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チューリップのギタリスト・安部俊幸さんインドで死去【Mr.335へ捧ぐ】

1970年代のニューミュージックの旗頭となったバンド、チューリップのギタリスト安部俊幸さんが7月7日、脳出血のため居住していたインドで亡くなった。64歳だった。

更新日:

◎チューリップの安部俊幸さん、インドで死去

1970年代のニューミュージックを開拓したバンドの一つ、チューリップのギタリスト、安部俊幸さんが7月7日、脳出血のため、居住していたインドで亡くなった。

出典:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140909-00000545-san-musi

◎ハーズメンに在籍していた安部俊幸さん

地元のテレビ局が開いた音楽イベントにハーズメンとして参加。舞台裏で安部が仲間一緒にいた時に財津とチューリップのメンバーが入ってきて、ハーズメンに向かって「あんたたちかっこいいね!ビートルズ好いとうと?」と声を掛けてくれたのが初めての出会いであった。

出典:安部俊幸 - Wikipedia

◎71年、財津和夫さんの誘いでチューリップへ

チューリップのメジャーデビューシングル「魔法の黄色い靴」

安部さんは1971年、リーダーの財津和夫(66)の誘いでバンドに参加し、翌年にデビュー。バンドは73年に発表した「心の旅」が大ヒットし、一躍人気を得た。

出典:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140909-00000102-spnannex-ent

チューリップ最大のヒット曲「心の旅」
デビューからシングル2枚・アルバム2枚を出したがヒットせず、3枚目のシングルが売れなかったら、地元福岡に帰るという話がでてきていた頃に背水の陣として生まれた曲である。

◎ビートルズの影響を受けたチューリップ

ビートルズから影響を受けことやエレキ、ベース、ドラムという編成にハーモニーを生かしたサウンドからよく和製ビートルズと称された。

出典:tulipedia

◎初期には安部さんもボーカルを披露していた

初期のチューリップ時代にはステージはもちろんテレビ出演時にもリードボーカルの曲(「思えば遠くへ来たものだ」、「夏に別れを」など)を披露していた。

出典:安部俊幸 - Wikipedia

◎MCが得意でステージでの司会の進行役も!

MCが上手でステージのパフォーマンス時に観客を笑わせたりなどと司会の進行などをしていた。

出典:安部俊幸 - Wikipedia

◎最初はエレキギターを持っていなかった安部

なんとギターの安部俊幸はエレキギターを持っておらず、フォークギターにマイクをつけたもので対応していたようです。

出典:『魔法の黄色い靴』  チューリップ : はなっちの音日記

◎ギブソンES335がトレードマークとなる!

安部俊幸がTULIP初期から現在に至るまでメインで愛用し続けているES335は、 ”No.551”とフリークの間で呼ばれている1966年式(S/N433551)の1本だけだった。

出典:http://homepage3.nifty.com/~tulip/335sum04/020100/01.htm

ES-335とは、1958年にギブソン (Gibson Guitar Corporation)から発売された、世界初のセミアコースティックギターである。

出典:ギブソン・ES-335 - Wikipedia

ES-335を初めとするセミアコースティックギターの出音は独特の "woody" と形容されるサウンドで、ソリッドギターのそれよりも甘い響きを持っている。

出典:ギブソン・ES-335 - Wikipedia

同時に、ソリッドギターの特色であるサステインのあるサウンドやハウリングの少なさといった点も持ち合わせている。

出典:ギブソン・ES-335 - Wikipedia

◎ニューミュージックサウンドの音色を築き上げる!

