◎福士蒼汰、終戦70年番組
フジテレビが終戦70年ドキュメンタリー企画として放送する「私たちに戦争を教えてください~いま、会っておかなければいけない人がいる 今日、聞いておかなければいけない声がある~」(15日後7・0)。
出典:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150810-00000554-san-ent
◎元特攻隊、千玄室さんの話を聞く福士蒼汰
福士蒼汰は神風特攻隊の生存者、千玄室さんに出会う。千さんは、生き残ったものの、多くの友人を無くした喪失感をいまだに抱き続けているという。
出典:http://www.fujitv.co.jp/fujitv/news/pub_2015/i/150621-i127.html
◎茶道裏千家第15代家元、千玄室さん
千 玄室(第15代家元)
せん・げんしつ 1923年、京都市で、茶道裏千家第14代家元の長男として生まれる。46年、同志社大卒業後、ハワイ大学修学。49年、大徳寺で得度。64年、第15代家元となり千宗室を襲名。97年、文化勲章受章。2002年、嫡男に家元を継承し、玄室を名乗る。05年、日本・国連親善大使に。哲学博士。
◎茶道流派の一つ、裏千家(うらせんけ)
千利休の没後、傍系の少庵(後妻の連子)の後を継いだ宗旦が京都に屋敷を構え、三男 宗左が紀州徳川家に茶頭として仕えたのち千家の家督を継いで本家となり表千家となった。
千利休
戦国時代から安土桃山時代にかけての商人、茶人。
その後、次男 宗守は武者小路千家を、四男 宗室は裏千家を興こしたのが三千家の始まりであるが、各家ともに家元は利休を初代として数える。
◎第2次大戦中、20歳で学徒出陣の千玄室さん
第2次大戦中、20歳で学徒出陣した。海軍に入隊し、2年間過酷な訓練を受けた。
出典:特集|京都新聞
同じ隊員には、俳優の西村 晃さんもいた。
出典:FNNプライムオンライン
西村 晃
1997年に西村が死去した際、生前の約束(どちらかが亡くなった場合、残された者が葬儀委員長を務める)に従って葬儀委員長を務めた。
◎特攻隊志願
戦況が悪化していく中で玄室は、特攻隊に志願。
徳島海軍航空隊時代。右から2人目が千玄室さん、右端が親交の深かった俳優の故西村晃さん(1944年、裏千家提供)
◎先立つ仲間にお茶をたてる
先立つ仲間に、最期のお茶を立てたこともあったという。
私は家から送られてきた携帯用の茶箱を持っていましたので、やかんにお湯があればすぐにお茶会ができました。羊羹を切って出し、武人は文武両道でなければと話したものです。
出典:http://www.chugainippoh.co.jp/interviews/hot/20140709-002.html
出撃の際、仲間から「おい、千、最後にお茶にしてくれや」と言われ、私が点てたお茶を飲み、みんな「お母さーん」と叫んで出て行きました。
出典:http://www.chugainippoh.co.jp/interviews/hot/20140709-001.html
「今も仲間の声が聞こえる、顔が思い浮かぶ」という千さんの言葉に涙が止まらない福士は「自分には信じ難く、イメージしづらいことでした」と語る。
出典:http://www.fujitv.co.jp/fujitv/news/pub_2015/i/150621-i127.html
福士蒼汰
◎千玄室さん、出撃前に戦争が終わる
茫然自失(ぼうぜんじしつ)です。私は三度志願したんですけど、出撃命令が出る前に松山の基地に戻されました。
出典:http://www.tokyo-np.co.jp/hold/2008/sokkyo/news/200708/CK2007082102042630.html
そのために生き残ったんですが、なぜ私だけが残されたんだ、死んだ連中に申し訳ない、このまま飛行機に乗って突っ込んでいきたい、という忸怩(じくじ)たる思いばかりでした。
出典:http://www.tokyo-np.co.jp/hold/2008/sokkyo/news/200708/CK2007082102042630.html
◎忸怩(じくじ)たる思いで我が家へ…
