元巨人監督の川上哲治(かわかみ・てつはる)氏が東京都稲城市内の病院で老衰のため28日に亡くなっていたことが30日、分かった。93歳だった。
出典:http://sankei.jp.msn.com/sports/news/131030/bbl13103015580004-n1.htm
川上哲治
不動の四番打者として活躍、赤バットを使いプロ野球ファンをわかせた。
打撃の神様
現役引退後は巨人の監督に就任し、王貞治さん、長嶋茂雄さんが中心のチームを率いて、昭和40年から日本シリーズ9連覇の偉業を達成するなど、監督生活14年間で11回チームを日本一に導きました。
出典:http://www3.nhk.or.jp/news/html/20131030/t10015679061000.html
日本シリーズ9連覇
◎1968年ドラフト 〈星野仙一 運命の分かれ目〉
星野仙一
◎星野は巨人に入団するはずだった。。。
ドラフトに際しては、巨人との間に「田淵幸一を1位指名できなかった場合に外れ1位として指名する」という約束が事前にあった。しかし、巨人は高校生投手の島野修を1位指名。それを知った星野は「ホシとシマの間違いじゃないか」と言ったという。
◎これが星野野球の原動力となる
この出来事が、現役時代から指導者時代に至るまで一貫する打倒巨人のスタンスを形成させたといわれる。通算成績でも、長嶋茂雄・王貞治らが活躍したV9時代を含む巨人を相手に、35勝31敗と勝ち越しを記録。巨人キラーとしてその名を轟かせた。
あの日以来、彼は巨人を倒すことに命を懸けてきたし、川上氏はそんな宿敵の象徴的存在だったのです。
出典:島村俊治(アラカルト)
◎川上監督は裏切ったわけではなかった。。。
なお巨人が星野のドラフト1位指名を回避した理由は、星野が肩を壊しているという情報を入手したためであった(実際に肩を痛めたことがあったという)。そのことを現役引退後に川上哲治(当時の巨人監督)から告げられ、それ以降は巨人に対するわだかまりが消えたと自著に記している。
◎星野、NHKの解説者になる 〈川上との出会い〉
現役引退後のNHK解説者時代に川上氏と仕事をともにし、多くのことを学んだという。
出典:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131030-00000030-nksports-base
解説者として83年からNHKで一緒になった。運転手を務めた車内で野球談議に花が咲いた。「川上さん、ONがいて、あの投手陣。楽だったでしょう?」。答えは「君が率いても3連覇、4連覇は出来ただろう。でも、9連覇は僕しかいない!」。自信たっぷりの言葉から「川上さんはONをけんかさせなかった」と、チームの和の大切さを知った。
出会ってすぐに星野さんは川上しに心酔し、その勧めに従い、禅寺に座禅を組みにいくようにもなっていきました。
出典:島村俊治(アラカルト)
◎岐阜県美濃加茂市 臨済宗妙心寺派正眼寺
臨済宗妙心寺派正眼寺
プロ野球元監督・川上哲治(てつはる)さん や星野仙一さんも、この正眼寺で自分を磨きました。
出典:本当の自信を得るために
星野「(川上さんが参禅していた)岐阜の正眼寺にも行ったよ。『なんでこんな寒いところに』と思ったけど。俺らの時代はそういう時代だったから。」
出典:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131030-00000577-san-base
◎背番号「77」の由来
川上監督の手腕に憧れて、自分が中日の監督になった時に背番号を“7 7”とした。
この番号は川上監督が現役時代の“16”から監督になった時に使った番号だ。
◎俺はこれしかつけない!!
中日の監督として初めて指揮を執った1987年、「俺はこれしかつけない」。川上氏が巨人監督時代に身につけた背番号「77」を迷わず選んだ。阪神監督(2002−03年)、そして楽天監督になっても変えなかった。
出典:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131031-00000034-sanspo-base
◎2003年 星野 阪神タイガースを優勝に導く
星野さんは川上氏から様々なことを学ぶのですが、その一つが「選手を評価する基準」でした。
それは、「自己をきちんと確立し、自分の考えで行動している者は、見てくれや言動がどうであろうと、全面的に信頼する」というものです。この考えこそが、星野阪神のチーム作りの基礎となりました。
出典:島村俊治(アラカルト)
2003年 阪神タイガース リーグ優勝
◎星野 楽天の監督へ
楽天 星野監督
星野監督は元巨人監督の川上哲治氏を超え、単独歴代10位となる1067勝目を飾った。
出典:http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2013/05/06/kiji/K20130506005749980.html
川上イズムを継承しつつ、全てを「参考にはできなかった」という。「川上さんのように勝負に徹すれば、もっと勝ち星を増やせた」という思いもある。時に「情」が出る。結果、負けても「後悔はない」。だから、通算年数では川上氏より1年あまり遅れたが、かえって誇らしい。
◎楽天イーグルス優勝 川上哲治からお祝いのことばを。。。
2013年 楽天イーグルス リーグ優勝
「星野監督、優勝おめでとう。三つの球団で優勝すること自体、大変なことだ。特に楽天では、中日や阪神の時のように戦力補強面で恵まれていたわけではない。さまざまな環境に合わせてやり方を変えていったことが優勝につながったのだろう。初の日本一に向けて、いま一度、気を引き締めてほしい」
出典:http://www.sanspo.com/baseball/news/20130926/gol13092622470008-n1.html
◎そして、2013年10月30日
(星野は)日本シリーズ第4戦(東京ドーム)の練習開始前に訃報に接した。
出典:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131030-00000030-nksports-base
◎日本シリーズ第4戦を前に、星野はこう語った
「生い立ちもあるのだろうけど、勝負に対して、すごく厳しい人だった。野球の知識だけじゃなく、三国志や韓非子などの本を読んだり、座禅を組んだり。我々の代でもできないようなことをされていた。野球に対する集中力はすごかった。それだけ、人生をかけていた」と話した。
出典:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131030-00000030-nksports-base
◎闘将は「77」を背に悲願の日本一を誓う!!
◎そして……2013年11月3日 背番号「77」は宙に舞った!
星野仙一監督は選手、監督を通じて初の日本シリーズ制覇。
楽天も初優勝、星野監督も初の日本一
星野監督 私のことはどうでもいいけれど…。9年目で日本一になった。本当に選手のおかげ。私の罵倒にも耐えたな、と。ファンも耐えてくださいよ。
◎巨人を倒しての日本一
星野監督 短期決戦で王者ジャイアンツをかろうじて1勝の差で勝ったけどジャイアンツより、我々の力は落ちる。でも、今年は選手がやっつけてくれた。本当にひたむきに頭を下げて、必死に食い下がって、最後の最後まで戦ってくれた。(ファンに向かって)選手に拍手を贈ってください。
◎日本一を報告したかったな……
星野監督は故川上哲治氏の「お別れの会」に参列し「川上さんの『自分の信念を貫け』という言葉は残っている。簡単なようでなかなか貫けない。日本一を報告したかったな」。帝王学を学んだ“オヤジ”との別れに目を潤ませた。
出典:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131203-00000018-tospoweb-base