◆『鈴木北海道知事』にまつわる話
経歴をWikipediaで詳しく見たら、元都職員の僕から見て驚愕だった…
鈴木北海道知事は、もともと東京都職員から夕張市へ出向し、そこから夕張市長を経て道知事になっちゃった人だけど、経歴をWikipediaで詳しく見たら、元都職員の僕から見て驚愕の経歴だった。
1999年、母子家庭のため大学へ進学できず、18歳で東京都職員に採用。東京都職員は18歳から採用される3類、20歳からの2類、22歳からの1類があり、それぞれ高卒、短大卒、大卒に相当する。鈴木氏は3類で採用ということになる。
2000年、法政大学二部に合格、都職員のまま大学生に。東京都庁には高度成長期に、高卒で採用されて上京し、夜間大学に通った人が珍しくないが、最近では非常に珍しいと思う。で、2004年にちゃんと4年で卒業。
ところで国家公務員は、一種で採用されるとキャリア、二種だとノンキャリと言われるが、都庁にはそういう制度はない。ヒラから主任に昇進するには、主任昇任試験に合格する必要があり、合格しなければ何類採用でも昇任しない。
ただ、主任試験を受験できる時期が違う。1類採用は就職5年目、2類は7年目、3類は9年目で受験資格が与えられるが、採用年齢も2年ずつ違うので、要するに最若で26歳から受けられるということで、その意味で差別がない。
差別はないのだが、やはり筆記試験(小論文など)なので、どうしても高学歴の方が合格率は高く、また職員の受験への熱意も差がある。また30代ぐらいで受験する「長期主任」という制度もあり、こちらは幹部ではなく現場の係長を目指すノンキャリコースなので、3類職員はこっち狙いが多い。
で、Wikipediaによれば鈴木氏は2008年1月、主任として在職中に夕張市へ派遣されたとある。これが正しいとすると、8年目には主任になっていたことになって、3類の通常のキャリアコースと合わない。
僕は1類だったので詳しく覚えていないのだが、確か2類3類で採用されても、上の採用と同じような扱いを受けるような飛び級制度があったはず。当時はバブル崩壊直後で、大卒なので2類採用されたり、短大卒で3類採用されたりした職員が多くて、大学の後輩にこの制度を勧めた記憶がある。
そう考えると、鈴木氏は
・高卒で都庁に3類採用
・翌年、法政大学二部に入学し、昼間は働きながら4年で卒業
・2類相当に転向する制度に採用
・7年目に主任試験を受けて一発合格
この時点で、20代で平民から将官になったミッターマイヤーぐらい凄いのに、
・8年目に猪瀬知事の肝煎りで夕張市へ出向
そもそも、「大卒なのに2類採用だった人を、優秀だから1類扱いする」というパターンが多いので、18歳で高卒で採用された人を2類扱いするってのは、20歳で採用された人を飛び越えてる。そして、主任になった時点で、最年少の主任だったはず。
@ohnuki_tsuyoshi @tsukuba_tsasaki 彼の仕事を赴任当時から結構近くで見てますが、当初年配の市職員にイジメ同然の仕打ちを受けて、ここまで来ました。
市長2期目になると、新しい集合住宅を沢山建てたり、希望の見える住民の目に見えた施策。
何ていうか勘が良いのでしょうね。立派になったなーと思います😊
@ohnuki_tsuyoshi 高校を卒業して就職するもすぐに退職し、農協に再就職してアメリカに農業の研修に行ったのに政治学に興味を持ってしまい、流れ流れて東京大学の教授になってしまった現熊本県知事も似たような感じかもしれません。
◆とある『校長先生』にまつわる話
校長先生が息子にしてくれたこと…
校長先生が息子にしてくれたこと
・好きな所に登校していいよと校長室登校を許してくれた
・登校拒否を「学校のせいでごめん」と言ってくれた
・漢字ドリルに花丸をつけてくれた
・「探検するよ」と校内巡回に連れて行ってくれた
・他のクラスに移籍させてくれた
・早退する時、毎回握手してくれた
・「無理な時は休んでもいいんだよ」と言ってくれた
・図書室にある面白い本を教えてくれた
・癇癪を起こした時、一緒に靴飛ばしをしてくれた
・登校した日は必ず「よく来たね」と頭をなでてくれた
・校長室でスゴロクをしてくれた
・こわい先生ばかりじゃないことを教えてくれた
3月で定年退職される校長先生のことを記録に残しておきたくてツイートした結果、たくさんの方にいいねやリツイートしてもらって嬉しいです。
お返事が追いつかずごめんなさい。
もらったコメントは読みましたという意味を込めて、いいねで対応させてもらってます。
@risaonesidebook 担任がこわくて塞ぎ込んだ息子に「学校に来なさい」とは言わず、「学校ってそんなに悪いもんじゃないよ」と教えてくれました。
@maerin_hsc @8580Nya 僕のお世話になった校長先生に似ています😊
どこの学校でもこういった先生がいるのですね✨
こう言う方だからこそ校長になれたのかも知れませんね
