NAVERまとめ 魚拓
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(2020年8月1日 魚拓取得)
https://matome.naver.jp:443/odai/2146959008040495901 - 2020年8月1日 13:56 - ウェブ魚拓
2011年3月11日。東日本大震災の津波により、多くの人が犠牲となった。
「相馬野馬追」で使用される甲冑や馬具なども流され、東京電力福島第1原発事故では、原発から20キロ圏内にある南相馬市小高区と双葉郡の全域に避難指示が出された。
それでも、この年の「相馬野馬追」は、神旗争奪戦や甲冑競馬を中止するなど、現状を考慮した形で規模を縮小し、開催。
「相馬野馬追」は、これまで、その歴史を一度も途絶えさせることなく続いている。
今年(2016年)の「相馬野馬追」では、7月12日に南相馬市小高区が原発事故による避難指示が解除となったことから、日程2日目(24日)の小高区での「火の祭」が復活。東京電力福島第1原発事故に伴う旧警戒区域内での行列は今回も中止されるなど、いまだ縮小傾向ではある「相馬野馬追」だが、嘗て執り行なわれていた規模に戻りつつあります。
7月23日(土) 「相馬野馬追」開催1日目 出陣・宵乗り
「北郷本陣」(鹿島区)
「相馬野馬追」1日目の「出陣」は、「相馬中村神社」(宇多郷・北郷)、「相馬太田神社」(中ノ郷)、「相馬小高神社」(小高郷・標葉郷)の各妙見神社で出陣の儀が執り行なわれた後に、開始されます。
総大将(宇多郷)は「相馬中村神社」より「出陣」。まず、「北郷本陣」を目指します。
「北郷」からは副大将が出陣。北郷勢は、ここ「北郷本陣」で総大将を御迎えします。
総大将(宇多郷)からの伝令を伝える「伝令係」到着
総大将が到着するまで「伝令」は三度ある
しばしの「撮影会」開始
「伝令」を受けた北郷本陣から、我々一般人への5分間の撮影が許された
二の「伝令」到着
総大将・相馬陽胤公、到着
今年の「相馬野馬追」総大将を務めるのは、相馬家33代当主の次男、相馬陽胤公
「総大将訓示」
しばらく休憩をはさんだ後、「宇多郷」「北郷」勢共に「雲雀ヶ原祭場地」を目指して出陣します。
2016年7月23日 「相馬野馬追」1日目 「北郷本陣」前 出陣直前
出典元:YouTube
「北郷本陣」より総大将出陣
「相馬中村神社」神主
ここから、「宇多郷」、「北郷」勢共に「雲雀ヶ原祭場地」を目指して出陣。
騎馬武者らは、鹿島区から、「雲雀ヶ原祭場地」のある原町区へと進んで行きます。
原町区
原町区内を往来する騎馬武者
こちらは、中ノ郷(相馬太田神社)の騎馬武者
午後2時頃から、「雲雀ヶ原祭場地」では、馬場清めの式を行った後に、白鉢巻きに陣羽織、野桍姿で古式馬具を着けた騎馬武者たちによる、「宵乗競馬」が行われます。
「雲雀ヶ原祭場地」
「宵乗競馬」は終了した後。明日執り行われる「甲冑競馬」、「新旗争奪戦」の準備が行われている
「馬殿水飲場」
「相馬野馬追」期間中、街の至る所に設置されている。去年と比べると今年はそれほど気温も高くなく、馬殿も幾分楽なのではないだろうか
馬殿の粗相を回収する「清掃車」
「第五回 武者絵展」
東日本大震災、福島第1原発からの復興に向かう人々への「応援企画」として、「相馬野馬追」開催期間に合わせ開催されている「武者絵展」。すべてこの展示会のために書き下ろされた作品たち
「西内染工場」
「相馬野馬追」で使用される「旗指し物」を製作している
7月24日(日) 「相馬野馬追」開催2日目 本祭り
