今年、活動15周年を迎える歌手の中島美嘉さん。
中島美嘉
1983年2月19日鹿児島県生まれ。2001年にレコード社に送ったデモテープがきっかけでドラマ「傷だらけのラブソング」のヒロインに抜擢され、11月に主題歌「STARS」でデビュー。2002年に1stアルバム「TRUE」がミリオンセラーを記録。その後「雪の華」「愛してる」「桜色舞うころ」などヒット曲を生み出す一方で、女優としても活躍。日本を代表するアーティスト、ファッションリーダー、女優として高い支持を得ている。
◎『2015FNS歌謡祭』で熱唱!中島美嘉 × K「花束」
「花束」
玉置浩二とタッグを組んだドラマ『オトナ女子』(フジテレビ系)主題歌
◎しかし、視聴者からはその歌声に心配の声が…
◎そういえば耳の病気だった…?
こにー@待ってたメリクリ&元旦KinKi!!!@adore_shine1
なんかおかしいと思ったら中島美嘉さん耳の病気をお持ちだったのね。。。
◎2010年「耳管開放症」により音楽活動休止
中島さんは、過去に耳管開放症という耳の病気を患い、一時は活動を休止していました。
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中島は、2010年秋に耳管開放症で活動休止している間、ニューヨークに滞在していた。当時の混乱を、中島は「どのぐらい声が出てるのか、どうなってるのかが分からない」と説明している。
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◎中島美嘉、闘病の孤独と苦悩の日々…
「聞こえない分、喉を荒く使うようになってしまって声が出なくなったんです」「私、耳がダメだから歌えないんですっていうのはすごく嫌だったの。だから誰にも言えなくて」と振り返った。
さらに呼吸音も聞こえてしまうという、という症状もあるそうです。自分の出している音程がわかりずらくなるようです。
◎米国の信頼する医師からの宣告「耳は治らない」
米国の信頼する医師から「耳は治らない」との判断がくだり、公式には無期限休養と発表していたが、「(歌を)『辞めます』って言ったんです、実は」と、引退を決意しており、「毎日泣いてた」という。
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◎そんな中島美嘉を支え続けた現在、夫の清水選手
清水選手との馴れ初めを「知人を介して知り合いました」と明かし、「頼りがいのある優しい性格で、ずっと私を支えてきてくれました」とコメント。
清水邦広
1986年8月11日福井県生まれ。ポジションはオポジット。母の影響でバレーを始め、2007年、東海大在学中に日本代表に選出。2008年には21歳(最年少)で北京五輪代表に選ばれ出場。2009年4月にパナソニックに入団、2年ぶりの優勝に貢献。2013~2014シーズンもリーグ優勝し、MVPに輝いた。
2人は昨年12月25日のクリスマスに結婚を発表。中島が度々試合観戦に駆けつけるなど、ラブラブな新婚生活を送っている様子。
◎夫・清水邦広選手流の楽しくなる方法
例えば、「今日は疲れた、もう何もやりたくない」って思っていても、「全然平気、超やりたい!」って、ネガティブなことをすべてポジティブに変換するという、彼流の楽しくなる方法(メンタルトレーニング)を実践したら、本当にその言葉の通りになって。
出典:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151201-00000361-oric-ent
彼に「辛いときこそ、笑ってみろ」って言われて、声が出なくて辛いときに笑ってみたら、声が急に出たり。彼のおかげで楽しく仕事ができるようになったし、心からライブが楽しいと思えました。
出典:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151201-00000361-oric-ent
◎「最近になって、もう一度本気で立ち上がろうと思った。」
2011年春に復帰を果たすも、当初は不安に襲われていた中島だが「最近になって、もう一度本気で立ち上がろうと思った。
現在は創作への意欲もみなぎっているようで、「新しい中島美嘉ができる気がするんです。楽しそうって思ってもらえるような未来が待っている気がします」と復活宣言。「丸くなる気はないんです」と強い決意を語った。
昨日のFNS歌謡祭で中島美嘉さんが出演されてたけど、耳の病気と闘いながらも一生懸命歌ってる姿が凄く印象的だった