◎萩本欽一の野球チームだった山本圭壱の不祥事
2006年7月、当時所属していた萩本欽一の社会人野球チーム・茨城ゴールデンゴールズの遠征帯同中に淫行騒動を起こし、吉本興業を解雇された。
山本圭壱
2006年7月17日、7月16日深夜に10代の少女に対して飲酒行為と性的暴行に及んだとして少女が被害届を北海道警察函館西署に提出した。山本は署から任意聴取を受け、直後に吉本興業から専属マネジメント契約の解除を通告された。
8年半前の淫行事件は、欽ちゃんが設立した社会人野球チーム・茨城ゴールデンゴールズの遠征帯同中に起きており、欽ちゃんはかわいがっていた後輩から、顔に泥を塗られた形。
◎芸能界復帰できないのは欽ちゃんを怒らせたから?
事件を起こした芸能人が復帰するケースは多々あるが、山本のように10年ものブランクは長過ぎるという声もある。
そのなかには、当時茨城ゴールデンゴールズの監督だったお笑い界の巨匠・萩本欽一が許していないからという見方もある。
◎実は影ながら山本を応援していた欽ちゃん…
萩本さんは山本や関係者から不祥事の顛末を聞いていますが、まったく怒っていませんよ。実際、広島で山本と会ったこともあるようです。
今でも山本を応援していて、『昔だったら自分の番組に呼ぶんだけど、もうそんな力はないから』と漏らしていました。
◎先日「めちゃ×2イケてるッ!」で地上波復帰を果たした山本
今回の復帰は相方の加藤浩次や、山本を慕うロンブー・田村淳らの力によるもの。
『自分は見守るだけで何もしてないのに、出ていくと話題になってしまう。それでは、ずっと山本のために力を注いできた彼らに申し訳ない』と考えています。なので、表だって山本に何かしたり、コメントをすることはないようです
◎「視聴率100%男」と呼ばれた萩本欽一
80年代にかけては一般人の出演者や欽ちゃんファミリーへの「素人イジリ」を武器に『欽ドン!良い子悪い子普通の子』『欽ちゃんの週刊欽曜日』などヒット番組を多く手がけ、出演する番組の合計から「視聴率100%男」との異名をほしいままにする。
萩本欽一
高校卒業後にコメディアンを志した萩本。浅草の演芸場からストリップ劇場に移り、裸の踊り子が交代する空き時間を埋める存在だった。紆余曲折を経て、1966年に以前から面識があった坂上二郎と1回きりの契約で、「コント55号」を結成し、舞台上を縦横無尽に駆け巡るコントで一気に人気者になる。
◎34年前、欽ちゃんの番組から生まれた3人組の女性アイドル
“欽どこ”から誕生した萩本家の三つ子は、のぞみ(高部知子)、かなえ(倉沢淳美)、たまえ(高橋真美)と命名。
就寝前に、パジャマ姿で披露したエンディングソング『めだかの兄弟』をレコード化するや、いきなり88万枚を超える大ヒット。
わらべ
わらべは、テレビ朝日系のバラエティ番組『欽ちゃんのどこまでやるの!?』から誕生した高部知子、倉沢淳美、高橋真美の3人から成る企画ユニットである。
◎しかし、一番人気の高部知子に衝撃的なスキャンダルが!
人気絶頂の最中の1983年6月、高部がベッドで裸体に布団を掛けた状態で煙草を咥えた様子を捉えた写真が写真週刊誌「FOCUS」に掲載
高部知子
この影響で高部は出演中のテレビ・ラジオ・CM全てを降板。
事件の波紋は思いのほか大きかったことに加え、真面目さを売りにしている欽ちゃんファミリーの一員に復帰させることは罷りならないとの視聴者からの意見が多くあがった。
◎欽ちゃんは高部を「破門」せざるを得ない状況に…
事件直後に高部は番組に電話出演して謝罪し、高部は欽どこファミリーを謹慎するという扱いだったが、2ヵ月後に元交際相手が自殺したため、遺族に配慮するという理由により完全に降板となり、わらべからも除名、萩本からも「破門」の烙印を押されることとなった。
◎『まだ15歳。失敗はある』陰ながら応援していた欽ちゃん
あの時は『まだ15歳。失敗はある』と許し、復帰させるつもりだったものの、高部さんの元交際相手が自殺。プロデューサーの判断に従い、陰ながら応援することしかできませんでした」
◎芸能界引退、福祉の道へ進んだ高部知子
現在は2児の母親。結婚直後に出産した長女に心臓の奇形が見付かったことをきっかけに、芸能界からの引退と育児への専念を決意。
その長女を育て上げながら、「自分のように不器用な人に寄り添いたい」という思いから、精神保健福祉士の道を志すようになった。
◎芸能界から去っても、高部を暖かく見守る欽ちゃん…
高部とはご飯を食べに行く約束をしているという萩本
◎「欽どこ」でブレイク!中原理恵の才能も見出した欽ちゃん!
