ハンパない『貧乏時代』を乗り越えた芸能人・有名人さんたちをまとめます。
◆マギーさん◆
マギー
女性ファッションモデル、タレント。レプロエンタテインメント所属。
本名:ギブ 奈月 マーガレット
出生地:兵庫県尼崎市園田
出身地:神奈川県横浜市
身長・体重:171cm 48kg
誕生日:1992年5月14日
年齢:22歳
血液型:A型
カップ:A
中学:仲尾台中学
高校:市立戸塚高校
父親はスコットランド生まれのカナダ人でナレーターのイアン・ギブ、母親は日本人。弟が1人(1歳下)。兵庫県生まれ。2歳まで兵庫県尼崎市園田で過ごすが両親が離婚。生後間もない弟とともに父親に引き取られ、3歳から5歳までをカナダのハリファックスで過ごし、帰国後、9歳まで京都で暮らした後、神奈川県横浜市に居住している。
お父さんのイアン・ギブさんはスコットランド出身のカナダ人。ナレーター、声優、俳優など非常に幅広いジャンルの仕事をしています。例えば、
・イーオンやベネッセの英語学習用教材のナレーション。
・任天堂、ネスカフェ、P&Gなど大手企業のCMのナレーション。
・2012年のNHKドラマ『負けて、勝つ 〜戦後を創った男・吉田茂〜』のコートニー・ホイットニー役
・2008年のSMAPの中居正広さん主演の『私は貝になりたい』の検事役
弟:ビリーさん
母親がいなかったのでマギーが母親代わり。弟によると、マギーは家の中ではボスキャラ。姉には絶対に逆らえない
皿洗いしていないだけで逆鱗に触れる。
幼少時代に両親が離婚したモデルのマギー。マギーは弟と共にカナダ人の父:イアンに育てられた。当時、父は日本で俳優やナレーターをしていたが、仕事が少なく収入も不安定。
そんなマギー家では、なぜか停電になると「すき焼き」が出てきたそう。理由は牛肉の代わりに豚バラ肉を使っていることが子どもたちにバレないための、父親の画策だった。
母親の代わりに弟の面倒を見た幼い頃のマギー
マギーが「(収入が)ある時とない時の差が本当にひどくて」と自由業の父親を持つ幼少期を振り返った。
高校卒業時のマギー
会社のつけっぱなしにしてるテレビでマギー見てる。貧乏経験とかぼっちアピールとか地味な努力アピールとか。危険な香りがする。これは男の人生を狂わせてしまう人や。
◆中居正広さん◆
中居正広
中居 正広(なかい まさひろ、1972年8月18日 - )は、日本の歌手、俳優、タレント、司会者であり、男性アイドルグループ・SMAPのリーダーである。
神奈川県出身。ジャニーズ事務所所属。
中居が生まれ育った家は「4畳と3畳半くらいで、天井が低かった」
中居正広さんの幼少期貧乏エピソードはすごかったようで…「週2回しかお風呂に入れなかった。日曜日は必ずなんだけど、その前は水曜日か木曜日なの。お風呂って言ってもシャワーはないから、夏場でも水曜日か木曜日なの。
入浴できない日は、玄関先の蛇口にホースをつなぎ、冷水で洗髪していた
陣内智則が、「中居さんも、なかなか(貧乏)でしたよね?」と話を振ると、中居は「僕は5人家族で4畳半と3畳みたいな。でも全然貧乏という意識なかったですね」と語った。
出典:サービス終了のお知らせ
中居は現在ダブルベッドで寝ているとしながらも、「毎日です。毎日壁とベッドの間に自ら落ちていくね。やっぱりこう、挟まってないとダメみたい。狭い所でうつぶせで寝ているのが一番」と明かした。
出典:サービス終了のお知らせ
「小学校の時、2個上の兄ちゃんと5個上の兄ちゃんがいて、教科書とかドリルとかもお下がりだから」と語った。すると陣内が、「ドリルなんて計算して終わってるんちゃうん?」と尋ねると、「消すのよ、親が。消して、『ドリル買ってきたわよ』」という言葉とともに、渡されると明かした。
出典:サービス終了のお知らせ
中学時代ヤンキーだった。
中居は、「これアイツのじゃん」と親に抵抗したものの、「大丈夫、使えるから」と言いくるめられ、それを使っていたとのこと。「学校に持っていくのが恥ずかしい」と、当時を振り返った。
中居正広は、自分の幼い頃の家庭の状況を語った。その頃はお金が無くて、お米も満足に買えなかったという。住んでいる家にはお風呂が無く、4畳ぐらいの部屋が2間。ひとつの部屋で一家5人が寝ていたそうだ。
牛丼の吉野家は価格が高いので利用できず、たまにマクドナルドに行けるぐらいだった。だが値段が高めのハンバーガーや、ドリンクをSサイズではなくMサイズを頼むと親から体をつねられたらしい。どうやら想像するよりもはるかに、幼い頃の中居の実家は経済的に厳しかったようだ。
中居くんは、たまーに行くとしても吉野家には行けず、マクドナルドに行ったとしても、ビッグマックは頼めない。コーラのMを頼もうとするとつねられて「Sでしょ」と言われた。
出典:疑問の声多数!中居正広が「ナカイの窓」で披露した貧乏話にネット民「ウソばっか!」 - Johnny's Watcher
バームクーヘンは友だちの家にしかなかった。
出典:疑問の声多数!中居正広が「ナカイの窓」で披露した貧乏話にネット民「ウソばっか!」 - Johnny's Watcher
金持ちの家のカルピスは濃厚だった。
中居が兄と考案したというご飯の食べ方である。「米はあるのでバターとしょう油で“バターご飯”にしたり、チューブのわさびと酢をかけて“わさびご飯”にした」と兄たちと考えた食べ方を紹介した。
腹いっぱいにご飯が食べられなかった子供の頃、水をかけたご飯を食べて腹を膨らませていたのだとか。お茶漬けやだし汁などではなく、単なる水道水。この水かけご飯をテレビ番組内で紹介した際、試食した共演者たちが渋い顔をするなか、中居だけは「ウメ~!」と言いながら、嬉しそうにかき込んでいた。
中居はスタジオで茶碗についだ白飯に水をドボドボとかけ「涙が出てくるね」と感想を漏らす。
今では「お金で不安を感じたことはない」という中居だが、「もったいない病はあるかな」と食事を残すことができないと明かしている。
中居は、野球少年だった。小学生6年生まで、練習が生活の中心。神奈川・辻堂に引っ越したあとも、自転車で約40分かけて、練習に通っていた。その甲斐あってキャプテンになったが、肘を痛めて、大好きな巨人に入団する夢を断念。
中学生のとき、テレビで見た光GENJIに衝撃を受けて、ジャニーズ事務所に履歴書を送った。あのとき、怪我に見舞われていなければ、SMAPは誕生しなかったかもしれない。
ここまで中居が野球に没頭した理由は、もちろん、巨人の選手が最高にカッコいいヒーローだったということもある。しかし、それ以上に、貧乏だった幼年期、男兄弟3人を育ててくれた父親(正志)に恩返ししたいという思いが強くあった。
中居の父
高級車を2台もプレゼントしてもらった。
今では、日本を代表するタレントになった中居。地元の友だち、父親を、芸能界に入ってから出会った人よりも大切にしているのは、あの時代を共有したから。高級車を2台も父親にプレゼントできたのは、中居にとっての大願成就だ。
◆浜田雅功さん◆
浜田 雅功 (はまだ まさとし)
浜田 雅功(はまだ まさとし、1963年(昭和38年)5月11日 - )は、日本のお笑い芸人、俳優、エッセイスト、作家、アーティスト、司会者、声優であり、お笑いコンビ、ダウンタウンのツッコミ担当である。
出身地:兵庫県尼崎市(大阪府大阪市浪速区生まれ)
血液型:A型
身長:165cm
最終学歴:日生学園第二高等学校
出身:NSC大阪1期生
コンビ名:ダウンタウン
相方:松本人志
立ち位置:右
事務所:吉本興業東京本社
大阪市北区大国町で、父・憲五郎、母・信子の間に生まれる。父は大阪万博にてソ連館のペンキ塗りを請け負っていたペンキ屋に勤めていた。幼稚園へあがる頃に尼崎市へ移る。それまでは芦屋市で家族で暮らしていた。放送作家の高須光聖とは幼稚園時代からの付き合い。小学校時代に松本と出会う。
浜田雅功さんですが、幼少期はかなり貧乏だった。
幼少期の浜田さん
浜田家の上の階の床が抜け、天井から上階に住む韓国人の中年婦人が幼い浜田を抱く母親の肩をかすめて落ちてきた。
親友でもある松本人志や高須光聖曰く、実家はひどく貧乏だったらしく、よほど親しい友達でないと家に上げてもらえなかったという。
高須 光聖 (たかす みつよし)
高須 光聖(たかす みつよし、1963年12月24日 - ) は、兵庫県尼崎市出身の放送作家。他に、作詞家や脚本家、ラジオパーソナリティなど、幅広いジャンルで活躍している。自ら運営する会社・カイト所属。
