◎作家の阿川弘之氏が死去 94歳
小説「雲の墓標」や評伝「山本五十六」など数々の戦争文学で知られる作家で、文化勲章受章者の阿川弘之(あがわ・ひろゆき)氏が死去していたことが5日、分かった。94歳だった。
出典:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150805-00000582-san-cul
阿川弘之さん
大正9年、広島市生まれ。昭和17年、東大国文科を卒業後、海軍予備学生に。
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海軍中尉として中国に渡った。21年に復員し、尊敬する作家の志賀直哉を紹介され、文筆の道に。
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◎海軍での体験や豊富な資料をもとに執筆
同時期にデビューした吉行淳之介さんらとともに「第三の新人」と称された。以後、「雲の墓標」「暗い波(は)濤(とう)」「軍艦長門の生涯」といったリアリティーあふれる戦争小説を発表し続け、作家としての地位を固めた。
一種軍装の阿川弘之さん
「米内光政」など海軍軍人を題材にした重厚な評伝を著す一方、紀行文や私小説的な短編小説も多数発表。
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◎絵本『きかんしゃやえもん』の著者でも有名
大正9年生まれの阿川弘之は大の鉄道好きで、『きかんしゃやえもん』の著者としても知られている。鉄道にまつわる著作も数多い。
きかんしゃ やえもん
作者は阿川弘之(文)と岡部冬彦(絵)。擬人化された古い蒸気機関車を主人公とする作品で、1959年に岩波書店より刊行された。
「岩波の児童書は翻訳ばかり」というイメージを払拭するために日本の絵本が企画され、その一つとして本作が生まれた。
◎老朽化した蒸気機関車のシンデレラ・ストーリー
老朽化し、時代遅れとなった蒸気機関車の運命を描いたこの絵本は、日本人の作家による乗り物を主人公とした最初の物語絵本でもある。
煙突から排煙だけでなく火の粉も吐き、それが線路脇の田んぼのわらに燃え移って、火事になってしまう。幸いすぐ消し止められたが、火事を起こしたやえもんに、周囲の住民たちはすっかり怒ってしまった。
解体のため電気機関車に牽引されていこうとするとき、運良く通りかかった博物館の人に「珍しい古い型だ、日本にも数台しか残っていないはず」と引き取られ、交通博物館で保存されることとなった。
◎実際に絵本と同じ運命をたどる「1号機関車」
なお1号機関車が事情を知る元鉄道記者の青木槐三ら関係者の尽力により、最終的に当時の鉄道博物館(のち交通博物館を経て今の鉄道博物館)で保存されることとなったのは事実であるが、その過程の「煙害によって運行できなくなった」という下りと、「鉄くずにされる寸前に」という部分は本作のオリジナルである。
国鉄150形蒸気機関車
交通博物館を経て今の鉄道博物館で保存される
150形は保存されることになった1930年当時、島原鉄道の1形機関車として現役で使用されており、同社社長の植木元太郎は鉄道省(当時の国鉄および鉄道博物館の運営母体)の600形蒸気機関車656号機と交換することを条件に省への譲渡へ応じたほどである。
鉄道博物館
◎やえもん、累計122万冊のロングセラーとなる!
文を書いた阿川弘之(1920~)は、蒸気機関車やえもんを主人公に「人生」を描きだすことに成功した。
世代交代により舞台から退場していくものの哀しみが描かれるが、同時に老後の人生、それも再び子どもたちの人気者としての新しい舞台も用意されているところがこの作品のよさであろう。
◎その後も鉄道や旅行に関する著書を執筆
お早く御乗車ねがいます
にせ車掌体験記、日米汽車くらべなど、日本のみならず世界中の鉄道に詳しい著者が昭和三三年に刊行した鉄道エッセイ集
35年に産経児童出版文化賞を受けた「なかよし特急」など、児童書も手がけた。
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◎阿川弘之さんは厳しい父親でも有名でした…
作家・エッセイストの阿川佐和子さんの父親で、その子育ては「この家に生まれたことが不幸なんだと思った」というほど厳しい家庭でした。
◎阿川弘之さんの長女は阿川佐和子さん
エッセイストの阿川佐和子さんは長女。
阿川佐和子
作家・エッセイスト
テレビタックルでアシスタントも
小学生のころ、自宅に友だちをたくさん呼んで誕生日会を開こうとしたら、「二度とこんなバカバカしい会をすることを許さん」と怒鳴られました。
大人になってからも、留守電が入っていると「ビクッとする」。すぐ折り返し、通話中に仕事の関係者が来ても電話を切れませんでした。
◎叱られたくない、という思いが、作家としての活躍につながる!
「お前に人権はない」と言われたこともあるそうです。経済的に自立して初めて意見が言えるようになる。その日まで頑張ろうと思い、仕事に全力を尽くしたそうです。
阿川佐和子が電話で「とんでもございません」と言ったら、それを後ろで聞いていた阿川弘之さんにそんな言葉はない、と叱られたというエピソードが忘れられない。
◎新幹線「のぞみ」名称誕生に関わる阿川さん親子
のぞみ
1992年(平成4年)3月14日に、JR東海により、当時運賃の値下げなどにより利用を伸ばしていた航空機に対抗するため、東海道新幹線においてそれまでの「ひかり」よりさらに速い種別の列車として新たに誕生した。
◎名称決定委員の一人、阿川佐和子
名称決定委員の一人、阿川佐和子が父(作家 阿川弘之)より「日本国鉄の列車の名前は歴代全て大和言葉でつけられてきた」とのアドバイスを受け、委員会の最後に父の言葉とともに、最有力候補となっていた「希望(きぼう)」を大和言葉にすると「のぞみ」になると進言したものが採用されたとのことである。
Кэн Эндоу 写真展 「TRAMVISTA2系統」 3/5-3/18@zip80501
阿川弘之と言えば娘と共にのぞみの名称決定に大きく関わった事が一番印象に大きいかな。
お亡くなりになられた作家の阿川弘之先生はかなりの鉄道ファンでもおられたようです。
新幹線「のぞみ」の実質的な名付け親はこのお方だったのでしょうね。
それにしてもさすがです!
t.co/1e19eg4WGA
とうとう阿川弘之先生も亡くなられ、天国の阿房列車の旅に出られてしまった。内田百閒、宮脇俊三、阿川弘之の乗る列車はさぞかし楽しいであろう。
@satochi_i (´・ω・`)阿川佐和子さんのお父ちゃんにして、ワシの好きな作家でもあったがな 日本と海軍と鉄道を愛し続けた人でもあったがな 「きかんしゃやえもん」という童話の作者でもあったがな