▼2021年10月1日 日本ハムの斎藤佑樹が今季限りで現役引退することを表明
爽やかに現役生活に別れを告げた。日本ハムの斎藤佑樹投手(33)が1日、今季限りで現役引退することを表明した。早実のエースとして06年夏の甲子園で7試合948球を投げ抜き優勝。「ハンカチ王子」の愛称で人気を集め、早大を経て10年ドラフト1位で入団した。12年に開幕投手を務めるなどしたが、故障に苦しみ、昨年は右肘内側側副じん帯を断裂。再起を期した今季も1軍マウンドに戻ることができず、11年間のプロ生活に幕を下ろすことを決断した。
出典:https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2021/10/02/kiji/20211002s00001173091000c.html
▼そしてネット民が注目するのはTBS系列で不定期に放送される"俺たちはプロ野球選手だった"でどう扱われるのか
▼お節介ながら3年前にネット民は北海道日本ハム・斎藤佑樹の場合を想定して創作していた
-これより下はあくまでもネット民の創作である-
7月某日、高校球児達が甲子園を目指し全国で死闘を繰り広げているころ、我々取材班はその男と都内の喫茶店で会っていた。
「今年もこの季節が来ましたね…今でもあの暑い甲子園のグラウンド、360度から聞こえてくる大歓声にブラスバンドの音は忘れられないですよ」
そう語るのは元北海道日本ハムファイターズ投手・斎藤佑樹、35歳。ポロシャツを着て少々日焼けしたその姿は現役時代と殆ど変わっていなかった。
斎藤は1988年群馬県に生まれた。野球を始めたのは小学1年生の頃からで、中学時代は、関東大会でベスト8に入るなどの活躍を見せた。
その後名門・早稲田実業に入学すると1年生からベンチ入りを果たし、2年夏には背番号1をつけるようになった。
そして3年生の夏、甲子園連覇中の駒大苫小牧を破り全国制覇。この時の田中将大(現楽天)との延長15回の末の引き分け再試合は今なお野球ファンの間で語り継がれる伝説の試合だ。
「あの時は本当に先の事なんて考えていなかったですね、今でもよくあれだけ投げることが出来たよなって思いますもん、僕も、田中君も」
その後早稲田大学に進学した斎藤は、大学野球においてもその実力を発揮。大学4年間で六大学史上6人目となる通算30勝300奪三振を達成した。
2010年のドラフト会議では6球団競合した早稲田大学の同級生・大石達也(現西武球団職員)に次ぐ4球団の競合の末北海道日本ハムファイターズに入団。
順風満帆に見えた野球人生、しかしその後の斎藤を待ち受けていたのは困難の連続だった。
球団から即戦力として期待された1年目、プロ初登板で初勝利を挙げるも、怪我による離脱もあり6勝6敗でシーズンを終えた。
2年目の2012年は開幕投手に指名され、勝利を挙げるもその後は打ち込まれるなど精彩を欠き、僅か5勝に終わってしまう。
「その頃から既に肩は痛かったですが…周りにも言えずに投げ込みを続けてしまって。あの時ちゃんと相談していれば違ったのかも知れませんが、期待を裏切りたくなかったから…」
痛みを我慢し投げ続けた斎藤、しかしその年のオフ、彼の右肩は遂に悲鳴を上げた。
病院で診察を受けた斎藤。その診断結果は、「右肩関節唇損傷」だった。
関節唇損傷とは、文字通り肩の組織である関節唇が投球動作の際の捻りなどにより損傷してしまう事である。この怪我の結果、肩の可動域が狭まったり激しい痛みに襲われる事もある。
過去には元ソフトバンク・斉藤和巳(現ソフトバンク一軍投手コーチ)や元西武・森慎二(現石川ミリオンスターズ監督)など多くの名選手がこの怪我により現役引退に追い込まれた。
この怪我以降、斎藤のプロ野球人生も大きく変化していく事となる。
2013年はリハビリの影響もあり一軍登板は僅か1試合に終わり、二軍でも防御率8点台と不振に苦しんだ。
その後3年間で一軍で僅か3勝に終わり(2014年2勝、2015年1勝、2016年0勝)、若手選手が次々に出てくるチームの中で、出番は年々減少していった。
その後背番号が18から41に代わった2017年は完封勝利を挙げるなど5勝を挙げ復活の兆しを見せたがそれも長くは続かなかった。
2018年、30歳になったこの年、シーズン終了直前に戦力外通告を受け、その場で現役引退を決断した。
「最後のシーズンは二軍でも良いとこ無くて、一軍にも呼ばれなくて、もう腹はくくっていたんです。そして9月に入って実際に通告されて、ユニホームを脱ぎます、と」
―トライアウトなどを受けて他球団で続けるつもりは無かったんですか?
「周りからも勧められはしたんですけどね、もう肩もボロボロでしたし、それに自分の事は自分が一番分かりますから。もう限界だったんです」
「夢を見つけたんですよ。結構大きめの。なのに、ニートじゃだめでしょ。」
笑みを浮かべながら斎藤は語る。
夢は、青山に土地を買うことだという。
「やばいっすか?カイエンのりてぇんすよ。」
おもむろに空を見上げた斎藤の瞳には、あの夏の甲子園の、青々と澄んだ空が広がっていた。
「ビッグになろう」
引退後、斎藤は日本ハムの球団職員として編成部で3年間勤務後退団。現在は知人に紹介してもらいベースボールマガジン社でライターの仕事をしている。
「結構自分の書いた記事は人気みたいで(笑)コーナーも持たしてもらっているんですよ」
―同級生の選手にも取材はされますか?
「ええ、大分減ってきましたが田中君や前田君(前田健太・現オリックス)も良く取材させてもらっています」
「それと去年引退した澤村君(澤村拓一・現巨人二軍投手コーチ)とも良く話をしましたよ、彼も最後は僕と同じ関節唇損傷で苦しみましたからね」
そしてこの日の取材後も、彼は球場に向かっていった。
「今は高校野球の特集もやっていましてね、その取材です。隠れた名選手はたくさんいますからね」
―やはり自分が取り上げた選手がプロ野球選手になってくれたら嬉しいですか?
「勿論ですよ!僕が紹介して、まだ日の当たっていない選手達に少しでも多くプロに行ける可能性を持たせてあげたいですね」
最後に我々は質問した、「野球人生に後悔は無いか」と。斎藤は笑顔でこう答えてくれた。
「怪我など色々ありましたけどね、後悔は無いですよ。野球人生を通じて色々な物を得ることが出来た、最高の野球人生でした!」
斎藤佑樹 北海道日本ハムファイターズ(2011年~2018年)
通算成績 126試合 21勝29敗 431.0回 246奪三振 防御率4.03
完
▼ネット民の反応
でもてょって引退しても未練は残さなさそうよね
感動した
てょは普通に芸能界行くやろ
人気はハンパないし
25勝してないやんけ
おつやで
さいてょ中継ぎ転向編も見たいンゴ
マエケンオリックスにおるやんけ草
乙
何とかてょにはもう一度復活してほしいンゴねぇ…
34歳で怪我して引退ってまあまあリアル感はあるわな>澤村
面白かったやんけ
色んな人巻き込まれてて草
乙
面白かったで