◎政府が2025年“大阪万博”誘致に本腰!
政府が2025年の国際博覧会(万博)の大阪誘致に乗り出す方針を固めたことが29日、分かった。
来春にも博覧会国際事務局(BIE・本部パリ)に立候補を届け出る方向で調整している。政府は、20年の東京五輪後の経済てこ入れ策として期待している。
大阪万博のテーマは「人類の健康・長寿への挑戦」。
府と大阪市は21日、会場候補地を市が管理する人工島「夢洲」(大阪市此花区)の1カ所に集約する方針を決めた。
出典:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160922-00000015-mai-soci
サブリミナルErroRさん💜バッダスしか勝たん💜@errorero
東京オリンピックといい大阪万博誘致といい、どうもバブル世代の「どーんとでっかいことやれば景気は上向きになるはず!!」みたいな、今の世の中とズレまくってる考えが臭ってくる気がしてならない。
◎万博に否定的な意見も多いみたいですが…
◎1970年の大阪万博きっかけで広まったモノは多い!
それまで駅のホームなど外出先で手軽に飲める飲み物といえば、多くはびん入りの牛乳でした。
出典:缶コーヒー誕生秘話 - 缶コーヒー・缶入り緑茶 - ハイテクジャパン - キッズ・ウェブ・ジャパン - Web Japan
「いつでも、どこでも手軽に飲めるコーヒーは作れないだろうか」と考え出したのが、缶コーヒーでした。
出典:缶コーヒー誕生秘話 - 缶コーヒー・缶入り緑茶 - ハイテクジャパン - キッズ・ウェブ・ジャパン - Web Japan
缶コーヒーが注目を集めたのは70年に大阪で開さいされた「万国博覧会」。
出典:缶コーヒー誕生秘話 - 缶コーヒー・缶入り緑茶 - ハイテクジャパン - キッズ・ウェブ・ジャパン - Web Japan
◎UCCの「缶コーヒー」が大阪万博で爆発的ヒット!
会場で飲んだ人から注文が殺とうし、ばく発的に売れるようになったといいます。
出典:缶コーヒー誕生秘話 - 缶コーヒー・缶入り緑茶 - ハイテクジャパン - キッズ・ウェブ・ジャパン - Web Japan
◎日本初のプレーンヨーグルト「明治ブルガリアヨーグルト」
健康長寿国ブルガリアに古くから伝わる正統派ヨーグルトとの出合いは、70年の大阪万博。
「ブルガリア館」を訪れた明治の社員たちが試食したのが始まりだ。
ブルガリア館
当時、日本のヨーグルトは、砂糖や香料を加え、ゼラチンなどで固めた甘いおやつ感覚のものが主流だった。
それだけに、酸味が強く、独特の風味を持つプレーンヨーグルトの“本物の味”に感銘。ぜひ日本にも普及させたいと、持ち帰ったサンプルをもとに開発に着手した。
明治ブルガリアヨーグルト
ブルガリア館で分けてもらったヨーグルト菌を元に商品を開発。日本初のプレーンヨーグルトを作ったのです。
◎ドンクの万博出店から「フランスパン」が日本人に普及!
戦後、日本で初めて本格的なフランスパンの製造・販売に取り組んだとされる。
国際バザールのコーナーで、フランス製パン窯を設置したスナック「イル・ド・フランス」を経営
大阪万博に出店したドンクは半年間で1億7千万円を売り上げ、全国に名を知られる事となる。
◎ケンタッキーの初お目見えも大阪万博!
KFCが日本に登場したのは70年3月、大阪万博に出店した実験店舗である。
出典:http://www.mitsubishicorp.com/jp/ja/mclibrary/projectstory/vol02/
チキンとポテトにロールパンを付けた350円のセットが、1日に約4600セットも売れるほどの盛況ぶりだった。
出典:http://www.mitsubishicorp.com/jp/ja/mclibrary/projectstory/vol02/
◎記念スタンプの便利さから大ヒット「シヤチハタ」
インキに付けなくてもハンコが押せる、シヤチハタ!
万博では、各パビリオンに記念スタンプ台が設置されていました。
たくさんの人が押すから、手間いらずで便利なシヤチハタが採用されたんです。
カラフルなデザインが可能な点も受け、知名度が一気にアップ!万博が終わってからの売上げはというと、翌年には2倍、その次の年は3倍!その次の年は4倍になりました!万博さまさまですね!
◎万博のテント屋根から「東京ドームの屋根」へ!
太陽工業はこのアメリカ館を始め、万博のテント屋根のおよそ9割を担当。
一躍、世界中にその名が知られ、テント屋根業界では世界トップに!
アメリカ館
あの東京ドームや、サッカーW杯南アフリカ大会のスタジアムの屋根など、世界中のテント屋根を作っています。
◎「携帯電話」も大阪万博から!!
1970年に大阪府吹田市で開かれた大阪万博。人気を集めた展示館の一つが日本電信電話公社(現NTT)が運営した電気通信館だ。
電気通信館
同館が目玉として披露したのがワイヤレステレホン。いわゆる携帯電話だ。
開発に携わった同社の移動無線研究室室長補佐(当時)の伊藤貞男氏は「万博の1年前に突然依頼が来た」と振り返る。
最も苦労したのは小型化だ。ICなど組み合わせて、あり合わせの技術を集めた「一発勝負だった」(伊藤氏)という。
伊藤氏は「一般の方々による世界で初めての大規模な携帯電話の実験だった」と言う。
その後、本格的に普及を始めるPHSや携帯電話の開発に生かされた。
◎そして、エスカレーターのルールも大阪万博から!?
定着しているエスカレーターの片側空け。
先を急ぐ人のためにエスカレーターで片側を空ける習慣が各地で定着しています。
「1970年に大阪万博が行われていた時、阪急電鉄の梅田駅で『お急ぎの方の為に、左側をお開けください』というアナウンスがあったから、という説が有力のようです」
◎日本館で展示された「リニアモータカー」はやっと現実になりそう…
◎2025年の「大阪万博」からも何かが生まれる?
大阪万博に対して否定的な意見が多いな。
俺はありだと思うよ。というか、
お金が回るんだったらみんなで盛り上げようよ。
万博が来るなら開催地へ引っ越すわ。
店でも開いて商売するよ。
2025年に大阪で万博を誘致できたら、日本の経済は物凄いことになるんじゃないか?高度経済成長再びみたいな!