◎アルバム『BOΦWY』誕生逸話
わずか6年という短い活動だったにも関わらず、いまなお多くのファンに愛され続け、日本のロックシーンに多大な影響を及ぼしているBOΦWY。
出典:【対談】高橋まこと(ex BOΦWY)×森山朝雄(ex BOΦWY PA)「こんなに想い続けてもらえるって不思議。変なバンドだね」 | BARKS
◎元プラスティックス佐久間正英との運命的な出会い
布袋が佐久間(正英)さんに頼みたいっていって声をかけたの。
出典:【対談】高橋まこと(ex BOΦWY)×森山朝雄(ex BOΦWY PA)「こんなに想い続けてもらえるって不思議。変なバンドだね」 | BARKS
◎ドラマー高橋まことは振り返る
ここからレコーディングががらっと変わるの。いままでの2枚のアルバムは何もかもが中途半端なんだよ。
出典:【対談】高橋まこと(ex BOΦWY)×森山朝雄(ex BOΦWY PA)「こんなに想い続けてもらえるって不思議。変なバンドだね」 | BARKS
高橋まこと
◎佐久間、断る口実が…まさかの…
佐久間正英
四人囃子に加入しベースを担当した後、作曲家・編曲家・セッションミュージシャンとして活動。1978年にプラスチックスに参加。
佐久間さんは、最初断ろうと思ってたらしくて、EMIが諦めるのを見越して“じゃあベルリンでレコーディングどうですか?”ってふっかけたら、EMIからまさかのOKが出て(一同笑)。
出典:【対談】高橋まこと(ex BOΦWY)×森山朝雄(ex BOΦWY PA)「こんなに想い続けてもらえるって不思議。変なバンドだね」 | BARKS
◎BOΦWY、ベルリンでレコーディング
「ロックをやりたい」と言っていたぐらいでしたね。「それだったら、日本でやるのはやめよう。日本でやらないんなら、僕はやる」って言ったんですよ(笑)。
出典:佐久間正英インタビュー
ベルリンを選んだんです。それくらい極端の方がいいだろうと思って。レコーディング入って、2、3日したくらいで変わりましたよ。
出典:佐久間正英インタビュー
長年レンガ造りの中で暮らしてきた人の感覚と、畳で育った僕らとじゃ違うんですよね。
出典:佐久間正英インタビュー
BOΦWY「BOΦWY」
◎佐久間は松井恒松にベースの基本を伝授
佐久間は同じベーシストとして、松井恒松にベースの基本的な弾き方から伝授した。
松井恒松
◎氷室「佐久間さん、ワンランク上だった」
氷室は解散後のインタビューで、「俺たち(BOØWY)のやる事よりも佐久間さんの(音楽的に)やる事がワンランク上だった」と語っている。
氷室京介
◎布袋は本格的な編曲とプロデュースを学ぶ
サウンド面ではプロデューサーの佐久間の監修と佐久間が起用したエンジニアのマイケル・ツィマリングの下で、布袋寅泰は本格的な編曲とプロデュース作業を学ぶ事となった。
布袋寅泰
布袋「あのアルバムで我々が思い描いていたサウンドを本当に形にすることができたので、忘れらないですね」と語った。
◎1988年、佐久間、突然の「BOΦWY解散」を聞かされる
解散する日の昼間、布袋くんから電話がかかってきて、解散って聞いたんですけどね。
出典:佐久間正英インタビュー
◎佐久間はBOΦWYの復活を願っていた
震災後の布袋君のtweet「今何かできること…」の発言に対し、僕は無責任に「今こそBOΦWYを!」みたいなコメントを寄せた。
出典:http://masahidesakuma.net/movabletype/cgi-bin/mt-search.cgi?search=BOΦWY&IncludeBlogs=2
実に無責任ではあるけれど、かつての仲間の一員だった者としてそれしか思いつかなかった。そしてそれは自分にとっても多くの人達にとっても同様にずっと夢であり希望でもあったのかも知れない。
出典:http://masahidesakuma.net/movabletype/cgi-bin/mt-search.cgi?search=BOΦWY&IncludeBlogs=2
◎「あんなすごいバンドはない」
いまだにBOΦWYを思い返すと、あんなすごいバンドはあれ以後存在しなかったなぁと思う。当時のライブバンドとしてのBOΦWYを越える演奏ができるバンドには残念ながら出会ったことは無い。
出典:http://masahidesakuma.net/movabletype/cgi-bin/mt-search.cgi?search=BOΦWY&IncludeBlogs=2
その後の4人は解散当時とは比べものにならないほどミュージシャンとして成長を遂げている。
出典:http://masahidesakuma.net/2011/04/talking-about-a-bowy-ii.html
◎復活すれば、どんなすごいバンドになるだろうかと夢想する
あの時点ですらあれほどの演奏を出来た4人が、今の各自のレベルを持って再び揃ったとしたらそれはどんなすごいバンドになるだろうかと夢想する。解散時のBOΦWYとは比べものにならないライブになるに違いない。
出典:http://masahidesakuma.net/2011/04/talking-about-a-bowy-ii.html
そんなすごい日本のバンドを見てみたい。しかもそのバンドが幸いにもかつて自分がプロデューサーとして関われたバンドだ。
出典:http://masahidesakuma.net/2011/04/talking-about-a-bowy-ii.html
一度解散したロックバンドの再結成ほどみっともないことは無い!と自分がロックバンドを続けていた身として確信している。それでも彼らだけは別だったな、と。
出典:http://masahidesakuma.net/movabletype/cgi-bin/mt-search.cgi?search=BOΦWY&IncludeBlogs=2
◎佐久間は2013年8月、ブログにてスキルス胃癌をを告白
プロデューサーとしての仕事はそろそろ終わりかも知れない。ライブを出来る機会はいつになるか、もう無いのか。会いたい人たちにも会う時間が来る保証などどこにも無い。
やりたいこと、やり残したことも山積みになってしまうに違いない。それでも人生ってまだまだ楽しく面白い。
◎音楽プロデューサー佐久間正英さん死去
末期のスキルス性胃がんであることを公表していた音楽プロデューサーの佐久間正英さんが、16日午前2時27分に亡くなっていたことが20日、明らかになった。
出典:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140120-00000337-oric-ent
息子の音哉氏は「父の快復を祈り待ち続けてくださったファンの皆様、父と共に音楽を作ってくださったミュージシャン、スタッフの皆様、父のことを愛してくださった全ての皆様に、本人に代わり心より感謝いたします。ありがとうございました」と関係者やファンに感謝し「とても強く、楽しく、かわいらしい父でした」と偲んでいる。
出典:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140120-00000337-oric-ent
◎布袋「天国でロックしてください」恩人・佐久間正英さんを追悼
布袋はドイツでのレコーディングを振り返り「淋しいけれど忘れません。共に過ごしたベルリンの日々を。共に探した強靭(きょうじん)なビートを。ありがとう。天国でロックしてください」と恩人をしのんだ。
出典:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140122-00000000-dal-ent
この人なしでは、あのBOOWYも違っていたのかもしれません。ご冥福をお祈りします。 佐久間正英が逝去(ナタリー) - Y!ニュース t.co/bApk8kqFxl
亡くなった佐久間正英さんのそうそうたるプロデュースバンドの中で、GLAYやJUDY AND MARYよりもまずBOOWYに目がいってしまう茨城県民です。R.I.P
jwaveでboowyが流れてると思ったら..佐久間さん亡くなったんだ。
ご冥福をお祈り申し上げます。
たくさんの素敵な音楽を、ありがとうございました。