九死に一生を得て家に戻ったものの、死んだ仲間に顔向けができない、一緒に死ねばよかったと忸怩(じくじ)たる思いをいっぱいに抱えて 過ごしていたところ、進駐軍の将兵達が我が家にやってきて、お茶を飲んでいくようになったのです。
◎我が家の茶室で米軍が一盌のお茶を味わっている
茶室の中では父無限斎が、利休さまと同じように向き合っていた。戦勝国の軍人たちが、負けた国で正座をさせられている。そして、一盌のお茶を味わっている。
出典:特集|京都新聞
◎アメリカが敗戦国の文化を学ぼうとしていた
「日本という国を占領している以上、日本を知らないといけない」という司令部の指示があったことを知った。そして、茶道や華道、歌舞伎、能楽と日本の伝統文化に力を注いでいたことが分かった。
出典:特集|京都新聞
聞いたところによると、進駐軍では休みの日にはできる限り占領国の文化に触れて伝統を学ぶように、という命令が出ていたのだそうです。
アメリカという国はなんという国なのだろう。敵であった相手の文化を理解しようとするとは、すごい国だ。根性が違う。負けて当然だ。そう痛感させられました。
◎茶道の大切な精神が「和敬清寂」
茶道の大切な精神が「和敬清寂」。中でも和が中心。それは皆が平等に、区別、差別しないということ。
出典:特集|京都新聞
私の祖先の千利休は戦乱の中、織田信長、豊臣秀吉に仕え、多くの武将、当時の人々に茶の湯を通じて平和を教えました。
出典:http://www.tokyo-np.co.jp/hold/2008/sokkyo/news/200708/CK2007082102042630.html
◎この精神を伝えていくことが私の運命
戦争で死ぬことができなかったのが運命なら、この家に生まれたのも運命。家元というたいへんな仕事を継いで、この精神を伝えていくことが私の運命だ、そう思い至ったのです。
◎戦後、アメリカへ旅立った千玄室さん
アメリカで茶道を紹介していくうちに、お茶は物言わなくとも交流をもたらし友好を深めるものだと思うようになりました。
そうした体験を重ねるうちに、かつての敵国の文化を理解し、受容するアメリカという国のすばらしさを、私も認めざるをえなくなったのです。
◎「一盌からピースフルネスを」
そしてたどり着いたのが「一盌からピースフルネスを」というフレーズです。
和敬清寂の精神を持って各国を回り、少しでも世界、人類の平和のためにできれば、と大それたことを思ったんです。これは残された私の運命だと。それをやらなきゃいかんという天の声を聞いたわけです。
出典:http://www.tokyo-np.co.jp/hold/2008/sokkyo/news/200708/CK2007082102042630.html
-裏千家ホームページ 千 玄室大宗匠、米国の海軍士官学校で講演
茶道裏千家前家元・千 玄室さんは「(ことしの8月15日は?)その日は正座をして、庭で、みんなのために合掌して、戦没者のために、わたし自身は平和を祈ります」と話した。
出典:FNNプライムオンライン
◎福士蒼汰、戦争を知り涙
福士は「あまり当時のことをお話ししたくないのではないかと思っていましたが、思い出しながらいろいろとお話してくださいました。
出典:http://www.fujitv.co.jp/fujitv/news/pub_2015/i/150621-i127.html
今まで、戦争の悲惨さや戦争をしてはいけないということはわかっていましたが、具体的にどうすればよいのかという答えがわかりませんでした。
出典:http://www.fujitv.co.jp/fujitv/news/pub_2015/i/150621-i127.html
今回、“まずは家族を守ろうよ”と言われて…。そういう気持ちを持ち続けていけば平和な世の中になっていくと思いました」と語った。
出典:http://www.fujitv.co.jp/fujitv/news/pub_2015/i/150621-i127.html
わたし達に戦争を教えてください。大好きな福士蒼汰君の取材中の涙💦その他の芸能人の方々の取材で戦争を教えて貰いました。泣けましたT_Tありがとうございました😊