@maerin_hsc 知り合いのお子さん、クラスに入れなくて保健室登校していたんだけど、校長、教頭先生がかわるがわる勉強など見てくれて、最終的にはクラスに補助教師をつけてくれたと言っていた。いい先生もいっぱいいるんだなあ。
◆とある『生徒』にまつわる話
新任の時、K君と言う生徒を担任した…
新任の時、K君と言う生徒を担任した。
割と幼い子供で、国語はあまりできる子供ではなかった。
その子供が授業中に目を輝かせたことがある。それは私が
「と言うことでピラミッドから抜け出せない池田です」
とドラクエ3にはまっているときに呟いた時だ。その時は、なんだかよくわからなかったが。
授業後彼は私の所にやってきて「先生、あそこはミミックがいるからダメだよ」などと丁寧にレクチャーをしてくれた。私はその時『私は君にとっての先生だが、君は私にとってはドラクエの師匠だ』と言って教えてもらった。
すると嬉しそうにあれこれ教えてくれた。こんなに話せる子供なんだと驚く私。
数日後、師匠は「先生、これ没収して」と言いながら、ドラクエの攻略本を渡してくれた。授業に関係のないものは持ってきてはいけないと言う校則があり、師匠は没収を自ら試みて弟子の成長を促したのである。抜群の言語感覚である。
中見たら驚いた。「召喚魔法」とある。誓っていうが中学校一年生の時の私は「召喚」なんて読めもしないし意味もわからない。しかし、K君は読めて使いこなしているのである。そう、彼にとってはドラクエの攻略本は、漢字のドリルでもあったのだ。これは衝撃であった。
今の子供たちに攻略本で漢字のテキストを作ろうと思ったが、今の子供は攻略本を読まずにyou tubeだという。文字文化は攻略本からも撤退をしているのかと恐ろしくなった。
それならば、youtubeで教材は作れないかと考えて、開発している。
そして、今は「ツムツム」である。アラカンの私がツムツムでもないだろうが、娘がハマっているので、付き合っている。そして、娘を師匠にしてあれこれ教えてもらっている。
私にはキャラクターがほとんど同じに見えるし、スキルもよく覚えられない。ところが娘はそれを難なくやる。
(ああ、Kくんは元気かなあ)と思いながら、新幹線の中で必死にコンボして、娘に追いつくようにハイスコアを更新しようとしている。
今のお気に入りのツムは、ジャスミン(チャーム)で280万には届きました(^^)。
子供を師匠にするというのは、実にいいものです。
@ikedaosamu 漫画や小説のおかげで漢字検定合格できたのでわかります
先生が、子どもに対して偉ぶって押さえつけず、1人の人間として向き合ったのもその子にとっては嬉しいことだったのでしょうね
@ikedaosamu コメント失礼します
こどもをこどもではなく、人として接して向き合って来られた姿にとても尊敬します
時代を否定せず受け入れてみる、やってみる、見習いたいと思いました!
◆『中学時代のクラスメート』にまつわる話
今から世の中のエリートたちやお嬢様方には決して理解できない話をしたいと思う…
@ropponginza とてもわかります。小学校中学校がそれでした。特に中学は明らかな学力の差が顕れ、学級崩壊したクラスの中で「授業を真面目に受けない組(後の中卒・高校中退)」と、「このままでは生きていけないから勉強しなきゃ組(一応偏差値50以上の高校を受験する)」に2分されました。
@ropponginza 以前、ラーメン屋にいた時、隣に座っていたガテン系の男2人の会話で
「先輩、漫画読みます?」
「俺、字が読めないから」
「もしかして中卒ですか?」
「うん」
「ヤバイっすねー」
ってのが聞こえて、少し切なくなりました。
@ropponginza 地元の土建屋を継いだ同級生も、掛け算や英語はできなかったですね。そんな彼でも役員報酬で年2000万、その他家も飲み食いも全部会社持ちです。
◆とある『高齢者』にまつわる話
「パソコン?インターネット?嫌だよ勉強しないよ。俺はもうあと20年もしたら死ぬから」と言い張ってた人が…
月見ねぎとろ@3D/xRモデラー@tukimi_negitoro
「パソコン?インターネット?嫌だよ勉強しないよ。俺はもうあと20年もしたら死ぬから」と言い張ってた人が自分より先に地元の小売業が死んで老いて遠出が出来なくて干上がってく一方、ちゃんとIT勉強してたおじいちゃんがUberで出前取って孫とインスタやってるの、どこかイソップ寓話感が強い…。
月見ねぎとろ@3D/xRモデラー@tukimi_negitoro
「変えたくない、変わりたくない」という発想自体が間違っているわけではないと思うが、自分以外が「変わってしまう」「おいていかれてしまう」という危機感は持って生きなければ、現代は変化が早くて大変だよな…
🍷ヨシユキ🧀🌹聖騎士のかいぶつくんよ🐲🍳@yoshiyuki9981
@tukimi_negitoro 努力して前に進む者と、怠けていつまでも居座り続ける者の話を思い出したな
@tukimi_negitoro @ayafitpay パソコン、インターネット、携帯電話、スマホ、LINE、Twitter...
