◆『一番印象深かった新人歓迎会』
ある新人「会津出身です。山口県民とは…」
これまでで一番印象深かった新人歓迎会は、
ある新人が「会津出身です。山口県民とは仲良くなれません。まだ許していないからです」って挨拶し、隣の席の新人が、「この展開で非常に言いづらいですが山口県出身です…120年前はすみませんでした」って言った回。
@aria_nico @armisael1026 面白い返しですね笑笑ユーモアある方でその場を救われましたね😅
おたけ丼『スマホ』と『radiko』と『録音ラジオサーバー』と@otakedonburi
@aria_nico @KNK5122 この新人は仲良くできたんでしょうか?
@otakedonburi そもそも冗談交じりでしたから、普通に仲良くしてましたよ!
でも、祖父母から山口県とは仲良くするなと言われて育ったのは本当だそうです。
@aria_nico 突然失礼します。
長州は徳川の支配から
毎年正月に徳川への恨み節の新年挨拶を続けて
265年後に恨みを晴らした事を鑑みると
会津は後115年言い続ける可能性あるのでしょうね・・・
@tennkahanabi コメントありがとうございます。私は千葉県民だったのでよくわかりませんが、このときすでに140年くらい経っていたみたいですね。「まだ120年しか経っていない」という昔の有名な会津側の拒絶発言を鑑みたもの?だったようです。どちらにせよまだまだかかりそう…。
類似の話は他にも…
先祖代々福島生まれ育ちの知人(50代)は…
先祖代々福島生まれ育ちの知人(50代)は、同じく先祖代々鹿児島生まれ育ちのご夫君と結婚するとき双方のご両親ご親戚大反対だったそうで、ご夫婦共に縁を切られて盆正月冠婚葬祭で帰郷もできず、明治維新から「まだ」150年なんだなと思ったり。
◆『高校の授業』で印象に残っていること
万葉集と言えば、高校の授業で…
万葉集と言えば、高校の授業で、「お屋敷の若様が、稲つきであかぎれした私の手を、今夜も握って嘆いてくれるの……きゃっ」ってな歌を、先生が「これは現実ではなく妄想でしょうね」と解説したのが、印象深いです。
そんな、仕事に疲れた女の夢小説みたいな歌が1000年後まで残るとか、文字文明怖い。
「稲つけばかかる我が手を今夜もか殿の若子が取りて嘆かむ」。
この歌、稲つき歌として歌われていた可能性もあるそうで、それって多くの働く女にRTされてめっちゃ拡散されたってことやん。
というわけで、夢女子やリアコ勢は気を強く持ってほしいです。夢小説(歌)は、万葉から続く日本の文化。
@sayonosuke FF外からすみません
妄想であれ事実であれ、とてもロマンチックで綺麗な歌だなと思いました…
多くの働く女性にとってそれは頑張ろうと思えるきっかけになったかもしれませんね!
@Kunitomo893 そうですね!
私も、推しへの思いで日々の仕事を乗り切っているので、とてもよくわかります。うつくしい妄想(夢)があるからこそ、人は頑張れる。
◆『心理学の授業』で印象に残っていること
「たいていの人間は、世話になった人よりも…」
心理学の授業で印象に残っているは「 たいていの人間は、世話になった人よりも世話した人のことを強く覚えている」という話。自分でなんでも出来る恋人より、面倒で苦労かけられっぱなしだった恋人のほうが忘れ難いのはこの影響で、人間が群れで生きる上で発達した機能だそう。心当たりで胸が痛い。
@waremokou022 @sakurahal4 皆さんが世話した相手はもう忘れているかもしれませんが、皆さんの世話を焼いてくれた相手は覚えているだろうということです。前向きに考えましょう!
◆『コミュニケーション』に関する印象深い話
人に最も嫌われるコミュニケーションが…
人に最も嫌われるコミュニケーションが人に最も好かれようとするコミュニケーションだという論文を読んで人生を噛みしめている。
これは具体的には、上から目線で相手を褒める、努力してないと謙遜しながら自慢する、自分ができてない偽善を語る、他人を下げて自分を評価しようとしてもらう、有名人と知り合いだと語る。自分を認めて貰いたくて出てしまう発言なんだけど受取手の目線では全部裏目に出てしまう。
有名人や芸能人と知り合いだとアピールすると高感度がどうなるかと調べる実験があったんですが、高感度が劇下がる上に能力が低そうという印象を相手に与えるという結果が出たので、そういう友人がいても自慢しないほうが高感度が高く保てます。
◆『オタク』に関する印象深い話
オタクはチョロQだから「今ハマったらヤバい」と無駄に後退して踏ん張ってる分…
オタクはチョロQだから「今ハマったらヤバい」と無駄に後退して踏ん張ってる分、諦めてハマってしまった時のトップスピードがエグい
という話をした
@dragoncrash 「オタクはチョロい」という本質的な業にもちゃんと掛った良い詞になってて凄い
◆高校時代に女子が放った『印象深い台詞』 【2選】
高校時代、教室でクラスの女の子が数学の過去問解いてるときに…
高校のとき定期テスト前に世界史を勉強してた女子が…
高校のとき定期テスト前に世界史を勉強してた、日ごろおとなしい女子が煮詰まったようで「フン族さえ動かなければ……」とつぶやいたのがとても印象に残っている。
◆高校時代に教師が放った『印象深い台詞』 【2選】
高校の時の担任に「子どもと大人の違い」は何なのか聞いたら…
高校の時の担任に子どもと大人の違いは何なのか聞いたら
「他人を変えられると思ってるうちは子ども」
って言われたの未だに印象深い。
@poisoncookie00 似たようなこと社会人になって、上司に言われました。
舌打ちが嫌だって同僚に言おうと思うと、上司に言ったら、言って何でやめてくれると思うの?って言われて、目からウロコでした...
