◎関ジャニ横山が「阪神淡路大震災」報道番組司会へ!
1月17日に読売テレビで放送される、「阪神淡路大震災20年報道特別番組 キミに伝えたい」(関西ローカル、後0・54)で、横山にとっては初の報道番組での司会。
「僕にできることは何なんやろと思って、若い子にも少しでも知ってもらうことが大事じゃないかと」という思いで、出演を快諾したという。
横山裕
全員が関西出身のジャニーズ事務所のアイドルグループ、関ジャニ∞のメンバー。
◎「阪神淡路大震災」を風化させてはいけない!
「震災の時に生まれた子が成人するわけですから、すごい月日が流れていると感じる。震災を知らない子がいっぱいいるけど、風化させてはいけない。肩の力を入れすぎず、やれることをやる」と決意を口にした。
阪神・淡路大震災
阪神・淡路大震災(はんしん・あわじだいしんさい)は、1995年(平成7年)1月17日(火)に発生した兵庫県南部地震による大規模地震災害。
戦後に発生した地震災害としては東日本大震災に次ぐ規模である。
◎横山も大阪の実家で震災の揺れを体験…
横山は中学1年の時、大阪の実家で震災の揺れを体験。「揺れは子供心にすごい強烈で、今でも忘れられない。ガラスやお皿の割れる音とか聞こえてきたし、よく遊んでいた淀川の堤防が崩れていた」と振り返った。
「家の近くに仮設住宅ができて、(被災者が)何人かが転校してきました。自分の家でも、朝からものすごい悲鳴が聞こえて…」と振り返った。
◎自ら神戸を駆け巡り、阪神大震災を乗り越えた地元の取材
横山は、震災によって倒産の危機に陥った神戸に本社があるオリバーソースや、阪神間の海上輸送で奮闘した遊覧船・コンチェルト号の関係者ら当時を知る人物への取材も行った。
出典:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20141222-00000077-spnannex-ent
「『震災が自分たちを強くしてくれた、挑戦するきっかけをくれたというのは間違いない』とおっしゃっていた。20年というのは、勇気を持たないといけない節目ではあるなと受け取りました」と語った。
◎阪神・淡路大震災の起きた1995年1月17日
◎阪神・淡路大震災の1月17日は「おむすびの日」と認定されている
阪神大震災ではボランティアの炊き出しで被災者が励まされたことから、いつまでもこの善意を忘れない為、1月17日を記念日とした。
阪神・淡路大震災の際、多くの被災者に希望とぬくもりを与えてくれたのが「おむすび」の炊き出しでした。
出典:https://web.pref.hyogo.lg.jp/press/20141218_965f0e4074e5578849257db20007a878.html
食べ物もなく、不安のどん底にいた被災者は、ボランティアによる炊き出し(おむすび)に助けられました。
◎関ジャニの歌に「オニギシ」という歌がある
横山が"オカン"への思いを綴ったその曲は,ファンの間でも有名な曲で,横山自身,時に感極まって涙組んで歌う事もあった。
出典:横山裕。オニギシに秘められた母との思い出と約束[:おにぎり:] | ∞eightからの贈り物(^∞^)/[:プレゼント:]∞
◎おにぎりには特別な想いがある横山
◎2010年5月16日の関ジャニコンサート
「いつもの公演と同じように楽しいステージとMCで会場を盛り上げてくれていたんですが、『オニギシ』を歌う前くらいからヨコの言葉がなんとなくつまるようになって。いつになくまとまりがないまま『聴いてください、オニギシ。』とだけ言って、客席に背を向けちゃったんです」
◎「女手ひとつで育ててくれたお母ちゃん」へのメッセージ
母子家庭に育った横山
この『オニギシ』という曲は、関ジャニ∞内ユニット「三兄弟」による名バラード。横山が作詞を担当し「女手ひとつで育ててくれたお母ちゃん」との愛情あふれるエピソードが、等身大の言葉で綴られている。
◎その日は泣いて歌えなかった「オニギシ」
「歌の途中で『お母ちゃん、ボクは何してあげられた? 優しかった? もっと一緒に笑いたかったな。でももうそれも遅いんやな......』ってセリフがあるんですが、そのあたりからヨコが泣いて歌えなくなっちゃって。客席からの声援を受けてなんとかまた歌い始めたんですが、すごく苦しそうでした。結局、最後の最後までスクリーンの方を見たまま歌ってましたね。
◎コンサートの開演4時間前に母を亡くしていた横山
横山の母が亡くなったのは16日午前のこと。スーパーで買い物中に虚血性心疾患で突然倒れ、救急車で病院へと搬送されたが、そのまま帰らぬ人となったという。50歳、若すぎる死だった。
以前から「ミナコ(※横山母の名)ってホントバカなんですよ〜」「家ですっぽんぽんで出てきたりね。おっきいパンツはいてても、ミナコがはくとTバックになる」などなど、ことあるごとにお母さんをネタに笑いをとってきた横山。
そのためミナコさんの名前はメンバーやファンの間でもお馴染みであり、今回のコンサートのMCでも「今度韓国旅行をプレゼントしてあげたい」と語るなど、その愛の深さは皆が知るところだった。
◎母が亡くなった日もコンサートを気丈につとめあげた…
母が亡くなった日も「仕事に穴はあけられないから」と16時からの青森公演を気丈につとめあげた。
その後、翌日に青森で予定されていた『関ジャニ∞のジャニ勉』(関西テレビ)のロケを休んで帰宅し、通夜に参列したという横山。18日の告別式には関ジャニ∞のメンバーが全員参列し、横山母の死を悼んだという。
出典:http://woman.excite.co.jp/News/entertainment/20100522/Cyzowoman_201005_post_1908.html?_p=2
小さい時の僕って オニギリって言葉も
ろくに言えなかったね。
いつも いつも オニギシって言ってた
お母ちゃん 僕は何してあげれた?
優しかった? もっと一緒に笑いたかったな
でも もうそれも遅いやんな。
◎兄弟を支える横山裕、人一倍強い絆を持つ
横山裕さんの収入で弟2人を食べさせており、2人とも大学まで通わせている。
◎翌年、東日本大震災後の被災地を訪問した横山
2011年の東日本大震災後には被災地を訪問。「震災当時の話を聞かせてもらって、いたたまれなくなって泣いてしまった」という経験を持つ横山。
◎横山「阪神淡路大震災」特番に強い思い…
1・17特番に向けて「犠牲になった方もたくさんいる中で、僕が伝えられることを伝えられたら」と強い意気込みを口にした。
出典:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20141222-00000003-dal-ent
◎「オニギシ」の歌詞の一部に…
「ボクは"頑張る"を精一杯ガンバっているよ」
「オニギシ」の歌詞にもあるとおり、皆に夢を与えるアイドルとして、悲しみを隠して精一杯仕事に臨む彼の姿を、"ミナコさん"も天国から誇らしげに見守っているに違いない。
誰よりも人の悲しみがわかる横山さんでなければ、伝えられないこと。。。きっとあると思います。1月17日は「オニギシ」の日。。。。。。。。。