「お行列」(原町区)
「これより野馬追通り」の碑
原町、小川橋付近にある
「相馬野馬追」集合場所
「南相馬市役所原町保健センター」前の駐車場。ここにすべてが集まるのではなく、この周辺に分散して待機する形になる。早朝から人馬共に集まり、馬具の取り付けに取り掛かっていました
「お行列」出発地点に向かう騎馬武者たち
到着を報告する騎馬武者
「お行列」に際し、到着したことをそれぞれの武者が役職である立川殿に報告していく
続々、騎馬武者らが集結
2016年7月24日 「相馬野馬追」2日目 お行列出発地点に続々集結する騎馬武者たち
出典元:YouTube
出発直前の桜井勝延南相馬市長
出発直前の桜井勝延南相馬市長
「北郷本陣」
「お行列」出発開始地点
まず、「相馬太田神社」に供奉する「中ノ郷」(原町)勢が出陣。「相馬小高神社」に供奉する「小高郷」(小高)・「標葉郷」(浪江・双葉・大熊)勢と続き、「相馬中村神社」に供奉する「北郷」(鹿島)勢と総大将が率いる「宇多郷」(相馬)勢と続いて行きます。
総大将は、ここより200メートル程先の場所に設けられた「相馬中村神社」の本陣におられます。
各郷の一行は、「相馬中村神社」本陣前を通る際に、総大将に口上を述べ、総大将の許しを得てから通過。
総大将は、最後にやって来る「相馬中村神社」の一行と合流し、「雲雀ヶ原祭場地」を目指し、出陣します。
2016年7月24日 「相馬野馬追」お行列開始 出発地点
出典元:YouTube
出陣前の「北郷本陣」
なんとも和やかな雰囲気
2016年7月24日 「相馬野馬追」2日目 「お行列」出発地点 進軍前
出典元:YouTube
2016年7月24日 「相馬野馬追」2日目 「お行列」 無作法を咎められ、やり直しを命ぜられる伝令係
出典元:YouTube
給油中の馬殿
画面奥に見えるテントが「相馬中村神社」本陣となっている。ここに総大将がおられます
中央左に見えるのが赤いほろ。総大将は赤いほろを常に装着します
2016年7月24日 「相馬野馬追」2日目 「お行列」
出典元:YouTube
総大将出陣
多くの騎馬武者らを出陣させたのち、「相馬中村神社」本陣があるここより総大将出陣
「相馬中村神社」神主
「お行列」最後尾
最後にパトカーが続きます
応援の他県警察官
他県警察署からたくさんの助っ人が来てくれています
「雲雀ヶ原祭場地」門
ここより騎馬武者らが入場して行く
「サムライフェスティバル in 南相馬」出店
復興の将来を担う地元の高校生などが主体となって相馬に伝わる馬と武士の文化をもとに作り上げた参加型のお祭り「サムライフェスティバル in 南相馬」が出店。本物の甲冑の試着が体験出来、甲冑展示もある。
「雲雀ヶ原祭場地」
「羊腸の坂」入口付近
「甲冑競馬」を終えた騎馬武者はここから本陣山を駆け上がり山頂へ向かう
「雲雀ヶ原祭場地」観客席
このあと「雲雀ヶ原祭場地」では、「甲冑競馬」と「神旗争奪戦」が行われますが、なんと、どちらも合戦中の画像がありません。悪しからず
「甲冑競馬出場馬パドック」
2016年7月24日 「相馬野馬追」雲雀ヶ原祭場地 「甲冑競馬」出場馬パドック
出典元:YouTube
「本陣山」山頂の神輿
「相馬中村神社」、「相馬太田神社」、「相馬小高神社」の神輿がそれぞれ納められている
「甲冑競馬」を終えた騎馬武者
「甲冑競馬」を終えた騎馬武者は「羊腸の坂」を駆け上がり、「本陣山」山頂に設置されている総大将本陣で、褒美を貰います
「神旗争奪戦」が行われている「雲雀ヶ原祭場地」
