◎阪神がアスレチックス傘下2Aの中島裕之を調査
阪神が米大リーグ・アスレチックス傘下の2Aミッドランドに所属する中島裕之内野手(32)の獲得調査に乗り出していることが25日、分かった。
◎地元出身(伊丹市)だけに期待も大きい
「地元出身(伊丹市)だし、打点を稼げる勝負強さが一番の魅力。日本に戻ってきても、十分に通用すると踏んでいる」と球団関係者。
◎大活躍だった西武時代の中島裕之
西武時代の09年から3年連続で90打点以上を稼ぎ、11年にはキャリアハイとなる遊撃手としては史上2人目の100打点を挙げた打棒の持ち主。
◎2012年オフ、西武から米大リーグ・アスレチックスへ
12年オフ、西武からFA権を行使し、同球団と2年総額650万ドル(約6億6300万円)の契約を交わした中島は、正遊撃手として期待されたものの、昨季はメジャーでの出場機会はなし。
◎打撃低迷でメジャーから3A、そして2Aに降格
今年はメジャーのスプリングキャンプに招待されることもなく、オープン戦でも6打数しかチャンスを与えられず、今季もマイナースタート。
◎ビーンGM「ナカジマの獲得は大失敗だった」
ビーンGMは、「ナカジマの獲得は大失敗だった。大金を積めばいい選手が獲れるという考えは、やはり浅はかだったということが図らずも証明された」というコメントを怒りの口調で残した。
◎宣伝効果も、あまりに酷すぎて使い物にならない…
中島の獲得が日本での宣伝効果を見込んだものであり、「多少期待外れでもナカジマをメジャーに昇格させるつもりだったが、あまりに酷すぎて使い物にならず、結局目をつぶることができなくなった」との経緯を述べている。
◎日本球界復帰も視野に入れている中島裕之
親しい知人に「日本に戻ることも含めて、自分にとって何がベストな選択なのかを考えます」と、来季の日本球界復帰も視野に入れていることを伝えている。
◎阪神はレジェンド背番号「31」、「6」を中島に用意
掛布DCの「31」、和田監督に金本の「6」という球団が誇る「レジェンド背番号」と、三塁の定位置を用意し、解禁となり次第、交渉に乗り出す方針だ。
出典:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140826-00000005-nksports-base
◎背番号31といえば「ミスタータイガース」掛布!
掛布 雅之
1982年と1984年にも本塁打王、1982年には打点王に輝くなど、「ミスタータイガース」として人気を博した
「31」という数字は、3の1とも読める。3打数1安打ならば、打率.333である。私は生涯、その「3の1」を目標していた。また、そこにも好きな3という数字が並ぶ。
出典:http://thepage.jp/detail/20140102-00000001-wordleafs?page=1
◎「3」を薦められても「31」を愛し続けた
私は、「この31を大切にして『31番と言えば掛布だ』と言われるような選手になりたい」と、その申し出を断った。
出典:http://thepage.jp/detail/20140102-00000001-wordleafs?page=2
◎引退後は掛布に決定権が与えられた「31」
「今後、掛布が『よし!』という選手が出てきたら、その時にその選手に31番をつけさせるから。掛布が決めてくれ! それまでは31番は欠番扱いにする」
出典:http://thepage.jp/detail/20140102-00000001-wordleafs?page=2
◎しかし、掛布以降の「31」は「掛布の呪い」と言われている
私以降の「31」は、故障やスランプに陥ったりして、なかなか結果を残せなかったことから、ファンの間では「掛布の呪い」と言われているらしいが、もちろん、私からの呪いなど何もなく(笑)、そういうジンクスは嬉しいものではない。
出典:http://thepage.jp/detail/20140102-00000001-wordleafs?page=1
萩原 誠
2軍では1993年に打点王、1996年に首位打者を獲得したが、1軍では結果を残せなかった。さらに三塁手以外にも一塁手・二塁手・外野手などで出番増加を狙ったが、こちらも結果には結びつかなかった。
広澤 克実
阪神では代打の切り札として活躍し、「代打の神様」と呼ばれた八木裕と並んで、一部では「代打の仏様」とも呼ばれていた。
濱中 治
2004年、背番号を31に変更し、復活が期待されたが、再び右肩を痛めて手術を受けた。
林 威助
2006年、背番号31に変更。2007年5月13日の対ヤクルト戦でオーバーランした一塁へ帰塁した際に右肩を痛めながら、「せっかくつかんだチャンスを逃したくない」と打撃コーチの正田耕三に訴えて強行出場を続けた悪影響により8月下旬に登録抹消。12月に手術を受けた。2008年は5番に定着して3割超の打率を維持していたが、7月8日の対巨人戦で左膝靭帯を痛めて離脱。その後も不振が続く。
◎かく言う掛布本人も借金まみれである…
2009年には週刊誌において、経営していた店舗の不振により多額の負債を抱え、自宅も2008年11月に差し押さえを受けていると報じられた
◎一方、景浦から始まった「6」の系譜
伝説の打者・景浦から始まった「6」の系譜。2000安打を記録し名球会入りした藤田、和田監督も付けていた。
出典:http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2012/10/29/kiji/K20121029004438220.html
◎金本知憲も崇拝する「背番号6」
「背番号6は藤田平さんや和田さんも付けられた偉大な番号。僕だけの番号じゃないです。だからこそ、今後も誰が付けてもいいんじゃないかと思っています」
出典:http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2012/10/29/kiji/K20121029004438220.html
景浦将
初代4番サードのスラッガーとして打棒を振るい、タイガースの中心打者として沢村栄治(東京巨人軍)と名勝負を繰り広げた。
藤田 平
1970年代を代表する名遊撃手として活躍。
主に1番・3番を打ち、「貧打・阪神」といわれた阪神打線を主軸打者として支えた。
和田 豊
芸術的な流し打ちや、追い込まれてからの勝負強さを武器に「安打製造機」として活躍し、通算1739安打を記録した。
◎最近の阪神はメジャー帰りの選手を次々獲得
阪神はここ数年、城島、西岡、福留、建山とメジャー帰りの選手を獲得してきた。国内フリーエージェント選手のような補償金や人的補償が要らないメリットもあり、資金をかけて獲得し、チーム力の向上を図ってきた。
◎ファンから批判されるメジャー帰りの獲得
だが、けががちで結果を出せなかったり、生え抜きの若手のチャンスを奪っている側面もあり、親会社の阪急阪神ホールディングスの株主総会などでファンから批判されてきた。
◎三塁には、今成、新井良らが顔を並べるが…
同じ遊撃には鳥谷がおり、二塁には戦線離脱中の西岡と、上本が著しい成長を見せ、三塁にも今成、新井良らが顔を並べるが、打点は鳥谷の60が日本人選手最多という実情がある。
◎阪神の背番号を添えたラブコールは中島に届くだろうか…
阪神のフロントは、昔のことも、先のことも考えず、「その場しのぎの人気取り」をよくやる。過去の大選手や野球の歴史に敬意を表していない。軽薄な印象が常に付きまとう。