◆『イソジン』と聞くと思い出す
イソジンと聞くと3.11の時に「放射能にはヨード液が効く」という謎の言説を信じた友達姉妹が…
イソジンと聞くと3.11の時に「放射能にはヨード液が効く」という謎の言説を信じた友達姉妹がイソジンを探し歩いて、それすらも売り切れだったので最終的にはヨード卵光という卵を使ったカステラをコンビニで買い二人で食べたという最高のエピソードを思い出す。みんなイソジン好きだよな
夢見月水龍 (表) |*´︶`*)╯♡※別垢原稿中@kuronekoya_y
@woyu 当時は生きることに必死で私の母は、家にあるイソジンぶどうジュースに入れて私たち姉妹に飲ませました。
(ついでにワカメたっぷりラーメンもww)
今となっては笑い話ですが、親戚の家まで避難する時、
車の中でお腹ピッピで大変でしたwww
◆『夏』になると思い出す その①
電車で扇風機が回る頃だな…
Hikaru Russeau @宵っ張り@Hikaru0326
@ageomao ああ、妹が台風の時にカツラを追いかけていた人を見かけて見守っていた話を思い出しました。夏ですね〜。
◆『夏』になると思い出す その②
AKB在籍時、宮澤佐江ちゃんと…
女優・秋元才加さんの呟きです。
AKB在籍時、宮澤佐江ちゃんと「今年の夏は日焼け止め塗らないで過ごしてみよう!日傘もいらん!」と言ってワンシーズン過ごし真っ黒焦げになり、どの集合写真でも二人だけ黒光りしてたのを夏が来るたび思い出す。
@akimotooo726 そういえば
二人の日焼けが凄い年があった記憶が
しかも冬くらいまで目立ってたような...
◆『セミ』の鳴き声を聞くと思い出す その①
中学時代、何もない田舎道をチャリで爆走してたら…
中学時代、何もない田舎道をチャリで爆走してたらセミと衝突したことがある。毎年セミの鳴き声をきくと思い出す…😂
@honda_satomi_ 子供の頃、同じくチャリ🚲で爆走してたら、口にカナブン入ってパニックになったことがある🤣🤣
◆『セミ』の鳴き声を聞くと思い出す その②
水道のメーターボックスって知ってます?
水道のメーターボックスって知ってます?以前その蓋を開けた時、蝉の死体があったの。もちろん抜け殻も一緒に。この蝉は地上に上がる事も出来ず
暗く狭いこの空間で八日間を過ごしたかと思うとすごく切なくなった。
毎年、蝉が鳴くこの季節。
あの蝉を思い出す。
@etnkiGItMSnyGO5 どうやってそこへ入ったのでしょう?
7年待ったのに、恋して死にたいですよね。
@no_try_no_fun 土の中から地上に出た先が
メーターボックスの中だったんだと思います。
恋して死にたいです(;´༎ຶٹ༎ຶ`)
◆『花火』を見ると思い出す その①
花火を見ると、幼少期にお母さんが火をつけたネズミ花火が…
花火を見ると、幼少期にお母さんが火をつけたネズミ花火が道路を挟んだラーメン屋に入っていったのを思い出す。凄かったです。
@kntn_Rabbits めちゃくちゃ怒られてたと思います。そして地面に花火を刺して火をつけて遊びました!
