◆以前から人気を誇るTwitterのハッシュタグ『#文豪の逸話下さい下さい是非下さい』
アノ有名な文豪たちの"エキセントリック"なエピソードが集まってます。
数多くある投稿の中から、思わず「えっ…?」ってなるインパクトの強いモノを紹介します。
#文豪の逸話下さい下さい是非下さい
このタグ読んでたら、素晴らしい作品を生む人間が必ずしも素晴らしい人間である必要はないんだなって安心する
◆まずは、日本の文豪から…
【夏目漱石】(1867~1916)
小説家・英文学者。江戸の生まれ。本名、金之助。英国留学後、教職を辞して朝日新聞の専属作家となった。自然主義に対立し、心理的手法で近代人の孤独やエゴイズムを追求、晩年は「則天去私」の境地を求めた。日本近代文学の代表的作家。小説「吾輩(わがはい)は猫である」「坊っちゃん」「三四郎」「それから」「行人」「こころ」「道草」「明暗」など。
夏目漱石は執筆中に、暇を見つけては鼻毛を抜いて原稿用紙の端っこに並べて遊んでいた。
#文豪の逸話下さい下さい是非下さい
夏目漱石の「こころ」に出てくるKという名前はモデルの誰かのイニシャルではなく、KnowなどのKを発音しないことから「存在しない」という意味でつけた #文豪の逸話下さい下さい是非下さい
夏目漱石は英語、漢文、日本の古典、に通暁するインテリでしたが、自然科学方面は、まるっきり無知で、お米はリンゴと同じように「木に(果物のように)なる」ものだと思っていました。 #文豪の逸話下さい下さい是非下さい
【芥川龍之介】(1892~1927)
小説家。東京の生まれ。第三次・第四次「新思潮」同人。大正5年(1916)「鼻」で夏目漱石に認められて作家として登場。新技巧派の代表作家とされる。昭和2年(1927)自殺。命日は河童忌という。作「羅生門」「地獄変」「河童」「侏儒(しゅじゅ)の言葉」「歯車」「或阿呆の一生」など。
関東大震災で家族置いて真っ先に逃げた芥川龍之介 #文豪の逸話下さい下さい是非下さい 奥さんに後で死ぬ程怒られたそうな
【宮沢賢治】(1896~1933)
詩人・童話作家。岩手県生まれ。盛岡高等農林卒。花巻で農業指導者として活躍のかたわら創作。自然と農民生活で育まれた独特の宇宙的感覚や宗教的心情にみちた詩と童話を残した。生涯、法華経を敬信。童話「銀河鉄道の夜」「風の又三郎」、詩集「春と修羅」など。
宮沢賢治は童貞のまま死んだが、春画を収集愛蔵していた。有名な話だろう。 #文豪の逸話下さい下さい是非下さい
宮沢賢治はベジタリアンになろうとしたが誘惑に負けて駄目でした(´・_・`)という内容の手紙を知人に出している #文豪の逸話下さい下さい是非下さい
宮沢賢治は溺愛していた妹が幽霊になって枕元に立ってたという話を学校で話してドン引きされた #文豪の逸話下さい下さい是非下さい
【森鴎外】(1862~1922)
小説家・評論家・翻訳家・軍医。島根の生まれ。本名、林太郎。別号、観潮楼主人など。陸軍軍医としてドイツに留学。軍医として昇進する一方、翻訳・評論・創作・文芸誌刊行などの多彩な文学活動を展開。晩年、帝室博物館長。翻訳「於母影(おもかげ)」「即興詩人」「ファウスト」、小説「舞姫」「青年」「雁」「阿部一族」「高瀬舟」「渋江抽斎」。
文豪として有名な森林太郎(鴎外)には軍人生活がさぞかし肌に合わなかったと思われるだろうが、実は出世欲の塊で、出世コースから外れて小倉に左遷されたことを滅茶苦茶恨んでいた #文豪の逸話下さい下さい是非下さい
【石川啄木】(1886-1912)