クレーンは「みなみそうまチャンネル」カメラマン。みなみそうまチャンネルHP内から、当日の映像が観られます
「火の祭」(小高区)
「火の祭」は、相馬野馬追2日目に凱旋する小高郷の騎馬武者を住民がたいまつをかざして迎えたことをもとに約100年前に始まった行事。
「火の祭」式典場
2016年7月24日 「相馬野馬追」2日目 6年ぶりに復活した小高区「火の祭」に先駆け行なわれた神事と開催の挨拶
出典元:YouTube
かがり火
小高区中心部の川の堤防沿いに、竹ざおにつるされた布製の火の玉が2000個並べられている。堤防周辺に起伏があるため、隠れて見えない箇所もあった
2016年7月24日 「相馬野馬追」2日目 6年ぶりに復活した小高区「火の祭」 かがり火が点火
出典元:YouTube
2016年7月24日 「相馬野馬追」2日目 6年ぶりに復活した小高区「火の祭」オープニングから第1部終了まで
出典元:YouTube
総数4000発もの打ち上げ花火
2016年7月24日 「相馬野馬追」2日目 小高区「火の祭」打ち上げ花火 東日本大震災により6年ぶりに開催された
出典元:YouTube
2016年7月24日 「相馬野馬追」2日目 6年ぶりに復活した小高区「火の祭」 創作花火・西野カナ「あなたの好きなところ」
出典元:YouTube
2016年7月24日 「相馬野馬追」2日目 6年ぶりに復活した小高区「火の祭」 グランドフィナーレ音楽創作花火・小田和正「緑の街」
出典元:YouTube
東日本大震災により6年ぶりに開催された、南相馬市小高区での「火の祭」。
そこで披露された音楽に合わせ打ち上げられる音楽創作花火が素晴らしい。
花火に湧き上がる歓声、皆の抱くそれぞれの思い。
これからの小高を象徴するかのような、堂々とした花火たちだった。
最終電車を逃してしまった後のJR常磐線「小高駅」
7月25日(月) 「相馬野馬追」開催3日目(最終日) 「野馬懸」(小高区)
原町区
「相馬野馬追」本祭翌日の「雲雀ヶ原祭場地」の朝
「相馬野馬追」本祭翌日の「雲雀ヶ原祭場地」の朝
小高区
「相馬野馬追」開催3日間のうち、最後に執り行われる「野馬懸」は、多くの馬の中から神のおぼし召しにかなう馬を捕らえて奉納するという神事。
昔の名残を留めている唯一の神事といわれ、古式にそったこの行事が、国の重要無形民俗文化財に指定される重要な要因となった。
「相馬小高神社」鳥居
奥には到着したばかりの総大将の御姿が
石段を上る総大将一行
2016年7月25日 「相馬野馬追」3日目(最終日)、「野馬懸」 開催地「相馬小高神社」に総大将到着
出典元:YouTube
「相馬小高神社」
「野馬懸」開催前の騎馬武者たち
「野馬懸」観覧席
総大将席、副大将席、軍師席などの席が用意されている
武者らによる「野馬懸」開催前の儀
総大将、相馬陽胤公
荒駒を捕らえる御小人ら
「野馬懸」前の「御水取りの儀」を行うために小高神社内に進んで行く
「野馬懸」開催前の儀が終了
総大将、相馬陽胤公
2016年7月25日 相馬野馬追「野馬懸」開始前の騎馬武者たち
出典元:YouTube
「野馬懸」開催場に出て来た武者ら
2016年7月25日 相馬野馬追「野馬懸」開始前 武者らによる法螺貝
出典元:YouTube
荒駒を追い込みに行く騎馬武者
「野馬懸」開催前に披露される「相馬流山」
「相馬小高神社」神官のお祓いを受ける御小人
「相馬小高神社」神官による「野馬懸」場内の清めの儀
2016年7月25日 相馬野馬追「野馬懸」開始 騎馬武者により荒駒が場内に追い込まれて行く
出典元:YouTube
