▼トミーが発売していたぴゅう太とは?
ぴゅう太(ぴゅうた)とは、1982年8月20日に株式会社トミー(現タカラトミー)より59,800円で発売された16ビットゲームパソコン。
MSXパソコンが登場する少し前の時代に、ゲーム機能の充実した廉価なパソコンが流行った時代があって、NECのPC-6001から始まって、ゲームパソコン(ソードM5)とかコモドール・マックスマシーンとかが登場し、ぴゅう太もその流れに乗って登場した1台でした。
▼おもちゃ屋にぴゅう太のパンフレットが置いてあった。そこで興味を持った。
当時のパンフレットですね。懐かしいな。もう30年以上前の話なんですね。
子供の頃の僕はこれを見てワクワク感が止まりませんでしたね。
一番興味を持ったのはゲームが作れるという事ですね。
このプログラムとグラフィックを設定すればゲームができると。もう子供の僕はワクワク感が止まりません。
一応ゲームカートリッジが用意されていたからゲームを作ることができなくても遊ぶ事はできると。
ただし最大の問題が値段。59800円ですよ。子供が買える訳がないですね。
当時発売されていたゲームカートリッジ
今でもヤフオクで出品されたり中古専門店で売られていることもある
ぴゅう太の箱ですね。当時は羨望の眼差しで眺めていましたね。
ぴゅう太「スクランブル」 / Pyuuta Scramble
出典元:YouTube
ぴゅう太の起動動画ですね。30年以上前のパソコンだからグラフィックも古いですね。それでも当時の子供は目をキラキラさせていたんですよ。
モンスターイン(ぴゅう太) 11140点 前半
出典元:YouTube
ぴゅう太のゲームですね。当時としてはグラフィックはよく出来ていた方だと思います。
ナイトフライト ぴゅう太
出典元:YouTube
ボンブマン(ぴゅう太)
出典元:YouTube
ザウルスランド ぴゅう太
出典元:YouTube
▼1982年10月 ぴゅう太の発売開始 開発費は2億円以上
ぴゅう太は1982年6月(発売は10月)に正式発表されることになるのです。
出典:パンフレットでたどるぴゅう太の世界 ~クラシックビデオゲームステーションオデッセィ2001
クリスマスプレゼントにこれが欲しかったが、当然叶うことはなく。
このプロジェクトのため、大手コンピュータメーカーの開発者をはじめとする10人以上の技術者がトミーに移り、2億円以上の開発費が投入されました。
時まさにパソコンブーム前夜。玩具とコンピュータの理想的な結実であるぴゅう太は、16ビット、59,800円という入門パソコンとしては低価格であったことでも話題を呼び、この年国内だけで7万台を出荷、ホビーパソコンでシェア一位を獲得しました(日経新聞'83/3/21)。
'82年度の日経製品賞をも受賞、翌年からはアメリカへの輸出と前途揚々な道が開けていました。
▼59800円ながら発売当初はぴゅう太は売れた。しかし流れは変わる。
トミーは初年度の売り上げ目標を約9万台、50億円と掲げ、「お絵描きパソコン」として小中学生を対象に売り込み、1982年8月の販売開始から4ヶ月で4万台を出荷した。
1983年7月 ファミリーコンピュータが登場
これは衝撃的でした。
しかしその後は1983年7月に高性能で15,000円と安価なゲーム専用機のファミリーコンピュータが任天堂から発売され、トミーも同月にぴゅう太互換のゲーム専用機ぴゅう太Jr.を19,800円を投入するものの売れ行きは急激に落ち込んだ。
ファミリーコンピュータの登場はすごいとは思いましたが、僕自身はパソコンでプログラムを覚えて自分で作ればいいと考えていたので、パソコンを重要視していました。
当時はマイコンBASICマガジンやI/Oといったプログラムが載った専門誌があったし、そのプログラムを組めばゲームで遊べると。
ところがほとんどの子供たちはそのBASICで自作のゲームなんか作れないんですよ。しかもプログラムを組むとなると面倒くさい。
そうなるとカートリッジ買ってきてゲームセンターと同等のゲームがすぐに遊べるファミコンに流れてしまう訳です。事実ファミコンは爆発的な人気となりました。
83年には家庭用ビデオゲーム機の価格破壊がおこり、さらには究極のゲーム専用機であるファミコン、初心者にやさしいMSXという両スタンダードの登場により、ぴゅう太の居場所はしだいに狭められていくことになります。
さらにMSXが登場
1985年2月には生産を中止して撤退した。1984年5月時点で、国内向けと輸出用の合計で12万台が出荷された。
数万円台という価格は当時の児童向け玩具としては高価で、玩具店で販売する事には難があった。
59800円は子供のおもちゃとしては高いですね。ファミコンは14800円でしたから。
加えて玩具メーカーの製品という事や、見た目が玩具然としている事も、同機種の性能面での評価を妨げていた部分は否めない。
当時の同級生たちはお父さんがX1とかPC6001を仕事用とかに買うと。それに自分でパソコン雑誌のプログラムを組んで遊ぶかゲームソフトを買ってきてインストールして遊ぶというやり方をしていましたね。当時はインストールなんて言葉はあったかな・・・・・
59800円では高すぎるので「ぴゅう太Jr.」を投入するがファミコンには及ばず
1983年7月にはパソコン機能を省いた「ぴゅう太Jr.」の登場で価格が改善され、(パソコンではなく)家庭用テレビゲーム専用機の市場に参戦した。
ぴゅう太Jr. (TP2001、価格 19,800円)
キーボード、G-BASICを省きゲームに特化。ただしテレビ画面に絵(CG)が描けるという機能を持つ。出力端子はRF出力になっている。
ぴゅう太mk2は29800円で発売されたが・・・・・
ぴゅう太mk2 (TP1007、価格 29,800円)
英語記述のG-BASIC、プラスチック製のキーボードを搭載。やはりこちらの出力端子もRF出力である。
この時期はファミリーコンピュータ(ファミコン)をはじめとする数多くのカートリッジ式家庭用ゲーム専用機の新機種ラッシュと重なっており、本機もそのうちの1つとして次世代機競争に似た様相に巻き込まれる形で苦戦を強いられた。
トミーがぴゅう太ならタカラもM5を出していた。ただしM5の方も1984年には撤退している。今では同じ会社になってタカラトミーですよ。
いやあ懐かしいな。
▼ヤフオクにぴゅう太の本体やゲームソフトが出品されているが・・・・
いや、買わないでしょうね。Windowsのパソコンでネットとかしている方が楽しいですからね。ゲームにしても今のPS3とかPS4のゲームに比べると面白くないでしょう。
今だったらヤフオクでショップブランドのパソコンやノートパソコンやベアボーンを買ってきてCPUを変えるとかメモリを増やすとかブルーレイを付けてみるとか改造するのがベストでしょう。
でもそうはいってもMZ2000をWindowsで動くように改造したとかいう話を聞くとつい興味を持ってしまいますがね。