ソウル五輪95キロ超級で2大会連続金メダルの斉藤仁さんが20日午前3時15分、東大阪市内の病院で亡くなった。54歳だった。
斉藤仁氏
日本の元柔道選手。ロサンゼルスオリンピック、ソウルオリンピック柔道競技男子95kg超級金メダリスト。現在柔道コーチ、国士舘大学体育学部教授で同大学柔道部監督。青森県青森市出身。段位は七段。
◎国士舘高在学時から重量級の逸材
青森県出身。東京・国士舘高在学時から重量級の逸材として注目されてきた。
◎山下泰裕氏の後継者と期待される!
3学年上で203連勝を記録した山下泰裕氏の後継者との呼び声も高く、「山下2世」とも呼ばれた。
山下泰裕氏 203連勝の記録保持者!
引退から逆算して203連勝(引き分け含む)、また対外国人選手には生涯無敗(116勝無敗3引き分け)という大記録を打ち立てた。1985年6月17日引退。国民栄誉賞を受賞。
◎山下泰裕氏の闘争心に火をつけた斉藤仁氏!
脂がのり切っている頃に青森生まれで3歳下の斉藤さんが台頭してきたことで、「闘争心に再び火がついた」と述懐している。
◎よきライバルだった山下泰裕氏と斉藤仁氏
現役時代はライバルと称されたが、ロサンゼルスオリンピックでは「先輩行ってきます」「頼んだぞ」という逸話が残されており、現役時代から信頼関係はあった。
◎山下氏が引退するまでは山下氏の全勝だった…
山下氏とは8度対戦し、一度も勝てなかった。
◎山下氏引退後、斉藤氏は五輪2連覇を達成!!
山下氏引退後の88年ソウル五輪でも斉藤さんは95キロ超級で金メダルを獲得。山下氏でもなし得なかった五輪2連覇を達成した。
◎その後、二人は柔道界にいなくてはならない指導者に…
共に指導者としてさらに深い信頼を寄せる間柄となっている。
◎斉藤仁氏、アテネ、北京五輪の監督を務める!
アテネ、北京オリンピックでは日本代表男子監督を務め、内柴正人、野村忠宏、鈴木桂治、井上康生など数々のメダリストを輩出した日本が誇る名監督。
◎内柴正人も教え子の一人
気迫と技のキレが、相手を倒した。クランツとの決勝戦1分46秒。小外刈りが決まった! 相手の背中が畳についた瞬間、内芝は金メダルのガッツポーズだ。
出典:http://www.sanspo.com/athens2004/judo/news/0815/jd2004081517.html
内柴正人
2004年に開催されたアテネオリンピックや、2008年に開催された北京オリンピックでは、それぞれ柔道男子66kg級にて金メダルを獲得した。
◎アテネで金メダルの内柴に…
「(内柴に対し)試合前、楽しめと言ったら、あいつはうんと言った。きょう優勝することが、去年挙げた結婚式の引き出物になるとも(内柴に)言った。おれは泣いてしまった」
出典:http://www.sanspo.com/athens2004/judo/news/0815/jd2004081517.html
◎しかし、その後セクハラ問題を起こした内柴…
11月29日に同大学は内柴のセクハラ行為に関する調査結果について、未成年女子部員の飲酒を黙認し、その後セクハラ行為を行ったとし、懲戒解雇処分を発表した。
◎そんな内柴に「金メダル」を取った後、どう生きるか…
「『金を取った後、どう生きるかを周りから見られているんだぞ』と言ってきたんだけど・・・」と肩を落とした。
内柴正人逮捕で先輩の斉藤仁「人として、あるまじき行為と思う」
出典元:YouTube
◎柔道界の再建のため強化委員長に就任
日本男子が初めて金メダルゼロと惨敗した12年ロンドン五輪後、全日本柔道連盟の強化委員長に就任。
12年11月には全日本柔道連盟の強化委員長に就任。
翌13年に発覚した女子日本代表の指導陣による選手への暴力、パワーハラスメント問題で揺れた強化現場の立て直しに奔走した。
女子柔道強化選手による暴力告発問題
女子柔道強化選手による暴力告発問題(じょしじゅうどうきょうかせんしゅによるぼうりょくこくはつもんだい)とは、2013年1月29日に女子柔道の国際試合強化選手15名が、全日本女子ナショナルチーム監督である園田隆二を始めとした指導陣による暴力行為やパワーハラスメントを訴えていたことが発覚した問題。2月1日に園田は暴力行為を認めて監督を辞任した。
◎斉藤強化委員長、責任者として謝罪する…
全日本柔道連盟の斉藤仁強化委員長は、「強化の責任者として、深くおわびというか、責任を感じています」と話し、陳謝しました。監督不在のなか、ヨーロッパで国際試合が続く選手については、「選手の戸惑いを最小限にすることをいちばんに考え、試合に集中できる環境を作ってあげたい」と話していました。
◎柔道界のモラル確立を目指していた斉藤仁氏
ヨーロッパ遠征から帰国した強化委員長の斉藤は、指導者と選手間のコミュニケーショーンを円滑に図るために選手会結成を提案した。
柔道界のモラル確立を目指していた矢先に病に倒れた。
出典:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150120-00000080-spnannex-spo
◎54歳の若さで亡くなった…
13年に胆のうを患い、闘病生活に入っていたが昨年夏に体調を崩し、年末にはさらに悪化、肝内胆管がんで帰らぬ人となった。
出典:http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2015/01/20/kiji/K20150120009660300.html
◎山下泰裕氏、沈痛…
山下氏は「現役時代最大のライバルでした。新しい強化委員長になって、もっともっとやりたいこと、やらなければいけないことが彼の頭にいっぱいあったと思う。笑顔で安心して見てもらえるようなそんな柔道界を作っていく」と志半ばで倒れた故人の死を悼んだ。
出典:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150120-00000090-spnannex-spo
「指導者になってからの付き合いの方が親密で、ものすごく繊細な指導者という印象が強い。ショックです」と悼んだ。
出典:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150120-00000090-spnannex-spo
11日に大阪府東大阪市の病院を見舞ったといい「10分ほどしゃべった。やつれておられた。(88年は)あの人の全日本への執念に負けた」と、故人との思い出を語った。
出典:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150120-00000090-spnannex-spo