@poisoncookie00 他人は変えられないけど、自分を変えてきたのはいつも他人で、それが不思議です。(自分の都合良く思い通りにするために)変える、が子供なのかもしれないですね😖
高校時代の英語教師が…
きっと人それぞれ印象深い先生の言葉というものはあるでしょうけども
僕の高校時代の英語教師の
「SEX って言葉を合法にこんな堂々と言っても大丈夫なのは英語教師ぐらいなものですよ」
って言葉はなかなか素晴らしいものだと思っております
◆印象深い『告白』
俺がこれまでの人生で聞いた中で1番印象に残ってる告白は…
俺がこれまでの人生で聞いた中で1番印象に残ってる告白は、高校生の頃、ナルチシズムに浸りきった友人がクラスのマドンナにした「僕は月。君は太陽。君がいなければ僕は輝けない」ですかね。
◆印象深い『プロポーズ』
上司は清楚な奥様がいらっしゃるのだけど奥様からプロポーズされたらしく…
上司は清楚な奥様がいらっしゃるのだけど奥様からプロポーズされたらしく「あなたが働けなくなっても、あなたが押しのアイドルを充分追っかけ続けられるぐらいには私が稼ぐ。だから私と結婚しなさい」というドルオタには堪らないものだったらしく「人生で一番興奮した」って頬染めてウットリしてました
◆印象深い『寮生活の話』
6年の京都大学・熊野寮生活で印象深い記憶は…
夜バイトから帰ったら。。
6年の熊野寮生活で印象深い記憶は
「夜バイトから帰ったら自分の部屋で知らない旅人が鍋しててその場のノリで琵琶湖を見に行くことになり電車で浜大津まで行って真っ暗な琵琶湖に感動していろいろ叫んでたら終電なくなって5人でワインラッパ飲みしながら3時間歩いて帰ったこと」ですかね、情報量ヤバい
◆印象深い『生徒の話』
とても優秀な生徒がいて…
塾講師をされている方からの報告です。。
いさけんさん【深夜のTBSラジオみたいな声】@isa_kent
今でも強く印象に残っているエピソードがある。とても優秀な生徒がいて、半越境で僕の住む街から年に一人入学するかどうかという高校に無事進学することになった生徒がいた。その生徒は高校生になっても僕の指導を受けてくれていたのだけれど、あるときぽつりとこう言った。
いさけんさん【深夜のTBSラジオみたいな声】@isa_kent
確か「学校の授業が一気に難しくなって大変だろうね」というような話をしたんだと思う。その生徒は「そうですね」と言ったあと、それもそうなんですけど…と躊躇いがちにこう続けた。
「何を話してるか分からないんです」
いさけんさん【深夜のTBSラジオみたいな声】@isa_kent
最初は授業内容のことかと思ったのだけれど、違った。「周りの同じ学年の生徒が話していることが分からない」というのだ。「中学までの友達が話していたことと、全然違う話をしていて、何のことを話しているのか分からないのだ」という。
いさけんさん【深夜のTBSラジオみたいな声】@isa_kent
これには僕もさすがに一瞬言葉を失った。よくIQがいくつ以上違うと話が噛み合わないとか、そういう話があるけれど、それと似た現実を目の当たりにしたのは初めてだった。
◆印象深い『ご老人の話』
東京空襲のあった当時6歳だったご老人とお話したんだけれど…
東京空襲のあった当時6歳だったご老人とお話したんだけれど
「あの時は小さかったから日本が何と戦ってるか理解できてなかった。皆敵が来た、敵が来たとしか言わなかったし、山の向こうは真っ赤に燃えてるから、とてつもなく恐ろしい怪物なのだと。まさか人間と戦ってたとは」
て部分が一番印象深い
今日またこの方とお話したんですが、やはり上記の体験のお陰で家などは燃えて無くなって疎開までされていたそうです。しかし進駐軍で来た米兵を見ても、直接姿形を見るのはそうなってからが初めてだったので憎悪や敵意等は無かったそうです。むしろ米国製のお菓子や粉ミルク等を配られて好きだったと。
大人達は米兵を怖がっていたそうですが、実際に米兵は紳士的な振る舞いで徐々に人心を掌握し、当時の日本人も配給や恩恵に馴染んでいき、米国人が日常の背景の一部になるのに時間はかからなかったようですね。
オチらしいオチは無いのですが、このご老人はこういう体験もあり思春期から30歳頃まで当人が恥ずかしがるくらいには車や煙草、お酒や衣類、サングラスまで全てアメリカかぶれだったようです⁽´ᵕ`⁾
◆印象深い『面接の応募者』
ゲーム会社で面接官をしていた時に出会った…
web漫画家・やしろあずきさんからの報告です。。