◆『友達』に救われた話 その①
昔、彼氏んちではげちゃむっていうハムスターを飼っていて、ある日カゴを開けたら…
昔、彼氏んちではげちゃむっていうハムスターを飼っていて、ある日カゴを開けたら死んでいて彼に電話したら「朝まで飲むから帰れない」と言われ号泣したんだけど、偶然遊びに来た友達が「まじか〜」と言いながらパソコンで【動物 生き返らせる方法】とバカみたいなことを検索してくれて心が救われた。
◆『友達』に救われた話 その②
「おならが止まらないんだけどどうしたらいいの?」って友達に吐露したら…
声優・長江里加さんの呟きです。
「おならが止まらないんだけどどうしたらいいの?」って友達に吐露したら、
「大丈夫、私だって密かにしてるんだよ。みんなそうやって常に出してるんだから」って教えてくれて凄い救われた。
@rikachimalu とても素晴らしいお話です
私は感動の涙が止まりません。・゜・(ノД`)・゜・。
◆『友達』に救われた話 その③
昔どうしても直前になって体が動かず、友達との予定を10分前にドタキャンしたことがある…
昔どうしても直前になって体が動かず、友達との予定を10分前にドタキャンしたことがある。そのとき友達は「そういう時なんだよ。大丈夫だよ。また会おう」って言ってくれた。その言葉にはとても救われた。実際あの時私は心身ともに元気が無かったんだと思う。そして同じことがわたしにも起こった。
待ち合わせになっても友達が現れなくて、「ごめん今日いけない」と連絡が来た。私は昔友達に言われれたセリフをそのままその子に言った。その子はその時やっぱり調子が悪かったんだって。優しさはこうやって巡り巡る。あの時想像力を働かせて優しくしてくれた友だちに、わたしは一生感謝してる。
@emaaarion 優しさって必要なのかな。利用されるだけじゃないのかな。そう思って生きてきた私でしたがこのツイートを読んで、誰かにそう思ってもらえるようにありのままでいたいなって思いました☺️素敵なツイートありがとうございます🌸
@i_am_irikodashi 優しさって、一生この人のことを好きでいたいってパワーになり得ます。そのまま優しくいてください☺️ありがとうございます🌸
◆『友達』に救われた話 その④
テーマパークに行く日程を決める際に…
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【ワタシ】これは割りとマジで「私の日程がうまく合わなくて迷惑をかけているから、それなら今回は私が引きます」と思っているんですよ。 https://t.co/tRAmDWF82H
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これは、この2人に救われたとおもっている話です。
@usagitoseino 2人にとってはテーマパークに行くのが目的ではなく
3人で遊ぶのが目的だから当然の話なんですよね。
でもこう言われたら嬉しいですよねw
◆『息子』に救われた話
赤ちゃんの頃は、体重の増えも弱くて、泣いてばかりで寝ない子でした…
@omame_okame 涙がでました。うちの子も起きてる間は泣いてばかりで辛い時期がありました。今辛い人にみせてあげたい...
@omame_okame と、尊いです...😭
ちょうど息子が、寝ない+抱っこじゃないと寝ない+置くと即起きる、のコンボで気持ち荒んでいるので泣きそうです😭
息子もこう思ってくれてるといいなぁって頑張れそうです😭
素敵なお話ありがとうございます😭
@omame_okame こんにちは。読みながら泣いてしまいました…。どうして泣いてるのかわからない時…つらいけれど、私の洋服の裾をぎゅっと握るので、息子ももしかしたらだいすきって言ってくれてるのかな…。
息子のことがもっともっと大好きになりました。素敵な作品を、ありがとうございます☺️
◆『タイ焼き屋さん』に救われた話
妊娠7,8か月頃、私は毎日イライラしていた…
@xxxTPPHANTAI コメントありがとうございます!
