◎漫画家・水木しげるさんが93歳で死去
「ゲゲゲの鬼太郎」などで知られる漫画家の水木しげる(みずき・しげる、本名武良茂=むら・しげる)さんが30日午前7時ごろ、心筋梗塞のため東京都内の病院で死去した。93歳だった。
出典:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151130-00000105-spnannex-ent
水木しげるさん
漫画家。文化功労者、傷痍軍人。本名は武良 茂(むら しげる)。大阪府大阪市住吉区出生、鳥取県境港市入船町出身、東京都調布市在住。ペンネームは、紙芝居作家時代に経営していたアパート「水木荘」から名付けた。
◎小さな頃から絵が得意だった水木さん
高等小学校卒業後、15歳で大阪の石版印刷会社に就職したが2カ月で解雇。美術学校に通った。
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◎18歳で徴兵、片腕を失う…
18年に徴兵され出征し、激戦地ニューブリテン島のラバウル戦線でマラリアを発病、空襲で左腕を失った。
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◎両親は心配したが、本人は「絵を続けられる」という希望があった
母が片腕を使わずに家事をしたり、父が片腕無しでも務まる仕事を探して「灯台守なんかどうじゃろう」と知恵を絞ったりと、次男の不幸を悲しんでいたという。
しかし水木自身は生き抜いた喜びと「絵を続けられる」という希望を胸に抱き、出征前に目に焼き付けておいた故郷の風景を眺め、清々しい気持ちで過ごしたという。
◎復員後、ひょんなことからアパート経営に…
神戸市で滞在した安宿の主人から「この建物をアパートとして買ってもらえんやろか」と購入を持ちかけられた。
◎この時の「水木荘」がペンネームの由来となる
このアパートが神戸市兵庫区水木通にあった事から「水木荘」と名付け、大家業を始めた。
◎しかし、アパート経営に行き詰まり紙芝居の専業作家に
戦後は貧しさのあまり一時紙芝居を商売にしていた時代があった。
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作品が評価されず不遇の生活が続く内に暗く陰惨な作風が強まり、それが出版社から「作風が暗い」と敬遠されて余計に生活が苦しくなるという悪循環に陥っていった。
◎貧乏生活のさなか、妻布枝さんと結婚
この貧乏生活のさなか、すでに40歳近い水木を心配する両親の強い薦めで、島根県能義郡大塚村(現在の島根県安来市)出身の飯塚布枝と見合いをし、同年に結婚した。
◎この時の苦労を記した妻・布枝さんの自伝「ゲゲゲの女房」
「ゲゲゲの女房」は、島根の小さな町に生まれた1人の女性が、まだ無名の漫画家・水木しげると出会い、結婚し、家庭を築き、底なしの貧乏暮らしの中にも笑顔を忘れず、やがて夢をつかんでいくというストーリー。
ゲゲゲの女房
妻布枝さんの自伝「ゲゲゲの女房」が10年にNHK連続テレビ小説として放映され、その後、映画化もされて話題になった。
◎極貧時代を耐え抜いた夫婦
当時、貸本業界は斜陽で、長女のミルク代にも事欠く貧乏生活が続いた。
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◎妻布枝さんと結婚から5年後、二人の生活が激変!
だが打ち切り後に一部の読者から熱心な連載再開を要望する手紙が届き、倒産間際だった兎月書房は最後の希望を託して『墓場鬼太郎』シリーズの刊行を継続した。
「河童の三平」「悪魔くん」などを発表し、「ゲゲゲの鬼太郎」が「週刊少年マガジン」に連載され、妖怪を扱う人気漫画家となった。
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『ゲゲゲの鬼太郎』
多種多様な妖怪が登場する妖怪漫画。アニメ化に伴い『墓場の鬼太郎』から改題された。水木しげるの代表作であり、妖怪を扱った作品としても代表的な作品。1954年の紙芝居から始まり、漫画、アニメ、映画、絵物語、ドラマ、ゲーム、ミュージカルなど、半世紀以上に渡り様々な関連作品が作られている。
◎『ゲゲゲの鬼太郎』が大ヒット!!
