▼1977年3月27日 まさかのジャンボ機同士が激突する前代未聞の航空事故が発生した
テネリフェ空港ジャンボ機衝突事故(テネリフェくうこうジャンボきしょうとつじこ)は、1977年3月27日17時6分(現地時間)、スペイン領カナリア諸島のテネリフェ島にあるテネリフェ空港の滑走路上で2機のボーイング747型機同士が衝突し、乗客乗員のうち合わせて583人が死亡した事故の通称である。
生存者は乗客54人と乗員7人であった。死者数においては史上最悪の航空事故である。
死者数の多さなどから「テネリフェの悲劇、テネリフェの惨事(Tenerife Disaster)」とも呼ばれている。
【史上最悪】テネリフェ空港ジャンボ機衝突事故
出典元:YouTube
▼事故の当該機はパンナムとKLMのジャンボ機2機
当該機その1 パンナム ボーイング747(N736PA)
パンアメリカン(パンナム)航空1736便はロサンゼルス国際空港を離陸し、ニューヨークのジョン・F・ケネディ国際空港に寄港した。
機体はボーイング747-100、機体記号はN736PA(1969年製造、クリッパー・ヴィクター号と命名されていた)。
当該機その2 KLMオランダ航空 ボーイング747(PH-BUF)
一方のKLMオランダ航空4805便はオランダの保養客を乗せたチャーター機で、事故の4時間前にアムステルダムのスキポール国際空港を離陸した。
機体はボーイング747-200B、機体記号はPH-BUF(1973年製造、ライン号と命名されていた)。
KLMのジャンボ機のすぐ後ろにパンナムのジャンボ まさかこの2機が激突するとは・・・・
どちらの便も、最終目的地は大西洋のリゾート地であるグラン・カナリア島のグラン・カナリア空港(ラス・パルマス空港)であった。
▼事故機のパイロットたち
パンナム ボーイング747の乗員
機長 Victor Grubbs
副操縦士 Robert Bragg
航空機関士 George Warns
KLMオランダ航空 ボーイング747の乗員
機長 Jacob Veldhuyzen van Zanten
副操縦士 Klaas Meurs
航空機関士 Williem Schreuders
▼KLM機の機長は同社のチーフパイロットであり、KLM機内誌の広告には彼の写真が掲載されていたほどの人物だった
KLM機内誌の広告に載るJacob Veldhuyzen van Zanten機長
KLM機の機長はKLMでも最上級の操縦士で、747操縦のチーフトレーナーでもあり、KLMに所属するほとんどの747機長/副操縦士は彼から訓練を受けており、事故当日のKLM機内誌の広告には彼の写真が掲載されていたほどの人物であった。
▼KLM機の機長の経歴はDC3からスタートしてCV240、DC6、バイカウント、DC-9などを経てボーイング747のチーフパイロットに至る
Douglas DC-3 from 28 September 1951 to 20 June 1962.
Convair CV240/340 from 23 August 1952 to 20 June 1962.
Lockheed Constellation from 1 October 1952 to 20 June 1962.
Douglas DC-6 from 12 February 1957 to 20 June 1962.
Douglas DC-7C from 6 June 1957 to 20 June 1962.
Vickers Viscount 803 from 11 June 1959 to 21 July 1967.
Douglas DC-9 from 16 March 1967 to 9 June 1971.
Boeing 747 from 23 January 1971 to 27 March 1977.
▼激突されたパンナム機の乗員たちは激怒していたという
パンナム機の生存者は乗員7人と乗客54人であった。
機長、副操縦士、機関士は生存者に含まれており、救出される際、KLM機に対して激怒していたという。
パンナム機の生存者は、KLM機との衝突箇所と反対側の機体左側の座席におり、爆発で機体が左右に引き裂かれた際、滑走路上に崩れ落ちた左側は炎上しなかったために助かった。
また、操縦席(室)より後部に衝突したため、機長以下の操機クルー3人が助かることとなった。
▼KLM機の乗員乗客は全員死亡した
▼2機のジャンボ機は激突後、爆発炎上 事故現場は地獄絵図となった
▼2機のジャンボ機の本来の目的地はテネリフェではなかった 一体何が起こったのか?