歌人・詩人。岩手県生まれ。本名、一はじめ。与謝野鉄幹の知遇を得て明星派の詩人として出発。貧困と孤独にさいなまれながら明治末の「時代閉塞」に鋭く感応し、社会主義的傾向へ進むが、肺結核で夭折ようせつ。歌集「一握の砂」「悲しき玩具」、詩集「呼子と口笛」、評論「時代閉塞の現状」など。
石川啄木は他人から借りた金で豪遊し金がなければツケ、本代もツケ、ほとんど踏み倒し、そのくせ母親が無心したら『絶望してしまいたい』などと全力で嘆いてみせるキングオブクズだった。 #文豪の逸話下さい下さい是非下さい
石川啄木は「働けど働けど」とか言ってるくせに全然働かなくて、金田一京介のポケットからよく金盗んでた。生活に困って森鴎外先生に頼み込んで原稿を買ってもらって、その足で遊郭に行ったりしてた。 #文豪の逸話下さい下さい是非下さい
【川端康成】(1899~1972)
小説家。大阪市生まれ。東大卒。横光利一らと「文芸時代」を創刊、新感覚派の代表作家として活躍。以後、日本的美意識を追求し続け、1968年(昭和43)ノーベル文学賞を受賞。自殺。作「伊豆の踊子」「雪国」「千羽鶴」「山の音」「みづうみ」など。
川端康成は極端な緘黙で、誰か友人(著名人だったかも知れない、失念)がたずねてきたとき2時間一言も喋らず、相手が気詰まりでもう帰ろうとしたら「まだいいじゃないか」と言った。 #文豪の逸話下さい下さい是非下さい
川端康成の神戸の講演会で曰く「私は講演なんか嫌いだ。だがここに連れて来られた。顔だけでも見せてくれと言うから顔だけ見せます。ここに一時間いるからよく見てくれ」で、ほんとに演壇に一時間無言で居続けた…… #文豪の逸話下さい下さい是非下さい
【太宰治】(1909~1948)
小説家。青森県生まれ。本名、津島修治。自虐的かつ道化的精神と絶妙の語りで人間の偽善を告発する作品を次々に発表。戦後は無頼派文学の旗手として活躍した。玉川上水で入水死。代表作「桜桃」「斜陽」「人間失格」など。
走れメロスは太宰治の実体験を元にした作品だが、友人を人質に単身で熱海から東京まで戻ったのは熱海旅行での交遊費、宿泊費を支払うためであり、更に言えば、太宰は熱海へは戻らなかった。 #文豪の逸話下さい下さい是非下さい
太宰治は芥川賞がどうしても欲しかったから選考委員会に媚を売りまくった。しかし選考委員の川端康成が『太宰は人間として欠陥がある』との理由で待ったをかけた 。怒った太宰は川端に『小鳥と歌い、舞踏を踊るのがそんなに高尚か。刺す』との手紙を送った。
#文豪の逸話下さい下さい是非下さい
【中原中也】(1907~1937)
詩人。 1933年東京外国語学校専修科卒業。長谷川泰子をめぐる小林秀雄との確執など奔放な青春を過し,ダダを経てフランス象徴派へ傾倒した。特にランボー,ベルレーヌの影響を強く受け,29年『白痴群』の同人に参加,『朝の歌』 (1926) など,虚無と倦怠に満ちた生の諸相をうたう詩篇を残した。
逢う度にいじめられ、その存在自体を憎まれ続けた太宰治は、ドコにいても中原中也の気配がするや否や一目散に逃げ出したと云う。
中原を尊敬していた太宰にとって、その言動は耐えられなかった様だ。
#文豪の逸話下さい下さい是非下さい
【檀一雄】(1912-1976)
小説家。山梨県生まれ。東大卒。佐藤春夫に師事。私生活の体験を清冽な魂の記録として描き、浪漫的な放浪精神を発揮して最後の無頼派と称された。代表作「花筐」「リツ子・その愛」「リツ子・その死」「火宅の人」
友達に聞いたんだけど、檀一雄先生という作家さんは太宰治先生をボコボコにして泣かせた中原中也先生を一本背負にして泣かせたらしい。
#文豪の逸話下さい下さい是非下さい
【坂口安吾】(1906~1955)
