飯作りを頑張ってた所、テレビ見てた彼が寒かったのかリビングのドアを当たり前に閉めたんだよね(私は当然寒いキッチンに一人ぼっち)。この瞬間別れを決めたし、別れないでと泣く彼を残して走り去りました
俺は結婚するつもりだったとか言ってて、私はそんな気ミリも無かったし、こいつドア躊躇無く閉めるとか彼女にどういう仕打ちをしてんだよ、結婚したらもっと酷いの目に見えてんだろアホが私は家政婦じゃねぇ頭沸いてんのか地獄へ落ちろくらいに嫌いになってた。
小バズったので補足しますと、今は夕ご飯楽しみ〜!って言ってニコニコしながら手伝ってくれる、少しおっちょこちょいな優しい夫と結婚出来たのでめでたしめでたしです😭
@Kingyone3 私は1旅先で突然の生理痛に動けなくなり、フロントで鎮痛剤を貰って来てと頼んだのを彼が恥ずかしいと拒否した時。2旅行先のホテルマンが彼の荷物だけ持ち、その後ろを手ぶらの彼、両手荷物の私で移動した時。3正月に引いたおみくじで彼が大吉、私が大凶だった時。に別れを決意した。全く後悔は無い。
@Kingyone3 私は土日休みなく働いてて彼は土日休みのサラリーマンだった時、洗濯物を取り込んでたたむ時間がなくベットの上にそれを置いて仕事に出て家に帰ったら、それを全部床に落としてそのベッドで寝てた彼を見た時、無理だと思いました。
◆『喫茶店でバイトしてた時』の話
ブラッククソ喫茶店でアルバイトしてた時、朝起きたら熱が39度近くあるし。。
ブラッククソ喫茶店でアルバイトしてた時、朝起きたら熱が39度近くあるし咳止まらんしで「休みます」って言ったら「は?人足らないから来て」って言われた挙句にマスク禁止された結果、滞在30分くらいだったけど私を生贄に店長含め8割の店員を全員インフルエンザで破壊してターンエンドしたことある
常連のお婆ちゃん(唯一人の心を持つ)が「あの子辛そうで可哀想だからお家に帰してあげて、、、」って言ってくれたので30分で帰れた
@amatariri 私も某定食屋に居たときに、胃腸炎発症してノロの疑いがあるにも関わらず「来てくれなきゃ困る」と店長に言われました。
衛生管理の資格持ってたので、自分で代わりを探しましたが、大変でした_(:3 」∠)_
病気を軽く見てる責任者が多すぎますよね。
◆『小学生の頃』の話 その①
小学2年頃の話だが 習字の時間に皆『青い空』って書いてる中。。
@3slegend テストの端っこに好きなアニメとか延々と書いといたら返事付きで返してくれた先生ならいた
◆『小学生の頃』の話 その②
子供の頃、粗末なプレハブ小屋に「軽食 とみぃ」って看板を出してる店があって。。
子供の頃、粗末なプレハブ小屋に「軽食 とみぃ」って看板を出してる店があって、そこはおばあちゃん2人がやってて、「素うどん」とか「おにぎり」みたいな本当の軽食しかなかったんだけど、母が不在の時は500円玉を持ってそこで晩飯食べてたんで、今の定食屋巡りはそれを思い出す旅なのかもしれない。
◆『中学生の頃』の話 その①
中学の頃本当にストレスヤバくて、夜な夜な家の近くの閑静な住宅街を。。
これもう時効だと思うから話すんだけど、中学の頃本当にストレスヤバくて、夜な夜な家の近くの閑静な住宅街を「星が瞬くこんな夜に/supercell」を熱唱しながら自転車で走ってた事あるんだけど、後日地元の回覧板に『自転車に乗って歌い回る、30代後半の小柄なおじさんに注意❕』って掲載されてた事ある
◆『中学生の頃』の話 その②
中学生の頃【羅生門の続編を想像して書け】って課題があって。。
中学生の頃【羅生門の続編を想像して書け】って課題があって
みんな下人目線で書いていたけど俺は【放置された老婆や元職場の下人を首にした上司、同僚の女性たちの目線で自分の元から離れた下人は今何をしているかを想像する】ってオムニバス形式にしたら先生に「凄く面白くて困る」と言われたことが