嫌だよ勉強しないよ。
と言い張っていました🙋
時代の変化には勝てないと気づいてからはがんばってます。
◆『野村監督』にまつわる話
水島新司が、女性のプロ野球選手を描こうとして、いろんな選手に相談したところ…
水島新司が、女性のプロ野球選手を描こうとして、いろんな選手に相談したところ、全員に馬鹿にされるだけで、まともに取り合ってくれなかった。ただ一人だけ、野村克也が、ぢっと考えてから、「ワンポイントリリーフなら。特別な球を投げられるなら。うまくいくかも」と答えてくれた。好きな話である。
たぬたつ╰( •̀ε•́ ╰)nonsensical reply craftsman.@tanutatsu
@pascal_api 常に、他人を活かすことを考えていたノムさんらしい
@pascal_api その女性プロ野球選手・水原勇気がヒロインの「野球狂の詩」に出てくる岩田鉄五郎は野村克也氏のイメージが投影されたキャラなんですよね。「水原、よう聞け。わいらはな、人間やないのや、商品なのや。いつ何時たりとも全力をあげて戦い、客の目を楽しませんならんプロという商品なんや」が名セリフ。
@pascal_api はじめまして。良いお話ですね。のむさんは厳しい様でどこか情に厚いところがあった様に思います。理論と情が同居した野球界では珍しい人だと思っていました。
イーグルスに🏆の種を蒔いて下さった事感謝致します🙏
素敵なエピソードをありがとうございました。
◆『ゴッホ』にまつわる話
ゴッホ、一枚しか絵が売れないで死に、半年後に唯一の支援者の弟が死ぬんで、どう考えてもそこで「終わり」なんだけど…
ゴッホ、一枚しか絵が売れないで死に、半年後に唯一の支援者の弟が死ぬんで、どう考えてもそこで「終わり」なんだけど、生前関係がイマイチだった弟の奥さんが、下宿屋の女将さんやりながら意地になって絵を飾ったり、展覧会をやったりして徐々に「天才画家」が完成するんだよな。そこが一番熱い。
たぶん、生前のヨハンナは「ゴッホの絵」について、よう分からん以外の感想、無かったと思うんだよ。でも夫の死後は「ただひとつの夫の遺志であり遺産」になる。そのためだけに人生を賭けた女性がいて、「天才画家ゴッホ」が完成する。
ゴーガンら、生前夫が生活を支え、夫の兄とも親交があったような画家たちに協力を断られても、ヨハンナは諦めなかった。「変な絵の飾ってある下宿の女将」が天才画家ゴッホを作ったんだ。もしかさばるからと捨てていたら、誰もゴッホのことなんて覚えていない。
この、ヨハンナは、芸術でも、ゴッホ本人でもない、夫の画商としての才能と、意地にすべてを賭けた。自分の亡き夫は、ダメな兄貴に付き合っていたんじゃない、本物の天才に投資してたんだって、数十年かけて証明した。
バズっているので宣伝です。ゴッホの手紙はゴッホが名前を付けたヨハンナの一人息子、もう一人の「フィンセント・ファン・ゴッホ」が設立したゴッホ美術館に収められ英文仏文ならHPで無料で読めます。ヨハンナの手紙もありますので、外国語が得意な方はぜひ!
ゴッホの手紙
t.co/dB733oZdpa
@erizomu 失礼いたします。グッときました。弟もその妻もやっぱり一種の天才だったんですね。信念を持ち続けるという天才。要はそれなのかな。
@erizomu 面白い。ゴッホについての映画は何本かあるけど、弟の嫁がゴッホが世間に認められるまで頑張る映画があってもいい気がする。