妻はニッポン放送所属のアナウンサー増田みのり。
ダウンタウンの2人とは幼少時からの付き合いであり、浜田雅功と同じ幼稚園、浜田・松本人志と同じ小・中学校に通った後、兵庫県立尼崎小田高等学校を経て龍谷大学経済学部を卒業。
しかし、本人は貧乏であったことは認めるが、生まれたときから貧乏ではなかった、という主張をよくする。本人いわく、「大阪万博までは羽振りが良かった。それからや、ヤクザの取立てが家に来るようになったんは。」と語る。父親は知り合いの借金の連帯保証を背負わされてヤクザに拉致監禁されたことがある。
1982年 三重県にある全寮制の日生学園第二高等学校(入学は日生学園第一高等学校。2年次に移動)卒業。在学時はあまりに厳しい環境のため何度も寮を脱走したとか(本人談)。浜田が一年生の頃、学校の便器を素手で掃除するというしきたりがあったほど。
高校時代
1979年、三重県にある当時全寮制の日生学園高等学校(現在は日生学園第一高等学校)に入学し、2年次に開校にともない移動した全寮制の日生学園第二高等学校を卒業。
脱走した際、お金がなく困っていたため松本に電話し助けてもらったらしい。同校の後輩として今田耕司がいる(今田は同校中退)。
◆松本人志さん◆
松本人志
お笑い芸人。浜田雅功とのコンビ「ダウンタウン」のボケ担当。構成作家。映画監督。ニックネームは「まっちゃん」。「笑いの天才」と言われている。
1963年9月8日生まれ。兵庫県尼崎市出身。最終学歴:兵庫県立尼崎工業高等学校。よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属。
B型。左利き。3人兄弟の末っ子。身長173cm。既婚。娘が一人いる。
実母:松本秋子(個性的なキャラクターが話題となり、「松本のおかん」としての知名度が高い。度々テレビに登場している。)
実兄:松本隆博(歌手。ヒューマックス株式会社取締役。)
妻:伊原凛(元タレント、お天気お姉さん)
関西中の不良が集まるような高校があり、小学校には空気清浄機、常に駅に漂うホップの匂い。奇異な人間とそれを普通にうけいれている環境、貧乏な人間が多い街。それが松本人志の育った尼崎という街だった。
父親は室内装飾や舞台装飾の仕事をしていた。破天荒な人間だった。長電話している姉に立腹して出刃包丁で電話線を叩き斬った事があった。母親は大のお笑い好きだった。
出典:タレントデータベース
松本人志は尼崎でも貧乏な家だった。
小学校時代
運動が苦手で勉強も出来ず性格も暗くてイジメられっ子だったが、クラスメイトから笑いを取れるようになってから一目置かれるようになった。
・小学校時代、授業中に奇声を発していた。
・小5の時、友人3人でお笑いトリオを結成、クラスメイトの前でネタを披露。
・小学校時代、家でマンガを読んだりイラストを描いたりするのが好きだった。
・小学校の修学旅行で女風呂を覗いた時にオバチャンの先生の裸を見てしまった。
家は抜けた床の修理もままならないほど
出典:タレントデータベース
ウインナーを焼いたものを焼肉と呼んでいた。
出典:タレントデータベース
レンジを始めて使ったのは、お姉さんが離婚の慰謝料として持って帰ってきた時
飼っていたペットの犬(名前はペル)をエサ代に困って父親が処分した。
出典:タレントデータベース
自転車を買って貰えなかったので、友達の家まで自転車に乗っている真似をして行った。
出典:タレントデータベース
小学校時代、左利きのグラブを買えなかったので少年野球チームを1日で辞めた。
出典:タレントデータベース
「もう家が貧乏なの分かってたから、めったにおねだりなんかせえへんかった。」
出典:松本人志の生い立ち−貧乏。 - お笑いの個人研究
中学校時代
中学時代、放送部。浜田と同じクラスになり、悪ガキグループ・6人組を結成して悪さをした。近所のお姉さんの下着を物干しから盗んだ。覗きをした。友人の部屋をノコギリで破壊した。 当時は浜田から「まっつん」と呼ばれていた。
・中学時代、浜田からヌードグラビアファイルを貸して貰った。
・中学時代、浜田の発案で2週間同じパンツをはき続けてみた。
・中学時代、浜田と一緒にWデートをした。
・中学の修学旅行で受けを狙って床の間にウンコをした。
中3から浜田と一緒に新聞配達をして自分のおこづかいはアルバイトで稼いでいた。
出典:タレントデータベース
お笑いで天下を取れた暁には、大好きな母をラクにさせてやりたい一心だったが、30歳のときに大願成就。尼崎市に中古マンションを購入し、その5年後には土地を購入。念願の一軒家をプレゼントできた。
◆風間トオルさん◆
風間トオル
俳優。メンズノンノのモデル出身。
雑誌「Fine」のモデルとしてデビュー。
現在は俳優業を中心に活動している。
Profile
生年月日 : 1962年8月19日
出身地 : 神奈川県
血液型 : O型
身長 : 175cm
体重 : 62kg
出身高校 神奈川県立川崎北高等学校
徹子の部屋で壮絶な半生を淡々と初告白する。その頃の経験を今の自分に生かせていると強靭な精神力と人格を窺わせた。
5歳ほどで両親が離婚し、そのうちに父親もいなくなり、祖父と祖母のもとで過ごした。
祖父が認知症になってしまったため、なんと小学生で介護をすることに。(祖母は毎日パチンコに行っていて祖父の面倒見なかったとか)
嫌がることなく祖父の面倒を見ていたという風間トオルさん。しかし、ある日衝撃の出来事が。小学校から帰宅途中に友達が指をさした先にあったものは…。そこには素っ裸で用を足す祖父の姿だったといいます。
流石の風間トオルさんもこの時ばかりは、知らないフリをした。
出典:風間トオルの貧乏話!結婚後両親直ぐに離婚で極貧息子に?天然の噂も! | 芸能人の噂・ニュースの最新情報まとめ!画像付き
食べるものがないため家の前の公園の草を物色したと笑って語った。
砂や土まで食べ、炎天下の石を舐めると香ばしくて美味しいことを発見した
朝顔も食べた。紫色のものが一番甘くて美味しかった。
カマキリも食べた。草と違って向こうから来てくれるのでありがたかった
バレンタインにもらったチョコを365分割して1年間の食料にした。
夏休み中は給食が食べられないので、友達の家で一緒に食事させてもらうことを考えた。その方法として、トオルさんが選んだのが川の水質調査の自由研究。
理由は、時間がかかるため毎日友達の家に行けるから。そして、昼は川沿いの草と川の水でお腹を満たせるから。自由研究は食べ物にありつくための手段でしかなかったが、川崎市から表彰されてしまった。
子供の頃はお風呂がなく代わりに洗濯機に入ってスイッチを入れて体を洗っていた。その後生まれて初めて一般的な銭湯に行った時に「プールみたい」と思った
高校の頃に独り暮らしをしたが、生活費や授業料などを払うためにバイトに明け暮れ睡眠時間はだいたい2時間ぐらいだった。ちなみに、番組出演者から「貧しい生活に嫌気がさしてグレ(不良になら)なかったんですか?」と問われて、本人は「そんな暇なかった。単車(オートバイ)を買うお金もなかった」と答えている。
また、高校の独り暮らし時、冷蔵庫がないので冷蔵庫に入れるような物は土に埋めたのも役に立ったと語った。
貧しい生活をしていたこともあり、本人曰く「若い時は交通費がなくて10駅ぐらいはよく歩いて移動していました。川崎から渋谷まで歩いて行ったこともあります」とのこと。ただし、ある時映画を見るために歩いて行ったが時間がかかりすぎて映画も見ないまま、そのまま夜遅くに帰ったことがある。」
貧乏時代に数日間同じ服を着ていたことがあり、その時に「裏返しに服を着る」ということをやるようになった。そしてモデルになった後も服を裏返しに着るというスタイルが、意外にももてはやされるようになったとのこと。
また、ある日たまたま左右別々の靴下を履いて仕事場に行ったところ、スタッフから「それいいね~」などと褒められたことがあり、本人は、さすがにビックリしたと語っている
先述の通り貧しい頃に草やタンポポを食べたりしていたことで、人一倍胃腸が丈夫である。ある時海外で動物を撮影する仕事があり、同行した番組スタッフたちがお腹を壊した。
同じものを飲食していた風間だけはお腹を壊さなかったため、スタッフからハンディカメラを渡されて、「すみませんが、1人で動物の生態を撮影しに行ってもらえないでしょうか?」と頼まれた。風間は頼まれたとおりに1人で撮影して、後日その番組でその映像が流れたと語っている
