◆『男の友情』って…
美しい。。
JR大阪駅で親友との別れみたいなドラマっぽいシチュエーションを横で見てた、2人がホームでお見送りで1人が電車のって、たぶんどっか遠いところいくんかな、悲しくならんように無理してふざけて笑ってたちょっと泣いてはった、逆に悲しいわーーーーやめろやーー男の友情、、、
男子高校生の友情って…尊い。。
電車で男子高校生二人組が「一度でいいから野球拳をやってみたい」「俺でよければ付き合おう」「ほんと!?よっしゃ、約束だぜ!?」みたいな会話して、ちょっと待ってそれで良いの?まずは落ち着いて、よく考えてから話をしよう?って割り込みたい衝動にかられている。
隣の男子高校生が
「俺○○(女の子)にユニバいこってさそわれたんやけど」
「は?マジで?」
「俺どうすればいいと思う?」
「あかん。いくな」
「え?なんで?」
「俺と行け」
って会話しててめっちゃ腐女子心くすぐられたんやけども
立ち食いうどん屋で男子高校生4人組がうどん食べてて、そのうち1人が猫舌で「超熱いw 無理www 遅刻するw」って笑ってたら他の子が「俺たちでフーフーしようぜ」って言って その子のうどんを全員でフーフーし始めて、その光景があまりに愛おしすぎて思わず一緒にフーフーしそうになりました
「もういいから先行けって!遅れるぞ」
「アホか何言うてんねん、一緒に行くぞ」
「でも先生に怒られる」
「気にすんな」
「「「「フーフー」」」」
『泣きました!』
『仲間の大切さを教えてくれる映画』
『男子高校生、最高〜!』
タチグイウドォ〜ン
(映画化決定)
尊いのは若者の友情だけじゃない。。
奥の席から「ハーピバースデートゥーユーwww」と大合唱が聴こえてきて「どうせチャラい大学生どもがサークルのチャーミングな女子でも囲んでいるのだろう…」と覗いてみたら、醤油を並々と注いだ長靴に足を突っ込んだような顔の中年男性がおじさん達に囲まれており、その友情に心から拍手を送った。
◆一方、『女の友情』って…
脆い…?
よく言われますけど…(汗)
女性同士の関係は「友情」というより「連帯」なのです。だから連帯するべき共通項がなくなると、普通に連帯はなくなります。それが男性には「女の友情はもろい」と映るんだろうけど、女にとっては当たり前のことだから、「え?何?」ってカンジ。
◆『親友』ってこんな形です。。
"単なる友達"を超えた領域がそこに…
前に友人が言ってたけど、何人かで飲みにいけるのが知り合い、二人で飲みにいけるのが友達、その空間で何も喋らなくても気まずい空気が流れないのが親友
知り合い、友達、戦友、親友、色々とありますよね。特に親友ってのの基準を問われると「心の内を明かせる」「隠し事をしない」などを挙げる人が多いと思うんですけど、自分の場合は違います。自分はそんな純粋じゃないので、単純に「そいつの頼み事は絶対に断らない」っていうのが基準だったりします。
30年来の親友に昨日「この間のほらちょっと前に、みんなで中華街で年越しした時さー」て話したら「イヤイヤあれ12年前だからお前」て言われて本気で驚いた。12年前の事を先週みたいなテンションで話せる相手がいる事は孤独な人生デスロードを生きる身としてかなり有難い話しだと思った夜でした。
小6の頃、ある女子のことを僕がいつも見てるってデマが女子の間で流れ、その子を好きな事にされたことがある。『見てたのはそいつじゃねーよ!』とも言えず、悔しい思いをした。その時、親友が『隣の席の女子の横乳を見てただけだろ?』って声をかけてきて、『僕の理解者はコイツだけだ』と思った。
親友が好きすぎて生まれた感情が…『嫉妬』?
「親友が結婚する。2年付き合っただけの女に親友を取られる。俺なんか15年以上もあいつと仲良く一緒にいたのに…素直に喜べない…悲しい…」と言ってる人がいたという話を聞いて、なるほどなあ…と思った。
◆『友情』はこうして成立することもある。
全くタイプが違う人間同士でも…
前職の同期から忘年会の誘いの電話があって、俺たちはみんなウェイだったりアニメオタクだったり音楽オタクだったりスポーツが好きだったり嫌いだったりお酒を飲めたり飲めなかったり仕事が出来たり出来なかったり、何もかもが違う集団なのに会社という共通の敵がいた事で強固な絆で結ばれている。
◆『知らないおっさん』と"妙な友情"が芽生えたでござる \(^o^)/
どうしてそうなった…(汗)
傘が無いから駅から走って帰ってきたわけだけど途中でしばらく一緒に濡れながら並走したおっさんとの間には確かに友情が芽生えたよね
さっき、駅からのチャリの帰りで
隣にいた知らないおっさんと激しいチャリレースを繰り広げた。最後に道が別れてしまう時になんか会釈してくれた。俺とおっさんの間でチャリレースの友情が芽生えた。また会いたいな。
最近電車のったら大概私の前に立つおじさんがおって、私が長堀で降りるのわかってるから座ろうと思って立ってはるのはわかってんねんけど、降りるときちゃんと前開けてくれるからいっつも会釈してたら向こうも返してくれるようになって変な友情(?)が芽生えつつある
◆『友情』が試されているシーンを目撃した。。
ちょっと心配。。
ファミレスで隣の席のグループが「結婚式の余興の件なんだけど」「おう、今俺らで練ってるとこだよ。ベタだけど集団でPPAPとかなw」「…いや、藤井隆の『ナンダカンダ』を皆で踊って欲しいんだ…」「「へ?…今??」」「彼女が藤井隆の大ファンで…」以降重い沈黙に包まれ、友情が試されている。
コンビニの前で小学生3人が、それぞれ買ったおやつを交換しながら食ってるんだけど、「からあげくん1個に対してカール5個じゃ割が合わな過ぎる」と、友情が壊れるくらいの大げんかになっている。
◆『友情』はこうやって壊れる…(汗)
どんな理由で?