小説家。新潟の生まれ。本名、炳五(へいご)。情痴・荒廃の世界を戯画的な手法で表現し、大胆な文明批評で戦後文学の代表者の一人となった。評論「日本文化私観」「堕落論」、小説「風博士」「白痴」など。
#文豪の逸話下さい下さい是非下さい
坂口安吾は親友の檀一雄の家に転がり込んでた時、睡眠薬を山ほど飲んでカレーライスを100人前注文する暴挙に出た。
【斎藤茂吉】(1882-1953)
歌人。山形県生まれ。東大医学部卒。正岡子規に傾倒、伊藤左千夫に師事。「アララギ」の中心的な同人。生の感動を表出した歌集「赤光」や「あらたま」によって文壇を瞠目どうもくさせた。他に歌集「ともしび」「白き山」、歌論集「童馬漫語」、評論「柿本人麿」など。
斎藤茂吉は、別の人と結婚して人妻になった元恋人に「旦那とキスした日時を教えろ」と迫った。#文豪の逸話下さい下さい是非下さい
斎藤茂吉は「極楽」と名付けたバケツを尿瓶代わりに愛用していた。中が空の時は野菜を入れるのに使ったりもしていた。このバケツは山形県上山市の斎藤茂吉記念館で見られる。 #文豪の逸話下さい下さい是非下さい
【島崎藤村】(1872~1943)
詩人・小説家。岐阜県(旧長野県馬籠)生まれ。本名、春樹。明治学院卒。北村透谷らと「文学界」を創刊。「若菜集」により浪漫主義詩人としての名声を博したが、のち小説に移り自然主義の代表的作家となった。小説「破戒」「春」「家」「新生」「夜明け前」など。
島崎藤村は、臨終の床についている田山花袋に「これから死ぬってどんな感じ?どんな気分?」とずっと聞いていた。#文豪の逸話下さい下さい是非下さい
島崎藤村は、なかなか原稿が進まないとき、「何も仕事をしていないのだから、豪華な食事を食べる資格はない。粗末な食事にしてくれ」と妻に言った。そこで翌日、妻が質素な食事を出すと、それをじっと見て「私は藤村だよ。それを忘れないでくれ」 #文豪の逸話下さい下さい是非下さい
【志賀直哉】(1883-1971)
小説家。宮城県生れ。東大国文科中退。祖父直道の影響下に育った。1900年から約7年内村鑑三門下であったが,霊肉の相克に悩みキリスト教を離れた。1910年学習院時代からの友人武者小路実篤らと《白樺》を創刊,《網走まで》を発表。
志賀直哉は若い頃自転車にはまり、ウィリーできるようにギアの改造までしていた。その自転車に乗っていたときに公道レースを挑まれたが改造車では勝ち目がないので、相手に自転車ごとタックルをして落車させて逃げた。 #文豪の逸話下さい下さい是非下さい
【江戸川乱歩】(1894-1965)
大正-昭和時代の推理作家。
明治27年10月21日生まれ。大正12年「二銭銅貨」でデビュー。本格的トリック,奇抜な着想,幻想怪奇趣味などにより代表作「人間椅子」「陰獣」をかく。ほかに「怪人二十面相」など作品多数。戦後は評論集「幻影城」を刊行,江戸川乱歩賞を創設した。昭和40年7月28日死去。70歳。三重県出身。早大卒。本名は平井太郎。
江戸川乱歩は、西洋にはピアノを弾きながら小説の構想を練る作家がいると聞いて、自分は三味線でやろうと稽古を始めたが、そっちは上達したものの結局原稿は書かなかった。 #文豪の逸話下さい下さい是非下さい
村上冷森 murakami reishin ☯️@cruel_queen
星も筒井も、才能を発掘してくれたのは江戸川乱歩である。ある晩、SF連中の星新一とか筒井康隆とかが集まって、やると不幸なことが起こるという、とある不吉な遊びを、興味本位でやってみた。そして次の日、見事に江戸川乱歩は死んだ。こんな話、誰もしないよ。 #文豪の逸話下さい下さい是非下さい
【三島由紀夫】(1925~1970)