貧乏だったため普段着どころか学校指定の体操着も買えなかった。
体育の授業は自分の着ていたTシャツを裏返しにして表柄がわからないようにし、グリーンやエンジなどの自分の学年指定色をマジックで襟ぐりに塗って細工していた。
体育の時間が終わればまた元に裏返して普段着に。
中学生の頃に虫歯で歯が痛くなる度に「治療費がもったいないのでペンチで虫歯を抜いていた」
車に跳ねられてしまったという交通事故時の驚愕エピソードについて語った。
車のスピードが出ていたのか、風間少年が跳ねられた時に10mほど飛ばされた。
コンクリートに頭から落っこちて着地すると、その瞬間に「もしかしたら(ケガのことを親に)怒られるかもしれない、(ケガの治療で)お金取られるかな?」という考えが真っ先に頭をよぎり、「何事ともなかったように家に帰らなきゃ」と思いそのまま歩いて家に帰った。
その事故を目撃していた人が警察に連絡してくれたようで、親に交通事故に遭ったことがバレてしまった。
その事故でのケガで風間少年は1カ月も入院することになった。
◆アンミカさん◆ 『ヒルナンデス』(日本テレビ系)でお馴染みのモデルタレント
アンミカ
アンミカ (AHN MIKA 安美佳、あん みか)
・1972年3月25日 大阪府出身
・TENCARAT Plume所属の女性ファッションモデル。また、2009年から韓国観光名誉広報大使、2013年から初代大阪観光大使をそれぞれ務めている。
現在
レギュラー出演
『TOKYOモダン商店』(BS日テレ)メインMC
『AHNdante』(J:COMウエスト)メインMC
『ヒルナンデス』(日本テレビ)火曜日激安コーデバトルのコーナー出演
『いっぷく!』(TBS)準レギュラー
韓国・済州島生まれの大阪市生野区・阿倍野区育ち。いずれも年子である5人兄弟(姉妹)の次女で、兄・姉・弟・妹がいる。
「あのね、私、大阪の鶴橋っていう非常にカジュアルな地域の出身なんですよ。コリアタウンと言われる。」
貧しい長屋で育ち、幼少期に口元にケガを負うなど、それらがコンプレックスとなり引っ込み思案な時期もあったが、明るい性格を取り戻し、実家が二度火事にあうなどの災難を乗り越え、以後活動的な学生時代を送る。
お父さん、お母さん、お姉さんと一緒に撮影した貴重な一枚。向って左がアン ミカさん。
「で、ホント四畳一間で7人。兄弟5人と親でずっと暮らしてたんですよ。」
「もうみんなほんと雑魚寝。」
学生時代は陸上部に所属し、早朝の新聞配達やパン屋のバイトなど、学業と平行して兄弟姉妹で助け合い、家計を支えていた。
「もうずっとそこで暮らしてて、私、小学校中学校高校と朝は7年新聞配達をして、ほんま極貧やったんですよ。」
TVが無かったので兄妹5人でお芝居をしていた。
唯一あったおやつは、深夜3時に叩き起されてリュックを背負って3駅先の青果市場に行って売り物にならないフルーツを無料で貰っていた。
西瓜だけは青果市場で貰えず食べるのが夢だった。1回だけ親戚のおじちゃんが西瓜を持って来てくれて食べた。親が種を取って置いて、子ども達が西瓜が食べたいと言うと『種をしゃぶったら西瓜の味がする』と言われしゃぶらされていた。『種を飲み込むなよ!お腹に芽が生えるから』と親から言われギリギリのところで味わっていた。
そのときのスイカの皮の白い部分は、体を洗うのに使用していた
アンミカがモデルとなったきっかけも母親の言葉が大きかった、と過去に彼女はインタビューで明かしている。現在は174cmと長身の彼女だが、幼少期は兄妹たちの中で彼女だけ背が低く、体格もぽっちゃりしていた。
階段から落ちて顔に大けがを負ったこともコンプレックスに拍車をかけた。しかし母は彼女に「ミカちゃんは手足が長いから、将来モデルさんになれるかも」と言い、いつも励ましてくれた。
そんなアンミカを育てた母親は中学3年生の時にガンで死去。父親も死因は不明ですがアンミカがようやく売れ始めた2001年に死去。32歳にして両親が他界してしまいます。
モデルとしての活動は、大阪府立住吉高等学校在学中に、コンプレックスを克服する教えをくれた実母の死を機に、モデル事務所へ応募したのがきっかけ。
在学中にモデル事務所に登録し、卒業後に単身パリへ渡り、直談判で数々の仕事をつかみとってモデル活動の基盤を築いた。
最初は書類審査で落ちたが、レッスン生にキャンセルがでて、たまたま事務所へ立ち寄っていたアンが繰り上げ参加となった。その後トップモデルを目指し高校卒業後に単身パリへ移住。18歳でイギリスのファッション誌『I・D』に写真が掲載されたことを契機に、1993年に20歳でパリコレクションへ初参加。以降は、日本・韓国を中心にファッションショー、広告、CM、映画などへ登場していた。アメリカのモデルエージェンシーに所属したり、ヨーロッパのファッション誌でモデルを務めたりしたこともある。
相手は米国人で、CMやイベントなどの制作会社社長セオドール・ミラー氏(41)。過去には堀江貴文受刑者(39)=旧証券取引法違反罪で実刑確定、服役中=が経営権を取得する前の「ライブドア」の社長も務め、兄は映画監督のベネット・ミラー氏(45)。
年収は数億円と言われる旦那と玉の輿結婚したことで、一躍セレブの仲間入りを果たします。
このお相手の大物ぶりたるや、それはもう凄まじく、ニューヨーク大学を卒業後、株式会社電通に入社。その後、本田技研、ライブドアなどを経て、現在のエンパイアエンターテイメントジャパン代表取締役に就任。
自宅も都内高層マンションの最上階2フロア占有で、こんな感じ。
自宅も都内高層マンションの最上階2フロア占有で、こんな感じ。
自宅も都内高層マンションの最上階2フロア占有で、こんな感じ。
◆城島茂さん◆(TOKIO)
城島茂(TOKIO)
城島 茂(じょうしま しげる)
ギタリスト、歌手、アイドル、タレント、俳優、司会者、キャスター
別名:リーダー
出生:1970年11月17日(43歳)
出身地:千葉県市原市 (奈良県大和郡山市育ち)
血液型:O型
学歴:奈良県立奈良商業高等学校卒
アイドルグループでロックバンドTOKIOの最年長メンバーである。ギター担当およびリーダーを務める。所属事務所はジャニーズ事務所。所属レコード会社はジェイ・ストーム。血液型O型。身長170cm、体重55kg。
平成26年「24時間テレビ37 愛は地球を救う」のマラソンランナーに選ばれた。
小学3年生のときに両親が離婚し、母親に引き取られる。中学校まで不登校を繰り返す生活を送っていたが、中学3年の時、テレビで少年隊が「仮面舞踏会」を歌っているのを見て「今の生活を脱したい。芸能界に入れば変わることが出来る」という思いから芸能界入りを決意した。
城島茂さんは一人っ子で母親と二人でしたが、 食事に困るほど貧乏な生活をしていたようで、幼少期はかなりの苦労人として知られています。
家庭の事情で、京都、神奈川、鹿児島、大阪など各地を転々としていた
自宅の裏にある畑から菊の花をとってきて、おひたしにして食べていた
◆メッセンジャー黒田さん◆
メッセンジャー黒田
お笑いタレント。お笑いコンビ『メッセンジャー』のボケ担当。相方はメッセンジャーあいはら(あいはら雅一)。
本名:黒田 有(くろだ たもつ)
生年月日:1970年1月29日(44歳)
出身地:大阪府東大阪市
血液型:A型
身長:168cm
最終学歴:大阪府立布施北高等学校
出身:NSC大阪校10期
所属:吉本興業
黒田は男4人兄弟の末っ子。母親が39歳のときに生を受ける。小さいころに両親が離婚。父親は離婚後も近所に住んでいた。黒田の母親は一人で子供4人を育てた。
耳たぶが欠けた黒田さん
左の耳たぶが欠けている事が画像を見て確認できます。耳たぶが欠けた理由ですが、 幼少期に家で寝ていた所、家の中にいたネズミに よって噛みちぎられたそうです。
黒田さん自身もこの事に関しては
「自分はリアルドラえもんだ」と言っています。
黒田さんの実家は6畳と4畳半、二間。その端っこにあるトイレは夏になるとアンモニア臭がひどく母親が用を足している時、その悪臭に倒れたそうです。
小学生低学年の頃、絵画教室に通っていた黒田さん。月謝の滞納が理由で教室の先生から差別的扱いを受けていた事が未だにトラウマになった。
莫大な借金を残して失踪した父親。その事に絶望した母親に2度も黒田さんは捨てられたそうです。1度目は神社に捨てられた。
2度目は小学生の時、八戸ノ里駅(東大阪市・近鉄奈良線)近くの電車の高架下に捨てられた。 最終的には長男が発見し連れ戻してくれたそうです。その出来事を本人が知ったのは23歳の時、悲しみのあまり2日間以上泣き続けたそうです。