いつも笑顔であたたかいお二人で、
売り場に別の方がいるときも変わらず優しい方がたい焼きや他のお菓子をだしてくれます✨
@BiwaAmazake @kirisour 妊娠中に限らずこういうことが世の中にいっぱい溢れてて欲しくて泣いた(´;ω;`)ブワッ
@BiwaAmazake すみません、これ一昨日の私の内容でした。自己嫌悪がかたちになって最後には周りを不快にさせてその思いを自分で制御しきれなくて。そう思ってた人が他にも居るんだと今回見て安心しました。お礼を言うのも変かもしれませんが、ありがとうございました。
◆『カワセミ』に救われた話
いつもの散歩で…
カワセミ自体の写真は撮れなかったのですが、非日常の存在に出会えて気持ちの切り替えができてからの日常の風景の美しさが際立って…思わず描いてしまいました…。
shnmon_tte☺︎🍱👥 1y3mと0m@shinamonte_thk
@nmnm_grgr ついこの間、同じようにさんぽ中カワセミを見つけた経験と完全にリンクしてさらに泣けました…!!寝ている息子を連れた散歩は何の為に…?って思っちゃうタイミングで、ほんとうに宝石のように輝いて見えました。
◆『5万円』に救われた話
そういえば、僕は起業失敗で精神的にも、金銭的にも萎えていたときに…
そういえば、僕は起業失敗で精神的にも、金銭的にも萎えていたときに、父親が無言で5万円を渡してきたことがあります。
今となっては「5万=すぐ稼げる」という感覚ですが、当時は大金。そして、たった5万とかで、当時は完全に救われたので、僕も徐々に「5万を渡す側」の活動をしていきたい
@manabubannai 5万といえば、頑張ればなんとか1ヶ月食べていける金額ですよね😳大金です!
お父様から受けたありがとうを、他の方へ返そうと考えられるマナブさん、とっても素敵ですね✨
私もそうなれるように頑張ります!
◆『店のボーイ』に救われた話
店の客引きやってたら、カップルが通って…
店の客引きやってたら、カップルが通って、女の方が「お触りだってwww」とか明らかに聞こえる声で茶化して来たから、恥ずかしくて下向いてたら、一緒に客引きしてたボーイが「うるせえ!ブス!お前みたいなブスは働けもしねえよ!」って大きい声で言ってくれて世間的には最低だけど私はすごく救われた
このボーイの行動と発言が世間一般では褒められるものではないと分かっています。その上で、その時の私は救われたというツイートです
neoバジリス子 〜人生散歩〜編@bajirisukuten
@mmmmmmanam 黒服の鏡ですね✨
キャスト様の心も守る。
凄くカッコイイです。
◆『アニメ』に救われた話
2016年、当時の私はボロボロになっていました…
ボロボロの中年女がアニメに救われた話(1/2) https://t.co/AcphfeNAeA
ボロボロの中年女がアニメに救われた話(2/2) https://t.co/vuLeAiF3BE
@mip_yoi @drilljiru いつか見よう見ようと思ってましたがこちらの漫画を拝見してようやく決心がつきました。見ます!!!!!!!!!!!ありがとうございます!!!!!!!!!
◆『Twitter』に救われた話
妻に先立たれ幼児との二人暮らしを始めた状況で、ツイッターにどれだけ救われたことか…
ちょっとマジメなこと書くと、妻に先立たれ幼児との二人暮らしを始めた状況で、ツイッターにどれだけ救われたことか。めんどくさいことが起きても「これは書き込むネタになるぞ」と笑い飛ばせたし、むずかる子どもの横でぽちぽちスマホいじりしながらも、心は世界に明るく開かれていた
自分を笑える人間は死なずに生き延びられる。馬鹿な失敗や日々のストレスも、自分を笑ってくれる人が彼方に待っていてくれるSNSに書き込むことで「ネタ」として浄化され、それじゃまた明日ねと自分におつかれさんを言うことができる
だがもちろん情緒的に「今日もつらかった…」なんて文章を垂れ流したところで誰も読んでくれない。つらみの中のおかしみ、「あるある」とか「ないない」とか、読者の共感を誘う文章を構築しなければ、SNSとて慈善団体ではないのだから何の反応も得られない。SNSとは「客観」を学ぶ道場なのである。
ま、難しい話はともかく皆の衆「自分」を笑い飛ばそうではないか。どうせ百年もたてば「自分」なんかこの世には存在しないんだ。いま苦しい事も悩んでる事も百年後には存在しないんだ。今は美味しいものでも食べて、イカした音楽で踊り狂おうではないか
濱口雄太@ノーコード業務自動化職人@yutahamaguchi
@wonosatoru ツイッターに限らずSNS文化?によるいい面ですよね!
