◎日ハムの斎藤佑樹が「石橋貴明のスポーツ伝説…光と影」に出演
日本ハム2軍の本拠地・鎌ケ谷球場(千葉県鎌ケ谷市)を訪れた。ロッカールームで行われた取材は約1時間に及んだ。
◎プロ4年目で通算12勝16敗と苦しんでいる斎藤佑樹
斎藤は今年7月31日、ロッテ戦(QVC)に先発。6回を6安打1失点7奪三振の粘投。12年6月6日の広島戦(札幌ドーム)以来、785日ぶりの白星を挙げた。しかし、8月15日に出場選手登録を抹消された。
◎インタビューの途中、こんなやり取りがあった…
石橋「言ってたじゃない。早稲田大学で勝った時に“自分は持っていると思います”って」
斎藤「言わなきゃよかったですね」
◎“自分は持っていると思います”発言に後悔する斎藤佑樹
2006年“ハンカチ王子”として早実を夏の甲子園初優勝に導いた斎藤は早大に進み、07年6月17日、全日本大学選手権決勝・東海大戦で優勝投手に。史上初の1年生MVPに選出され「一生何か持っているというか、こういう人生なのかなと思います」と語った。
◎石橋の踏み込んだ質問にも快く答えた斎藤佑樹
シーズン中の異例の取材対応。番組を企画した編成部の菊野浩樹氏は「出演交渉がスムーズにいくとはとても思っていなかった」と振り返るが、大学時代の先輩がTBSにいたこと、インタビュアーが石橋だった2点が奏功した。
◎帝京高校時代に甲子園を目指した石橋
対談中、帝京高校時代に甲子園を目指した石橋は何度となく早実の壁にはね返された思い出を語った。
出典:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140917-00000007-spnannex-ent
◎斎藤の母校「早実」は「帝京」のライバル
当時は東東京に所属していた早稲田実(現在は校舎移転のため西東京に所属)は、ずっと東京の高校球界を引っ張っていく存在だった。
◎斎藤佑樹は夏の甲子園で最も多くの回を投げた投手
早実は日本屈指の「甲子園高校」だ。岡田源三郎、荒川博、王貞治から荒木大輔、斎藤佑樹まで、高校野球の歴史を彩ってきた。斎藤佑樹は夏の甲子園で最も多くの回を投げた投手だ(69回)。
◎帝京高校で、石橋貴明は控え投手だった
7歳上の兄の影響で野球を始め、野球部に入部する。右投左打で、1年秋に二塁手から投手に転向するが、控え投手だった。
◎「帝京の秘密兵器」として、秘密のまま終わる
「帝京の秘密兵器」として、投手または二塁手として出場し、甲子園を目指したが、秘密のまま終わる(スポーツ番組でよくネタにする)。
帝京高校野球部が石橋が2年生の時に、選抜大会に出場しているが、ベンチ入りは叶わなかったようである。
◎石橋「やめたいと思ったことも死ぬほどあった」
「やめたいと思ったことも死ぬほどあった。僕は高1の時、毎日バッティングピッチャーだった。雨の日でも投げていた。そしたら、2年になるころ、すごい強肩になっていた。遠投なんか、楽々100メートル。下を向かないで顔を上げて頑張っていれば、すごいことって起きるんです」
◎しかし「3年間やったら後の人生が違ってくる」
「そう。それに3年間やったら後の人生が違ってくる。大魔神(佐々木主浩)や清原選手が『タカさんは帝京ですよね』って話してくれる。その瞬間に、先輩と後輩になれたりするわけですよ」
◎甲子園を目指して汗を流した経験が支えになる
「後の人生でも苦しいことがあるけど、甲子園を目指して汗を流した経験が支えになる。僕もふと思いますもん。苦しいけど、高1の夏の練習よりはいいな、ってね」
◎さらにリハビリのつらさを身をもって知っている石橋貴明
斎藤は「右肩関節唇損傷」に苦しむが、石橋も2〜3年前にスキーで同じケガをし、リハビリのつらさを身をもって知っている。
◎石橋の経験からくる想いが斉藤に伝わったようだ!
石橋は聖地のスターの反攻を期待し、熱いエール。斎藤は石橋と初対面ながら、感情がシンクロしたのかもしれない。
◎番組編成部の菊野浩樹氏も斎藤投手に感心する
取材現場に立ち会い、斎藤の言葉を初めて生で聞いた菊野氏は「『(持ってると)言わなきゃよかった』と言える斎藤投手もすごいじゃないですか。上から目線で言うわけじゃないですけど、人間って自分の弱さや苦しさを認めてから新しい成長があると思うんです。
斎藤投手が表舞台でもう1回、輝く時が来ると感じた言葉でした」と復活を確信する。
◎スポーツの世界で戦う人に尊敬の念の石橋
「スポーツの世界で戦っている人は本当にすごい。色んな葛藤と戦っていて、コツコツ出来ない自分にはただただ驚愕の世界」と尊敬の念。
今回、ともすればチヤホヤされた過去の自分と向き合った背番号18。785日ぶり勝利のヒーローインタビューで「僕の第二の野球人生が始まります」と高らかに宣言した。巻き返しへ2軍で汗を流す日々は、再び手にする栄光につながっている。