目的地に近づく途中、パンナム機は、ラス・パルマス空港がカナリア諸島分離独立派組織による爆弾テロ事件と、更に、爆弾が仕掛けられているという予告電話(結局は虚偽だった)のため、臨時閉鎖したと告げられた。
パンナム機は空港閉鎖が長くは続かないという情報を得ており、燃料も十分に残っていたため、着陸許可が出るまで旋回待機を要求したものの、他の旅客機と同様に近くのテネリフェ島のテネリフェ空港(ロス・ロデオス空港)にダイバート(代替着陸)するよう指示された。
KLM機も同様にテネリフェへのダイバートを指示された。
KLM機が着陸した時点で、エプロン(駐機場)のみならず、平行誘導路上にまで他の飛行機が駐機している状態だったので、管制官はKLM機に平行誘導路端部の離陸待機場所への駐機を命じた。
およそ30分後に着陸したパンナム機もこの離陸待機場所のKLM機後位に他の3機とともに駐機した。平行誘導路が塞がっていたため、離陸する飛行機は滑走路をタキシングして離陸開始位置まで移動する必要があった。
▼KLM機が給油を開始する この頃から歯車が狂い出す
パンナム機着陸のおよそ2時間後、ラス・パルマス空港に対するテロ予告は虚偽であることが明らかになったため、同空港の再開が告知された。
既に一旦乗客を降ろしていたKLM機の機長は、乗客の再招集にある程度の時間が掛かることもあり、ラス・パルマスに着いてからではなく、このテネリフェでの給油を決めた。
この給油が開始された5分後に、ラス・パルマス空港再開の知らせが入った。
乗客を機外に降ろさず待機していたパンナム機は離陸位置へ移動する準備ができていたが、KLM機とそれに給油中の燃料補給車が障害となって移動することができなかった。
目前でそれを見ていたパンナム機はいつでも離陸できる状態にあり、無線で直接KLM機にどれくらい掛かるかを問い合わせたところ、詫びるでもなく「35分ほど」と回答された。
ボーイング727やDC8といったボーイング747よりも小さい飛行機はKLM機をすり抜けていった
何とかKLM機の横をすり抜けられないかと、パンナム機の機長は副操縦士と機関士の2人を機外に降ろして翼端間の距離を実測させたが、ギリギリで不可能だと分かった。
仕方なくパンナム機がKLM機の給油(55.5kl)を待つ間に、目の前を10機以上が離陸していった。そばには他の飛行機も3機いたが、B747よりも小型の機体だったため、KLM機の脇をすり抜けて離陸していった。
▼KLM機の給油が終わり、2機が離陸に向けて移動を開始する
給油が終わると、KLM機は先にエンジンを始動しタクシングを開始した。数分遅れでパンナム機もそれに続いた。
16時58分、管制塔の指示に従い、KLM機は滑走路を逆走して端まで移動し、180度転回(航空用語では地上での方向転換をタクシーバックと呼ぶ。
B747のような大型機が狭い滑走路で転回するのは困難なため、誘導路がある空港では普通は行わない)して、その位置で航空管制官(ATC)からの管制承認(ATCクリアランス)を待った。
移動の最中、霧が発生し、1000フィート(300mほど)しか視界が利かなくなった。管制官は滑走路の状況を目視できなくなった。
17時2分、パンナム機はKLM機に続いて同じ滑走路をタクシングした。
パンナム機に対する管制塔からの指示は、滑走路を途中の「3番目の出口」まで進み、そこで滑走路を左に出て平行誘導路に入り、そこでKLM機の離陸を待つように、というものだった。
霧の中、C3出口に到達したパンナム機クルーはこの出口を出るためには左に135度転回し、さらに平行誘導路に出る時にはもう一度右に135度転回しなければならないことに気付いた。
通常B747のような大型機にこのような困難な進路指示は出すものではなく、スペイン当局の事故調査報告では、なぜ管制官が曲がりやすいC4出口でなくC3出口を指示したかについては触れられていないが、当時B747は最新鋭の大型機であり管制官にその知識が乏しかったためとされている。
パンナム機クルーは小さな滑走路でB747がこのような急転回をするのはほぼ不可能と考え、管制官が45度転回で済むC4出口で左へ曲がり滑走路を出るよう指示したのに違いないと思い込み、C3出口を通り過ぎ、C4出口に向けて滑走路を進み続けた。
なんとなれば、パンナム機副機長は管制官から「1、2、3の3番目」という指示を受けた時点でパンナム機は既にC1出口を越えており、C1出口から3番目にあたるC4出口を指示された地点だと信じていたと証言している。
▼ジャンボのような大型機かつ最新鋭機、濃霧、空港の混雑、無線の混信、パイロットの焦り、様々な要因が重なり悲劇が起こる
KLM機の機長はブレーキを解除し離陸滑走を始めようとしたが、副操縦士が管制承認が出ていないことを指摘した。
管制承認とは計器飛行方式による運行において旅客機は管制官と交信しフライトプランの確認を行い、『離陸後に目的地までフライトプランどおりの航路を飛ぶための承認』を得ることである(航空交通管制の項目に詳しい)。