もっともっと前から有れば、救えた心や命があったのではないかと思ってしまいます。
◆『精神科の先生』に救われた話
昔お世話になった精神科の先生、藁をもすがる気持ちで行った病院の院長先生だった…
昔お世話になった精神科の先生、藁をもすがる気持ちで行った病院の院長先生だった。相当なおじいちゃんで、ヨタヨタして出てきたから「おいおい大丈夫か?」と思ったけど、とにかくいつもニコニコと話を訊いてくれて「まぁ、くよくよしない。大丈夫ですよ」と言ってくれて、それだけでかなり救われた。
たまに天然で「あら、僕が処方したのはこれだったかな?」とか、そういうご愛敬もあったけど、何より顔を見ただけで気持ちが楽になる、で、症状も少しづつ楽になる、そんな人だった。
しばらく通ってるうちに、その病院は本院と一緒になったりとか、先生の異動があったりとかで、別の先生にかかることになったんだが、やっぱりこの先生の診察が一番良かった気がするとか何とか思ううちに、先生が突然の事故で亡くなった。
凄くお世話になったから告別式行ったら、やっぱり人がいっぱいで、あぁ、先生の人柄だなと、悲しかったけど感心した。最後に皆さんへの挨拶を弟さんが読み上げたんだ。「今日は兄が恐らく皆さんに言ってないお話を、家族としてお話します」と。
「兄は戦争では硫黄島へ行きました。帰って来た時は痩せこけて、まるで鬼のような表情で、家でずっと寝込んでたんです。その時は布団から唸り声が聞こえてほんと怖かったです。そんな日々を1年ぐらい送っていたある日ガバッと起き上がって"俺は人を救う仕事がしたい!"と言って、勉強して学校へ通って
医者になったんです。結局硫黄島で何があったか、一切言わなかったんですが、想像を絶する体験から、あの起き上がった日にようやく生還して、やっと当たり前の思考が出来るようになったんだと思います」と。
それから先生は奄美に来て、ハンセン病の療養所で定年までずっと働き、治療だけじゃなくて療養所内の自治会の事とかそういう生活面のケアにも尽力したらしい。定年後はずっと精神病院。そして私もお世話になった。
先生の満面の笑顔の「大丈夫ですよ」は、壮絶な体験を生きて来たことがあっての「大丈夫」だったんだな。今日は終戦の日、体験を持つ人も本当に少なくなってしまったね。黙祷。
@synreisoundspal 家族に相談しても「あんたはこうしないからダメ、ああしなさい、すぐしなさい、なんでできないの?ダメねぇ」と命令するタイプの家族だと、相談する気が失せるし辛い…こういう「話を聞いてくれる、決めつけない」人に巡り会えると救われることがあるんだよね…。
@HKmoviefan そうですね、言われてみれば先生は「こうしなさい」とは一切言いませんでした。「頑張れたらやった方がいいですが、出来なかったらまあしょうがない。今度出来る時にやればいいでしょう」という言い方で、これには大分救われました。
@synreisoundspal 同じ『大丈夫ですよ』でも、その人の苦労や思いで全く違う『大丈夫ですよ』になりますね。なんだか先生の人生はドラマになって欲しいくらい人の心を打ちますね。
@seiya_kame ありがとうございます。そうですね、無責任に「大丈夫大丈夫」なんて言われたら余計に落ち込む状態だったのに、先生の言葉は素直に響きました。人生の重み、と言ったら余りにも陳腐ですが、そういうものがあったのだと思います。