あまりに幼い頃貧乏だったので「『おしん』なんて一つも泣けない」と言っていた。
小学2年生のときに貧乏ゆすりをしていた事をいじめられたので母にそのことを言うと「本当の貧乏人は貧乏ゆすりをせん。腹へるやろ」と和尚のような返答をされた。
母親は落ちていた町中の銀杏を独り占めしたため「町の風紀が乱れるから」の理由で町内会の新聞に掲載された。
小中学生時代、逼迫した家庭の経済事情のため、学校での「赤い羽根共同募金」活動に参加できず、そのため協力の証である“赤い羽根”をもらうことができなかった。
そこでやむを得ず近所に落ちていた野生の(時に食した)鳥の羽根(鳩、カラス、メジロ、カナリア等)を加工して「黒い羽根」と称し身につけ登校していたことがある。「たもつ羽根(たもつばね)」と同級生らに持て囃された。
その逸話を耳にした地元の新聞社支局が、黒田が通う学校の職員室に事実照会の電話をしてきたという。
小学生の頃、官製の年賀はがきを買ってもらえず、段ボール紙や牛乳パック、新聞紙などを湯で溶かし紙すきを行なった。漂白できなかったため、ねずみ色のはがきとなった。
「明けましておめでとう」の芋版を押し使用済みの切手を貼り消印をねつ造し、元日の早朝4時頃から同級生・担任の家々を郵便配達員になりすました服装をまとい、自転車で配り回ったことがある。しかし、消印が脅迫状のようなカクカクした字体で、しかも鉛筆で書いたため、すぐにバレたという。
正月近所の「お好み焼屋のおっちゃん」に、お年玉500円を貰ったことがある。黒田少年が冬空の下、短パン姿でこぶしを握り締め、そこから血がポタポタ滴って足元を寂しげに濡らしているのを「おっちゃん」が発見。あまりにも不憫だと思い、衝動的に渡したという。
クリスマスのときに「マジンガーZの超合金が欲しい」と手紙を書いて靴下に入れたら、次の朝起きたら、家にある5センチほどの奈良の大仏の置物に角をつけたものが入っていた。作成した母はそれを「超合金だ」と言い張った。
墓が石ではなく木で出来ていたため、5年前に飛ばされてしまった。
感動した食べ物として、友人の家で振舞われた「サッポロ一番塩ラーメン」をあげていた。あまりの美味しさにパッケージをファイリングし、大人になってからも箱買いをした。
【したたかな黒田の母】エピソード
•有(たもつ)は男4人兄弟の3男。小さいころに親が離婚。母親一人で子供4人を育てた。
•手先が器用であり、裁縫などの内職で生計を立てていた。
•借金の取立てにやってきたヤクザにふくよかだった母を指して「豚!」と怒鳴られると「豚で結構!豚(肉)は今高いんや!」とやりかえした。
•有の誕生会を募金活動に利用(これが原因で有はいじめに遭った)。
•さらには「メッセンジャー筆箱」を勝手に作り、吉本に売り込みに来たこともある。
•黒田の家はトイレに大きな穴があいており外からも中からも見える状態で、それを母親に言ったところ竹2本を挿しただけの処置だったらしい。(「人志松本のすべらない話」より)
•最近はテレビ出演するたびにギャラの請求をするようになったらしい。
•天麩羅を揚げる時はタンクトップを着て、油がはねても耐える。「熱くないのか」と訊くと「そんなモン、B-29の方が怖いわ」と言っていた。
出典元:YouTube
高校時代、修学旅行は金銭面で不参加と決めていたがクラスメイトのカンパのお陰で参加する事ができた。 感謝の気持ちも込めて全力で楽しんだそうです。
彼女を自宅に連れた来たが、あまりのボロさに同情され涙を流された。
◆中村昌也 さん◆
中村昌也
中村 昌也(なかむら まさや、1986年4月30日 - )は、日本の俳優、タレントである。大阪府大阪市淀川区出身。所属事務所はワタナベエンターテインメント。D-BOYSの元メンバー。身長192cm、靴のサイズは29.0cm。兄はNBLのつくばロボッツに所属するバスケットボール選手の中村友也。
2011年5月21日、矢口真里との婚約を発表。翌22日午前0時頃に都内の区役所に婚姻届を提出したことを記者会見で報告した。2012年5月21日、結婚式・結婚披露宴を挙げる。
2013年5月30日、矢口との離婚を両者の所属事務所が発表した。
2日に1回だけ銭湯に行っていた。
小5からシャワーボックスを親が購入してくれて感動した。
貰ったお年玉は、父親が全部ギャンブルに使っていた。
父親から『サンタはおらん。おるとしたら俺や』と夢や希望も無いことを言われた。クリスマスケーキは、4年に1回あるかないかだった。
◆秋元才加(元AKB)さん◆
秋元才加(あきもとさやか) 元AKB
女優、タレント。千葉県松戸市出身。フレイヴ エンターテインメント所属。女性アイドルグループAKB48の元メンバーでAKB48派生ユニットであるDiVAのメンバーある。
プロフィール
愛称:さやか・さぁや・オカロ など
生年月日:1988年7月26日
出身地:千葉県松戸市
血液型:B型
身長 / 体重:166 cm / ― kg
スリーサイズ:86 - 61 - 85 cm
日本人の父親とフィリピン人の母親を持つ秋元は、父親がずっと無職であったことから幼少期から貧しかった
物心ついたときからずっと父親が働いていなかったという秋元才加の家では、ガスや水道が止まるのは当たり前。
冬でも水風呂に入っていた。
お小遣いもらったことはないし、電気やガスが止まるのも当たり前。食事はスーパーに半額になってから買いに行っていた。ないときは白飯にしょうゆをかけて食べていた
洋服は「フリーマーケットでしか買ったことなかったので、デパートは緊張してつい最近まで買えなかった」
テレビで紹介される有名人の部屋などに憧れて、AKB48に興味を持ったとし「AKBはレッスンがタダだったので(よかった)。千葉から通うのに2000円ぐらいかかった」がバイトを掛け持ちして通った
高校時代の秋元才加
AKBでは「お弁当がうれしかった」といい、「スタッフやメンバーも貧しいことを知っていたので、食べない人もいて、段ボール2個分のお弁当をくれた。冷蔵庫に入れて家族で食べた」
2、3年で食べていけるようになった現在は、仕送りもしているようで「家がどんどん豪華になっていく」と明かし、現在の父親について「酔っ払って、酒飲んで電柱にぶつかって入院している」と告白
◆菅野美穂さん◆
菅野美穂
本名:堺 美穂 (旧姓 菅野)
生年月日:1977年8月22日(37歳)
出生地:埼玉県坂戸市
身長:160cm
血液型:AB型
職業:女優・タレント
配偶者:堺雅人(2013年 - )
事務所:研音
淑徳与野高等学校卒業、淑徳大学国際コミュニケーション学部中退。1990年、13歳の時に友人と一緒にある企業の広告のオーディションをハワイ旅行目当てで受けて合格。1992年、中学3年生の時にテレビ朝日のバラエティ番組『桜っ子クラブ』の番組内ユニット「桜っ子クラブさくら組」のオーディションに合格して芸能界デビュー。
彼女自身が、兄弟も含めて五人家族で団地に住んでいたために、生活が苦しかった
出典:http://トレンド広報局.com/kannnomiho-zikka-sakado-isya-kannnobyouinn-dannti-binnbou-1660
子供時代、食べ物が貧しかったため、ビタミン不足で口の端がよく切れて血が出ていた
出典:艶女優9人の知られざる“極貧伝説”(2)麻生久美子、山田優、菅野美穂、優木まおみ (2011年3月18日) - エキサイトニュース
◆森口博子さん◆
森口 博子
森口 博子(もりぐち ひろこ、1968年6月13日 - )は、日本の歌手・タレント・女優。本名、花村 博美(はなむら ひろみ)。血液型はA型。
福岡県福岡市出身。福岡市立高宮中学校卒、福岡県立福岡中央高等学校から堀越高等学校卒業。
ノーリーズン(第一プログループ)所属。バラエティーアイドルとして知られる。
4人姉妹の末っ子。8歳の時に両親が離婚、両親の離婚後は母親の元で育った。
森口が生まれる前から家庭は貧乏、四番目生まれたら親戚に養女に出される予定だったが、母親が手放さなかったので出されることはなかった。
出典:【テレビ要約】2013年11月26日(火)「踊る!さんま御殿!!」をぐいっとまとめ - yonta64のテレビ番組ブログ
デビュー当時の森口博子
当時、みどり荘という所に住んでいてお風呂も無くてぼろぼろの家だった。友だちに(ボロボロなので)みどり荘に住んでいると言えず、グリーンハイツといっていた。
