★宗教戦争の動画
POSO
インドネシアのスラフェシ島では、キリスト教とイスラム教が広まっている。1998年、両者が対立し、戦争が起きた。
戦争の様子は酷いもので、多くの女性や子供が殺された。
ムスリムとキリスト教徒の住民対立が原因で1998年12月末、宗教紛争がポソで勃発し、約1,000人が死亡(実数不明)、数万人(実数不明)が避難民となった。
紛争の発端は、ムスリムの少女がキリスト教徒にレイプされたという噂が原因だったという。この抗争により、数千人ものムスリムとキリスト教徒が死亡し、60,000世帯以上が避難したとも伝わっているが[2]、正確な死者数、避難民の数は未だに不明である。
この紛争を記録した映像がインターネット動画共有サイトに、何者かによってアップロードされたことにより、紛争の残虐性を世界中に知らしめることとなった。
映像には対立する宗教の住民の生首を掲げる民兵や、激しく損壊した遺体、遺体を抱き泣き叫ぶ人々、ナタを振りかざす男性、一方的なリンチを受けた住民などが映し出されており、紛争が如何に残虐で凄惨なものであったかを印象づけている。
なお映像の初出は、後にイスラーム主義組織のジェマ・イスラミアによるものと判明する。
出典:Wikipedia
ニコニコ動画では
編集版が出回っている
動画は、黒画面で、音声のみ聞くことができる。途中から、イスラム教のコーランが流れる
非常に暴力的でショッキングな内容のため、興味本位で視聴することはお勧めできない。特にグロテスク全般が苦手な方・心臓に疾患をお持ちの方・妊婦の方などは絶対に視聴するべきではない。
現在ニコニコ動画でPOSOを全て見ることはできない。(グロテスクなシーンをカットした編集版なら可。しかしそのほとんどが黒画面で潰されている)
出典:ニコニコ大百科
検索してはいけないグロ画像
モーターサイクル
事故で、顔がぐちゃぐちゃになった男が出てくる
バイク事故で顔がぐちゃぐちゃになってしまった男性の写真を指す。
出典:カルロ・グローチェ
グリーン姉さん
緑色に染まった死体が出てくる。
屍蝋化した女性の死体である。
全身緑色であるためこう呼ばれている。
死因は毒ガスとも薬物とも言われている
出典:ニコニコ大百科
死体は作り物なのか?
本物
本物の死体画像なので閲覧には十分ご注意ください。
出典:ピクシブ百科事典
不気味な絵
野崎コンビーフ
精神異常者が描いた絵と言われる。しかし実際は、普通の人が描いたアート作品である。
ただ絵が怖いので、人によってはトラウマになる。
ノザキコンビーフで画像検索しても出てきた
めっちゃびびった
出典:ニコニコ大百科
アステカの祭壇
アステカ文明は13世紀に栄えていた。当時の人々は、太陽を動かすには、人の魂が必要だと思っていた。
そのため、多くの生贄が祭壇で殺された。しかし殺された側は、幽霊としてここに残っている。
撮られた場所も年代もバラバラの写真に写り込む赤い影。いずれも何かの台や壷のような形をしているが、これらはすべてアステカ文明の祭具が映り込んだものと言われている。
13世紀から15世紀まで栄えたアステカ文明。ここでは日常的に人身御供が行われ、生け贄を捧げなければ太陽が消滅する、と信じられていた。
その神事の際には、生け贄を殺すために縛った台、生き血を入れるための壷が使われていた。
その台や壷が、心霊写真として現代に蘇った。それがこの「アステカの祭壇」なのである。
出典:ニコニコ大百科
この「アステカの祭壇」の心霊写真をアンビリーバボーなどのテレビの心霊特集で放送したところ、テレビ局に多数の霊能者から「何というものを放送するんだ」と苦情が入り、テレビでの心霊写真特集が減った原因であるとも言われる。
出典:ニコニコ大百科
3つ目の馬
strangeC003
画像検索すると、いきなり三つ目(三つ頭?)の馬が大量にヒットする。
友達に見せられて3日ぐらい寝れなくなった……
一つ目のサメ
メキシコサメ
メキシコサメで検索すると出てきます。
メキシコで発見された奇形のサメ。胎児とのこと。
発見されたのはメキシコのセラルボ島近くであり、地元の漁師が捕まえたメスのサメの体内にいたらしい。
単眼症であり、更にはアルビノであることから長くは生きられないそうだ。
★検索してはいけない呪われた曲
暗い日曜日
聞くと悪いことが起きてしまう。
1933年にハンガリーで発表された、聞くと自殺するといわれているシャンソン曲。
これを聞いて自殺する人が、後を絶たなかったため、ヨーロッパの一部の放送局では放送禁止曲扱いにしている。
この曲を作ったその後、作者は自殺し、居たとされている作者の恋人も自殺したらしい。
出典:ニコニコ大百科
1936年の2月、ハンガリーのブダペスト市警は靴屋主人ジョセフ・ケラーの死亡現場を調査していた。ケラーは自殺とみられ、部屋には遺書とみられるメモも見つかっていた。
そのメモには、とある歌の一節が引用されていた。自らの命を絶つ者が、辞世の句の代わりとして愛する歌の一部を引用することは、別に珍しいことではないかもしれない。しかしこの歌に限っては別だった。
その歌の名前は「暗い日曜日(Gloomy Sunday)」。
当時のブダペストでは、既にこの歌に関連した17人の自殺者が出ていた。
出典:恐怖の泉
この事態を重く見たブダペスト市警は、自殺とこの歌との因果関係は明らかになってはいないものの、販売と演奏の禁止に踏み切った。
しかし時既に遅く、すでに輸出されていた「暗い日曜日」は海外でも猛威を振るい、自殺者が相次いだそうだ。
いつしか「暗い日曜日」は自殺の聖歌とまで呼ばれるようになり、その騒動はかなり大きなものとなっていた。
イギリスのBBCでは、放送禁止の曲に指定されている。
出典:恐怖の泉