335やその手のセミアコの音色に思わせるモノは、 当時ニューミュージックと呼ばれた、音色の佇まいによるところが強い。 シンセサイザーの周波数帯と同調するように響いていたギターの音色。 オフコースの鈴木康弘(355)とチューリップの安部俊幸(335)のそれだった。

出典:http://homepage3.nifty.com/~tulip/335sum04/020100/01.htm

累計で50万枚以上売上「虹とスニーカーの頃」
1979年4月頃に書かれた。当時長らくヒットから遠ざかっていたチューリップにとって、久々に「ヒットを意識して作った曲」である

◎85年に脱退「オールウェイズ」を結成

85年に脱退し、「オールウェイズ」を結成。

出典:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140909-00000089-jij-soci

1985年にチューリップを脱退した安部俊幸、姫野達也、伊藤薫に風祭東が参加し、1986年シングル「好きさ」、アルバム「ALWAYS BE TRUE」でデビューした。

出典:オールウェイズ (バンド) - Wikipedia

◎「オールウェイズ」活動休止、「チューリップ」の再結成に参加

その後、チューリップの再結成に参加し、平成24〜25年には40周年の全国ツアーを行った。

出典:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140909-00000545-san-musi

◎2012年に「チューリップ」結成40周年

2008年に再びバンド活動にピリオドを打ったが、12年に「結成40周年」を記念して再結集し、安部さんもライブツアーに参加した。

出典:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140909-00000020-tospoweb-ent

◎旅好きでもあった安部俊幸さん

作曲のほか作詞も手がけ、代表作に「博多っ子純情」などがある。エッセー集「ひとりぼっちのアメリカ見聞録」なども著した。

出典:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140909-00000027-asahi-musi

ひとりぼっちのアメリカ見聞録

『一人ぼっちのアメリカ見聞録』ではさりげなくボブ・マーリーへの突撃インタビューなんてやってしまっている

出典:日日平安

『ジャーニー・ギターだったりして―ミズリーからカリフォルニアまでバスの旅』では、あの「グレイハウンド」バスでアメリカを横断。ちょっとした根性ではこういう旅はできない。

出典:日日平安

◎居住していたインドで亡くなった安部俊幸さん

7月7日、脳出血のため、居住していたインドで亡くなった。64歳だった。

出典:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140909-00000545-san-musi

佐々木かをりKaori Sasaki@kaorisasaki

愛するチューリップの、ギタリスト安部俊幸さんが7月7日脳出血のため亡くなったとの知らせがありました。インドの山奥で、ヨガとかしながら、静かに暮らしているから、きっと長生きするんだろうなあと思っていたのに。悲しい。いつかガンジス川で祈りたいと思います。ご冥福お祈り申し上げます。

返信 リツイート 2014.09.09 15:08:12

◎チューリップメンバー哀悼の意【Mr.335へ捧ぐ】

◎ 財津和夫さんからのコメント

財津和夫
ボーカル、ギター、キーボード

とにかくギターを愛した男でした。彼が20歳の頃に出会って44年の付き合い。青春時代をともに生きてきた大切な友人でした。もう一度ステージで一緒に演奏したいです。

出典:http://www.asahi.com/articles/ASG9952LLG99UCLV00G.html?ref=yahoo

◎ 姫野達也さん(ボーカル、キーボード、ギター)からのコメント

突然の訃報(ふほう)にとてもびっくりしています。彼とは10代の頃からTulipそしてalwaysで苦楽を共にしてきた仲間であり、僕の一番の理解者でかけがえのない友人でもありました。また一緒にステージに立てると思っていただけに残念でなりません。

出典:http://www.asahi.com/articles/ASG9952LLG99UCLV00G.html?ref=yahoo

◎ 上田雅利さん(ドラム)からのコメント

デビュー前故郷で、互いの思いを語り合った時、「このバンドだったらきっと、何でも夢は叶(かな)うぜ!」と言った彼の言葉を思い出します。突然過ぎです! 心からご冥福をお祈り致します。

出典:http://www.asahi.com/articles/ASG9952LLG99UCLV00G.html?ref=yahoo

◎宮城伸一郎さん(ベース)からのコメント

演奏中の安部さんの笑顔に何度励まされたことか。彼は最高のギタリストでした。バンドメンバーとして同じステージに立てたことを誇りに思います。どうぞ安らかにお眠りください、Mr.335。

出典:http://www.asahi.com/articles/ASG9952LLG99UCLV00G.html?ref=yahoo

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