◎永六輔さん死去…放送作家、作詞など多彩に活躍
草創期のテレビ界で放送作家として活躍し、「上を向いて歩こう」をはじめ多数のヒット曲を作詞するなど多方面で才能を発揮した永六輔(えい・ろくすけ、本名・永孝雄=えい・たかお)さんが死去したことが11日分かった。
永六輔さん
◎お寺に生まれた永六輔さん
東京・浅草の寺の息子として生まれた。
出典:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160711-00000077-mai-soci
◎ラジオの大好きな少年でした
ラジオに興味を持ち、焼け跡の金属を換金し秋葉原で部品を買い鉱石ラジオを組み立てるグループを作る。
中学生のころからNHKラジオ「日曜娯楽版」に投稿を始める。
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◎早稲田大学在学中よりラジオの世界へ!
在学中に三木鶏郎(『日曜娯楽版』の発案者)にスカウトされ、トリローグループのメンバーとして放送作家、司会者としてデビューする。
◎大学中退後は作詞家などマルチに活躍!
それまで構成作家として関わってきたラジオ番組だが1959年放送開始の『昨日の続き』(ラジオ関東)にて初めて出演することとなる。
◎中村八大とのコンビで数々のヒット曲!
作曲家の中村八大に誘われ、作詞家業を開始。中村・永のコンビで1960年代に「こんにちは赤ちゃん」など数々のヒット曲を手がける。
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こんにちは赤ちゃん
歌唱:梓みちよ、作詞:永六輔、作曲:中村八大
以後も中村さんとのコンビで「上を向いて歩こう」「こんにちは赤ちゃん」「遠くへ行きたい」などの国民的ヒット曲を送り出した。
上を向いて歩こう
歌唱:坂本九、作詞:永六輔、作曲:中村八大
米国でも「スキヤキソング」として全米チャート1位となり大ヒット
◎また、作曲家いずみたくとのコンビでもヒット曲を!
作詞した曲はほかに、作曲家いずみたくと組んだ「いい湯だな」「見上げてごらん夜の星を」、中村と組んだ「黄昏(たそがれ)のビギン」などがある。
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いい湯だな
作詞:永六輔、作曲:いずみたく
ザ・ドリフターズもカバー
◎しかし、1967年以降は作詞活動から後退…
作詞をやめた理由としては、「テレビに出れば何でも流行するのか」と怖くなったことがあげられる。
また、永が多くの詞を提供した作曲家である中村八大といずみたくの2人は、同世代であり互いの曲を意識しあったが、共通の友人でもある永には複雑な思いがあった。
◎活躍の場をラジオに求めた永六輔さん
60年代半ばからは軸足をラジオの世界に移した。
出典:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160711-00000077-mai-soci
◎テレビがあまり好きではなかった?
永がラジオを主体に活動するようになったのは、元々テレビカメラに取り囲まれるのとドーランを塗って出るのを嫌がっていたのに加え、ちょうどテレビにワイドショーが登場し、その手法に早くから幻滅を覚えてしまったことが原因であるといえよう。
◎46年間続いたラジオ「永六輔の誰かとどこかで」
ラジオ番組にも自ら司会者として出演するなど視聴者らの高い支持を得た。2013年9月まで46年間続いたラジオ「永六輔の誰かとどこかで」は全国番組として最長だった。
同局の「永六輔その新世界」も91年から15年9月まで続いた。
出典:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160711-00000077-mai-soci
◎ラジオ「こども電話相談室」で愛が溢れる回答の永六輔さん
全国こども電話相談室
リスナーの小学生・中学生から電話で寄せられる質問に、スタジオの回答者(科学系の専門家やスポーツ選手、タレントなど)が親切・丁寧に答えていく生放送番組で、子どもたちの素朴な疑問に回答者がきりきり舞いさせられたり、彼らの発達度合いに合わせてどのような答え方をするかなどが聴きどころのひとつとなっていた。
小学6年生の女の子がこの番組宛てに送った「好きな人に告白する言葉を教えて」という質問に、永六輔さんは次のように回答しています。
「あなたがすき」「キミを僕のものにしたい」といった言葉ではなく、「『きれいだな、おいしいな、うれしいな』ということが同時に感じあえる環境が一番大事」と語る永さん。
「(ふたりで一緒にいる時)使いあっている同じ言葉にドキンとすることがあって、それが愛なんです。」
◎収録が終わっても別室でこどもの相談を受ける姿も…
収録が終わってすぐに永さんが別室に向かい、放送できなかった質問に電話で答え始めた。そこまでやるのかとびっくりしましたが、子供たちにとことん付き合う番組の姿勢に感動しました
◎しかし、2010年パーキンソン病を公表…
10年にパーキンソン病であると公表していた。
◎それでもラジオ局へ向かう永六輔さん…
だが、永六輔は番組をほとんど休まない。ろれつが回らないときでもゲストとともに喋る。病室から出演する。2012年に退院して車椅子でスタジオに向かう。
◎今年2月…永六輔さん、体調を崩しラジオ番組を休演…
永は体調を崩し、今年2月から番組を休演。
出典:http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2016/06/27/kiji/K20160627012858620.html
◎6月27日「六輔七転八倒」終了…
6月27日の放送での終了した放送作家でタレントの永六輔(83)がパーソナリティーを務めるTBSラジオ「六輔七転八倒九十分」
◎ラジオ終了時の永さんのコメント
「充分な体力回復にどのくらいかかるか目途がついておりません。ここは一端、自分の名前が付いた番組については締めくくりさせて頂きます」
◎そして、帰らぬ人となった永六輔さん…
タレントの永六輔さんが死去したことが11日、わかった。83歳だった。死因などは明らかになっていない。
永六輔さんといえば、亡き祖母がよく聴いていた♪知~らな~い町を歩いてみ~た~い~♪というラジオ番組で、子どもの頃祖母の部屋に行くといつもかかっていたのを思い出す。