◆『花火』を見ると思い出す その②
以前どなたかが呟いてた言葉が忘れられない…
以前どなたかが呟いてた
「打ち上げ花火 上司に撃つか 会社に撃つか」
というのが未だに忘れられない。花火という文字見るだけで思い出す。
◆『どうして産んだんだ』で思い出す
自分の親に「どうして産んだんだ」とか言った事ないけど、そういう話聞くと中学の時…
◆『運動会』で思い出す
小学校四年生のとき、クラスで一番足が遅かったMくんが…
小学校四年生のとき、クラスで一番足が遅かったMくんが、運動会前日に釘を踏んだからと運動会を休んで、クラス全員リレーで、学年一速いTくんが人数合わせとして2回走って、学年一位になって皆大喜びだった思い出、大人になるとめちゃくちゃグロテスクに思えるんだよな。
Mくんは別にいじめられてたわけではなかったと思うけど、繰り返される運動会の練習の中で、自分がリレーで抜かれたことでの、皆のがっかりした気持ちは受けていただろうし、そこでの彼の気持ちについて想像をできるようになるのは、少なくともおれはもう少し大人になってからだったと思う。
@oskdgkmgkkk 高校の体育祭くらいになると、早めに負けてダラダラとグループで駄弁ってるという意識の低い過ごし方もできるんだけど、小学生は素直だからな。
@oskdgkmgkkk M君はクラスの一員としていなくても、
足の速いT君と他のクラスの頑張りで優勝出来てしまった、彼の存在がなくてもクラスが成り立ってしまったという、結果的に、彼の存在意義がやんわりと完全否定されたんですね。。
グロテスクって表現がぴったりです。
◆『手作り・餃子』にまつわる話題を聞くと思い出す
いつも手作り餃子を作っていた母親が疲れて既製品を出した日に限って…
@sarirahira @SandraHaefelin 最後に思わず笑ってしまいましたが、いろいろ深いツイートですね。
餃子は手間がかかるわりに一皿にまとまってしまうし、こんがりきれいに焼くのは難しいです。そして作らない人に限って手作りを美化する。美味しくて添加物の少ないものなら冷凍で全然かまいません。
◆思い出してしまう言葉 その①
老舗の焼き肉屋に行ったときの話…
浅井ラボ@されど罪人は竜と踊る(小学館刊)等@AsaiLabot2
冷凍餃子が~で、ポテサラおじさんは偏在する。
そういえば老舗の焼き肉屋に行ったときの話を思い出す。
私「タレはやっぱり秘伝の手作りですか?」
店主「業務用の店で売っているタレだよ。大学出た専門の人らが企業の金と設備を使って、年々味の改良してんだ。美味いに決まっている」
私「なるほど」
@AsaiLabot2 大真面目にそれ
実際は味の研究だけしてるわけじゃない(コスト等)から万能理論じゃないけど
料理上手でもない素人が簡単に破れるような壁じゃない
@AsaiLabot2 @S_T_Ric FF外から失礼します
以前良く行ってたラーメン屋のカレーが評判で中身を聞いたら市販の格安カレールウを使ってると言っていました
市販でも要は工夫次第なんだなぁと関心しました
◆思い出してしまう言葉 その②
「いい?結婚したら絶っっっ対に…」
@koma2ta3n いま、幸せに暮らしているといいですね。
(お子さんと犬連れてったのはえらい!)
@koma2ta3n @suuzanantonko 会社でもある話ですな……一度できてしまうと次からも当然出来ると思われちゃうやつ……。
◆『母の言葉』を聞いて思い出す
数年前、母が子育てが終わってからの反省点をポツポツと話しだし「ブランドの服を買ってあげればよかった」と言われたんだけど…
数年前、母が子育てが終わってからの反省点をポツポツと話しだし「ブランドの服を買ってあげればよかった」と言われたんだけど、私は小学生の時に希望する裁縫道具のケースのデザインを猛反対されて泣く泣く違うデザインにされたことの方が嫌だった。
よく覚えている。全面クリアになっていて、シールが付属していてカスタマイズできる、世界でたった一つのケースにできるものだった。それを安っぽいからという理由で「この辺りがクリアなところが似てるじゃない」とイルカの絵が描いてあるケースにさせられた。
あの経験のせいで私はラッセンが大嫌いだ。イルカが描いてあるものを見るたびに思い出す。自分の希望する裁縫道具ケースにしてもらえなかったこと。そして、そのカスタマイズできる裁縫道具セットを友人が買ってもらえていたことも。その友人が、私が希望しても買ってもらえなかった
黄色のランドセルを持っていたことも。ずっと忘れない。「選択できるはずのものの選択肢を狭められた経験」は私の中でずっとしこりになって残っている。
@ponymoeka 少し違う話かもしれないんですけど、ファミレスで近くに座ってたお母さんが「好きなの選びなさい」って言ったのに「本当にそれでいいの?」「もう変えれないよ」「絶対ね?」「○○じゃなくていいのね?」って脅すみたいに声掛けてて息子くんがすごく可愛そうだったの思い出しました…「選ぶ」とは…
@ponymoeka 分かります!私は特に小学生くらいの時の欲しいものを母親の独断と偏見で否定されて買ってもらえなかった記憶が強烈に残ってるので、我が子には好きなものを買ってあげようと心に誓ってます。、
◆この『時期』になると思い出す
中学2年生の時に歴史の授業で「原爆を落としたのは正解だったか否か」のディベートがあったことを思い出す…
*長文 この時期になると、中学2年生の時に歴史の授業で「原爆を落としたのは正解だったか否か」のディベートがあったことを思い出す。大抵の場合アメリカ的には原爆を落としたからこそ戦争が終わったという的なことを大抵教えられ、クラスで陰キャで意思表示を上手くできなかった私はほとんどの生徒と
「同じ意見です」と言う準備をしてた。当時アメリカで育ったただの大人しい中学生だったし、教科書も原爆についてよりホロコーストについての方が多く習った。ふと自分の番が来る前に教科書をまた見た。そこには原爆にあった人(子供?)の経験と思いが綴られた手紙の写真があった。このクラスで日本人は
私だけだ。私だけがその手紙の内容を読めた。そしてその内容を読んでいるうちに、ものすごく心が重くてなって、息苦しくなり自分の番がきても口が開けなくなった。唯一の日本人の私の意見を聞こうと先生も周りもみな黙ったままだった。世界でひとりぼっちのようだった。みんなが見てる。なにか言えよ!
