○光岡社長クルマ社会の本場アメリカでキットカーに出会う
キットカーとは
キットカーとは、選択された自動車部品の集合体であるキットから自宅のガレージなどで組み立ての出来る自動車のことを言う。中でも過去の名車や現在の高級車のデザインがモチーフとされている場合はレプリカや主に英語圏限定でレプリカー(replicar )とも呼ばれる。
米国では、こうした往年の名車を復刻したレプリカ車の組み立てキットが売られており、クラシックカー好きの客がそれを買って来て、自分で組み立てることからキットカーと呼ばれていた。光岡には衝撃的な事実だった。
出典:http://j-net21.smrj.go.jp/establish/sougyou/entry/993/20080603.html
しかも、キットカーとして復刻したレプリカ車は維持管理の利便性や経済性から、しばしば本物のクラシックカーより高額で売られているというから二重の驚きだった。
光岡には胸に秘めた計画があった
それは第一号のキットカーづくりを通して得たノウハウを基に、もう一台あるキットカー部品を使って光岡オリジナルのベンツSSKレプリカ車をつくり、改造車のビジネスモデルを確立することだった。
今は自動車メーカーになったけど、光岡自動車がまさに最初はキットカーを組み立て販売していた。がハードルは高い。少なくとも経験がないと無理です。しかも自動車の整備と強度計算書類などの両方やったことないと。本気でやりたいのならまず「キットカー 車検」で検索してみてください。
出典:ハンドメイドカーを作りたい夢があるんですが工業高校や専門職の経験... - Yahoo!知恵袋
車検は業者に頼むほうがよいかもしれない。自分のところでフレーム制作して公認車検通しているところもある。そういう所に相談して作り、取ってもらう。
米国から帰国した光岡はキットカーの組み立てに集中した。
作業の合間を縫って光岡は何度も東京・品川にある東京陸運支局に通い、キットカーの車検申請に明け暮れた。
キットカーは改造車のため、車検を通すには事前に改造申請書を提出する必要がある。その申請書には改造した部分が基準値を満たしていることを証明する資料を添付しなければならない。
基準に満たない材質や構造は変更して再度、強度検討書にまとめて提出する。すると今度は違う不備を指摘され、強度計算をやり直し、強度検討書の改定版を再提出する。こんな申請書類の作成、提出の繰り返しが続いた・・・。
出典:http://j-net21.smrj.go.jp/establish/sougyou/entry/993/20080603.html
業を煮やした光岡は車検申請を諦めかけたこともあった。しかし、8ヶ月余の悪戦苦闘の末、光岡が組み立てたキットカーは車検が通り、晴れて公道を走行できる改造車となった。
○作った車を東京の経団連記者クラブで宣伝してもらう
記者クラブに持ち込むと、新聞社、テレビ局、地方にまでいっせいに配信される
記者クラブとは、マスコミの人たちがいっせいに集う場所ですから、当然、記者たちは毎日、手ぐすねを引いて画期的なニュースを待っているわけです。配布と同時に、すばやく確実に自社のPRができる機関だと認識してください。
記者クラブは、政府や警察などの官公庁に設置されていますが、一方で、情報通信、旅・レジャー、証券、金融、機械、食品、不動産、自動車などの民間の営利業界を対象とした記者クラブも多数存在しています。これが、企業の新商品のニュースなどを広く消費者に伝えるための記者クラブです。
全国にいろいろな記者クラブがありますが、流通サービスの業界で中小企業向けの「東京商工会議所記者クラブ」「大阪商工記者会」「福岡経済記者クラブ」「中部経済産業記者会」などは一般企業のニュース展開に利用しやすい機関です。ほか、多岐にわたる記者クラブの所在は『広報・マスコミ ハンドブック PR手帳』などで調べることができます。
出典:ASCII.jp:新聞編(3)――プレスリリースを記者クラブに「投げ込む」方法とは
記者クラブの幹事の会社に連絡して配布方法をたずねる
記者クラブにプレスリリースを配布することを、業界では「投げ込み」といいます。
毎月、持ち回りでクラブを取り仕切る「幹事社」が決まっているので、プレスリリースを投げ込みたい日が決定したら早めにそのクラブに電話をし、幹事を務める会社に「プレスリリースを配布したい」と挨拶をします。
その上で、配布方法、決まりごと(クラブごとに投げ込むに関する具体的方法の決まりごとがあります)などを確認し、配布当日に記者クラブ内にある各社の資料棚に配布する、というのが一般的な方法です。
「記事に直結する記者クラブにリリースを配りたい」─。そんな広報担当者のために、業界・ジャンル別に実態を解説。自社の事業内容に適した記者クラブを探し、開拓してみよう。
アンケートによると、7割近くが記者クラブを活用しているようだ。しかし、中には「そもそも行き方が分からない」といった悩みをもつ人も。
出典:http://archive.fo/wuN0X#selection-381.0-381.65
読者アンケートで記者クラブに関する悩みを複数回答で聞いたところ、多かったのが「記者が忙しそうで話しかけにくい」(42.7%)、「リリース配布時しか訪問できず関係が築けない」(40.5%)というもの。