出典:【テレビ要約】2013年11月26日(火)「踊る!さんま御殿!!」をぐいっとまとめ - yonta64のテレビ番組ブログ
ある番組でみどり荘がどうなっているか見に行く企画があって綺麗なマンションがたってて無くなっていたが、マンションの名前が「エバーグリーン」になっていた。
出典:【テレビ要約】2013年11月26日(火)「踊る!さんま御殿!!」をぐいっとまとめ - yonta64のテレビ番組ブログ
暑い時は、駄菓子屋のアイスBOXに頭を入れていた。
クリスマスにプレゼントを貰えるなんて思っていなかった。どんなにお金を頂いてもトラウマなのかクリスマスは寂しいと思う気持ちが未だに抜けない。
姉達は、靴が破れると穴が開いて雨の日に水が入るので靴の上にビニールを巻いてゴムを止めて学校に通っていた。
お小遣いを貰えないので近所のパン屋さんに行ってパンのミミを貰いに行くのが一代イベントだった。『うちのジョンちゃんにくれる?』と犬がいるふりをしてお家に持って帰って砂糖と油で揚げてそれが家のおやつ。
幼少時代から芸能界に憧れ、多くの歌合戦に積極的に出場。10代になるとスクールメイツに所属してレッスンを積む傍ら、音楽番組でバックダンサーをしていた。『笑っていいとも!』のオープニングでスクールメイツの衣装で踊ったことがある。「NHK勝ち抜き歌謡天国」で準優勝したことがデビューに繋がった。
◆優木まおみさん◆
優木まおみ
タレント
生年月日:1980年3月2日
出身地:佐賀県佐賀市
血液型:B型
公称サイズ(2012年時点):
身長 / 体重
165 cm / 47 kg
生島企画室所属
1998年、佐賀県立致遠館高等学校卒業。
2003年、東京学芸大学卒業(小学校教員養成課程国語学科)
大学在学中からアナウンサーを志すが、断念。
2002年『白子のり』のCMオーディションに合格し、芸能界入り。
2007年8月、週刊プレイボーイ誌上で、5000字程度の小説を発表した。
2013年6月28日、美容師の一般男性と結婚。
「エロかしこい」を自らのキャッチフレーズとする。
地元は佐賀県で、実家は中華料理屋を営んでいる
小学生の頃は、両親が実家の店の仕事で忙しかったため、放課後は近所のおじさん、おばさんの家に上がって世話になっていたこともあった
話を断片的に。優木さんの実家はなかなか貧しかったようで、本人曰くその日暮らしだった
中学時代
毎日のように実家の中華料理屋を手伝いでドテラを着て厨房に立っていたそうです。
高校時代
当時オシャレには無頓着で、普段着はフリース。髪もショートカットで負けん気が強かったためなにかと男の子をライバル視していたとか。
大学時代
優木が売れた今では、実家の中華料理店内に優木のグラビアが飾られているのはもちろん、「まおみ定食」(唐揚げの甘酢がけ)をメニューに載せ、優木の生写真も販売されている
出典:艶女優9人の知られざる“極貧伝説”(2)麻生久美子、山田優、菅野美穂、優木まおみ (2011年3月18日) - エキサイトニュース
◆布施博さん◆
布施博 (ふせひろし)
生年月日:1958年7月10日(56歳)
出生地:東京都足立区
血液型:B型
職業:俳優
配偶者:井上和子
二松學舍大学附属高等学校中退後、1981年、ロックンロールミュージカル集団ミスタースリムカンパニーに入団。1984年に倉本聰脚本のテレビドラマ『昨日、悲別で』へ出演し、素朴な演技が注目される。以降、『抱きしめたい!』や『君が嘘をついた』などのトレンディドラマ出演がきっかけとなりブレイクした。
ドラマで共演した古村比呂と1992年に結婚、その後3児の父となる。2009年4月、古村との離婚が成立した。2012年4月、井上和子と再婚。
貧乏過ぎて 小学3年生で インコやジュウシマツ、金魚を掛け合わせて品種を作り売っていた
出典:https://twitter.com/happykarinko/status/464709242872553473
小学5年生までおやつの存在を知らなかった。
初めて低学年の時にテレビを親が買ってくれて日曜日に兄と二人で見ていたら、いきなり知らない親父が家に入って来てそのテレビを持ち去った。泥棒かな?と思ったが近くの電気屋さんに親父がローン代金を払え無かったので最初のひと月めに持って行かれた。
「外資系のCMに出たら、1億近いギャラを貰った」と暴露。セリフは「オーマイガッド!」の一言だった。ハインツのトマトケチャップのCMと思われる。
◆小西真奈美さん◆
小西真奈美
本名:小西 真奈美
別名義:藤木 一恵
生年月日:1978年10月27日(35歳)
出生地:鹿児島県川内市(現・薩摩川内市)
身長:168 cm
血液型:AB型
職業:女優、歌手、ファッションモデル
事務所:エレメンツ
エリートモデルルック日本代表を経て、雑誌モデルとして活躍。その後、女優に転身。『寝取られ宗介'98』で女優デビュー。
1999年、『蒲田行進曲』でヒロインを務めた。レビドラマの活躍も多くなり、2001年にフジテレビ系『ココリコミラクルタイプ』でバラエティに初出演し、一躍人気を獲得。女優としてもNHK朝の連続テレビ小説『ちゅらさん』に出演し、認知度も高まった。
川内市立川内中央中学校(現・薩摩川内市立川内中央中学校)、鹿児島県立川内商工高等学校卒業。
鹿児島県立川内商工高等学校
小学生時代に両親の離婚を経験。母子家庭で、家賃1万円程度の市営住宅に住んでいた。
小西真奈美さん母親は、昼は事務員として働き、夜はお菓子屋の店員として働き、なんとか家計をやりくりしていたとのこと。
子供のころの夢は、家に友達を呼んで誕生会をすること。
冬場にお湯が使えないほど貧乏で、水で洗い物をしていたほどです。ひび割れを防ぐためにハンドクリームを使っていたため、今でもハンドクリームを見ると、そのころを思い出すという。
高校時代、家計を助けるため寿司屋や美容院でバイトする一方、テニス部に所属し、柔道部のマネジャーも務めていた
一説によると、かつて小西の苦労時代の話をドラマ化しようとオファーした局があったほど
◆飛永翼さん (ラバーガール)◆
飛永翼 (とびなが つばさ)
飛永翼(とびなが つばさ、1983年2月13日 - )は、日本のお笑いタレントであり、お笑いコンビラバーガールのツッコミ担当。相方は、大水洋介。
静岡県出身。
静岡県立掛川工業高等学校卒業。
プロダクション人力舎所属。
身長170cm。
小学生の頃からネタ番組が大好きで、中学生の時に友人とコンビを組んで、お笑いネタのカバーを行っていた。憧れていた爆笑問題が所属する事務所タイタンに高校1年生の時に電話したが、高校を卒業していないと駄目だとオーディションを断られた。
その後、インターネット検索で人気のお笑い芸人が所属する事務所を調べたところ、プロダクション人力舎が見つかり、「ここに入るしかない」と思い養成所スクールJCAに入った。相方の大水とは同養成所で出会い、授業で大きな声で変わったことをしている大水を誘い、コンビを結成した。大水は飛永と初めて会ったときに「緑色のジャージを着た変な人」という印象を持ったという。
ラバーガール
プロダクション人力舎所属のお笑いコンビ。独自の空気感を有し、相手のズレた所に冷静に絡むコントを展開する。ボケ・ツッコミ共に抑揚や緩急が少なく、淡々と進めていくのが特徴。
キングオブコント2014でファイナリストとなったラバーガール。優勝は逃したものの、ネットでは高評価を得て「来年こそ」と言われている芸人。
飛永さんの実家は、「釣りに使う餌屋」で、餌は、ザリガニのみ。お母さんは、毎日ザリガニを川や沼にとりにいっていたそうです。
お父さんは、少しでも収入を増やそうと拾ってきたアルミ缶で、灰皿を作って店頭に並べ販売。
全く売れなかったそうです。
飛永の実家の餌屋さんのお父さんのお客さんに向けた面白い注意書き
飛永さんの家ですが、年に特別な日が1回あり、節分の日に、家族が全員集合し、部屋の電気が消されます。
そしてお父さんがこつこつと貯めてきた貯金箱の小銭をまいて
家族みんなが、小銭をかきあつめるというイベントがあった。
200円位にはなったそうで、そのお金で年に1回ハンバーガーを食べるのが楽しみだった。
ラバーガール飛永が父親を結婚式に招待すると、
父「着てくジャケットがないなぁ…」
ジャケットを新調するお金がない、散髪お金がない、東京に行く旅費がないを理由になんと辞退。父を説得するため、飛永は実家に戻った。