放置された老婆が「果たして自分のやってきた事は自分で言うほど正しかったのか」とか考えていたり
元上司が「自分が首にした事で悪事を働いていなければいいが」と悩んで下人の両親の元へ行くもそこに下人はいなかったり
実は下人に好意を寄せていたが伝える事なく消えてしまった同僚の女の話とか
@kanakawa12 「面白い」「面白くない」と、いく前に "発想が神がかってる"ってぐらい凄い (/ロ゜)/
せんぽん(過激なオトナの恋愛)〜千条印蓮宗@senjouin_renshu
@kanakawa12 御題も素晴らしいですね。答えがないものを考えさせる・・・。センスのある先生だと存じます
◆『高校生の頃』の話 その①
高校の頃のサッカー部の練習で、30メートルくらいの幅で置かれたコーンの間をダッシュで往復するトレーニングがあったんだけど。。
高校の頃のサッカー部の練習で、30メートルくらいの幅で置かれたコーンの間をダッシュで往復するトレーニングがあったんだけど、切り返す際にコーンにタッチするふりをしてコーンを移動させて走る幅を狭くしてたの思い出した。あの辺から人生が低い方にゆっくりと流れている
◆『高校生の頃』の話 その②
高校の頃、突然チャットルームに入り浸るようになり、大学生らしき人達とチャットをするようになった。。
高校の頃、突然チャットルームに入り浸るようになり、大学生らしき人達とチャットをするようになった。なぜか忘れたけど性別を男性と偽って半年くらいテキストで下らない事を話した後、「お茶しない?」と男性に誘われ軽子坂のスタバに行くと、”彼”は、実は美人の理科大生だった、という思い出がある。
それから表参道のスターバックスb-side店の二階で二人で本を読んだ後に青山をデートしたり、品川駅のスタバで暑いね~なんて言いながら人混みを見下ろしてケーキ食べたり、とにかく「スタバいこ」ではじまるデートを何度かした。不思議な時間で、まだ夢なのかもしれないとさえ思う事がある。
◆『浪人時代』の話
僕には浪人時代にほとんど毎日一緒にミスドで何時間も時間を潰していた男の子と女の子がいた。。
僕には浪人時代にほとんど毎日一緒にミスドで何時間も時間を潰していた男の子と女の子がいた。彼らは幼馴染で恋人というわけではなかったみたいだけど毎日一緒にいたし、いつからから僕もそこに合流した。でも、一年とはいえ、あんなに一緒にいたのに彼らの名前も思い出せない。
浪人時代の友達というのは大学に入ると不思議と縁が切れて、もう二度と会うことはないと予備校の先生が言ってたのを後になって思い出した。僕は彼らがどこの大学に入ったのかさえ知らない。
1990年代後半の十三駅東口ミスド。二階席、階段近くの四人がけテーブル。表情のひとつ、言葉のひとつ、鼻唄のひとつまではっきり覚えてるのに、大切なところだけ靄がかかったような不思議な思い出。
◆『大学生の頃』の話
人生で一番美味かった食べ物、大学4年の冬に友達と2人で磯釣りしてて。。
人生で一番美味かった食べ物、大学4年の冬に友達と2人で磯釣りしてて。雨が降りだして凍えるような中、友達がペヤングカップ焼きそばを1つ調達してきてくれて、2人で分け合って食べた時、体が震えるほど美味かったんだよな。終わりつつある大学生活の最後の輝きがペヤングに集約されてしまったんだ。
あれ以来、ペヤング食べるときはあの瞬間を思い出して食べるんだけど、全然違うんだよな。彼がバイクで戻ってくるときのエンジン音、彼の顔、小雨、寒さ、波しぶき。顔を寄せ合って一つのペヤングを交代で一口ずつ食べて…。美味さで口の中が痺れたのは、あれ以前もあれ以降もなくて…多分もうない。
大学4年の夏くらいから、彼のバイクに2人乗りするの、あと何回なのかなって思いながら、彼の後ろで空を見ていたんだよね。ヤマハの250CC。大学1年のころから後ろに乗せてもらって、いろんなところ行って。彼とは今も遊ぶけど、家族ぐるみだからね。昔とは違う。あの瞬間はもう来ない。