◎ザ・タイガースデビュー
1965年に京都で前身のバンド「ザ・ファニーズ」を結成。66年に上京し「ザ・タイガース」に改称。67年2月に「僕のマリー」でデビューすると、「君だけに愛を」「花の首飾り」などのヒットで絶大な人気を獲得した。
出典:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131204-00000002-sph-ent
●沢田研二(ジュリー) ボーカル、タンバリン
●岸部修三(サリー、後に岸部一徳に改名) ベース、コーラス
●加橋かつみ(トッポ) リードギター、コーラス、ボーカル
●森本太郎(タロー) ギター、コーラス
●瞳みのる(ピー) ドラムス
◎メンバーのフラストレーション
不良ロック少年だった彼らにとって、アンドロメダ星の王女と恋をする映画を作らされたりヨーロッパの王子様みたいなタイツの衣装を着せられたり、今でいうとジャニーズ若手グループのようなあた恥ずかしい仕事をすることは次第にフラストレーションのもとになっていった。
◎加橋かつみ脱退
アーティスト志向の強かった加橋かつみ
彼ら自身には“ミュージシャンとして認められたい”という思いがありました。ところが、事務所は沢田を前面に押し出したアイドル路線で売り出していったんです
メンバーのなかで、その方針に特に反発をしたのが加橋で、彼の目には、沢田が“事務所のいいなり”と映っていたようだ。
時計の針の如く仕事に対し忠実な姿勢であった沢田研二とは、相入れないことが多く、度重なる意見の相違が不仲との報道へ繋がっていった。
トップ・クラスの人気を誇った沢田研二
◎デビュー4年後、解散
加橋かつみに同情的だった瞳みのるも芸能界への嫌悪から次第にバンドの解散をうったえるようになり、ついには1971年1月24日の武道館ライブで解散するにいたったのだ。
◎「10年後に会おう。そのとき君たちは乞食になってるだろう」
芸能界引退、教師の道へ 瞳みのる
瞳みのるはその日の打ち上げで「10年後に会おう。そのとき君たちは乞食になってるだろう」と捨て台詞を吐き、その後は芸能界とすっぱり縁を切り高校、大学と勉強しなおし、ついには慶応高校の中国語教師となって学問の世界で地位を築いていった。
◎「10年後の同窓会」、瞳みのる不参加
1982年には「ザ・タイガース同窓会」と銘打って本格的に再結成。ただし瞳みのるに配慮して「来たい人だけ来ればいい」という意味合いから一貫して「同窓会」の語を用い、自分たちは「再結成」とは決して称しなかった。
「色つきの女でいてくれよ」
『コーセー化粧品』春のイメージソング
1982年の年間第19位に輝く大ヒットとなった。
『ザ・タイガース同窓会』オリジナル盤としてリリースしたシングルである。
◎2008年、瞳みのるに心境の変化
変化が訪れたのは、解散から40年近くを経た2008年。すでに還暦を超え、今後の人生を考えていた。同年、テレビに出演した沢田研二たちは瞳に再会を呼びかける曲「ロング・グッバイ」を披露。元マネジャーは学校まで訪ねてくれた。心は動き始めていた。
出典:http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/music/artist/20131101-OYT8T00788.htm
◎瞳みのる、仲間たちと再会
杯を交わすうち、いつしか昔の自分たちに戻っているのに気がついた。席上、タイガースをまたやってもいいのでは、という話が出た。「これは、ひょっとしたら」と、その時思った。
出典:http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/music/artist/20131101-OYT8T00788.htm
ロング・グッバイのあとで ―ザ・タイガースでピーと呼ばれた男― 瞳 みのる (著)
ザ・タイガースのピーが書き下ろした真実!
