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さっと読める偉人伝 ガリレオ・ガリレイの活躍!

ガリレオ・ガリレイは実験結果を数学的に分析するという手法で、様々な発見をしました。また、ガリレオは哲学や宗教から科学を切り離すことに大きく貢献したことで、現在では「科学の父」と呼ばれています。

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○概要

ガリレオ・ガリレイ(Galileo Galilei 1564年2月15日-1642年1月8日)
イタリアの物理学者であり天文学者であり発明家であり哲学者である。ニュートンやコペルニクスと並ぶ科学革命の先駆者であり、フランシス・ベーコンと同じく科学的手法の父として名高く、天文学の父としても知られる。
ピサの斜塔から大小二つの物体を同時に落として物体の落下について研究したことや、地球は太陽の周りを回っているという「地動説」を唱えたために宗教裁判にかけられたこと、そして「それでも地球は動いている」とつぶやいたことなど、数々の伝説を残した、イタリアの天文・物理学者です。

17歳のとき医者を志してピサ大学に入学するも、当時の外科手術のあまりのグロさに耐えられず大学を中退。

出典:http://dic.nicovideo.jp/a/%E3%82%AC%E3%83%AA%E3%83%AC%E3%82%AA%E3%83%BB%E3%82%AC%E3%83%AA%E3%83%AC%E3%82%A4

当時の外科手術といえば、麻酔も無いまま患部を鋸でゴリゴリと切り取るようなものであり、患者は大声で叫びながらもがき苦しむ壮絶なものだったのだから、ある意味仕方の無いことかもしれない。

その後数学者として活動することに決め、物理学・天文学に多大な功績を残している。実験結果を数学的に分析する、という画期的な手法を実践した最初期の科学者でもある。このため「科学的手法の父」と呼ばれることもある。

出典:http://dic.nicovideo.jp/a/%E3%82%AC%E3%83%AA%E3%83%AC%E3%82%AA%E3%83%BB%E3%82%AC%E3%83%AA%E3%83%AC%E3%82%A4

また、カトリック教会の唱える世界観やアリストテレス学派を批判したことでも知られ、これにより宗教や哲学から科学を切り離す先駆けとなった。

このため、教会や学識者に多くの敵を作り、地動説について言及した書物を出版したとして異端審問に掛けられ、地動説を放棄する宣誓をさせられたうえ、軟禁状態の晩年を送ることとなった。

出典:http://dic.nicovideo.jp/a/%E3%82%AC%E3%83%AA%E3%83%AC%E3%82%AA%E3%83%BB%E3%82%AC%E3%83%AA%E3%83%AC%E3%82%A4

尚、彼に関する有名なエピソードは、後年伝記を書いた弟子のヴィンツェンツォ・ヴィヴァーニの創作によるものが多い。有名な「それでも地球は動いている」も、「ピサの斜塔から二つの球を落とした」も彼の創作であるとされる。

○物理学

振り子の等時性を発見し、晩年に振り子時計を考案した。
また、落体の法則を発見した。これは

1.自由落下する物体の落下速度は、物体の質量に依存しない
2.自由落下の落下距離は、経過時間の二乗に比例する
というものである。尚、「落体の法則を確かめるためピサの斜塔から重さの異なる二つの球を落とした」というのは弟子の創作である可能性が高いとのこと。

アリストテレス以来「重い物体は軽い物体より速く落下する」という考えが常識となっていましたが、ガリレオは実験により、物体が自由落下する時の時間は質量に依存しないとし、さらに落下時の距離は落下時間の2乗に比例するという落体の法則の発見。

出典:ガリレオ・ガリレイ | 科学の歴史

物体に外部からの力が加わらなければ、物体はその運動状態を保とうとする慣性の法則の発見。

出典:ガリレオ・ガリレイ | 科学の歴史

船などの等速直線運動をする乗り物の上で物体を自由落下させ観測者が同じ船の上にいる場合、陸上で物体を自由落下させ観測者も陸上にいる場合と同じように、(観測者の視点で見ると)物体は真下に落ちる。