作品名の由来は、水木氏が幼少時に自分の名前を「しげる」と言えず、「ゲゲル」と言ったことから。
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これが人気作となり、徐々に水木しげるの名が知られていく契機となった。水木は「窮地に陥るといつも現れて救ってくれるのが鬼太郎だった」と述べている。
◎日本のテレビアニメ史上最多となるシリーズ5作!
テレビアニメは09年までに計5シリーズを放送し、07年には初の実写映画が公開。漫画作品は97年まで、幼年誌から青年誌まで幅広く掲載された。
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◎また、戦争を告発する作品でも名作を残した。
自身の戦争体験を反映した戦記漫画「総員玉砕せよ!」(同フェスティバル遺産賞他)、歴史巨編「コミック 昭和史」(講談社漫画賞他)、伝記漫画「劇画ヒットラー」などでは戦争の悲惨さを訴えた。
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◎妖怪漫画の第一人者として多大なる功績
1991年に紫綬褒章を、2003年に旭日小綬章を受章。2007年には「のんのんばあとオレ」がフランス・アングレーム国際漫画祭で日本人初の最優秀作品賞を受賞しており、2010年、文化功労者に選出されています。
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◎鳥取・境港に「水木しげるロード」
1993年、幼少期を過ごした境港市に町おこしとして水木しげるロードが建設され、2003年には水木しげる記念館が開館した。
水木しげるロード
境港駅から本町アーケードまでの全長約800メートルの間に、水木の代表作『ゲゲゲの鬼太郎』のキャラクターを中心として日本各地の妖怪たちをモチーフとした銅像など多数のオブジェが設置されており、商店街は、同じ主題、共通のイメージコンセプトをもって思い思いの販売・サービスを展開する各種店舗・施設の集合体に成長している。
◎第二の故郷「東京都調布市」に鬼太郎バス
第二の故郷ともいえる東京都調布市にも鬼太郎バスが運行されるなど、その作品は多くの人から親しまれていました。
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調布市ミニバス
バス車体や車内にも鬼太郎のキャラクターが描かれている
◎90歳を過ぎても元気だった水木しげるさん
90歳を超えてなお新作漫画を発表し続け、近年の主な作品としては、『遠野物語』を漫画化した『水木しげるの遠野物語』、長年の課題としていた出雲を描いた『水木しげるの古代出雲』、極貧時代の家計簿を元にした『ゲゲゲの家計簿』などがある。
90才を過ぎた現在も食欲は非常に旺盛で、特に病気もなく健康そのものという。自身のツイッターでも度々、食事や間食の様子が書かれている。
漫画家水木しげる氏(92)がコーヒーチェーン「スターバックス」を初めて訪れたことを29日、水木プロダクションの公式Twitterが伝えた。
水木プロダクション公式Twitterは、「調布にスタバが出来ました。今日は『水木しげる初スタバの日』です♪」とコーヒーを楽しむ水木氏の写真をアップ。
◎昨年暮れから体調を崩し気味だった水木さん
昨年暮れから体調を崩し気味であることは記したものの「高齢で連載が精神的にも負担なのと、あちこち出掛けなくなったので漫画のネタが不足気味で…」と説明。
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今年3月8日の水木氏93歳の誕生日では、タウンページくらいの大きさのケーキを美味しそうに食べる写真が投稿されている。
◎今年5月に連載終了…
水木さんは今年5月9日発売の青年コミック誌「ビッグコミック」で「わたしの日々」の連載を終了していた。
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◎11月30日午前7時ごろ、心不全のため死去
30日午前7時ごろ、心筋梗塞のため東京都内の病院で死去した。93歳だった。
平和と妖怪を愛した偉大な漫画家が逝きました。
ゲゲゲの鬼太郎は物心ついた頃のぼくが好んで書き続けたキャラクターでした。... t.co/Npwwd7CPIZ
水木しげるの訃報。漫画家としてはもちろん偉大なんだろうけど、妖怪の体系をビジュアルとして築きあげた文化的功績を讃えたい。
水木先生がご逝去されたのか…世代や時代を超えて愛され続ける作品を産み出された偉大な漫画家だった。あの世でも元気でガハハと笑い屁をひってらっしゃるんだろうなぁ