小説家・劇作家。東京生まれ。本名、平岡公威きみたけ。東大卒。絶対者の希求、美的死生観、様式美への憧憬を昇華させて唯美的世界を構築。その傾向はしだいにナショナリズム的色彩を強めた。割腹自殺。著「仮面の告白」「潮騒」「金閣寺」「鹿鳴館」「憂国」「豊饒の海」など。
文芸誌のインタビューの撮影前、カメラマンに「脱がないで下さい」と釘を刺された三島由紀夫。 #文豪の逸話下さい下さい是非下さい
#文豪の逸話下さい下さい是非下さい
三島由紀夫は蟹が嫌いだったらしい。鍋はおろか『蟹』という字すら嫌悪したという。
昭和45年2月、三島由紀夫宅に一人の高校生が訪ねてきて門前で3時間もねばったので、仕方がなく5分だけ出てやり「時間がないから一つだけ何でも訊きたいことを言いなさい」と言ったら、しばらく沈黙した後じっと三島の目を見て「先生、いつ死ぬんですか」 #文豪の逸話下さい下さい是非下さい
【遠藤周作】(1923~1996)
小説家。東京の生まれ。「第三の新人」の一人。「白い人」で芥川賞受賞。日本人の罪の観念やキリスト教を主題とした「海と毒薬」「沈黙」などの作品があるほか、軽妙なエッセー「狐狸庵(こりあん)」シリーズでも知られる。他に「侍」「深い河」など。芸術院会員。平成7年(1995)文化勲章受章。
遠藤周作、留学先のフランス・リヨンで出来た悪友と共に「橋の下を通る人に水をかける遊び」をして日本に逃げ帰る #文豪の逸話下さい下さい是非下さい
遠藤周作はイタズラ好きだった。
自宅にウォシュレットを設置した際、最高温度の設定をし、長男を座らせた。
また或る時は、対談相手と別れ際にまたお話しましょうと、東京ガスの電話番号を渡した事もある。
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【司馬遼太郎】(1923~1996)
小説家。大阪生まれ。大阪外国語学校卒。新聞記者を経て、「梟の城」で直木賞受賞。戦国時代や幕末明治の変革期の人間を、綿密な資料に基づく独自な歴史解釈で描く。著「竜馬がゆく」「国盗り物語」「翔ぶが如く」「空海の風景」「韃靼疾風録」など。
司馬遼太郎は何を思ってしまったのか「森の美少年」という小説を執筆してしまったことがありファンの間ですら甘酸っぱい #文豪の逸話下さい下さい是非下さい
司馬遼太郎と野村克也は同じマンションに住んでいた時期があり、互いに顔をあわせる事も度々あったが相手がそんな大人物とは最後まで気付かなかった。 #文豪の逸話下さい下さい是非下さい
【大江健三郎】(1935~)
小説家。愛媛の生まれ。東大在学中に「飼育」で芥川賞受賞。新しい文学の旗手として認められる。豊かな想像力と独特の文体による、現代に深く根ざした作品を発表。平成6年(1994)ノーベル文学賞受賞。小説「個人的な体験」「万延元年のフットボール」のほか、「ヒロシマ・ノート」など。
『性的人間』を出版した頃、「キャバレー 性的人間」という店を見つけて、思わずそこで飲んでしまった大江健三郎先生。 #文豪の逸話下さい下さい是非下さい
#文豪の逸話下さい下さい是非下さい 大江健三郎は20代の頃に、担当の編集者に「先月の原稿料まだですか?」とたずね、編集者が「こないだ小切手渡しでしょ?」と答えると、「これですか?」とズボンのポケットからしわくちゃの小切手を出した。
【野坂昭如】(1930~2015)
小説家。神奈川の生まれ。コント作家、CMソング作詞家を経て本格的執筆活動に入る。自らを「焼け跡闇市派」と呼び、戯作風の饒舌体(じょうぜつたい)で戦争の悲惨さや人間の内面を描く。「アメリカひじき」「火垂(ほた)るの墓」で直木賞受賞。他に「エロ事師たち」「同心円」など。
