1.【毎朝、鏡の中の自分に語りかける】
実践者:スティーブ・ジョブズ (元アップル社CEO)
スティーブ・ジョブズ Steve Jobs
アップル社創設者の1人であり、ピクサー・アニメーション・スタジオの創設者。元アップル(Apple)社CEO。1955年2月24日生まれ、2011年10月5日没。
略歴
1976年、アップルコンピュータを設立。1981年に解任され、1985年に退社。同年NeXTを設立し、1986年にピクサー(Pixar)CEOに就任。iPod、iTunes、Mac OS X、iPhone、MacBook Air、iPadなどの製品をヒットさせた。
Apple社の創業者で絶大的なカリスマ性を持ち、世の中に数多くの革新的な製品を送り出した故スティーブ・ジョブズの朝の習慣。
毎朝鏡の前に立ち、自分自身に「もし今日死ぬとしたら、今日やろうとしていることは本当に自分がやりたいことだろうか」と問いかけていたとか。
「いや、違う」という答えが何日も続いたときは、何かを変えなくてはならないというサインだと考えていたという。
2.【同じTシャツ20枚をずっと着まわす】
実践者:マーク・ザッカーバーグ (FacebookのCEO)
マーク・ザッカーバーグ Mark Elliot Zuckerberg
1984年5月14日(30歳)
国籍:アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身校:ハーバード大学工学部 計算機科学専攻 中退
ハーバード大学在籍中にソーシャル・ネットワーキング・サービスサイト、「Facebook」を開設した。開設に際しては、同大学計算機科学部生のアンドリュー・マッコラム、ルームメイトだったダスティン・モスコヴィッツやクリス・ヒューズなど、他のハーバード大学の学生が協力した。現在、ザッカーバーグはFacebookのCEOに就いている。2010年のTime誌「Person Of The Year」に選ばれた。
常にグレーのTシャツでメディアに出演することについて、ザッカーバーグ氏は「20枚くらい同じものを持っており、着回している」と答えた。
出典:同じTシャツばかり着るFBのCEO (2012年10月4日掲載) - ライブドアニュース
洋服の収納も殆どが妻プリシラ・チャン氏に使われ、「自分の収納空間はあまりない」とも述べたという。
ザッカーバーグ氏は普段、グレーのTシャツや黒のトレーナーを着ており、過去には、全く同じTシャツを20枚も持っていることも明かしている。そのため、2011年には男性誌GQによる「シリコンバレーのワースト・ドレッサー15人」の一人にも選ばれた。
新しいことを考える為に、服装に時間をとられるのは無駄でしかない。
出典:http://www.excite.co.jp/News/it_g/20121013/Socialapplinavi_Page_12486.html
スティーブ・ジョブズも10年間同じような服を着続けたのはあまりに有名。
「くだらないことや、うわついたことに時間を使うと、自分の仕事をしていない気がする。私はFacebookを良くすることに全ての時間を使いたい」と述べた。
3.【何もない山荘に1週間こもり読書する】
実践者:ビル・ゲイツ (マイクロソフトの創業者)
ビル・ゲイツ Bill Gates
マイクロソフトの立役者。本名はウィリアム・ヘンリー・ゲイツ3世(William Henry Gates III)。
1955年10月28日生まれ、ワシントン州シアトル出身。ビル&メリンダ・ゲイツ財団共同会長。
2014年版の米国の長者番付で、米マイクロソフト(MS)創業者のビル・ゲイツ氏が21 年連続でのトップ。
ビル・ゲイツは何もない山荘に1週間こもり読書をする習慣があった。
場所はアメリカのどこかにある山荘らしいのですが、その場所は家族も知らないとのこと。
出典:ビル・ゲイツの「シンクウィーク」: チャーニーのお気楽日記
外界といっさいの連絡を絶ち、食事と睡眠以外のすべてを「本」に費やす1週間。
これは「ビル・ゲイツのシンクウィーク」とか「思考習慣」と呼ばれ、「世界を変えるようなマイクロソフト社の決断やアイデアはこの期間に生み出される事が多い」と言われている。
4.【心ときめく椅子にしか座らない】
実践者:ダグラス・マッカーサー (アメリカ陸軍元帥)
ダグラス・マッカーサー Douglas A. MacArthur
1880年~1964年。アメリカ陸軍軍人(最終階級は陸軍元帥)。GHQ最高司令官として、戦後日本にも様々な影響を与えた人物。
太平洋戦争中は、極東軍司令官として日本攻撃の責任者。一度は日本に奪われたフィリピンを奪回した。そして、日本の敗戦と共に、日本に対する占領政策を遂行する権限を手にすることになった。
アメリカ陸軍元帥であったマッカーサーは徹底的に椅子にこだわり、お気に入りの椅子以外には座らなかった。
5.【風呂に入らず、歯も磨かない】
実践者:毛沢東 (中華人民共和国初代国家主席)
毛沢東
中国の政治家、思想家、戦略家。(1893-1976)
文化大革命を発動、多数の国民を虐殺したほか「大躍進」などの無謀な農業・工業政策を強制し、その失敗によって広範な飢饉と餓死者を発生させた。核武装推進論者でもある。それ故、右翼系と揶揄するものは少なくない。