17時6分6秒、副操縦士は管制官に管制承認の確認を行い、17時6分18秒、管制官は承認した。
事故機PH-BUFの事故以前のコックピットの様子
これはあくまで「離陸の準備」であり、「離陸してよい」という承認ではないが、管制官は承認の際に「離陸」という言葉を用いたためKLM機はこれを「離陸してよい」という許可として受け取ったとみられる。
17時6分23秒、副操縦士はオランダ訛りの英語で "We are at take off"(これから離陸する)または "We are taking off"(離陸している)とどちらとも聞こえる回答をした。
管制塔は聞き取れないメッセージに混乱し、KLM機に「OK、(約2秒無言)離陸を待機せよ、あとで呼ぶ(OK, … Stand by for take off. I will call you)」とその場で待機するよう伝えた。この「OK」とそれに続く2秒間の無言状態が後に問題とされる。
▼パンナム機は即座に不安を感じ「だめだ、こちらはまだ滑走路上をタクシング中だ」と警告したが・・・・
パンナム機はこの両者のやりとりを聞いて即座に不安を感じ「だめだ、こちらはまだ滑走路上をタクシング中だ(No, we are still taxiing down the runway)」と警告した。
しかしこのパンナムの無線送信は上記2秒間の無言状態の直後に行なわれたため、KLM機のコックピットボイスレコーダー(CVR)では「OK」の一言だけが聞き取れ、その後は混信を示すスキール音しか記録されていない。
2秒間の無言状態により管制官の送信は終わったと判断してパンナム機は送信を行ったが、管制官はまだ送信ボタンを押したままだったので混信を生じた。
しかも管制官とパンナム機の両者はこの混信が生じたことに気付かなかった。
この一連の状況下で、パンナム機は『警告がKLM機と管制官の双方に届いた』、管制官は『KLM機は離陸位置で待機している』、KLM機は管制承認の確認中に管制官が口にした「離陸」の語ならびに「OK」の一言を以って『離陸を承認された』とそれぞれ確信していた。
また、霧のためKLM機のクルーはパンナムのB747がまだ滑走路上にいて自分たちの方向に向けて移動しているのが見えなかった。
加えて管制塔からはどちらの機体も見ることができず、さらに悪いことに滑走路に地上管制レーダーは設置されていなかった。
▼衝突を回避するチャンスはもう一度だけあった
離陸許可を得たと考えたKLM機は離陸推力へスロットルを開いた。だが衝突を回避するチャンスはもう一度あった。
上記交信のわずか3秒後に改めて管制官はパンナム機に対し「滑走路を空けたら報告せよ(Report the runway clear)」と伝え、パンナム機も「OK、滑走路を空けたら報告する(OK, we'll report when we're clear)」と回答した。
このやりとりはKLM機にも明瞭に聞こえていた。
これを聴いたKLMの機関士はパンナム機が滑走路にいるのではないかと懸念を示した。
事故後に回収されたKLM機のCVRには以下の会話の録音が残っている(カッコ内は原語であるオランダ語)。
KLM機関士:「まだ滑走路上にいるのでは?(Is hij er niet af dan?)」
KLM機長:「何だって?(Wat zeg je?)」
KLM機関士:「まだパンナム機が滑走路上にいるのでは?(Is hij er niet af, die Pan-American?)」
KLM機長/副操縦士:(強い調子で)「大丈夫さ!(Jawel!)」
おそらく、機長は機関士の上司であるだけでなく、KLMで最も経験と権威があるパイロットだったためだろうが、機関士は重ねて口を挟むのを明らかにためらった様子だった。
▼濃霧の中、KLMのジャンボ機がパンナムのジャンボ機に迫る
KLM機に警告が伝わったと考えていたパンナム機コックピットでは機長が「こんなところとはさっさとおさらばしよう(Let's get the hell right out of here.)」、機関士は「ええ、(KLMは離陸を)急いでいるんでしょうね(Yeah... he's anxious, isn't he?)」「あれだけ我々を待たせたくせに、今度はあんなに大急ぎで飛ぼうとするなんて(After he held us up for all this time now he's in a rush.)」といった会話がなされていたが、17時6分45秒、滑走路のC4出口に差し掛かったところで機長がKLM機の着陸灯が接近してくるのを視認した。
「そこを! あれを見ろ! 畜生! …バカ野郎、来やがった!(There he is! Look at him! Goddamn... that son of a bitch is coming!)」 また、同時に「よけろ! よけろ! よけろ! (Get off! Get off! Get off!)」という副操縦士の声も記録されている。