仕事どう?って友達に聞かれたから、「昨日、仕事中に鏡みたら白髪があったから、びっくりして隣の席のおじさまに抜いてもらったんだけど、」まで話した辺りで「何したらそこまでモテない女の詰め合わせ人間になれるの?もう友達やめたい!」って泣かれた。人は、白髪一本で友達を失うことができる…!
◆もはやこれは永遠のテーマ? 果たして『男女の友情』は成立するのか…
至る所で、事あるごとに語られる議論です。
成立したとしても、やはり極めて”稀”なケース?
「話せばわかる」は「男女の友情は成立する」と同じで、双方がYesじゃないと成立しないので成立する確率は1/4だし、自分がYesだとしても半分は成立しないものなのだなと改めて思う今日このごろ
『男女の友情は成立する』派です。
異性同士だけあって、やはり"アノ側面"はスルーできない。。
男女の友情は成立する。成立しない人は、うーむ。性的なことしか頭に無いんだね多分。性的なこと無しに大好きな感情もあるんだぜ。プラトニックなんてかまととぶんなとか言われても良いけどわたしは成立する
19世紀オーストリアの詩人、フランツ・グリルパルツァーが書いた『接吻』という詩が好きです。
「手の甲へのキスは尊敬、
額へのキスは友情。
頬へは厚意。
唇へは愛情。
瞼へは憧れ。
手のひらなら懇願。
腕と首は欲望。
それ以外へは、狂気の沙汰だ。」
これだからインテリのエロは!
夫婦でも「友情」は成立する。。
異性間の友情は存在するよ。私と旦那はお互いに性欲を覚えるけども友情も感じているし。友情の証としてマグカップ買ったし
「男女の友情は成立するか」はつまり、肉体関係のないまま付き合うことができるか、という話だと思うんですけど、私の経験からいって、だいたい結婚して5年くらいすると男女の友情は成立し始めますね。
『男女の友情は成立しない』派です。
男女の友情が成立しないのはね、嫉妬があるからだよ、という話をした。同性なら決して感じない嫉妬を、異性だと不意に感じてしまうからなんだよ。嫉妬する相手が同性だからね、そこで自分の性を思い返してしまうんだよ。そこをどこまで無視できるか。友情は性が混じらない。
上司と飲みながら男女の友情は成立するかの話しててさ。上司は「成立しない、異性をそういう目で見ない事ない。けどそう言ったらヤナコさんは初めての異性の友達かも。」と言ってくれたけど、私の色気のなさの底力を思い知らされたな
友情が『恋愛』に発展して…
どこかで聞いたことあるようなセリフ。。
そもそも「男女の友情は成立するのか」という論題の前に…
「男女の友情は成立するのか」という論題がしばしばあがるけど、異性間どころか同性間の友情すら成立しない人間がいるって事、忘れないであげてほしい。
『男女の間に友情は成立するか』の前に、僕らは『コミュ障は友情を手に入れられるか』を検討する必要がある。
「男女の友情」を成立させる気がない人とは?
【ご質問】
男女の友情は成立しますか?
【回答】
男女の友情が成立するかどうかは分かりませんが、「男女でも友情は成立します」と主張する女性に「そうだね僕もそう思うよ。成立しないって言う男は酷いよね」と意見を肯定して近づく男性に「男女の友情」を成立させる気があるとは思えません。
この議論の最もシンプルな答えは恐らく、これ!
電車の隣に座ってる女子二人組が始発からもうすぐ終点なのに「男女の友情は成立するか」についてずっと議論している。人それぞれと言ってやりたい。
ぐうの音w
◆最後に…『友情』にまつわる"よい呟き"
友情って…
深い。。
同じ人たちと、ずっと一緒に同じ時間を過ごすことだけが友情ではないし、5年に一回会えれば十分な関係もある。人を好きになったり嫌いになったり、離れたり近づいたりするのは自然で当たり前なことだって学生のときは全然わからなくって怖かったけど、今は理解できるのでとても楽。だから大丈夫。
自分の周りにいる人間は、自分を映す鏡である。自分が、今、どういう人間であるのか恐ろしいほど突き付けられる。人生には、良い時と悪い時があるが、悪い時に自分の傍に居てくれた人達がいる。真に尊いのは友情である。(小池一夫)
愛情でも、友情でも、親子でも、恋人でも、友人でも、関係はうつろっていく。最後に人と人を繋ぎとめるものは、「敬意」である。「情」ではない。(小池一夫)