松岡直也
1937年5月9日 - 2014年4月29日 神奈川県横浜市中区本牧生まれの日本のジャズ・ピアニスト、ラテンフュージョンミュージシャン、作曲家、編曲家である。
ピアニストで作曲家の松岡直也さんが29日午前10時22分、亡くなったことがわかった。松岡さんの公式サイトで発表された。
◎日本を代表するラテン・フュージョン音楽の第一人者
松岡さんは、神奈川県 横浜市本牧生まれ。昨年、音楽活動61周年を迎え、日本を代表するラテン・フュージョン音楽の第一人者。15歳でプロデビューし自己のバンドを率いてライブを中心に活動を開始する。
◎ラテン音楽の虜になりラテンバンドで活躍
ラテン音楽の虜になり、「キューバン・スペシオーサ」、「松岡直也ピアノ・トリオ」、「ラテン・スペシオーサ」、「松岡直也ラテン・ピアノ・トリオ」、「松岡直也ハバナ・ビーツ」(後に「松岡直也ハバナ・ビーツ・オーケストラ」に改名)などのラテンバンドで活躍する。
◎インストゥルメンタル界において驚異的な記録!
九月の風~通り過ぎた夏~ 松岡直也&WESING
1982年、音楽活動30周年を記念したアルバム『九月の風』を発表。オリコンチャート第2位、半年間30位以内にチャートインするなど、インストゥルメンタル・ミュージック界において驚異的な記録を作った。
1979年結成の「松岡直也&ウィシング」では、「九月の風」などのヒット作を出し、フュージョンブームの一翼を担った。
◎ラテン音楽を独学で習得
まったく独学でしたから、LPを聴いてコピーすること、それと当時のLPには、メレクンベ、タンゴ、ワラチャというようにリズム名が書いてあるLPがあったので、他のLPと聴き比べたりしても、非常に参考になりましたね。
◎歌謡曲との出会い…中森明菜への楽曲提供!
一度歌謡曲を作ってみたいと思っていた矢先に中森明菜の曲をどうかと依頼がありました。
出典:◆松岡直也60周年 「ミ・アモーレ」3段逆スライド活用 : SAMのLIFEキャンプブログ Doors , In & Out !
中森 明菜
1965年7月13日 - )は、日本の歌手、女優。
「スローモーション」でデビュー、「少女A」「セカンド・ラブ」「禁区」などのヒットでレコード・セールスはトップとなる。以降も「北ウイング」、「飾りじゃないのよ涙は」など連続してシングル・ヒットし、1985年の「ミ・アモーレ〔Meu amor é・・・〕」と1986年の「DESIRE -情熱-」で2年連続となる日本レコード大賞を受賞。
◎ラテン歌謡、中森明菜「ミ・アモーレ」の誕生
ミ・アモーレ
作詞/康珍化・作曲/松岡直也
松岡直也さんが日本に知れ渡ったのが1985年のレコード大賞受賞曲、中森明菜の大ヒット「ミ・アモーレ」の作曲者(レコード大賞作曲賞も受賞)としての存在です。
出典:◆松岡直也60周年 「ミ・アモーレ」3段逆スライド活用 : SAMのLIFEキャンプブログ Doors , In & Out !
◎『北ウイング』から続く旅情シリーズ、ラテンへ…
「『北ウイング』で始まった旅情シリーズが『SAND BEIGE -砂漠へ-』『AL-MAUJ』などのエスニック歌謡へと向かう分岐点となった作品でもある。」と指摘した
北ウイング
作詞/康珍化・作曲/林哲司
◎歌謡曲でも手を抜かなかった松岡直也
なんといっても演奏が本人以外のほぼ松岡直也グループで行われたいう歌謡曲には異例の布陣です。私の敬愛する和田アキラ氏もギターで参加。
出典:◆松岡直也60周年 「ミ・アモーレ」3段逆スライド活用 : SAMのLIFEキャンプブログ Doors , In & Out !
和田アキラ
日本のギタリスト。
松岡直也のビッグバンド、ウィシングに参加。この二人との出会いと共演は、その後の和田の活動に大きな影響を与える。フュージョンバンドのプリズムを中心に活動している。
◎4つの曲を作り、1番難しかった「ミ・アモーレ」
意気込んで4つの曲を作り、3曲は歌いやすさを考えて音域を1オクターブ=10度に抑えたもの、そして「まぁ採用されないだろうから、あとで自分のアルバムに収めればいい」と音域を13度とボーカリストには難しくしたのがこのミ・アモーレの原曲。
出典:◆松岡直也60周年 「ミ・アモーレ」3段逆スライド活用 : SAMのLIFEキャンプブログ Doors , In & Out !