と頭ではわかっているのに、手紙の内容がリフレインして考えがまとまらなかった。あつい。あついよ。勇気を振り絞ってようやく出せた言葉は「わからない」だった。「最初は私も、みんなと同意見でした。日本人だけど親戚に被爆した人がいるわけでもないし、過去のことだし、まだ戦争のこととかよく
わからないし…でもこの手紙、私だけがこの手紙の内容を読める。これを読んで、どうしても原爆を落としたことが「正解だった」とは言えない…」的なことを言ったと思う。もっと何か言ったかもしれないが覚えていない。頭がぐわんぐわんしてた。涙がじわりと出てきた。
やってしまった、と思った。泣くな、泣くな!!!これ以上奴らに恥を見せるな!と言い聞かせたけど涙が何故か止まらなかった。これでまた理屈責めを受けるんだろうと目を瞑った。そしたら隣の席の人がいきなり「私の意見を前言撤回します!」と言い出した。
「私もさっきまではアメリカがしたことが正解だと思っていましたが、今のリサを見てみて相手の立場の目線にも立つべきだと思います!」と言ってくれた。驚いた。え?とびっくりしていると周りもどんどん「同じくです!訂正します。」「そもそもこの教科書の内容は一方的すぎでは?」「他に違う方法があ
ったんじゃないでしょうか?」「異議あり」とディベートが再熱し始めた。私は何も言えなかったのに、その言えない思いを汲み取ってくれた当時13歳ぐらいのアメリカ人の同級生達。さすが自立性を重んじる学校だなぁすごいなぁ…と放心した。その議論の内容は覚えていない。頭がずっとあつかった。
涙も収まった頃に先生「辛いことをさせてごめんなさい。でも先生も着眼点を変えるわ。気づかせてくれて有難う。」とハグされた。その時はぁ?と思ったが(ひねくれキッズだったので)その後、先生がこの授業でこのディベートをする度に私の話をするらしい。嬉しいような複雑のような。
当時(中学生にこんな重い質問すんなよ!!)と思っていたが、今思うと大事なことだったなとしみじみ思う。次世代に希望が持てた瞬間だった。このことに関していつも漫画にまとめようとするけど上手くいかないので文字にしました。こういう経験があったよという話です。
ちなみにうろ覚えですが手紙(おそらく青年?)には震えた文字で燃え上がった街の情景と絶望の気持ちと「あつい。あついよ。お母さん。」的なものが書いてありました。亡くなられる前か火傷をした後に書いたものだと思われます。文字の内容ではなく読んだ時の感情しか覚えてないです。すいません…
母校について。私が通っていたのは芸術学校(&進学校)で、何より生徒の個性、自立性、柔軟性に重心を置いていてテストよりディベートとプレゼンが多いような所でした。LGBTQフレンドリーで政治にも熱い生徒たちも多く、先生達も中見も外見も柔らかい人達だらけでした。誇りに思います。先生達元気かな。
@lisakogawa_ 『私もさっきまではアメリカがしたことが正解だと思っていましたが、今のリサを見てみて相手の立場の目線にも立つべきだと思います!』このクラスメイトはすごく良いことを言ってくれましたね。良いお話でした。
@lisakogawa_ はじめまして
先日、小手毬るいさんの「ある晴れた夏の朝」を読みました
アメリカの高校生が原爆の是非についてディベートする小説なのですが、リサさんの想いとリンクするような内容だったのでビックリしました
すごく考えさせられるツイート、ありがとうございます😊