現代で知られている諸葛孔明の活躍
・赤壁の戦いで風を起こす儀式をして、風を起こす
・曹操軍との戦いで、伏兵や地形を駆使した作戦を作り曹操軍を撃退する
・夷陵の戦いで、呉軍を嵌めるために迷路を作る
・北伐で魏軍を追い詰める
まさにスーパー軍師!
孔明は、鬼神や天候をも操り、敵の意図を全て事前に察知し、天文をもって人の生き死にを知る事が出来るといったほぼ完璧な人物として描写されている。以下、孔明の事跡に於ける『三国志』と『演義』の主な相違点を挙げる。
『演義』では曹操の南下作戦に於いて、曹操はその前に夏侯惇に十万の兵士を付けて派遣するが、孔明の作戦でこれに大勝した。
出典:アラチャイナ
ワンピースにも登場!
海軍の幹部として登場
数々の奇策で、ルフィ達を追い詰めた強敵
ルフィの能力、ゾロとサンジの戦闘力を封じる策に成功した
万が一策が突破されても他の策で対処することもできる
諸葛亮孔明がモデルとなっているであろうコーメイもある程度の強さはあるのかなと思われますが、軍師ですから頭脳戦のほうが得手なのだと思われます。海楼石の島・ネブランディアに麦わらの一味をおびき寄せたのも、一味と直で戦えば勝算がないと踏んでの策。直球勝負のルフィーとは相性悪そうですよね。
出典:ワンちく。
三国志の諸葛孔明は天才軍師ではない
我々の知る公明は数々の作戦で、蜀軍を救い魏軍を蹴散らした天才軍師である
しかしそれは後世の人の作り話だった
孔明の軍師としての活躍の大半は物語である「三国志演義」に書かれている事でありフィクションです
つまり孔明の天才的な軍師としての活躍の大半は後世の人々が三国志の物語を作った際に付け足された物なんです
日本にもそういう事例多々とあります
出典:ヤフーの知恵袋
本当の姿は政治家!
法律を作って軍や民を纏めたり、食糧や武器の用意などを担当していた
そのお陰で公明が生きている間は、蜀は元気だった
史書においては「奇策や臨機応変の計略が得意でなかった」とも書かれており、一番有能であった分野はやはり政治分野であったと見るのが妥当であろうと思われる。
またそういった並はずれた才能の持ち主であったが、人を見る目にはあまり恵まれていなかったと言われている。
出典:ピクシブ百科辞典
大政治家であり、贅沢は一切しなかった
蜀の丞相(首相)であった孔明も、その生活ぶりはいたって質素だった。彼は、皇帝劉禅(りゅうぜん:劉備の子)に次のように話したという。
「私は成都に桑800株、薄田15頃(けい)を持っています。これだけあれば子弟の衣食には事欠きませんし、この他に財産をたくわえて陛下の負託にそむくようなことはありません。」
孔明の死後遺産を調べたら、その言葉どおり、他に財産らしきものはなかった。
諸葛孔明の真の姿は、天才軍師ではなく、大政治家だった。そしてなによりも、劉備と蜀のために尽くした高潔な人格は、これからも多くの人々を魅了し続けるだろう。
軍師としての実力は低い
劉備が生きている間は、軍事に手をつけなかった
知識は豊富だが、軍事に関しては素人
諸葛亮は政治家として優れていて軍事はイマイチだったという評価で固まっています。
公明が死ぬと蜀は一気に弱体化した
実際に諸葛亮の死後、蜀にはろくな人材がいなくなり、政治は腐り、あっという間に滅亡しています。
出典:緋色の研究
政治はほとんど公明が担当しており、劉備の死後は苦手な軍事も担当するなどかなり無理をしていた
公明が軍事も担当したのは蜀が人材不足だったから
劉備の蜀は超田舎であり、人もとても少ない状態です。
対して曹操が治める中原は、とんでもない都会で、人も多く、人材も輝いています。
中国では、古来より中原を治める者が世界を制すると言われるほど恵まれた土地です。
出典:緋色の研究
蜀には優れた軍師はあまりいなかった
しかし忠誠心は1番だった!
1番のお気に入りの馬謖が大きなミスを犯してしまい…泣く泣く斬った話も有名
「国家のために働いた者には、仇であっても恩賞を与えた。法を犯す者は、身内でも罰した。罪に服して反省する者は重罪でも釈放したが、言い逃れようとする者は微罪でも処罰した。善行はどんなに小さくとも必ず賞したし、悪はどんなに小さくとも必ず罰した。かくして国民は皆、彼を敬愛した。厳しい刑罰にもかかわらず、誰も彼を恨まなかったのは公平無私だったからだ。まことに政治の何たるかを知っていた大政治家であり、管仲(かんちゅう)、蕭何(しょうか)に匹敵する。」
諸葛孔明の名言
時の流れがわからなければ、寛大であろうと、厳しくしようと、政治はすべて失敗する。
内部の守りを固めずに、外部を攻めるのは愚策である。
学ぶことで才能は開花する。志がなければ、学問の完成はない。
出典:名言+Quotes
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