▼ハイジャックされたり爆破されたり事故に遭遇した悲運な飛行機たちを集めてみました
ボーイング727 JA8302
全日空羽田沖墜落事故の事故機です。
全日空羽田沖墜落事故機
出典元:YouTube
ボーイング727(JA8302)ですね。
ボーイング727 JA8315 よど号
よど号ハイジャック事件の飛行機です。
その後よど号は日本航空から東亜国内航空へ移る
ボーイング727 JA8329
全日空機雫石衝突事故の事故機です。
DC8-32 JA8003
日本航空羽田空港オーバーラン事故の事故機です。
こんな状態から直しました
日航DC-8 JA8003 HAKONE号の事故 2
1961/04/24 JA8003 HAKONE号(古谷野機長)は、サンフランシスコからホノルル、グアム経由で、23時30分頃海側からAランへ着陸しましたが、Bランとの交点を過ぎてもスピードが落ちず、Aランをオーバーして排水溝に脚を突込んで停止しました。
写真のように、降着装置破損、操縦室と胴の結合部が折損、エンジン3基損傷、燃料タンクにも亀裂が生じましたが、幸いにも発火炎上せず、死傷者は皆無でした。
当日はやや追い風の上、雨も強く、加えて3月未に滑走路工事が終了したばかりであったためにハイドロプレーン現象によりブレーキがきかなかったと判定されました。
JA8003の経歴
1960/07/29c/n45420 DC-8-32 JA8003登録 愛称HAKONE 定置場東京国際空港
1960/09/02日航へ引渡 09/13 東京国際空港到着
1961/04/24東京国際空港でオーバーラン事故 大破
1961/07/06JA8003抹消登録
1962/06ダグラス社へ搬入 修理改修
1963/02/04DC-8-53としてJA8008登録 愛称MATSUSHIMA 定置場東京国際空港
1963/03/30東京国際空港到着
1975/08/15日本アジア航空 定置場東京国際空港 1978/07/01新東京国際空港
1981/07/01JA8008抹消登録 AERONAVES DEL PERUへ売却 OB-R-1223
JA8003→JA8008
修理と同時に-32から-53へ改造されJA8008として再登録
実はビートルズを日本に連れてきたDC8はJA8008
日本では1981年まで飛び続ける
DC8-62 JA8032
日本航空サンフランシスコ湾着水事故での事故機です
こんな状態でも直しました。
修理後1983年まで日本で飛び続ける
B747-246 JA8122
1975年12月16日に発生した日本航空アンカレッジ空港滑落事故の事故機です。
こんな状態から直しました
エンジンだけでもすごい壊れ方をしている
日本航空アンカレッジ空港滑落事故
1975年(昭和50年)12月16日。アンカレッジ発東京行きのB747-200型機 (JA8122) が、誘導路の北側に逸脱し平均傾斜13度の積雪の土手を滑落し停止。
乗客乗員2名が重傷となり、9名が軽傷となった。
クレーンで持ち上げて移動する訳だが、既に塗装が真っ白になっている
なんと胴体の下半分を新品に交換するという大修理を刊行
まさかの大復活を果たす
日本では1996年1月まで飛び続ける
DC8-62 JA8033
1977年9月28日に発生したダッカ日航機ハイジャック事件のハイジャックされた機体です。
バングラデシュ軍部中枢を含む政府首脳がこの事件の対応に追われている隙間を縫って、10月2日の早朝に軍事クーデターが発生
この事件における日本の対応は、一部諸外国から「(日本から諸外国への電化製品や自動車などの輸出が急増していたことを受けて)日本はテロまで輸出するのか」などと非難を受けたといわれる。
前日には日本航空クアラルンプール墜落事故が発生しており日本航空は2件の事故・事件の対応に苦慮したという。
ハイジャック機その後
ハイジャックされたDC-8-62型機(JA8033)はその後日本国内へ戻され、ハイジャック犯人による爆弾の爆発実験により一部が破損した機内トイレの修繕や、機内清掃などが施された後に通常運航へと戻され、1984年まで日本航空で使用された後にメキシコのアエロメヒコ航空へと売却され、1990年代前半まで運行された。
DC8-62 JA8051
日本航空クアラルンプール墜落事故の事故機です
コンベア880 JA8030
日本航空羽田空港墜落事故の事故機です。
日本航空にリースに出されて訓練機として使用していたところ事故が発生。
DC8-53 JA8012
日本航空ニューデリー墜落事故の事故機です。
DC8-62 JA8040
日本航空シェレメーチエヴォ墜落事故の事故機です。
ボーイング747-246 JA8109
ドバイ日航機ハイジャック事件のハイジャック機です。
最終的には爆破されてしまいました。
爆破されたJA8109
爆破
その後犯人グループは乗員乗客150人の人質を解放後、同機を爆破しリビア当局に投降した。機体爆破に際し犯人グループは事前に乗務員に爆破を通知。
着陸後乗務員は脱出用シュートを使って乗客を退避させたがこの際に数名の乗客が軽傷を負った。犯人グループは投降後、ムアンマル・アル=カッザーフィー大佐率いるリビア政府の黙認(積極的な援助)の元、リビアの友好国経由で国外逃亡した。
DC-8-62AF JA8054
日本航空アンカレッジ墜落事故の事故機です。
DC-8-61 JA8048
日本航空上海空港オーバーラン事故の事故機です
DC-8-61 JA8061
日航羽田沖墜落事故の事故機です。
ボーイング747SR100 JA8119
日航ジャンボ機墜落事故の事故機です。
DC9-41 JA8448
日本エアシステム451便着陸失敗事故の事故機です。
ボーイング767-200 JA8254
全日空機下地島オーバーラン事故の事故機です。
DHC8-Q400 JA849A
全日空機高知空港胴体着陸事故の事故機です
2007年(平成19年)3月13日に高知空港で前輪が出ず胴体着陸に・・・・・
事故機のJA849Aは修理され訓練機になったが路線復帰は叶わず
2008年6月23日、全日空はDHC-8-400を3機追加発注し2010年以降導入すること、並びにJA849Aをボンバルディアに売却することを発表した。
JA849Aは2010年3月26日付で登録抹消されてC-GDXCとなった後、2012年よりモンゴルのエズニス航空に引き渡され、機体記号JU-9919として運用されている。
2012年よりモンゴルのエズニス航空に引き渡され、機体記号JU-9919として運用されている。
Airbus A320-200 (JA8384)
仙台空港で着陸復行を行った際、機体後部を滑走路に接触。修理はされたが路線就航からは外れ訓練機となりその後退役
どうやら解体されたようですね
2012年2月5日、伊丹発の全日空731便(エアーニッポン運航・エアバスA320-200、JA8384)が、仙台空港で着陸復行を行った際、機体後部を滑走路に接触させた。
運輸安全委員会は航空事故として調査を進めている。
なお、事故機のJA8384は修復されたものの、製造から21年が経過していたためそのまま路線から外れ、ロゴを消した上で3月にエアアジア・ジャパンに貸し出され、訓練機として使用された後同年7月4日付で登録抹消されている。