◎ピース又吉が芥川賞受賞!
もともと2000冊の本を読みこなすほどの読書量を持ち、文学好きなことで知られていた又吉。
又吉直樹(ピース)
日本のお笑いタレント、脚本家、小説家であり、ピースのボケ担当である。
その又吉の小説「火花」がついに芥川賞を受賞した。
◎太宰治を敬愛してやまない読書家・又吉直樹
又吉は太宰治が好きで「人間失格」は自分のことと思えたほど。
◎又吉が住んでいた三鷹のアパートは太宰家の旧住所だった!
以前に三鷹市下連雀の築60年以上の風呂なしアパートに住んでいた時期があったが、過去に読んだことのある「太宰の家から吉祥寺への行き方」と同じであったため三鷹図書館で詳細に調べてみると、その住所が太宰家の旧住所にあたることが判明した。
出典:livedoor
同じ造りの平屋の借家が3軒並んでいました。すべて建て替えられ、路地だけが残っています。
出典:http://www.city.mitaka.tokyo.jp/dazai/dazaitomitaka/yukari.html
◎かつては、のどかな農村地帯だった「三鷹」
三鷹市
東京都の多摩地域東部にある市
甲武鉄道(現・JR中央線) が開通した明治22(1889) 年に武蔵境駅、その10年後には吉祥寺駅が設置されていましたが、昭和5(1930) 年に三鷹駅、8年には帝都電鉄(現・京王井の頭線)の井の頭公園駅と三鷹台駅が開設されました。
出典:http://www.city.mitaka.tokyo.jp/c_service/011/011726.html
◎「三鷹」の住宅地化は関東大震災を機にはじまる…
明治・大正期を通じて純農村地帯の面影を残していた三鷹は、大正12(1923)年の関東大震災をきっかけに東京のスプロール化が急激に進んで住宅地となっていった。
出典:http://www.city.mitaka.tokyo.jp/c_service/011/011726.html
関東大震災
1923年(大正12年)9月1日11時58分32秒(日本時間、以下同様)、神奈川県相模湾北西沖80km(北緯35.1度、東経139.5度)を震源として発生したマグニチュード7.9の大正関東地震による地震災害である。
◎農村地帯から次第に住宅地となっていく「三鷹」
吉祥寺・三鷹エリアを始め、成城学園や国立など武蔵野の緑豊かな土地に次々と分譲地が建設され、のどかな農村地帯は近郊都市へと変化を始めます。
◎甲府市から転居後、「三鷹」に住まう太宰治
太宰治は、昭和14年(1939年)に三鷹に転居したのち、昭和23年(1948年)に玉川上水に入水するまでの約9年間、この地において作家として数々の作品を執筆しました。
太宰治
青森県北津軽郡金木村(後の金木町、現在の五所川原市)に、県下有数の大地主である父津島源右衛門(1871年 - 1923年)と母タ子(たね、1873年 - 1942年)の六男として生まれた。主な作品に『走れメロス』『津軽』『お伽草紙』『斜陽』『人間失格』。
◎「三鷹」で数々の名作を生む太宰治
精神的にも安定し、「富嶽百景」「駆け込み訴へ」「走れメロス」などの優れた短編を発表した。
◎井の頭公園を舞台にした小説も
「東京八景」にもあるように、井の頭公園は東京の名所でした。「日の出前」「黄村先生言行録」「ヴィヨンの妻」など多くの作品で、井の頭公園や近隣を舞台に物語が展開します。
出典:http://www.city.mitaka.tokyo.jp/dazai/dazaitomitaka/yukari.html
井の頭公園
◎文化人に愛された「三鷹」
太宰治をはじめ、三鷹は多くの文化人に愛された土地。三木露風・亀井勝一郎・山本有三・武者小路実篤などが移り住んだことで知られている。
◎亀井勝一郎も「三鷹」在住、太宰との親交深める
亀井勝一郎
北海道函館区(現・函館市)元町生まれ。
著「大和古寺風物誌」「わが精神の遍歴」「現代人の研究」など。
昭和14年、太宰治が三鷹の亀井宅近くに転居してから亀井は太宰や井伏などとの交友が深まり、
将棋や酒、釣を一緒に楽しむようになった。