父「俺は一日一本のタバコだけを楽しみに生きている」
◆浜崎あゆみさん◆
浜崎あゆみ
浜崎 あゆみ(はまさき あゆみ、1978年10月2日 - )は、日本の女性歌手、元女優、モデル。
本名は濱﨑 歩(読み同じ)。
公式の英語表記はayumi hamasaki。ロゴマークのAは本人のイニシャルを組み合わせたもの。
福岡県福岡市出身。
エイベックス・マネジメント所属。
レコードレーベルはavex trax。
母子家庭で一時は生活保護を受けていた時期も
小さいころに父親が家をでていきました。父親は「すぐに帰ってくる」といったそうです。母親を「マミー」(今でも)と呼び、ずっと2人暮らしをしていました。父親が帰ってこなくて、あゆは人間不信になったという感じです。
学校から帰ったら、誰も家にいなくて、たまたま鍵を忘れてしまった。とにかく外にいるのが怖くて手で窓ガラスを割って中に入った。血だらけになった・・・
高校で上京。このころはグラビアもよくしていた。でもだんだん今の仕事に満足していない感じになって、仕事を断るようになり、そのうちに契約がきれ、毎日遅くまで街を彷徨うようになった。
デビュー前スタッフを含めスポンサーにも「売れないからやめておけ」と言われてデビューした
◆葛西紀明さん◆
葛西紀明 (かさいのりあき)
葛西紀明は、日本のノルディックスキー・ジャンプ競技選手。土屋ホーム所属。
1972年6月6日生まれ。北海道上川郡下川町出身。
略歴
1992年のアルベールビルオリンピックに19歳で初出場。1994年、リレハンメルオリンピック団体ラージヒル銀メダリスト。
1998年、長野オリンピック出場。
2002年、ソルトレイクシティーオリンピック出場。
2006年、トリノオリンピック出場。
2010年、バンクーバーオリンピックの代表となり、史上最多6度目の冬季オリンピック出場を果たした。
2014年2月15日、ソチオリンピック、スキージャンプ男子ラージヒル個人において、銀メダルを獲得。
家は貧しく、病気を理由に働こうとしない父親にかわって母・幸子さんが働き家計を支えた。
「お米も買えないくらい貧乏で。紀明もよく分かっていた」(姉紀子さん談)
同郷で2歳上の岡部孝信ら先輩のお下がりを譲り受け、飛び続けた。
岡部孝信さん
岡部孝信は、日本のノルディックスキー・ジャンプ競技選手。雪印メグミルクスキー部所属(主将)。
1970年10月26日生まれ、北海道上川郡下川町出身。身長165cm、体重52kg。
駒澤大学附属岩見沢高等学校卒。
北海道拓殖銀行を経て雪印乳業(現・雪印メグミルク)に所属。1994年リレハンメルオリンピック団体ラージヒル銀メダリスト(日本=西方仁也、岡部孝信、葛西紀明、原田雅彦)。
紀子さんは言う。「ジャンプをやめたいと言ったことはない。お金がない家ながらも、皆さんのおかげでできる。『こんなことでやめられない』って気持ちがあると思います」。
◆内藤大助さん◆
内藤大助 (ないとうだいすけ)
□本名:内藤大助
□生年:1974(昭和49)08.30
□出身地:北海道虻田郡豊浦町
□出身校:北海道豊浦高校
□血液型:O型
□略歴(満年齢)
96年(22歳)プロデビュー。
07年(33歳)WBC世界フライ級タイトルを獲得(→5回防衛)。
11年(37歳)現役引退。
※通算戦績:42試合36勝(23KO)3敗3分
両親は、母親が大助を身ごもっている時に離婚。
母親はアルバイトで大助と4歳上の長男を養い、後に民宿を始める。
母曰く「安く泊まれるのが売りの小さな民宿」だったため生活は楽ではなかった。
生活が苦しかったため、兄のお下がりの制服やスキーウェアなどを着ていた。
中学では卓球部に所属。しかし、中学2年になるといじめの標的にされるようになる。
「ボンビー(貧乏)」というあだ名で馬鹿にされたり、給食のおかずや貴重品を取り上げられたり、教師に見つからないよう人目につかない場所で暴行も受けた。
内藤は胃潰瘍を患うまでに追い詰められるも、教師からはいじめには気付いてもらえず、気の強い母親への相談も諦め、1人でいじめに耐える中学生活を送った。
◆中川家さん (中川 剛・中川礼二)◆
中川家
吉本興業所属の芸人コンビ。
大きくってツッコミの方は、弟の中川礼二。
小さくってボケの方が、お兄ちゃんの中川剛。
経歴
1992年4月1日結成。
第30回 上方漫才大賞新人賞受賞
第17回 ABCお笑い新人グランプリ最優秀新人賞受賞
第30回 上方お笑い大賞最優秀技能賞受賞
第1回 M-1グランプリ優勝
血の繋がった実の兄弟。人間観察ネタがおもしろく、特に礼二のおばちゃんネタと、お兄ちゃんの鳴くのを途中でやめた犬がおもしろい。礼二の鉄道車掌ネタも秀逸。
中川剛 (なかがわつよし)
剛(つよし、本名:中川 剛(なかがわ つよし)、1970年12月4日 - )ボケ(最近ではツッコミが多い)、ネタ作り(漫才)担当。立ち位置は向かって左。通称「お兄ちゃん」。
大阪府守口市立梶小学校及び梶中学校卒業。
大阪府立守口東高等学校を卒業
中川礼二 (なかがわれいじ)
礼二(れいじ、本名:中川 礼二(なかがわ れいじ)、1972年1月19日 - )
ツッコミ(最近ではボケが多い)、ネタ作り(コントやアドリブ系)担当。立ち位置は向かって右。通称「礼二」。
大阪府守口市立梶小学校及び梶中学校卒業。
近畿情報高等専修学校を卒業。
風呂なし2間の社宅に住んでいた。
銭湯に行っていたが銭湯が休業の時は、玄関でホースを使いシャワーを浴びていた。
玄関の靴などをすべて土間に出し、ホースを持ってきて、家族全員でお湯を浴びた。水道代を節約するため全員で浴びていた。
しかも、外から見たら玄関の扉の隙間から湯気が出ているので、通りすがりの人には、玄関でお風呂に入っているのが丸分かり!近所の連れに「うわっ!中川のとこ風呂入っとる!」って言われるのが聞こえてきたそうだ。
父親にゆすり起こされ『サンタは俺だぞ。何にも無いけどな!』と言われた。
礼二が少年のときに、親父に「野球見に行きたい」というと「連れて行ってやるわ」と言われ観に行った試合が、阪神VS巨人ではなく、日本生命VS新日鉄堺だった!当時は、無料で試合観戦が出来たそうだ。
家が寒くて逆に外に出た方が暖かい時があった。
西瓜は、カットしているのを買って赤い所が無くなるまでカリカリしながら食べていた。
誕生パーティーをしてもらったことがない。友人に呼ばれてもプレゼントを持って行けないので参加出来なかった。
ベットに寝ることへの憧れがあった。
ペットの鶏、父が嬉しい事があると、晩御飯になった。
◆スピードワゴン 小沢一敬さん◆
小沢 一敬 (おざわ かずひろ)
小沢 一敬(おざわ かずひろ、1973年10月10日 - )は、日本のお笑いタレントであり、お笑いコンビスピードワゴンのボケ、ネタ作り担当。相方は井戸田潤。愛称はオザ、オザーさん。
愛知県知多市出身。ホリプロコム所属。身長173cm、体重54kg。血液型B型。
最終学歴:名古屋大谷高等学校中退
僕は芸人のころより名古屋に住んでた子供時代が一番貧しかった。
お母さんがコートにボタン1個付けたら1円くらいになる内職してて、「おやつ食べたい」と僕が言うと「砂糖なめてなさい」と言われたくらいの貧乏でした。
ネタ作り担当。漫才のネタは努力して捻り出すが、コントのネタは夢が元。「甘い言葉」を言うのが得意でよく持ちネタとして使用している。
ハスキーボイスが特徴。カ行をはじめ「リ、ギ、チ、シ、ジ」の発音が上手くできない。
「少年ジャンプ」を友達に借りて、ジャンプの上にわら半紙を置いて透けて見える漫画を書き写し、自分の漫画本にしてました。だからその当時のキン肉マンは体で覚えてます。
クリスマスに「プレゼントに野球盤かグローブ欲しい」とお母さんに言ったら、翌朝、枕元に粘土が……。「それで欲しい物、作ればいいんじゃない?」と。
違う年のクリスマスにはプレゼント交換が小学校であって、みんな24色のクレヨンとか持ってくる。母親から「作ればいい」と言われた僕はティッシュの箱を細く切り、2本をジグザグに交差させてスプリングみたく弾力のある物を2つ作った。
その上に「メリークリスマス」と書かれた紙細工のサンタを付けて、上を閉じたティッシュの箱に入れた。つまり上ぶたを開けると弾力で「メリークリスマス」の紙サンタが出てくるビックリ箱です。教室で輪になったみんなが音楽にあわせてプレゼントを横に回し、音楽が止まった時、僕のビックリ箱が好きな女の子に渡ってた!
