2020年1月19日
「麒麟がくる」がスタート
日曜日の大河ドラマで、明智光秀の生涯を描く
1月19日(日)にスタートする長谷川博己主演の大河ドラマ「麒麟がくる」(毎週日曜夜8:00-8:45ほかNHK総合ほか※初回は75分)。
映画とドラマのレビューサービス「Filmarks」が、地上波放送の2020年冬ドラマ期待度ランキングを発表し、NHK大河ドラマ「麒麟がくる」が1位に輝いた。
主人公は
明智光秀
主人公明智光秀は、戦国大名「織田信長」に仕えていた。
大河ドラマとして初めて智将・明智光秀を主人公に、激動の戦国初期を描く壮大な歴史ドラマ(作・池端俊策)。
謎の多い光秀の生涯を中心に、織田信長、斎藤道三、豊臣秀吉、徳川家康など天下をめぐる英傑たちの若き時代を、群像劇で描き出します。
今夜から始まる大河ドラマ『麒麟がくる』を観るぞー!
織田信長を討った事で有名な明智光秀が主役のドラマとか超面白そうでメッチャ期待してる!!
のちに
本能寺の変を起こす
本能寺の変で、信長を自害に追い込んだ。
天正10年6月2日(1582年6月21日)早朝、京都本能寺に宿泊していた織田信長が、家臣明智光秀の謀反によって襲撃された事件です。
出典:2020年大河ドラマ『麒麟がくる』、いざ明智光秀のゆかりの地へ|社員がゆく|Nakasha for the Future|ナカシャクリエイテブ株式会社
今日は麒麟がくるので楽しみだな~~~
明智光秀、本能寺の変起こしたことくらいしか知らないので新鮮な気持ちで楽しめるな…大河ドラマだいたい毎年いつものことだけど…
麒麟がくるは山崎の戦いで終わりだろうから戦国時代ものとしては本能寺の後に話が終わるっていう珍しい形になりそう。
最後は
羽柴秀吉に敗れる
中国大返しにより戻った羽柴秀吉に山崎の戦いで敗れる。一説では、落ちていく途中、小栗栖において落ち武者狩りで殺害されたとも、致命傷を受けて自害したともされる。これは光秀が信長を討って天下人になってからわずか13日後のことであり、その短い治世は「三日天下」とも言う。
出典:Wikipedia
ネタバレ注意
『麒麟がくる』って、主人公が本能寺に宿泊中の織田信長を襲撃して天下を取るも羽柴(豊臣)秀吉に討ち取られるんだよ。
黒幕は光秀じゃなかった!
明智光秀の資料は
嘘が多い
本能寺の変は光秀だと書き換えられた?
しかし、それの書かれた「明智軍記」なる資料は誤謬多く、全く信用できないことが知られている。
光秀は
信長に感謝文を書く
信長への忠誠心は深く、感謝文を残した。なので裏切るとは思えない。
天正9年(1581年)には、安土左義長の爆竹と道具の準備担当をして、それに続く京都御馬揃えの運営責任者を任された。同年6月2日、織田家には無かった軍法を、光秀が家法として定めた『明智家法』後書きに「瓦礫のように落ちぶれ果てていた自分を召しだしそのうえ莫大な人数を預けられた。
一族家臣は子孫に至るまで信長様への御奉公を忘れてはならない」という信長への感謝の文を書く。さらに翌年1月の茶会でも「床の間に信長自筆の書を掛ける」とあり(『宗及他会記』)信長を崇敬している様子がある。
出典:Wikipedia
クーデターを起こすと
諸国の大名が敵に回る
このころの織田信長の暴君ぶりは、相当なものだったと考えられています。
明智光秀も領地没収される等クーデターを起こす要因はあったと考えられますが、
用意周到な光秀がクーデター実行するにあたり、諸国の大名が敵に回ることは予測していたと考えられます。
そんな光秀が単独でクーデターを起こす事は考えにくいです。
黒幕は〇〇だった!
