◎中川翔子の亡くなった父親「中川勝彦」
タレント中川翔子の亡くなった父親は、ミュージシャンや俳優として活躍した中川勝彦だということはご存知の方も多いだろう。
◎80年代のヴィジュアル系アーティスト
1980年代に甘いマスクでイケメン歌手として人気のあった中川勝彦。
中川勝彦
1962年7月20日 - 1994年9月17日
当時としては珍しいヴィジュアル系アーティスト、日本版グラムロックアーティストとして、本田恭章と人気を二分し、美しいルックスとは裏腹に、気さくで腰が低く茶目っ気のある人柄で、関係者に親しまれた。
◎アイドル全盛期に娘・翔子が生まれる…
結婚は、当時としては珍しい婚前での懐妊で、その時に授かった子が長女・翔子である。
中川翔子
「しょこたん」の愛称で知られ、2004年11月に開始したブログ「しょこたん☆ぶろぐ」で人気を博し、2006年に歌手デビュー。その他、声優業やイラストレーター、漫画家、女優など多方面で活動。
◎しかし、勝彦はアイドルのため、結婚も子供も公にできなかった…
しかし、アイドル路線で売り出していた中川は子どもが生まれたことはおろか、結婚したことも親しい友人や信頼できる関係者にしか知らせておらず、世間では中川は独身であると思われていた。
◎そして音楽・俳優として活躍する中、白血病に…
俳優としてもテレビドラマ等で活躍していたが、1992年9月に急性骨髄性白血病を発症した。
◎病床で、幼い翔子も手伝い、「未知の記憶」を出版
もともと詩や絵が好きだった中川は、病に倒れてからも病室から見える景色や大好きな猫や小鳥などの絵を描いていた。
未知の記憶 UNKNOWNMEMORY
この本は貼り絵の技法で制作され、まだ幼かったしょこたんも手伝い、最初で最後の親子の共同作品となった。
◎9歳の翔子の誕生日、手作りのバースデーカードを贈る父
9歳の翔子が誕生日の時、病床から手作りのバースデーカードを贈った
◎その後、父・勝彦は他界
そして勝彦は、中川翔子が9歳の時に他界。
◎父の死後、父のスキャンダルの噂にショックを受ける翔子
彼の死後、翔子はたまたまインターネットで見てしまった父親に関するスキャンダルの噂にショックを受け、大切にしていたバースデーカードを衝動的にゴミ箱に捨ててしまったという
◎以後、父に対する不信感…「自分は望まれていない」
父が亡くなった4年後。偶然見つけた母の日記を読み、「自分は望まれていない」と必要とされていないと思いこみ、写真を破り捨てたそうだ。
◎「解決! ナイナイアンサー」に出演した中川翔子
「お盆、天国の父をしのぶ旅」のコーナーで、自身が9歳のときに亡くなった父親のことを知るため、今でも家族ぐるみで付き合いがある内田ミミさんに会った。
◎父の家庭、子供への思いを知る翔子
中川の父が母と幸せな家庭を作り、白い家を建てて、そこで子供を作りたいと話していたことを明かした。
そのことを知った中川は「自分がいろいろ悪く考えたりとか、思い込んだり重なっていっちゃって、まさか欲しいと思っていてくれたというのもビックリした」と涙ぐんだ。
◎衝撃の真実!白血病にかかった父、実は助かるかもしれなかった…
当時、父・勝彦は、骨髄移植によって白血病が治る可能性があった。
家族全員調べたものの、一致する者はおらず、最後に翔子を調べようしたとき、「自分の命を助けるために、小さな翔子の体に負担をかけたくない」と骨髄検査を断っていた。
◎娘に負担をかけたくなかった父…翔子の骨髄検査を断る
当時、翔子は「怖いからやりたくない」と断っていたことを覚えてはいるが、父親が自ら断っていたことを初めて知り、「考えてくれているとは思わなかった。
◎父の翔子への想いを知り号泣…
「(自分のことを)考えていてくれてるとは思わなかったので。申し訳なかったです、ホントにずっと。感謝して生きていかなきゃなって思い直しました」と、泣きながらコメントした。
◎翔子が捨てた父のバースデーカードは…
母親により元に戻され、今はまた大切に保管しているとのこと
しょこたん父。男だな。親だな。優しくて強くてかっこいい!こーゆー人が若くして亡くなるなんて、世の中本当に、不公平だなってつくづく思う。
しょこたん、もうウルウルでした…(;o;)写真見るだけでも、愛を感じる。歌が上手いのも30になっても変わらず可愛らしいのも、お父さんの血が生きてるんだろうなぁ。父の分まで歌う、ぐっときました。