◎広島生まれの被爆二世で「全聾の作曲家」佐村河内守氏
佐村河内さんは、著書や取材では、広島生まれの被爆2世で、35歳で聴力を失って以来、絶対音感を頼りに作曲活動をしてきた、と説明していた。
出典:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140206-00000003-asahi-musi
佐村河内守 氏
◎実際は自分で作曲をしていなかったことがわかった
佐村河内さんの代理人などによると、十数年前から、佐村河内さんが提案したイメージを基に、新垣さんが旋律や和声を含め実際の作曲をしていたという。
出典:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140206-00000003-asahi-musi
◎新垣氏が、佐村河内氏のゴーストライターをしていたことを明かす
新垣隆 氏
桐朋学園大学非常勤講師
◎『HIROSHIMA』や、高橋大輔選手がソチ五輪曲も!
佐村河内氏の代表作とされる『交響曲第一番HIROSHIMA』や、フィギュアスケートの高橋大輔選手がソチ五輪のショートプログラムで使用する曲『ヴァイオリンのためのソナチネ』も、新垣氏が作った楽曲だった。
交響曲第1番『HIROSHIMA』
高橋大輔
◎新垣氏「佐村河内氏は聞こえていた」
新垣氏は「私が録音したものを彼が聞き、彼がコメントするということがあった」と話した。佐村河内氏が、耳が聞こえないということを装っていたという解釈で良いかという質問には「はい」と答えた。
◎新垣氏の公表前に、すでに週刊誌記事に
「全聾の天才作曲家」佐村河内守は本物か―新潮45
野口 剛夫 (著)
◎本物の音楽家は欺けなかった
野口氏が抱いた全ての疑問は…そう、ゴーストライターの存在で説明出来る。本物の音楽家というものは、これほどまでに楽曲の裏に秘められた嘘を暴き出す耳と感性を持っているのですね。凄すぎる。
◎新垣氏の葛藤の日々…
「公表するべきか逡巡しましたが、やはり事実を明らかにして自分もお詫びしなければならないと思い至りました。このまま事実を伏せ続ければ、五輪という大きな舞台までもが佐村河内氏の虚構を強化する材料にされてしまうのではないか、と」
◎発覚を恐れる佐村河内氏から脅迫も…
何曲か提供して佐村河内の耳の詐病と胡散臭い売り方を恐れて縁を切りたがっていたけど、 佐村河内が音大の職を失わせてやるとの脅迫を行ってゴーストライターを続けさせていた。
◎佐村河内氏「あなたが曲を書かないと、私は自殺する」
私は何度かに渡り、彼に対し、「こんなことはやめよう」と言いました。しかし、彼は受け入れてくれませんでした、「あなたが曲を書かないと、私は自殺する」と言いました。
◎新垣氏の音楽の評価は?
五木寛之は、現代に天才と呼べる芸術家がいるとすればその一人であることは間違いないとし、その芸術性の高さを評価した。
三枝成彰は交響曲第1番 HIROSHIMAについて、「私がめざす音楽と共通するところを感じる」とした。
三枝成彰
日本の作曲家。株式会社メイ・コーポレーション代表取締役、東京音楽大学教授。
◎クラシックの作曲家が世間に認められることは、稀…
今の日本でクラシックの作曲家は、もの凄い才能があって作品を書けたとしても、それをオーケストラに演奏してもらうことすら叶わないのが現状。
◎才能だけでなく、「運」も必要
声をかけられたら(考える間もなく)即座に「書きます」と返事しなければ、二度目はない。
◎新垣氏にとって佐村河内氏は「運命の神」だった?
それは「運命の神」であることもあるけれど、残念ながらただの「貧乏神」であることもある。それでも、掴んでみなければわからない。こればっかりは「運」であって、だからこそ「運命の神」なのである。
◎ある作曲家は語る…
クラシック音楽界というのは、数多くの天才たちを不遇や貧乏のまま殺してきた怖い世界なんですから。音楽室の壁に肖像画が並ぶ大作曲家の中で、ちゃんと収入を得て財をなした人って誰か思い浮かびますか?。オペラ作曲家以外は全員討ち死にですよ(笑)。このジャンルで作曲をやろうと考えるなら、まず、それを認識すべきですね。
出典:http://homepage3.nifty.com/t-yoshimatsu/~data/I,composer/03.toCompose.html
◎クラシック音楽家の厳しい台所事情
講師だけの収入なら年100万円台もザラです。街の音楽教室などでアルバイトをしないと、とても食っていけない。男性の場合は結婚もままならないし、小遣い稼ぎで名の知れた音楽家の“お手伝い”をすることもある。新垣氏も最初はアルバイト感覚だったんでしょう
私立の音大は卒業までの4年間で、学費やレッスン料などで1000万円近くかかるともいわれるが、卒業後に“プロ”として食えるのは1割にも満たないそうだ。
◎新垣氏「当初は嬉しかった気持ちがあった」
当初は軽い気持ちで曲を書くことを引き受けていました。彼を通じて私の書いた曲が世の中に受け入れられ、嬉しかった気持ちがあったことは否めません。
私は、佐村河内さんから出会った日から18年にわたり、彼の代わりに曲を書き続けてきました。
出典:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140206-00000025-nksports-ent
◎しかし、新垣氏は、次第に不安と罪悪感を覚えるように…
しかし彼がどんどん世間に知られるようになり、それにつれてこの関係が世の中に明らかになってしまうのではないかと不安を覚えるようになりました。同時に、これ以上自分の大好きな音楽で世間を欺きたくない、という気持ちが大きくなってきました。
◎そして、「私は共犯者です」と自身を厳しく断罪
曲を書き続けた私は、佐村河内さんの共犯者です。障害をお持ちの方、彼のこと信じて曲を聞いてくださった方、演奏家のみなさま、本当に申し訳ありませんでした
出典:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140206-00000025-nksports-ent
ソチ冬季五輪で曲を使用する高橋大輔選手について「事実を知った上で堂々と戦ってほしい」と話した。
出典:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140206-00000025-nksports-ent