衝突直前、パンナム機の操縦士たちは出力全開で急速に左ターンを切ろうとしたが、機首を45度ほど左に向けるのが精一杯だった。
▼KLM機はもはや止まることはできない 強引に機首を引き上げ離陸して激突を回避しようとするが・・・・
一方KLM機はその速度が既に「V1(離陸決心速度)」を超えており停止制動はできず、さりとて「VR(機首引き起こし速度)」には達していなかったが、17時6分48秒、衝突を避けようと強引に機首上げ操作を行い、機尾を滑走路に20 mにわたりこすりつけた。
機長が衝突の瞬間まで「上がれ! 上がれ! 上がれ! (Come on! Come on! Come on!)」と叫ぶ声が記録されている。
17時6分50秒、わずかながら浮き上がったKLM機の胴体下部が、滑走路上で斜め左へ転回中だったパンナム機の機体上部に覆いかぶさるような形で激突した。
KLM機の機首はパンナム機の上を超えたものの、機尾と降着装置はパンナム機の主翼の上にある胴体の右側上部に衝突し、KLM機の右翼のエンジンはパンナム機の操縦席直後のファーストクラスのラウンジ部分を粉砕した。
▼KLM機は一時は空中へ浮揚したが、すぐに操縦不能の状態となり墜落
KLM機は一時は空中へ浮揚したが、パンナム機との衝突により第一エンジン(左翼外側)が外れ、第二エンジン(左翼内側)はパンナム機の破片を大量に吸い込んだため、即座に操縦不能の状態に陥って失速し、衝突地点から150m程先で機体を裏返しにして墜落し、滑走路を300mほど滑り爆発炎上した。
胴体上部を完全に粉砕されたパンナム機はその場で崩壊し、爆発した。KLM機の乗客234人と乗員14人は胴体の変形が少なかったにも関わらず、全員が脱出できず死亡した。
一方のパンナム機は396人のうち335人(乗客326人と乗員9人)が死亡した。原因は、衝突時に漏れた燃料による爆発と炎、煙だった。
▼事故原因
スペイン、オランダ、アメリカ合衆国から派遣された70人以上の航空事故調査官、および両機を運航していた航空会社が事故調査に入った。
その結果、事故当時パイロットや管制などの間に、誤解や誤った仮定があったことが明らかになった。
コックピットボイスレコーダーの聞き取り調査から、テネリフェ管制塔がKLM機は滑走路の端で静止して離陸許可を待っているとの確信を持っていたが、KLM機パイロットは離陸許可が出たと確信していたことがわかった。
調査結果はKLM機に責任があるとするスペイン側調査結果と、事故は複合要因によるものというオランダ側調査結果に分かれ、個々の要因のどれが相対的に重要であったかは今も議論があるが、総合的な結論は、以下の個々の要因が重なって事故が起こったというものであった。
管制官が2機を同時に滑走路に進入させたこと。※
KLM機が「管制承認」を「離陸許可」と誤認して離陸滑走を行ったこと。
パンナム機が指示されたC3出口で滑走路を出なかったこと。
KLM副操縦士および管制官が管制用語から離れた用語(「We're at take off」と「O.K.」)を交信に使用したこと。
押しつぶしたような無線音声、混信が起こった事により、それぞれに誤解が生じたこと。
まったく同時に管制官とパンナム機両方が送信を行い、それゆえ交信音声が打ち消し合いKLM機には聞こえなかった。
パンナム機機長が「まだ滑走路にいる」と報告したとき、KLM機では機関士が滑走路上に他機の存在を進言したにもかかわらず機長は離陸を中断しなかったこと。
▼もしもKLM機は燃料の給油をしていなければギリギリでかわせていた可能性もあった?
KLM機は燃料を補給して重くなっていたこと。補給をしていなければ、ギリギリのところでパンナム機をかわせていた可能性もあった。
▼なぜKLM機は燃料の給油をしたのか?なぜ出発を急いだのか?
KLM機は本来の目的地であるグラン・カナリア空港に到着した後、更に折り返してアムステルダムへの飛行を予定していた。
これ以上遅延すると正規の勤務時間中にアムステルダムに到着できず、クルーの職務時間の超過に関するオランダの規則に触れて最悪の場合はライセンスを剥奪される可能性があることから、KLMのクルーは遅れたフライトを急いで再開しなければならないと考えていた可能性がある。
また、グラン・カナリア空港で給油すると更に時間を浪費することから、ロス・ロデオス空港で待機している間に給油することを選択した可能性がある。
濃霧が更に悪化すると視界不良により滑走路が閉鎖される可能性が高く、一刻も早く離陸しないとロス・ロデオス空港に留まらざるを得なくなる。
その場合には乗客の宿泊代などのKLMの金銭負担が増える結果になるし、小島であるテネリフェ島ではそもそも宿泊施設を確保する事が困難であるから、散々待たせたパンナム機まで巻き添えにして離陸できなくなるのは気の毒だとの配慮による焦りも指摘されている。