◎オペラ歌手・中島啓江さん死去 57歳
オペラ歌手でテレビのバラエティー番組などでも活躍していた中島啓江(なかじま・けいこ)さんが23日に都内の病院で呼吸不全のため亡くなっていたことが28日、分かった。57歳。
出典:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20141128-00000045-dal-ent
◎オペラやミュージカルの歌手として活躍していた!
85年、「マック・ザ・ナイフ」でミュージカルにも進出した。87年、宮本亜門氏の演出デビュー作となるミュージカル「アイ・ガット・マーマン」で、タイトルロールのマーマン役を演じ、注目を集めた。
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◎でも心に残るのは「イカ天」で審査員を務めた中島啓江さん
中島啓江
音域4オクターブの歌唱力と演技力でミュージカルにも多数出演。TBS「イカ天」で審査員を務めたほか、タレントとしてCMでも活躍。
◎「イカ天」では陽気で豪快なキャラが大人気!
美形好きと公言し、美形の男が出てくると眼鏡をかけることもあった。
朗らかな笑顔と豪快なキャラクターでも親しまれた。
出典:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20141128-00000045-dal-ent
◎1989年、爆発的な人気を呼んだ深夜番組「イカ天」
『三宅裕司のいかすバンド天国』
通称「イカ天」1989年2月11日に始まり、1990年12月29日に多くのバンドを輩出して幕を閉じた。
この番組は当時爆発的な人気を呼び、1989年の新語・流行語大賞の流行語部門・大衆賞を受賞するまでに至った。
◎1989年イカ天出場「たま」3代目グランドイカ天キング
たま
フォークロックを主体にしながら非常に独創的な音楽性で異彩を放った。
◎中島啓江さん、「たま」をベタ誉め!
審査員の中島啓江さんからも、「もしかしたら凄いかもしれない!」のお言葉も頂戴した。
◎元「たま」石川浩司のお悔やみツイート
石川浩司(ボーカル・パーカッション)
坊主頭と白のランニングシャツ(タンクトップ)・半ズボンの服装がトレードマークであり、通称「たまのランニング」と呼ばれた
中島啓江さん、イカ天に僕らが最初に出た時まず「凄いかもしんない!」と言ってくれた。あちらでもお元気で!
イカ天で「たま」を見て涙流して笑いながら絶賛してた中島啓江さん… 何だかとてもさみしいわぁ( ´△`)
中島啓江さん死去。たまがイカ天初出場で「らんちう」を歌って、見ている人が度肝を抜かれていた中、中島さんはたまの事を誉めてたんだよなぁ。
中島啓江さんって飾らない素直な気持ちをそのまま表現していたなぁって…たのしい時は豪快に笑って、かなしい時は涙あふれさせていたイメージ。たまのイカ天初登場の時に『なぜか泣けて来ちゃった…』これ以上の誉め言葉はないと思う。ご冥福をお祈りします。
中島啓江は元イカ天審査員ぐらいの知識しかないんだけれど、たま初登場の時、ROCKの吉田健が理解出来ぬ存在である、たまに対して冷めたコメントしてるのに対して、中島啓江は「能ある鷹は爪を隠すかもしれない」と高評価してたのが印象的だった。t.co/DjLHaqtEL8
◎1989年イカ天出場「AURA」
AURA
日本の4人組みロックバンド。ヴィジュアル系バンドの先駆け的として1989年にデビュー
◎ボーカルのReds☆、中島啓江さん悼む…
今、Facebookでもコメントしたんだけど、イカ天の時 「あたしは
AURAが好きよ」って言ってくれたんだよな。 嬉しかった反面驚いたのを今でもしっかりと覚えています。
中島啓江さん…。心よりご冥福をお祈り申し上げます。
◎1989年イカ天出場「BEGIN」
BEGIN
沖縄県石垣市出身の、3人からなる日本のアコースティックバンド。所属事務所はアミューズ。レコード会社はImperial Records。「イカ天」からデビューしたバンドが次々と解散する中、現在でもメンバーチェンジも無く活動を続けて着実にファンを増やし、安定した人気を保っている。
「恋しくて」を演奏した後評価は一転、主として歌詞の面で審査員全員の絶賛を受ける。
中島啓江は「詩が少なくても表している」
◎1989年イカ天出場「人間椅子」
人間椅子
ブラック・サバスなどの70年代ブリティッシュ・ハードロックのサウンドに、日本語の歌詞を載せた独特の音楽性を特徴とする。
中島啓江さん、わたしくらいの世代なら、たぶんイカ天の審査員という印象が強く残っているのではないでしょうか。人間椅子がテレビにはじめて登場したとき、「好きだわ~」と高評価の青ランプを押していたことを思い出しました。
お悔やみ申し上げます。
人間椅子をめちゃくちゃ評価してたよなぁ
【訃報】オペラ歌手の中島啓江(57)さんが呼吸不全で死去(画像あり) : GOSSIP速報 t.co/pipmsCwlzt
◎1989年イカ天出場「FLYING KIDS」初代グランドイカ天キング
FLYING KIDS
ボーカル浜崎貴司を中心とした日本の7人組のファンクバンドである。東京造形大学の学生などで結成された。
中島啓江さんと聞いてまず思い出すのが、イカ天の何かでFLYING KIDS(だっけ?)が「デブでもするのかな〜?」って歌ったのを、激怒されてた事だったりして、とっても失礼(^_^;)a
大学の同級生バンドFLYING KIDSが大変お世話になりました。「イカすバンド天国」(通称イカ天)審査員として活躍してましたよね?ご冥福をお祈りいたします✨
"@oricon: オペラ歌手・中島啓江さんが死去 #音楽 #ニュース t.co/tAPRJhyKoH"
◎1989年イカ天出場「マルコシアス・バンプ」4代目グランドイカ天キング
マルコシアス・バンプ
日本のグラムロックバンド。1985年結成、インディーズで活動。
審査員の中島啓江には「(勝ち抜くたびに)どんどん化粧が濃くなっていく」と指摘された。
◎1990年イカ天出場「G・HEAVEN」
エッチな格好をした女性バンド。中島啓江から「すごい声だね、(ワイプされた理由が)なんでだろうね?メイクが悪かったからじゃない」とのコメント。
◎1990年イカ天出場「チャンネル」
曲名は「原子力デブ」
演奏前にメンバーの1人が「中島さんに捧げる曲」と言い、中島啓江に演奏始まったと同時に赤ランプを点けられるが他の審査員が誰も点けなかった為、完奏。ベストボーカル賞受賞。
◎「イカ天」司会の三宅裕司「本当に残念でなりません」
三宅裕司
「『イカ天』の審査員としていつも個性的なコメントをいただき、大変助かりました。また私の還暦パーティーにも出席していただき、あの明るい笑顔の元気な姿が印象的だっただけに、ただただ驚いています。あのパワフルな歌声がもう聞けないと思うと、本当に残念でなりません」
◎中島啓江さん、イカ天世代に惜しまれ逝く…
俺の中では中島さん=イカ天。その頃からまったく変わらない容姿で...てか、あの時まだ30代だったんだね
イカ天で「歌うときはお尻の穴をすぼめなさい」とロッカーに説教してたのはおもしろかったなあ。
合掌
歌手の中島啓江さん死去 57歳 - Y!ニュース (2014年11月28日(金)掲載) t.co/A3Kbf2q9jQ #おくやみ