篠塚和典
G 読売ジャイアンツ[巨人] 6 篠塚 利夫(和典) 応援歌
出典元:YouTube
経歴
芸術的バッティング
測ったようにショートとレフトとセンターの間に落ちる流し打ちヒットは芸術品でした。
出典:巨人にいた篠塚 - 打撃と守備の技術において篠塚が野球史上No.1ではない... - Yahoo!知恵袋
レフト線のファールラインギリギリに落ちる流し打ちにもシビれました。
槙原にスライダーを伝授する
槙原の持ち球であるスライダーは、チームメートであった篠塚和典(二塁手)から教わったとのこと(講演会にて本人談)。本人曰く、1985年に股関節を骨折して2ヶ月ほど戦線を離脱。戦列復帰後に何か新しいことに取り組もうと模索していた際、全体練習にて遊び感覚でピッチング練習をしていた篠塚が、キレのよいスライダーを投げているのを発見。すぐに投げ方を教わって試してみたところ、これが見事に成功。以後、直球とフォークに加わる自身の新しい武器になったという。
疑惑のホームラン(実はファール)
線審を廃し審判6人制から4人制になった1990年の開幕戦、ヤクルトに1対3と負けていた8回裏、好投を続けていた内藤尚行からライトポール際へのフライを放ち、一塁審判の大里晴信が本塁打と判定した。その年のバラエティ番組で上記の疑惑の本塁打についてコメントを求められ「あれはファウルでしたね」と発言している。
1987年10月18日の吉村禎章の30号が「2ストライク4ボールからのホームラン」だったが、中畑清の談話によると、日本シリーズを前にした消化試合で吉村の打席には誰も興味がなく、ベンチで異変に気づいた選手は篠塚ひとりだったという。
篠塚ファンの聖地?
東武鉄道小泉線篠塚駅
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