◎最初に完成した詞は「赤い鳥逃げた」だった
元々は、松岡のメロディに対して最初に完成していた詞は「赤い鳥逃げた」だったが、内省的な詞がシングル曲としてはインパクトに欠けるということで新たに書き直した詞が、「ミ・アモーレ〔Meu amor é・・・〕」であった
◎書き直された歌詞が、サンバを意識した歌詞に…
元々松岡氏が提供した原曲がラテンの王道キューバンスタイル。ところがこの曲に乗った作詞家康珍化氏の詩がみなさんもご存知のように「誘い誘われてカ~ニバル」というようにブラジルになっていたのです(康珍化さんの中でのラテンはサンバ、と思っていたのでしょうね)。
出典:◆松岡直也60周年 「ミ・アモーレ」3段逆スライド活用 : SAMのLIFEキャンプブログ Doors , In & Out !
◎ラテン音楽とは…
・中米スペイン語圏(メキシコ、キューバ、プエルトリコ、ドミニカ、ベネズエラ、コロンビア、など)マリアッチ、ルンバ・マンボ・ソン・チャチャチャ、サルサ、レゲトン、メレンゲ、クンビア、などがこのエリアに由来する音楽になります。日本で最も一般的に「ラテン」という認識をされるのが、これらの音楽です。
◎ラテンとサンバの違いは…?
サンバとラテンでは使う楽器も違います。
サンバで使う太鼓は、パンデイロ、スルド、タンボリンなど。
ラテンで使う楽器は、コンガ、ボンゴ、ティンバレスなど。
◎マツケン・サンバでボンゴを叩いてはイケナイ!?
ですから、マツケン・サンバの「たたけボ〜〜ンゴ!」はホントはおかしい、ということになります。
マツケン・サンバ
◎歌詞の変更を直前に知った松岡は、急遽サンバ風に!!
これを全然知らなかった松岡氏が録音の直前に「だったらアレンジをブラジルにしなきゃおかしい」という強いこだわりで編曲を大幅に変更したという、当時の歌謡曲の製造過程の複雑さを垣間見るような事実があったわけです。
出典:◆松岡直也60周年 「ミ・アモーレ」3段逆スライド活用 : SAMのLIFEキャンプブログ Doors , In & Out !
◎「赤い鳥逃げた」の歌詞をラテンアレンジで!!
このままボツになろうとしていた時に発売当時ブームだった12インチシングルとリミックスをリリースしようという話となり、本曲の詞を採用したという
◎異名同曲ながら、「赤い鳥逃げた」もヒット!!
赤い鳥逃げた
作詞/康珍化・作曲/松岡直也
この楽曲は、オリコン週間シングルチャートでは1985年5月6日付で初登場12位を記録後、翌週の1985年5月13日付で最高順位1位を記録した
◎松岡直也のこだわりが生んだダブルヒット!!
若干ラテンアレンジされてる以外はいたっておとなしく、あのホイッスルの音すら入っていません。歌詞も良くできており、制作側は全く違う作品を別のアプローチで本気で作成した事がうかがわれます。落ち着いたドラムと澄んだパーカッションがとても良い気持ちにさせてくれます。
◎藤波辰巳にもテーマ曲を作曲!
藤波 辰爾(藤波 辰巳)
日本のプロレスラー。ニックネームは「ドラゴン」第77代NWA世界ヘビー級王者。
一方でプロレスラー・藤波辰巳(現・辰爾)の入退場テーマ曲を作曲するユニークな面も見せた
◎プロレステーマ曲にも手を抜かない!!
松岡センセイはじめ、和田アキラ(Guitar)、カルロス菅野(Timbales)、沢田浩史(Bass)という錚々たるメンバーとともに、「藤波辰巳:RAP」・・・と、はっきりクレジットされております!!
ROCK ME DRAGON
ローランドの名機「TR808」をはじめ、さまざまなコンピュータをフィーチャー。「エレクトロニック・ラテンフュージョンROCK」・・・とも言うべき、センセーショナルな作品になってるんだな。
◎2001年に病気が見つかった
公式サイトによると、病気が2001年に見つかり、長い間この病と付き合うこととなったとし、「本人にとっての日常生活はつらい日々だったと思いますが、ファンの方々やミュージシャンおよび関係スタッフ、家族に支えられながら大好きな音楽を続けてこれたことは、エネルギーをいっぱい頂き、充実した音楽ライフが過ごせたことでしょう」とコメント。
◎70歳を過ぎても精力的に活動
Sincerely 松岡直也
2005年にはニューアルバム『Sincerely』を発表し、ライヴ活動も盛んに行うなど、70歳を過ぎても精力的に活動を続けていた。
◎2012年に音楽活動60周年を迎えた後、今年3月末に体調が急変
2012年に音楽活動60周年を迎えられたことは自身にとっても奇跡あり、誇らしい輝きを手に出来たと思います。
◎サイトにて最後のメッセージ
「今まで沢山の声援、誠にありがとうございました。松岡直也サウンドはこれからもメロディを歌いリズムを鳴り響かせ続けます!」と綴っている。