手塚るみ子「父はワニ君に嫉妬している」
「生きるとは」というテーマを伝えるのに手塚治虫は何年もかけて『火の鳥』を描いてきたというのに、『100日後に死ぬワニ』は100日を通してそれを多くの読者に伝えることができて、たぶん天国の父は今猛烈に嫉妬してると思う
出典:5ちゃんねる
火の鳥が何年もかけてやったことを100日でこなすワニ
ネットの反応
何が言いたいかというと、多分娘さん批判してる人は、神格化された手塚治虫のファンであって、手塚治虫の作品や手塚治虫氏自身のファンじゃないんだと思う
あの人の嫉妬深さも含めて、手塚治虫氏の作品だと思うし、元お医者様名だけあって、命の表現滅茶苦茶意識してた方だから、ワニに嫉妬したでしょ
手塚治虫氏が「自分でもスゴイと思うマンガを描く人に嫉妬した」ってのは有名な話なのでそういう意味で娘さんはおっしゃったんだろうに。多分そう言う事を知らない連中が騒いだんだろうな。
手塚治虫さん長女「父はワニに嫉妬」ツイートで物議 t.co/ALbjnj9KKs
手塚治虫は元々
嫉妬する人物
手塚治虫とかいう変態は他の作品に嫉妬してそれ以上の作品作る
手塚先生の嫉妬伝説をまとめてみた
水木しげるへの嫉妬
子息の手塚真さんの思い出話によると、水木先生の才能にかなりショックを受けたらしいですね。
そもそも手塚先生が嫉妬心にかられて勇み足をやらかしたという話は、水木先生に対してだけではないのですが(手塚先生が若い頃のライバルとして繰り返し文章に書き残し、
その早死を哀惜している福井英一氏などとも事件があった)、とにかく大きな才能をみせつけられると、嫉妬を抑きれなくなる激しい一面もあったようです。
出典:ヤフーの知恵袋
鬼太郎に対抗して
火の鳥鳳凰編を描いた
手塚治虫は、鬼太郎で妖怪ブームを引き起こした水木しげるを嫉妬したが、その嫉妬を「火の鳥鳳凰編」で作品に昇華したと私は思う。
才能を羽ばたかせつつも我王への嫉妬に狂う茜丸は当時の手塚の自画像で、腕を失いつつも生命力の塊として生き抜く我王は水木なのだろう。
一番病のモデルは
手塚治虫
『一番病』(いちばんびょう)は、水木しげるによる日本の短編漫画作品、並びに作中に登場する病名。初出は『ビッグコミック』(小学館)1969年10月25日号。元々は、同誌にシリーズ連載されていた『水木氏のメルヘン』の一編だが、独立した読み切り作品である。
出典:Wikipedia
水木しげるは、手塚治虫をモデルにして、一番になる事ばかりにあくせくする棺桶職人を描いたと述べている
出典:Wikipedia
石ノ森章太郎への嫉妬
仮面ライダーの原稿を尊敬する手塚治虫に
見て貰うために、家まで行った。
手塚は玄関先で読み、無言でビリビリに破いた。
手塚治虫「あんなもの漫画じゃない!」
石ノ森が実験的な作品『ジュン』を連載していたところ、手塚がファンとの手紙のやりとりの中で「あんなものはマンガじゃない」と苦言を呈し、そのファンが石ノ森にそのまま伝えてしまったというのだ。
出典:エキサイトニュース
手塚を尊敬する石ノ森はショックを受け、「すぐに(『ジュン』の)連載を打ち切りにしてほしい」と編集部に言ったほどだったとか。
出典:エキサイトニュース
手塚治虫は謝罪する
しかし、それを聞きつけた手塚は石ノ森の自宅を訪れ「自分でもなんであんなことをしたのかわかりません。本当に自分で自分が嫌になります。本当に申し訳ありませんでした」と謝罪をしたという。
出典:エキサイトニュース
AKIRAの作者「大友克洋」に嫉妬
最初は大友の画力に嫉妬。あとで大友の画力を認め謝罪する。
手塚は大友の凄まじい画力に嫉妬し、「あなたが描くような絵は僕にも描けるんです」と言ってしまう。
ドラえもんの作者「藤子不二雄」に嫉妬
藤子不二雄は藤本弘と安孫子素雄の共同ペンネーム
「まんが道」でも描かれたように
二人は、一生懸命に手塚の
背中を追い続けた
しかし、この二人に激しく
嫉妬した人物が手塚だった