◎また、山本有三も11年間ほど住んでいた「三鷹」
山本有三記念館
大正15(1926)年頃に建てられたこの建物は、著名な文学者で三鷹市名誉市民でもある山本有三が、昭和11(1936)年から駐留軍に接収される昭和21(1946)年までの11年間ほど住んでいたものである。
出典:http://4travel.jp/domestic/area/kanto/tokyo/tama/mitaka/museum/11290862/
山本有三
社会劇,歴史劇を次々に発表し,大正末期より小説に転じる。政治家としては戦後に貴族院勅選議員に勅任され貴族院が廃止されるまでこれを務めた後、第1回参議院選挙に全国区から出馬して当選、参議院議員を1期務めた。
2階の和室と洋室は、かつて有三が書斎や応接に使い、「新編路傍の石」や「戦争とふたりの婦人」「米百俵」などの名作を書き、世に送った部屋である。
出典:http://4travel.jp/domestic/area/kanto/tokyo/tama/mitaka/museum/11290862/
山本が愛した東京都三鷹市の西洋式の屋敷と庭園は、戦後GHQによって接収されて米軍高級将校宅として使われることになったため、山本は後ろ髪を引かれる想いで転居を余儀なくされた。
◎「三鷹」の地で詩を書きつづけた詩人・三木露風
晩年、三鷹の地でひそかに詩を書きつづけた露風は、三鷹市制5周年をたたえ、昭和31(1956)年元旦に「新年の詩」を贈り、また、昭和39(1964)年には高山小学校校歌を作詞している。
三木露風
日本の詩人、童謡作家、歌人、随筆家。山田耕筰作曲の作品がよく知られる。
赤とんぼ、秋の夜、かっこう、十五夜、野薔薇
◎また、作家の武者小路実篤も「三鷹」鷹に住んでいた
武者小路実篤
志賀直哉らと雑誌『白樺』を創刊し、以後、60年余にわたって文学 活動を続けてきました。小説「おめでたき人」「友情」「愛と死」「真理先生」、戯曲「その妹」「ある青年の夢」などの代表作、また多くの人生論を著したこ とで知られ、一貫して人生の讃美、人間愛を語り続けました
三鷹には昭和12年から30年まで住み、三鷹市役所の標札の揮毫など市制発展にも側面的な協力者としての面もあった。昭和26年文化勲章受章。
出典:http://www.city.mitaka.tokyo.jp/c_service/002/002065.html
◎そして、人気グループ嵐の芸術家肌、大野智も「三鷹」出身!
キャプテン大野智(三鷹2中出身)さんは、1年生の時、中学生の市民体育祭ともいわれる「種目別少年バドミントン大会」でシングル優勝を飾っています。
大野智
ジャニーズの人気グループ「嵐」のリーダー
◎スポーツが得意の反面、芸術の才能も!
友達の影響で小学校3年生のころからドラゴンボールの模写絵を描き始め、イラストレーターを目指していた時期もあった。芸能活動と並行して創作活動を続け、公式携帯サイトではイラストを公開。
◎芸能活動の合間にも創作活動!
「僕は仕事だけやってるとダメ。描くことでちょうどバランスが取れる。仕事が忙しくなると逆に描きたくなる。寝ないで描いていた方がストレス発散になるみたい」
出典:http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150725-00010001-realsound-ent
◎今年は約7年ぶりとなる個展を開催!
嵐・大野智の約7年ぶりとなる個展「FREE STYLE2」が、7月24日より東京・表参道スペースオーで開催されている。
出典:http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150725-00010001-realsound-ent
◎文化人に住み継がれてきた「三鷹」
長い時間をかけて住み継がれ、重ねられてきた文化度の高さを感じさせることも、三鷹の魅力だといえる。
◎今でも又吉は井の頭公園は週一で通う
長らく仕事がほとんどなかった頃には井の頭恩賜公園へ毎日のように散歩に行き、現在でも週に一回程度行っているという