「なにこれ?」と女の子がイヤな顔。一見、包装紙に包まれてないティッシュの箱だから。僕が「開けてみれば?」と言い、女の子が開けると、ずっとカバンに入れてたからスプリング用の紙が押しつぶされてサンタが出てこない。
「気持ち悪い!」と女の子が言い、とっさに「俺、それ欲しい! 交換して」と、自分に回ってきたクレヨンと無理やり交換しました。たぶん僕が作ったものだとバレてる気がします。僕はつぶれたビックリ箱を持ち帰った。すっごい悲しかった。貧乏というと、この話を思い出しますね。
◆石橋貴明◆
石橋貴明 (いしばしたかあき)
■石橋貴明(いしばし・たかあき)
□肩書き
タレント 歌手 俳優 コンビ=とんねるず
□本名
石橋貴明
□生年
1961(昭和36)10.22(天秤座/A型)
□出身地
東京都板橋区
□出身校
板橋区立成増小学校 赤塚第ニ中学校 帝京高校
東京都葛飾区の裕福な家庭に生まれるも、小学一年のとき、父・武夫の経営する「石橋化成」が倒産。 板橋区成増へ移住(夜逃げ)し、更に父が蒸発。それ以降は極端な貧乏生活を強いられる。
小4から高校卒業まで一家4人で6畳3畳の風呂無しアパートに住んでいた。
出典:http://www.d-aiba.com/top-page/%E7%94%B7%E6%80%A7/%E7%9F%B3%E6%A9%8B%E8%B2%B4%E6%98%8E/
若き頃の石橋
両親が共働きだったので子供の頃から簡単な食事を作っていた。
出典:http://www.d-aiba.com/top-page/%E7%94%B7%E6%80%A7/%E7%9F%B3%E6%A9%8B%E8%B2%B4%E6%98%8E/
小学校時代、貧乏だったのでテレビはずっと白黒。「来年の紅白歌合戦はカラーで観たいね」と毎年言っていた。
出典:http://www.d-aiba.com/top-page/%E7%94%B7%E6%80%A7/%E7%9F%B3%E6%A9%8B%E8%B2%B4%E6%98%8E/
◆河本準一◆
河本準一
河本 準一(こうもと じゅんいち、1975年4月7日 - )は、日本のお笑い芸人であり、井上聡とお笑いコンビ次長課長を組んでいる。愛称は準ちゃん、ヌルヌル王子、もっち、じゅんを。 岡山県出身。最終学歴:岡山県立東岡山工業高等学校。
よしもとクリエイティブ・エージェンシー(吉本興業子会社)所属。 吉本総合芸能学院 (NSC) 大阪校13期。身長162cm、体重58kg。血液型AB型。
愛知県名古屋市緑区有松町で生まれ育つ。当時の実家は電気機器の製造会社を営んでおり、バブル時代で食事のほとんどが外食という裕福な生活であったが、会社の倒産と両親の離婚により、母親の実家の岡山へ引っ越すことになった。
実の父親との思い出はあまりない。
岡山では一転して貧乏生活に。
母親はスナックで働きながら河本を育てた。
小遣いはなく、服も姉のお下がりを着ていたこともあった。
姉のスカートの真ん中を縫っただけのズボンを履いて登校したこともあるが、あまりの不便さに一日で諦めたことも。
酒乱の継父に風呂に沈められた事があった。
出典:http://www.d-aiba.com/top-page/%E7%94%B7%E6%80%A7/%E6%B2%B3%E6%9C%AC%E6%BA%96%E4%B8%80/
やがて母親は再婚したが、河本らは再婚相手からのDVに苦しめられ、再婚相手から逃れるため、小学校6年の3学期に母親の姉とともに岡山市内へ転居した。
小学校から9年間、サッカーをやっていた河本は高校時にサッカー部に入部。1年生の夏にレギュラーに抜擢され、国体の岡山県選抜メンバーにも選ばれた。
◆麻生久美子さん◆
麻生久美子 (あそう くみこ)
女優。本名、伊賀 久美子(いが くみこ)旧姓、平丸(ひらまる)。
千葉県山武郡山武町(現:山武市)出身。Breath所属。山武市立山武中学校、千葉県立佐倉南高等学校卒業。
血液型B型。身長162cm。視力左右1.5。スリーサイズはB80W59H83cm。
履歴書を現事務所に送ったことがきっかけで、1995年、第6回『全国女子高生制服コレクション』でグランプリを受賞。1998年公開の『カンゾー先生』で、ヌードと濡れ場シーンを演じきり、無名女優から一気に日本アカデミー賞最優秀助演女優賞、新人俳優賞を始め、数々の映画賞を受賞し、女優としての地位を確立した。2007年、スタイリストの伊賀大介と結婚。
父親はとにかく金遣いが荒く、麻雀で一晩20万円使うこともあった。
出典:艶女優9人の知られざる“極貧伝説”(2)麻生久美子、山田優、菅野美穂、優木まおみ (2011年3月18日) - エキサイトニュース
「父親が遊ぶ金は、生活費や貯蓄から出て行くので、生活は困窮していました。そのため母親は、父親が作った借金を必死で働いて完済したうえで離婚した」
出典:艶女優9人の知られざる“極貧伝説”(2)麻生久美子、山田優、菅野美穂、優木まおみ (2011年3月18日) - エキサイトニュース
久美子はただ貧乏だというだけでよくイジメられてた。
『また同じの着てる。あいつん家、貧乏だからしょうがねえよ』みたいな、そういう延長で石とか投げられたことがあって、それで額にまだ傷があるんですけど。
ダンナとケンカして、私が暴力を振るわれて泣いてると、いつも間に入って庇ってくれてね。「お母さんを殴らないでよ!」ってボロボロ涙を流しながら、私を一生懸命助けてくれた。(麻生の母)
その後、「お父さんは家におカネ入れてくれないんだから、もう別れていいよ」なんて、弟と一緒になって言うのよ。でも、借金で別れたって思われるのはイヤだったから、全部返してから離婚したの。(麻生の母)
もはや伝説ともなっている「主食がザリガニだった」の真相は?