出典:ガリレオ・ガリレイ | 科学の歴史

上記は一つの例ですが、一般に慣性系(等速直線運動をする座標系)において同じ物理法則が成り立つというガリレオの相対性原理の発見など数え上げると、きりがありません。

○天文学 ヨーロッパで天体観測に望遠鏡を使った最初期の一人である

飾り台にセットされたガリレオの望遠鏡(イラスト) 画像提供:高部哲也
当時のヨーロッパでは、天空と地上では異なる法則が支配していると信じられていたため、「地上の遠くのものを見る道具」が「天空の遠くのものを見る道具」として使うことは、支配している法則が違うのだから当然無理だと考えられていた。

当然、天体観測に望遠鏡を用いることは地上でも天空でも支配している法則は同じと主張しているようなものであり、それ自体大きな挑戦だったのである。

ガリレオは、光やレンズについて深く研究していたわけではありませんが、1608年にオランダで「望遠鏡」というものが発明されたと耳にすると、すぐに自分自身で2枚のレンズと筒を組み合わせて、20倍から30倍ほどの倍率を持つ望遠鏡を作り上げました。

出典:http://web.canon.jp/technology/kids/history/03_galileo_galilei.html

そして1609年、望遠鏡を月に向け、月にも山や谷があることを発見します。次の年の1610年には、木星には4つの衛星(月)があることを発見します。

出典:http://web.canon.jp/technology/kids/history/03_galileo_galilei.html

ガリレオは、望遠鏡で大きく拡大することにより、地上にいる人間の目には細かすぎてよく見えない天体をくわしく観察することができたのです。ガリレオは、こうして得た発見や知識を1610年のうちに『星界の報告』という書物にして発表します。

出典:http://web.canon.jp/technology/kids/history/03_galileo_galilei.html

この書物は、天体のイラストをたくさん載せており、地動説や科学的なものの見方・考え方を人々に伝える役目をはたしました。そのため、ガリレオは「天文学の父」と呼ばれています。

○〜真実を疑うな、常識を疑え〜

ガリレオはその後『天文対話』という書物を書いて、1632年に出版します。
ガリレオはその後も地動説に関する研究を辞めることはなく、「天文対話」という本を執筆しました。この書物は、三人の登場人物が地動説と天動説のちがいなどについて話し合う、一般の人々にも読みやすいストーリーで書かれています。1632年「天文対話」は教皇の交代などもあり無事出版することができましたが、翌年の1633年、ガリレオはローマへの出頭を命ぜられ2回目の裁判を行うことになり、そこで有罪判決を受けました。裁判所に出席した人物の中にはガリレオに対して同情的な人々もいたことで、ガリレオは無期軟禁となりました。

ガリレオは、登場人物の一人にこのようなセリフを語らせています。
「他の人の話を一方的に信じてしまって、なぜ君は自分で観察しなかったのですか?なぜ自分自身の目で見なかったのですか?」

出典:http://web.canon.jp/technology/kids/history/03_galileo_galilei.html

ガリレオは、この書物を通して、自分の眼でものを見て、自分の頭で考えることが一番大切であることを、人々に伝えたかったのでしょう。たとえ、どんなに立派な望遠鏡があっても、真実を知ろうとする心がなかったら、それはただのレンズと筒の組み合わせにすぎないのですから。

出典:http://web.canon.jp/technology/kids/history/03_galileo_galilei.html

ガリレオはやがて両目の視力を失いましたが(望遠鏡の見過ぎとされています)、それでも弟子や息子などに口頭筆記をさせ研究を続けました。そして1642年にガリレオは亡くなり、同年イングランドでアイザック・ニュートンが生まれました。

出典:ガリレオ・ガリレイ | 科学の歴史

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