【村上春樹】(1949~)
小説家。京都の生まれ。処女小説「風の歌を聴け」でデビュー。「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」で谷崎潤一郎賞受賞。「ノルウェイの森」は空前のベストセラーとなる。他に「羊をめぐる冒険」「ねじまき鳥クロニクル」「海辺のカフカ」など。平成18年(2006)フランツ‐カフカ賞、フランク‐オコナー国際短編賞を受賞するなど、海外でも高い評価を受けている。
村上春樹は名前繋がりで新潟県にある村上市にときどき来る。地酒の"〆張鶴"がお気に入り。 #文豪の逸話下さい下さい是非下さい
村上春樹さんがコロッケをとてもたくさん作って冷凍したら、冷蔵庫が急に壊れてしまって、ひたすらたくさんのコロッケを揚げて食べるはめになった #文豪の逸話下さい下さい是非下さい
◆海外の文豪の話もどうぞ…
【ゲーテ】(1749~1832)
ドイツの詩人・作家。「若きウェルテルの悩み」などで、シュトゥルム-ウント-ドラング(疾風怒濤どとう)運動の旗手として活躍。10年間、ワイマール公国で政務を担当。のちイタリア旅行の体験などを通じて、シラーとともにドイツ古典主義を完成。また、自然科学の領域でも業績をあげた。
ゲーテは、70歳を過ぎてから、10代の娘に、本気でプロポーズしたことがあります。 #文豪の逸話下さい下さい是非下さい
【トルストイ】(1817~1875)
ロシアの詩人・小説家・劇作家。ロシア象徴派の祖と目され、叙情詩のほかに、多彩なジャンルで活躍した。歴史小説「白銀公爵」、史劇「皇帝フョードル=イワノビチ」「皇帝ボリス」など。
【カフカ】(1883~1924)
プラハ生まれの小説家。ドイツ語で作品を書いた。実存主義文学の先駆者。人間存在の不条理を、異常な事件にからませて写実的文体で描いた。作「変身」「審判」「城」など。
『変身』を書いたフランツ・カフカは保険会社の社員をしてたが、工事現場に頻繁に出入りする際「上からモノが落ちてきたらどうしよう」と心配し、軍用のヘルメットをかぶって現場を視察した。その習慣が現場の作業員にも広がったのでカフカは安全ヘルメットの父。 #文豪の逸話下さい下さい是非下さい
【アガサ・クリスティ】(1890~1976)
イギリスの女流推理作家。ベルギー人名探偵ポアロの活躍する「アクロイド殺し」で作家としての地歩を確立。すぐれた性格描写で知られ、ミステリーの女王と称された。他に「そして誰もいなくなった」「オリエント急行の殺人」など。
夫の浮気の末に泥沼離婚をしたアガサ・クリスティは後に考古学者と再婚。大体こんな意味の発言を後に残している。「考古学者を夫にするといいことは、妻が歳を取るほど相手は興味を持ってくれる」 #文豪の逸話下さい下さい是非下さい
【ヘミングウェイ】(1899~1961)
米国の小説家。「ロストジェネレーション(失われた世代)」の代表作家で、死と隣り合わせの現実に敢然と立ち向かう人間の姿を描く。1954年ノーベル文学賞受賞。作「日はまた昇る」「武器よさらば」「誰がために鐘は鳴る」「老人と海」など。
ヘミングウェイは幼少期、一歳上の姉の「双子の妹」という設定で、男の娘として育てられた。 #文豪の逸話下さい下さい是非下さい
ヘミングウェイが講演のためシカゴ行きの飛行機に乗ろうとしたが、ある上院議員が「国事の急用だ」と彼の予約席を横取り。結局講演はキャンセル。実は上院議員は国事の急用と称してヘミングウェイの講演を聞きに行く所だった。 #文豪の逸話下さい下さい是非下さい