家に帰ったら、ザリガニもご馳走だった。
家の近くの川に行って、みんなで糸にパンの耳とか、ザリガニの尻尾をつけて釣ると、誰よりも久美子が一番上手かったんだよ。持って帰って来たザリガニを鍋で茹でてあげてね。エビみたいに真っ赤になって、プリプリして美味しいのよ。(麻生の母)
ザリガニだけじゃなくて、道に生えてる雑草……といってもスカンポっていう山菜の皮むいて、塩振って食べたりね。ススキとか椎の実とか、私が美味しいよって教えると久美子も「本当だ~」って喜んで食べていたのを思い出すわ。久美子は「もし何にも食べ物がなくなっても、これで久美は生きていけるね」なんて感動してたっけ。(麻生の母)
イタドリ (別名がスカンポ)
wiki
<a target="_blank" href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%BF%E3%83%89%E3%83%AA">http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%BF%E3%83%89%E3%83%AA</a>
◆庄司智春さん◆
庄司智春
庄司 智春(しょうじ ともはる、1976年1月1日 - )は、日本のお笑いタレント、歌手。品川庄司のツッコミ担当である。立ち位置は向かって右。相方は品川祐。
東京都大田区蒲田出身。よしもとクリエイティブ・エージェンシー(吉本興業)所属。
大田区立出雲中学校、私立東京実業高等学校卒業。吉本総合芸能学院(NSC)東京校第1期生。同期である品川祐と1995年にコンビを結成した。身長176.5cm(『笑っていいとも!』で測定)。妻は歌手・タレントの藤本美貴。2012年3月27日に藤本との長男が誕生。
実家では、両親がネジを作る町工場とスナックを経営。実家に住んでいた頃は屋上に設置されていたプレハブ小屋を自室としていた。しかし違法建築であることが判明し、そのせいで雨漏りなどが起きていた上、屋上の床が沈んできていることも発覚したため、解体された。
クリスマスプレゼントは、ずっとカタログを見ていた。
食べ残した西瓜は、漬物にしていた。
お小遣いを貰って無いからお金を持っている同級生をマークして30円から50円のラーメンを買った瞬間に『おつゆ飲まないよね!頂戴』と言う。おつゆでお腹をいっぱいにしていた。
◆タモンズの大波康平さん◆
大波康平(おおなみこうへい)
大波康平(おおなみこうへい 1982年11月14日 - )
お笑いコンビ「タモンズ」のツッコミ担当。171cm。立ち位置向かって左。血液型はA型。東京都立大学中退。
趣味はスポーツ観戦。特技は早食い。
タモンズ
タモンズは、吉本興業東京本社(東京吉本、厳密には子会社のよしもとクリエイティブ・エージェンシー)所属のお笑いコンビ。東京NSC11期生。メンバーは大波康平と安部浩章。共に兵庫県神戸市出身で、高校の同級生。コンビ名の由来は、安部が住んでいた垂水区の多聞台でよく遊んでいたことから、複数形にして「タモンズ」と付けた。
『踊る!さんま御殿!!“昔、貧しかった芸能人SP”』で、タモンズの大波康平が話したのが祖母との貧乏生活。
話は彼の母親が、行方の分からぬ父親を探しに行くと出かけたきり帰ってこないことから始まった。その時から、姉と共に祖母の年金を頼りに暮らすことになったのだ。母親は12年間戻らなかったのでかなりの期間、貧乏が続いたことになる。
服といえば学校の半袖半ズボンの体操着が1着のみで、それで年中過ごした。
彼の出身地は兵庫県で、冬場はかなり寒くなる。そんな時にはカーテンを体に巻いて、さらに寒い日はレースのカーテンを上から巻いて学校に通った。
家の中でも暖房器具は無く、祖母は彼に「冬は動くな! 動くから冷気が肌をつんざくんや!」と寒さをしのぐ術を教えた。
夏は夏で、扇風機はあるが電気代がかかる為に「絶対に回すな」と祖母からきつく言われた。
ところが、夏のある日、大波が家に帰ると扇風機が回っていたのだ。彼が不思議に思い扇風機の後ろを見ると、祖母が壁にあいた小さな穴に電源コードを通して隣の家のコンセントにさして使っていた。
「小学校2年生なりに“やってはいけない”と直感した」と、大波はその時の気持ちを思い出す。彼が「それはやめてくれ」と話すと、祖母も諦めてコンセントを抜いて手を引っこ抜こうとした。しかし、穴に引っかかって抜けずに力任せに引っ張ると、壁が崩れてきた。
だが、その時隣人は「壁が腐ってきてたからな~」と言うだけで、怒ることも無かったのである。「部屋が広くなって、風通しが良くなったんですよ」と大波は話しており、どうやらそのままで過ごしたようだ。
やがて12年ぶりに母親が戻ってきた時には、再婚相手の男性と一緒だったという。
再婚相手は医者だったとのこと。
大波康平のプロフィールによると最終学歴は東京都立大学(中退)となっており、祖母と3人暮らしの極貧状態から進学できるまでに生活は改善したと思われる。
◆満島ひかり◆
満島ひかり
満島 ひかり(みつしま ひかり、1985年11月30日 - )は、日本の女優、タレント。戸籍名、石井 ひかり(いしい ひかり、旧姓:満島)。沖縄県沖縄市出身。ユマニテ所属。夫は映画監督の石井裕也、弟は俳優の満島真之介。
家計が苦しかったみたいで税金などを滞納して、実家が沖縄市に差し押さえられてしまった。
父が職を失ってしまったために、さらに家計は苦しくなって、結局、実家を手放すことになってしまった。
デビュー当時の写真
沖縄アクターズスクール主催の「安室奈美恵 with SUPER MONKEY'Sオーディション」で優勝。無料で1年通学できる権利を得たため、親を説得して入校。その後、7人組ユニット「Folder」に「HIKARI」名義で参加し、1997年にシングル「パラシューター」でデビュー。
◆NON STYLE 石田明◆
石田明
石田 明(いしだ あきら、1980年2月20日 - )
ボケ・ネタ作り担当。既婚者。身長173cm、大阪府立東淀川高等学校卒。
立ち位置は左。血液型はB型。大阪府大阪市出身。全身白の衣装を着用することが多い。ツッコミの井上がナルシストになりきる場面ではツッコミ役になる。
漫才ではコミカルな役をすることが多いが実は極度の人見知りである。
大阪出身の石田は両親、兄、姉、弟の6人家族。子供時代には6畳、4畳半、4畳の2DKに住んでいたが、「全く知らない3人家族と(その家族とは無縁の)おばあちゃん」との同居生活だった。
不思議な同居人は、父親が「一緒に住む人いませんか」と書いたダンボールを首から下げ、町を歩き回り、見つけたという。家賃を浮かすための苦肉の策だったが、石田は「ルームシェアのはしりです」と胸を張っていた。
ザリガニが釣れる近所の池で、エサのちくわを男兄弟3人で盗み食いしていたことも告白。毎晩ちくわがなくなることから、町では「でっかいザリガニが住んでるぞ」とウワサになり、エサのちくわはどんどん大きくなっていったという。
ある日の夜中、同級生らが“巨大ザリガニ”を探しに行ったところ、そこにいたのはザリガニではなく、石田3兄弟。「ドロボー!お前ら、エサドロボー!」と怒られたことを明かしていた。
◆緑川静香さん◆
緑川静香
・生年月日:1988年6月24日
・年齢:27歳
・出身:埼玉県
・身長:165cm
・血液型:AB型
・スリーサイズ:79-57-82
・事務所:アービング
後藤静香→望月うらら→緑川静香と3回の改名
最近、バラエティ番組にちょくちょく出演し日本人離れと言っても過言ではない抜群のスタイルを持つ事から知名度が上がっている女優さん。
抜群のスタイルを持つ緑川さんですが、なんと「9頭身」のプロポーション。
過去に”貧乏生活”を送っていたタレントとして有名。
貧乏過ぎて25歳まで肉を一切食べたことがないというのです!2015年現在、緑川さんは27歳なので、ほんの2年前に初めて肉を食べたということになります。
特に有名な緑川静香の貧乏エピソードは、貧乏過ぎるあまりに公園の”草を食べていた”という話。
緑川さんが5歳の頃まで両親と兄の4人で生活していたんですが、お父さんが蒸発し貧乏がさらにエスカレートし知人の物置で生活をしていたわけです。
出典:http://marbokikurin.com/20150908-3300
小学校2年から高校時代まで過ごしていたそうです。
画像はイメージ
終いには、空腹のあまりコオロギも一度だけ食べた事がある。
出典:http://marbokikurin.com/20150908-3300
この発言がきっかけで「コオロギ女優」と呼ばれるようになった。
芸能界に入ったきっかけはスカウトなんですが、初めはずっと断っていたわけです。ですが、撮影現場にはお菓子があるという話をされお菓子の魅力に惹かれそのまま芸能界入り。
◆参考サイトです◆
◆動画集です
秋元才加が貧乏だった極貧生活を暴露!冬は水風呂地獄
出典元:YouTube