羽柴秀吉【豊臣秀吉】
黒幕は豊臣秀吉でしょうかね、やはりあの時代は隙あらば邪魔者は消したいだろうし?実際信長が死んで天下取っちゃいましたもんね
@LSzIwD0dwCvrhaZ そうそう😃💡本能寺は黒幕がいた説とか、のぶニャがは死んでない説…🤣
どれも推測だけど、私は秀吉が黒幕だと睨んでる😒
中国大返しが早すぎる
豊臣秀吉の『中国大返し』と言われる軍事行動を時系列的に見てみますと、、、
6月2日 曇 備中高松城水攻め戦闘中
6月3日 大雨 夜『本能寺の変』第一報 深夜毛利方と和議成立
6月4日 高松城主清水宗治自刃、和議調印
6月5日 大雨 高松在陣
6月6日 備中高松陣払い、備前沼城まで移動
6月7日 大雨 沼城発、姫路城着
6月8日 姫路在陣
6月9日 大雨 姫路発、兵庫着
6月10日 兵庫発、尼崎着
6月11日 雨 尼崎発、摂津富田近辺に進出
6月12日 高山重友・中川清秀・池田恒興来參、合流帰属
6月13日 雨 織田信孝・丹羽長秀合流。摂津富田から山崎へ展開。午後4時頃開戦。明智軍を打ち破り、光秀は敗退し勝竜寺城へ逃げ込む。
わずか1週間足らずにて、土砂降りの中を合計219㎞におよぶ重装備の大軍団による驚異的な進軍となりました。
本能寺に出陣
”信長出陣への備え“がそのまま秀吉の『中国大返し』に活用出来たと言う訳です。もうこれは豊臣秀吉が事あることを知っていて準備していたとしか考えられません。
本能寺の変で1番利益を得たのは
秀吉だった
天正10年(1582年)の6月2日、本能寺の変が起きたことで、信長はもとより、嫡男信忠も死んでしまったことで、織田家は主が不在という状況に陥る。そして羽柴秀吉はすぐさま山崎の戦いで謀反人の明智光秀を討ち、この時点で最も有力な織田政権の後継者となった。
宿老の柴田勝家をはじめとする他の家臣たちや、信長二男の信雄、三男信孝などの後継者候補などは、光秀に比べたら秀吉にとっては恐れるに足らない存在であったろう。つまり、本能寺の変で最も利益を得たのは「秀吉」なのである。
推理の世界では「最も利益を得たものをまずは疑え」と言われる。この方針で行くと、疑わしきは「秀吉」ということになる。
この人物もあやしい
近衛前久
う~ん・・公家の近衛前久ではないか?と思えてきてしまいました。BSTBSの「諸説あり!」という番組で、小牧・長久手の戦いの特集があり、こう説明されていました。
本能寺の変の時に、明智の兵が近衛家の屋敷から信長の長男の信忠が宿泊している寺に鉄砲を打ち掛けたことで、当時から近衛家は黒幕として疑われていたそうです。明智光秀とも懇意の間柄でした。
秀吉はそれらの事を一切不問にする代わりに、近衛家の養子となり関白の位に就く事が出来ました。
(関白の位に就けるのは近衛家を含め五家のみだったそうです)関白になれば自由に官位を授けられるので、なかなか臣従しない徳川家康に異例の三ランクか四ランクアップの官位を与えて、ようやく臣下に加える事が出来たそうです。
1582年に本能寺の変が起こると、黒幕は近衛前久であるという噂が流れたため、剃髪し、徳川家康を頼って遠江へ下る。
出典:ニコニコ大百科
真の黒幕は
朝廷だった
ストーリーを書いていたのは朝廷だろうと思います。
中心は近衛前久でしょうか。
共犯というか事前に朝廷からそれとなく協力を打診されていたのは、
茶屋四郎次郎
黒田官兵衛
安国寺恵瓊
千宗易
といった次を狙っていた軍師たちではないでしょうか。
明智、豊臣、徳川などの複数犯
真犯人は明智、豊臣、徳川などの複数犯で、
秀吉の抜け駆け天下取り説だと思います。
理由は、諸説ある中で一番辻褄が合うと思ったからです。
長曽我部
秀吉説も捨てがたいのですが、長曽我部説も捨てがたい…。
長曽我部との婚姻による縁戚関係からの、四国を守るための謀反とか、ロマンが詰まっている気がします。
こんな説もある
本能寺の変はなかった
信長が京都で突然死んでしまった事実を、光秀の裏切りという風に作文しようと思えばできてしまうと思います。
例えば信長病死の報せを受けて心配して駆けつけた光秀の事を、謀反人に仕立て上げ、何万もの人が騒げばインフラが整っていない時代ですので尾ひれも背びれも付いて信長ゴロシの明智光秀が出来上がってしまいます。
光秀が各地に出したと言われる書状などは捏造できますし、向かってくる相手を迎撃する光秀の姿勢は相手から見れば光秀がやはり謀反人だという印象を濃くしていきます。
さらに最後が土民の槍にかかるなんて終わり方が不思議で仕方ないです。
光秀は秀吉に
そそのかされた
羽柴秀吉ではないかと思います。
「本能寺の変」の直後に中国大返しといって素早く帰ってきたといいますが、
10日で200㎞もの距離をそう簡単に移動できるでしょうか?
推測ですが、主君・信長の後継者になるつもりで邪魔な光秀をうまくそそのかし、信長を討たせた。その後で山崎の戦いにて光秀を消した。世間的には「信長を殺した光秀を征伐した」と大義名分が立ちますね。