◎ブル中野がプロレスに目覚めた小学5年生だった…
ブル中野
ヒールでありながらも日本の女子プロレスが絶頂を極めた1990年代、その頂点として君臨していた。
ブル中野がプロレスに初めて接したのは、小学5年生のときだった。
「たまたまプロレス中継を見ていたら、なんだか身体がゾクゾクしちゃって、感動したんです。猪木さんと大きな外国人レスラーの試合でした」
ただそれほど熱狂的なファンではなく、せいぜい写真やグッズを集める程度。そんな彼女の背中を強く押したのがお母さんだった。
「中学1年のとき、母に“そんなに好きならレスラーになったら”と言われオーディションを受けたんです。合格しましたが、規定では15歳以上ということだったので、正式な入団は卒業してからということになりました」
◎1983年に全日本女子プロレスに入門
運動神経も入門当初はぽっちゃり体格でとても鈍かったが、人一倍の努力と練習で向上していった。本名で活動していた時代には長与千種の付き人を担当したり全日本ジュニア王座を獲得したりと同期の中では出世頭であった。
その一方、ある同期をいじめて全女の風紀を乱していたために先輩レスラー達から睨まれて逆に無視されたり、理不尽ないじめにもあうなど誰にも相手にされていなかったと中野本人がインタビューなどで語っている。
◎そこへ以前から中野に注目して気にかけていたダンプ松本
「16歳の終わりごろでした。ダンプ松本さんに悪役にならないかって誘われたんです。イヤでしたが、先輩の言うことは絶対でしたから」
ダンプ松本
リング上ではヒールに徹するが、リングを降りれば涙もろく人情に篤い性格で後輩達の悩み事や相談などを親身になって聞いてアドバイスしたり、引率して飲食に連れて行く等と面倒見がとてもよかったために今でも多くの後輩レスラーから慕われている。
ダンプから『今日からモヒカンになって私のパートナーになれ!』と強い口調で突如言われたが『でもまだ半人前だから半分切ればいいや』と言うと即バリカンで左側の髪を半分切り落とされてしまい、試合後にホテルの部屋で一人号泣したことを後にインタビューや著書などで告白している。
『極悪同盟』に加入し、希代の悪役レスラー、ブル中野の誕生である。皮肉なことに、悪役となってテレビ出演も増えると、給料も急に増えた。
極悪同盟
容赦ない凶器攻撃(一斗缶やヌンチャクによる殴打、チェーンでのチョーク、竹刀を用いたキャメルクラッチ等)による派手な流血、負傷箇所の狙い打ち、極悪レフェリー阿部四郎の不公正なジャッジ、そして独特のパンク・ファッションによって、女子プロレスが社会現象になる程の注目を浴びる
◎17歳のときは月に70万〜100万!
「17歳のときは月に70万〜100万円もらっていました」
◎しかし、親戚や彼氏も離れていった…
髪の毛を染め、亀裂のようなメークをしたら、いままで応援してくれていた親戚も離れていってしまい、
「隠れて付き合っていた彼氏も、私が半分ハゲの髪型にしたら離れていきました。私のファンだったんですが、ベビーフェイス(善玉役)が好きだったんでしょうね。
◎ヒールでありながら女子プロレス界の最高位を占めたブル中野
中野は現役時代、悪役レスラーとして女子プロレスブームを巻き起こし、アメリカで日本人レスラー初の世界女子シングル王座を獲得するなどして活躍。
出典:http://www.excite.co.jp/News/entertainment_g/20161121/Cobs_547601.html
女子プロレスではそれまでなかった金網デスマッチやチェーン・デスマッチの敢行、大柄・巨体のレスラーとしてありえないはずのムーンサルト・プレスやトペ・スイシーダといった宙を舞う華麗な空中殺法など、あらゆる意味で女子プロレスの歴史を塗り替える顕著な働きを見せた。
◎1997年に左靭帯2本を切る大怪我により引退
1997年に左靭帯2本を切る大怪我をして、プロレスラーを引退。
現役引退後、プロレス仲間の連絡先をすべて消去し、13年間失そうしていたという。
出典:http://www.excite.co.jp/News/entertainment_g/20161121/Cobs_547601.html
◎その後目指したゴルフで挫折…
第二の人生としてプロゴルファーを目指すが、観光ビザで入国したもののアメリカ同時多発テロ事件以降は日米間の行き来が困難になり、急遽英語学校の学生ビザを取得する破目になったという。
その後、『海外遠征試合WWE世界女子王座を獲得した唯一の日本人レスラー』の実績が功を奏し、異例にもグリーンカードを取得できたがその後プロテストは通らなかったために断念して2008年に帰国した。
その頃、生きる目標を失って自暴自棄になり、自殺を考えるほどまで落ち込んでいたと明かす。
出典:http://www.excite.co.jp/News/entertainment_g/20161121/Cobs_547601.html
◎2010年、15歳年下のキックボクサーでムエタイ選手と結婚…
帰国後に体重をキープするために通い出したムエタイ道場で15歳年下のキックボクサーでムエタイ選手でもある青木大輔と出会って2010年2月14日に入籍したことを同番組内で発表した。
交際中には自分がブル中野とはなかなか言えず、青木からのプロポーズまで隠していたために『彼女がまさかあのブル中野だったとは全く思わなかった。』と語っている。
◎結婚を機に、これからは前向きになって生きて行く
15年間プロレスから離れて、その後ゴルフで挫折してしまってからはブル中野という名前を使うのも人前に出るのも嫌だった。
結婚を機にこれからは前向きになって生きていこうと思い、それまで引退試合をしていないのが心残りだったから。』との理由で引退セレモニーを行った。
◎44歳の誕生日に引退セレモニー
96年以来16年ぶりにリングに上がったブルは、この日が44歳の誕生日。「わがプロレス人生に、一切の悔いはない。ありがとうございました」と引退の10カウントゴングを聞いた。
結婚したキックボクサー青木大輔とウエディングドレス姿で登場。「今日はやりたいことをやらせてもらいました。これからも女子プロレスを応援していきたい」と喜びの涙を流した。
現在はバーを経営する傍ら、タレントとして芸能活動を行っている。