記者の一人が発した「現物はないんですか?」
光岡はたまたまBUBUクラシックSSKで経団連会館に乗りつけていた。記者会見は急きょ、試乗会になり、そうなるとそれまで無関心だった記者たちも集まって来て、経団連会館脇の空き地で賑やかな試乗会が始まった。
そこへ運よくNHKのニュース取材クルーがたまたま通りかかった。記者たちの盛り上がりに関心を寄せ、その場でテレビ取材も始まるという幸運が続いた。
「このクルマ295万円、あなたなら買いますか」というアナウンサーのコメント。横浜に開設した販売事務所の電話は問い合わせで鳴りっぱなしになった。それから4日間での予約数は200台にも上った。光岡が製造したレプリカ車第一号は、予想を越える大ヒットで快調に走り出した。
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皇居をバックに光岡に同行していた女子社員が運転する撮影が始まり、その日の夕方にはNHKニュースで放送された。
○改造から製造へ−フレームからのクルマづくりへ
次にポルシェ356スピードスターのレプリカの開発に乗り出す
ポルシェ356のレプリカ「BUBU356スピードスター」。外観はクラシックカーでも、ベースはビートルなのでメンテナンス性も高い。356レプリカ車の開発では、三次元の複雑な曲面構成のボディを造形するボディ制作に始まり、ドアのヒンジやフロントガラスをはめ込むためのウィンドサッシなど細部にわたって作り込む高度な複製・改造技術が要求された。
光岡はレプリカ車とはいえ、完成度の高いクルマをつくった充実感と開発を通じて得たノウハウに満足していた。そして356の発表が一段落すると、さらに難度の高い改造車づくりに挑んでいった。
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オリジナルカー「ラ・セード」の開発にとりかかる
改造車ではあるが、完全な光岡自動車製のオリジナルカー「ラ・セード」
「「ラ・セード」の開発では、ベースになる日産シルビアQ’sのボディがフレームのないモノコック構造のため、ボディを切断して900mm延長する改造に苦労を強いられました」
モノコック構造のボティを切断、延長した場合、強度計算が複雑になった。大型コンピュータを持たない光岡は他の方法を模索した。
「そこで新たに梯子状のフレームを作り、その上に切断したモノコック・ボディを溶接する方法を編み出しました」
改造車検ではモノコック・ボディの補強材を採用した改造車として申請が受理された。しかし、フレームを一から作ってしまえば、もはや改造とは呼べない。そのような解釈もできる改造車が「ラ・セード」であった。
出典:http://j-net21.smrj.go.jp/establish/sougyou/entry/993/20080603.html
改造の仕方によってはそのままだと車検に通らず、別に構造変更申請が必要になるケースがあります。構造変更申請をして、陸運局に保安基準を満たしていると認定されれば、改造車であっても、晴れてどうどうと公道を走ることができるというわけです。
1996年、日本で10番目の乗用車メーカーとして認可。
「フレームから作れば、全部自分たちで設計製造したクルマができる」という発想を光岡にもたらす。光岡は「ラ・セード」の開発を契機に、『改造から製造へ』とクルマづくりのハンドルを大きく切ることになる。
限定1台の“エヴァカー”登場 価格は1600万円!セブンイレブンとエヴァンゲリオンがコラボ 「セブン-イレブン限定 光岡自動車 エヴァンゲリオン オロチ」
出典元:YouTube
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行政との闘い―自動車メーカーになること
組立車とは、『自動車の製作を業とする者以外の者』がつくるクルマを意味する法律用語である。まだ、自動車メーカーと認定されていなかった光岡自動車は、運輸省との長い交渉の末に、組立車として車検審査を受けた。
「車検審査は、茨城県の筑波にある日本自動車研究所の施設で行われ、前面・後面の衝突試験(クラッシュテスト)で2台のテスト車を潰した末に合格しました」
組立車ゼロワンの車検が通ると、光岡は型式認定に向けて迅速に動いた。新型車が運輸省の型式認定を受けるには、地球3/4周に相当する3万kmの走行テストや衝突安全試験を受け、合格しなければならない。「走行テストは開発要員が一般道路や高速道路を昼夜兼行、1日3交代、雨天決行で2ヶ月間を走って3万kmを走破しました」運輸省の係官立会いのもとでの衝突試験もぶっつけ本番。8回の予備試験で8台の試作車を潰し、9台目のクラッシュテストでやっと合格する有様だった。
出典:http://j-net21.smrj.go.jp/establish/sougyou/entry/993/20080618.html
こうしてゼロワンが型式認定を取得し、はれて日本で10番目の乗用車メーカーが誕生した。認可された96年4月10日は、光岡が馬小屋を借りて板金塗装工場を始めてから28年目、模型エンジンを手にした少年の日から数えて50年目の春だった。