■なんとか今もがんばっているという感じの国生さんです。
元夫が詐欺容疑で逮捕状
元夫が詐欺容疑で逮捕状を請求されたことが報じられ、1月21日に警視庁へ出頭し逮捕された。
ローカル番組『クロ女子白書』に出演,まるで酔ったようなハイテンションの彼女に感服。
事件当時国生さんとまだ婚姻関係にあったことから、甲田さんがこのような行為をしていたのを国生さんは知っていたのではないかと疑いの目が向けられています。しかし、これに対して国生さんの友人が週刊誌上で、国生さんと甲田さんは一度も同居をしたことが無い仮面夫婦だったことを告白している
本人も記者の突撃取材に対して、仮面夫婦だったことを認めていることが分かる
大女優からイジメを受けていた過去を告白
あるドラマで共演した際に国生がセリフを度忘れしたことがあった。するとその女優が国生にこう言ったのである。
「教えてやろうか芝居!?」「教えてやろうか? セリフなんて言ってるか!」
国生はその口調はあきらかにイジメだったと当時を思い出しながら話した。
一瞬全員が息を呑んだほど意外な名前がそこにはあったのだ。
「なんでなんで?」、「意地悪なイメージ無いやん」とオセロ松嶋や森三中らが口にするほど、有名であり好感度が売りの女優だったのだ。
昔競演したドラマを調べればわかるかもしれない
ボクシングのリングでラウンドガールを務める
私がランドガールって…と戸惑いましたが、むしろ周りの方がノリノリで。でも、中途半端な意気込みでリングに上がってはいけない。背筋がピンッと伸びる感じです」と気合を入れた。
亀田興毅の依頼で「微力ながら」と引き受けた国生はラウンドガール初体験。スリーサイズは非公表だが「減量、頑張ります」と意欲を見せた
出典:http://www.sponichi.co.jp/battle/news/2012/04/01/kiji/K20120401002949710.html
「峰不二子をイメージした」という上下黒のキャットスーツを着て登場。
■未だにラジオで流れるバレンタインキッス、作詞は秋元康
おニャン子クラブ時代のブロマイド
1985年4月1日に18歳でおニャン子クラブの会員番号8として加入すると、翌年にはシングル曲『バレンタイン・キッス』でソロデビューして一躍人気者となる。
あの曲のシューゲイザーMIX。
Listen to バレンタイン・キッス Shoegazerアレンジ2015 "Corsage&skyfishing" by Corsage #np on #SoundCloud t.co/jX6h5P7F9H
作詞:秋元康
作曲:瀬井広明コンビなんですが。
つんく♂でさえもバレンタイン定番ヒットソングを作れていない。
出典:バレンタインは今も昔も国生さゆりのもの?: 彩賀ゆうの『似顔絵』コラム
今や「落ち着いたオトナの女性」という
このバレンタイン・キッスは、ソロではなく、あくまでおにゃん子クラブの一員として歌っているので、印税は、おにゃん子クラブの全員で折半だったと聞く。
出典:http://www.tamashima.biz/archives/2009/02/post_183.html
「国生さゆり with おにゃん子クラブ」でないと、このカラオケを歌うことはできない。
考えてみるとバレンタイン・デーは決して小さくないイベントなのに、定番曲といえるものが他に思い当たりません。
ここに目をつけて「バレンタイン・キッス」ヒットさせた秋元康氏、さすがです。
出典:水曜日のダウンタウン 2月18日放送~バレンタイン・キッス、ヨネスケの晩ご飯、大食い柔道、お詫び : Halohalo online
男運についてはすこぶる縁起悪いのに、この曲だけは残りました
■バレンタイン・キッスの後もす続々とシングルを出す
シングル
•バレンタイン・キッス(1986年2月)
•夏を待てない(1986年5月)
•ノーブルレッドの瞬間(1986年8月)
•あの夏のバイク(1986年12月)
•星屑の狙撃手(1987年3月)
•ソレ以上コレ未満(1987年5月28日)
•恋は遠くから(1987年10月1日)
•ガラスの森(1988年4月30日)
夏を待てない(1986年5月10日、作詞 秋元康、作曲 後藤次利
バレンタイン・キッスのすぐ後なのでかわいさは変わらないw
「アイドルのキャラはファンのみなさんがつくるものだと思う。何もできない10代の女の子を、ファンの方たちが応援していろいろな場所に押し出してくれるもの。自分がそうだったから」と国生さゆり自身の体験にもとづいてアイドルとファンの関係を語ったのだ。
芸能界をわたってきた国生ならではのアイドル論
地方から上京したものの芸能界入りを反対され、親からの仕送りが全く無かった国生。国生は生活費を稼ぐため、おニャン子クラブの仕事を頑張るしかなかった
新田恵利の元に届くファンレターの数が他のメンバーとは桁違いなほど多く、おニャン子クラブの中で絶大なる人気を誇っていた
「(おニャン子クラブ時代とは違い)国生さゆりになると国生さゆりのファンしか買わない。(CDの売り上げ)枚数落ちるじゃない?」「アイドルじゃなくなってね、仕事がなくなったら、ゼロ円なんだよ?あたし、経験あるけど」
出典:国生さゆり、おニャン子卒業後の極貧地獄エピソードがスゴすぎる!AKB48メンバーもドン引き - AOL ニュース
リアルすぎる体験談を明かす
出典元:YouTube
1988年に出たシングルなので大人っぽくなってる