騎馬武者により場内に追い込まれて来た一頭目の荒駒
2頭目の荒駒が追い込まれた
騎馬武者により場内に三頭の荒駒が追い込まれて行く
場内に追い込まれてきた三頭の荒駒のうちの一頭に、御神水に浸した「駒とり竿」で印をつけ、一番に捕らえる馬が決まります。この馬は、神馬として奉納されます。
追い込まれた三頭の荒駒が場内を荒々しく走り回る
追い込まれた荒駒を捕らえるために御小人が荒駒に駆け寄って行く
神前に奉納するための一頭目の荒駒を捕らえる御小人たち
荒駒を捕らえるためたてがみに掴みかかる御小人
一頭目の荒駒は複数の御小人によって取り押さえられた
一番目に捕らえられた荒駒は神前に奉納されるため小高神社境内に連れられて行く
神前に奉納された荒駒はその後、場内に繋がれる
捕らえられた荒駒の表情は荒々しい
捕らえられ繋がれた荒駒と場内を逃げ回る荒駒
御小人の荒駒を捕らえる様子を見守る武者
二頭目の荒駒が御小人によって捕らえられた
御小人によって捕らえられた二頭目の荒駒が杭に繋ぎとめられる
残り一頭となった荒駒が御小人らから逃れようと抗う
三頭ともが御小人によって捕らえられた
競りにかけられる捕らえられた荒駒
競り落とされた荒駒
武者らによる法螺貝。これで「野馬懸」の全日程が終了した
「野馬懸」終了後の場内
「観覧席」に描かれた駒
神事「野馬懸」を終え帰途に就く武者
身を清めた白装束の御小人らが、素手で裸馬を捕らえる「野馬懸」。荒々しくも勇壮で、お約束を交えながらも、厳かに進んで行った。人としての営みだとか、連綿と培われて行く歴史だとかを強く感じさせられた。
この行事を持って、南相馬で3日間にわたり繰り広げられた「相馬野馬追」は幕を閉じた。
原町区
「南相馬市博物館」
現在、8月21日まで特別展「野馬追屏風の世界」を開催中。実際に、現在の「野馬懸」等を目にした後だと、屏風に描かれた当時の状況がより理解し易く、それぞれの描写は、驚くほど克明に記されたものだとわかります
「南相馬市博物館」内の「相馬野馬追」像
「南相馬市博物館」前のキビタン
「雲雀ヶ原祭場地」前の祭りの名残
「南相馬市役所」
壁面には「心ひとつに 世界に誇る 南相馬の再興を!」の横断幕が
「希望の灯り」
2011年3月11日発生の東日本大震災を受け、2012年3月に建立された。ここに灯る火は、1995年1月17日発生の「阪神淡路大震災」を受け建立された、神戸市の「1.17希望の灯り」から分灯されたもの。南相馬市民文化会館ゆめはっと入り口に設置されている
今回の「相馬野馬追」3日間のうちでもっとも心に強く印象付けられたのは、6年ぶりに再開された小高区の「火の祭」。祭り自体の素晴らしさもさることながら、観光客が多く訪れている「相馬野馬追」本祭に対して、こちらは再開を待ち望んだ地元の方々が多く足を運び、みなさんの今抱く感情を直にぶつけているような実直さが感じられ、おこがましいが、一体感に包まれる思いがした。
「南相馬」から「飯舘」につづく道
かつては飯舘からも、南相馬での「野馬追」に出陣する騎馬武者の姿がみられたそうです。
飯舘地方の人口減などに加え、女性の参加者は20歳までなどの条件に見合う者も少なくなっていったことから、近年、飯舘から出陣する騎馬武者がいなくなってしまいました。
飯舘村では7月1日に、これまで福島市飯野町に移していた役場機能を約5年ぶりに村に戻し、避難指示解除後の住民の帰還のための取り組みを始めています。
JR常磐線「原ノ町駅」駅前通り
たくさんの感動をありがとう!また来るぜ南相馬!あばよ!
JR常磐線「原ノ町駅」駅舎