彼は一度も歯を磨かず、風呂にも入らなかった。
その代わり、葉っぱを歯磨きの代わりに噛み、彼の内妻が濡れたタオルで彼の体を拭いていました。
出典:実はこんなに不潔だった歴史上の偉人・有名人12人:らばQ
医師が歯ブラシを渡すと、「虎だって歯磨きをしない」と言って拒否したそう。
6.【毎日トイレ掃除する】
実践者:ビートたけし (コメディアン・映画監督)
ビートたけし (北野武)
コメディアン。同時に、世界的にも知られた映画監督「北野武」でもある。コント集団「たけし軍団」を率いる。
生年月日:1947年1月18日
出身地:東京都足立区島根
血液型:O型
身長:168cm
最終学歴:明治大学工学部(現:理工学部)機械工学科卒業
事務所:オフィス北野
淑徳大学教授の北野大は兄。松田井子(北野井子)は娘で、北野篤は息子。
若いころに師匠に「トイレを綺麗に掃除しろ」と言われてから30年以上ずっとトイレ掃除をやり続けてきた。
彼は、自宅のトイレのみならず、ロケ先で行ったトイレ、公衆便所、ありとあらゆるトイレに入り、掃除しまくった。
ご本人曰く、「自分は人より才能があるとは思えない。なぜなんだろう? たったひとつだけ思い当たるのは、自分は他人と違ってトイレ掃除が好きなこと。」とのこと。
7.【パラパラめくっているように見えるスピードで読書する】
実践者:手塚治虫 (漫画家)
手塚 治虫 (てづか おさむ)
マンガ家。アニメーション作家。(1928-1989)
戦後日本マンガ史上最大の作家。ストーリーマンガを確立し、数々のヒット作で知られる。初の本格TVアニメシリーズ「鉄腕アトム」を製作。
略歴
1928年(昭和3年)11月3日 大阪府豊中市岡町生まれ。当時の明治節(明治天皇の誕生日)だったため、「治」と名付けられる。大阪府立池田師範付属小学校、北野中学、大阪大学付属医学専門部卒業。医学博士。
小さい頃から読書が大好きだった手塚治虫。速く本を読む術を持っていた。学校で友達や先生に借りた本を通学の間だけで読み切るほどで、周りの人間はただ「パラパラめくっている」ように見えるスピードだった。
出典:手塚治虫が作った伝説
500ページ程度の本を20分前後で読破した。
内容など頭に入っていないだろうと質問してみると、全てしっかり理解していたという。
8.【どんな相手も恋愛対象だと思って話す】
実践者:盛田昭夫 (ソニー創業者)
盛田昭夫
ソニー創業者の一人(1921年1月26日 - 1999年10月3日)
愛知県常滑市出身。大阪帝国大学(現・大阪大学)理学部物理学科卒。
1999年10月3日午前10時25分に肺炎のため東京都港区の東京都済生会中央病院で死去。78歳。
「初めての人と会って30分話すだけで、相手に"もう一度会いたい"と思わせる話術をもっていた」といわれる盛田氏。
ソニーを世界的企業へと育て上げた盛田氏がコミュニケーションの際に意識していたこと、それが「相手を恋愛対象だと思い、口説くつもりで話をする」ということ。
医科学的根拠として、この行動を取ることで「瞳孔が大きくなる」ことが分かっています。人は好きなものを見ると瞳孔が大きくなります。さらに、会話をする際、無意識のうちに相手の瞳孔の大きさによって、自分が好かれているかどうかを判断している、という研究結果がシカゴ大学の博士によって発表されています。
9.【耳の裏を丹念に洗う】
実践者:藤田田 (日本マクドナルドの創業者)
藤田田(ふじたでん)
藤田 田(ふじた でん、1926年(大正15年)3月13日 - 2004年(平成16年)4月21日)は、日本の実業家。大阪府大阪市東淀川区(現・淀川区)生まれ。輸入雑貨販売店「藤田商店」、「日本マクドナルド」、「日本トイザらス」創業者。
藤田氏は毎日、耳の裏を丹念に洗い清潔にすることを習慣としていた。
「耳の裏にはビジネスのツボがあり、清潔にすることで金儲けのセンスが磨かれる」と確信していたそう。
実はこれ、ユダヤ人が5千年もの間、密かに実践し続けてきた習慣だといいます。ユダヤ人の中にはアインシュタインやピカソなど、多くの世界的な偉人がいますが、彼らは「耳の裏からエネルギーが出入りする」と考えていた。
10.【爪を磨く】
実践者:黒沢明 (映画監督)
黒沢明
映画監督、脚本家。「世界のクロサワ」とも呼ばれる巨匠。
略歴
1910年(明治43年)3月23日、現在の東京都品川区に生まれる。1936年(昭和11年)PCL映画製作所(現・東宝)に入社、山本嘉次郎監督に師事する。1943年(昭和18年)「姿三四郎」で監督デビュー。1998年(平成10年)9月6日午後0時45分、東京都世田谷区成城の自宅で死去。享年88歳。数々の映画賞を始め映画界初の文化勲章、1990年第62回アカデミー賞特別名誉賞など、受賞多数。
休日になるたび、黒沢監督は爪をせっせと磨いていた。
あるシーンの撮影前、10分間じっと現場を眺めていた黒沢監督が、誰も目に止めなかった小石を「10㎝横にずらせ」と指示したという逸話が残されていますが、男性だからこそ爪をキレイにすることで、小石ほどの細かいことにも気がつく能力が養われるのかもしれません。