1971年、ザ・タイガースが解散。その直後にピーこと、瞳みのるは芸能界を引退。40年近くメンバーとは音信不通だった。長い沈黙を破ってピーが書き下ろした愛と友情の真実と64年の人生。
◎今度は、加橋かつみが拒絶
瞳さんがせっかくみんなと和解、芸能界復帰して「いよいよ再結成!」と思ったら、今度は気難しいことで知られる加橋かつみさんが拒絶。仕方なく"ほぼタイガース"という形で沢田さんのツアーに他のメンバーが合流して活動することとなった。
◎加橋と沢田との”確執”
’69年にグループ脱退を決めた加橋と沢田との”確執”は、40年近くたっても消えていなかった。
◎2011年、沢田が自身のツアーに、一徳、森本、瞳をゲストとして招く
解散時のメンバー5人が41年ぶりにそろった。しかし、メンバーは物足りなさを感じていた。「かつみの高音がないと、タイガースやない」
出典:http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/news2/20131004-OYT8T00840.htm
◎「今度は全員で」と沢田はファンに約束した
加橋がリードボーカルを担った「花の首飾り」を、あえて歌った。それは「かつみの方がいいでしょ、という無言の問いかけだった」という。
出典:http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/news2/20131004-OYT8T00840.htm
加橋初のリードボーカル「花の首飾り」
3月発売の「銀河のロマンス/花の首飾り」がオリコンシングル・チャートの1位を7週間連続で獲得、68万枚を売り上げた
昨年2月にジュリーの公演が終わった後、彼がトッポ(加橋かつみ)と個人的に会って和解し、話がまとまったようです」
◎沢田研二が加橋かつみに頭を下げる
「“自分がタイガースにいたせいで、不快な思いをさせて済まなかった。トッポ(加橋かつみ)に歩み寄る姿勢を見せなかった”と沢田さんがまず、頭を下げたそうです。
◎「皆が揃ってこそザ・タイガースなんだ」
それから沢田さんは、“皆が揃ってこそザ・タイガースなんだ。全員が揃ってザ・タイガースをやるのがオレの夢なんだ”と熱く語ったそうです。その思いに、これまで抱き続けたわだかまりが消え、加橋さんもついに心を開いたようです」
◎2013.12.3武道館「ついにこの日がやって来ました」
ザ・タイガースが3日、結成時のメンバーによる44年ぶりのコンサートを東京・日本武道館で開き、多くの女性ファンを魅了した。
出典:http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20131203-OYT1T01562.htm
沢田さんが「ついにこの日がやって来ました。5人でザ・タイガースです」と宣言。
出典:http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20131203-OYT1T01562.htm
加橋も「44年ぶりで客席もそれなりにお年を召された。僕ら5人のエネルギーを精いっぱい受け取って!」と笑いを誘った。
出典:ザ・タイガース復活!沢田絶叫「ついにこの日がやってきました」 (3/3ページ) - 芸能社会 - SANSPO.COM(サンスポ)
スティックさばきで盛り上げた瞳は「昨夜は緊張して眠れなかった」と告白。
出典:ザ・タイガース復活!沢田絶叫「ついにこの日がやってきました」 (3/3ページ) - 芸能社会 - SANSPO.COM(サンスポ)
40年以上の紆余(うよ)曲折を経て、5人は聖地に帰着。ジュリーは「これから先、不安で切ない時代だけど、僕たちに光を、力を、愛をくれてありがとう」と感謝した。
出典:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131204-00000001-dal-ent
◎沢田「四郎もタイガースの1人です」
東京ドーム ファイナル公演
(東京ドームでファイナル公演)開演から約30分。四郎が車椅子で登場した。沢田が「岸部四郎もタイガースの1人です!」と紹介すると、4万5000人の観客から大拍手がわき起こった。
◎岸部四郎、車いすで熱唱!ザ・タイガース初めて6人揃った!
四郎は03年に脳出血を患いその後、大腿(だいたい)骨を折りリハビリのため介護施設で生活。この日のため用意された曲がビートルズ「YESTERDAY」。四郎が「イエスタディ~」と歌うと客席は静まり、聞き入った。あちこちからすすり泣きが漏れた。
沢田は「みんなの思い出の一つに加えていただければ幸いです」と語りかけた。
出典:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131227-00000182-sph-ent