1979年以降はヒット曲には恵まれずやや地味な存在になっていた中原が、この番組で人気が再ブレイク。
中原理恵
中原は、ニッポン放送『欽ちゃんのここからトコトン』やテレビ朝日『欽ちゃんのどこまでやるの』などにゲスト出演した際、そのトークの面白さを萩本に買われ、レギュラーに起用されることとなった。
以後、映画・ドラマ・バラエティ・CM等、各方面で大活躍することとなる。
◎しかし、不倫騒動を起こし、欽ちゃんが激怒?
中原が中途降板したのは不倫騒動を起こし、萩本が激怒したためとの噂が流れた
◎中原理恵の充電の必要性を認めた欽ちゃん
実際は歌手活動を続けたい中原の意志もあり、コメディエンヌとして飽きられぬよう萩本が充電の必要性を認めたためといわれる。
その後は、人気映画「男はつらいよ 夜霧にむせぶ寅次郎」のマドンナ役やサスペンスドラマの主演など、歌手・コメディエンヌ・女優とマルチに活躍するようになる。
◎欽ちゃんの番組「欽ドン!」から生まれた「イモ欽トリオ」
イモ欽トリオは、80年代の人気バラエティー番組「欽ドン!良い子悪い子普通の子」から生まれたユニットで「ハイスクールララバイ」は100万枚の大ヒット。
出典:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160727-00000009-ykf-ent
イモ欽トリオ
1981年4月、フジテレビで放送されていたバラエティ番組「欽ドン!良い子悪い子普通の子」にレギュラー出演していた、ヨシオ役の山口良一、ワルオ役の西山浩司、フツオ役の長江健次の三名で結成されたユニット。
◎しかし、長江健次が突然の降板…
長江によると、大学受験があるから番組を辞めたいと欽ちゃんに相談したところ「がんばれよ」と言われ、降板が決定。
出典:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160704-00000088-sph-ent
長江健次
「ハイスクールララバイ」は、150万枚を売り上げ、1981年度オリコンチャートでも4位を記録する大ヒットとなる。しかし大学受験等を理由に東京での仕事を減らし、1982年9月27日放送分をもって番組を降板、同時にイモ欽トリオを脱退した。
◎実は嘘をついていた長江健次
学業専念という理由はウソで、1か月後には大阪で笑福亭鶴瓶との番組に出演したという。「(大阪のテレビ局の人に)大学受験のためと言い通せと言われていた」と長江は振り返った。
出典:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160704-00000088-sph-ent
◎長江「自分で仕事をしたいという思いがあった」
欽ちゃんについては「感謝しなくてはいけない人と思うけど、(当時は)自分で仕事をしたいという思いがあった」と不義理をした当時の複雑な感情を語った。
出典:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160704-00000088-sph-ent
◎欽ちゃん、長江健次を破門に…
大阪に拠点を移し活動を開始したことで、萩本が激怒。長江は事実上、欽ちゃんファミリーを破門状態となっていた。
出典:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160727-00000009-ykf-ent
「欽ドン」の同窓会番組などでも、主要レギュラーメンバーで、長江だけが呼ばれていないことが続いていた。
◎反省しない長江健次はドン底の生活へ
萩本以外にも、さまざまな芸能人に不義理を働いたため、妻子がいるにもかかわらず仕事ゼロ・収入ゼロになってしまったことを打ち明ける。
◎近年「破門」を解かれた長江健次
しかし近年では、萩本欽一とも和解したと見られており(「破門」も解かれた)、「欽ちゃんファミリー」が集まる番組の多くに出演
2007年の『24時間テレビ』でのマラソン応援など、萩本との共演の機会も度々見られるようになった。
◎長江健次の夢…
欽ちゃんに直接対面することについては「行けるわけないじゃないですか」と否定も、長江は「大将(萩本欽一)とどっかで会って、仕事をご一緒したい」と夢を語っていた。
出典:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160704-00000088-sph-ent