詳細検索

検索対象

matomeHub(まとめハブ)
東日本大震災から2年…

東日本大震災から2年10ヶ月が経過した岩手・宮城・福島に行って来ましたー。

2011年3月11日に発生した東日本大震災。そして翌3月12日には長野県北部地震が起こりました。それから2年10ヶ月が経過。めっきり震災関連の報道も少なくなって来てしまった近頃、やっぱり各地の状況を自身の目で直に見て来なければと、いざ東北を目指し出発したのでしたー。

更新日:

NAVERまとめ 魚拓

1 https://megalodon.jp/2020-0701-1353-00/https://matome.naver.jp:443/odai/2138952017152494601
2 https://megalodon.jp/2020-0701-1356-56/https://matome.naver.jp:443/odai/2138952017152494601?page=2
3 https://megalodon.jp/2020-0701-1400-18/https://matome.naver.jp:443/odai/2138952017152494601?&page=3
4 https://megalodon.jp/2020-0701-1402-17/https://matome.naver.jp:443/odai/2138952017152494601?&page=4
5 https://megalodon.jp/2020-0701-1403-39/https://matome.naver.jp:443/odai/2138952017152494601?&page=5
6 https://megalodon.jp/2020-0701-1404-47/https://matome.naver.jp:443/odai/2138952017152494601?&page=6
7 https://megalodon.jp/2020-0701-1405-56/https://matome.naver.jp:443/odai/2138952017152494601?&page=7
8 https://megalodon.jp/2020-0701-1409-33/https://matome.naver.jp:443/odai/2138952017152494601?&page=8
(2020年7月1日 魚拓取得)

期間は2014年1月5日(日)から10日(金)までの6日間。
今回向かったのは岩手、宮城、福島の東北三県。
「長野県北部地震」で甚大な被害を受けた長野県下水内郡栄村へもいずれ足を運びたいとは思ってるんすけど、今回は残念ながらルートに加える事は出来ませんでした。
初日は、ほぼ移動のみ。
そんな中、ちょっち降り立ったJR福島駅前で、あれれー、あっちのほーで大勢の消防士さんたちが集まってなんかやってるぞー。
よーし、行ってみっか!っつー感じで近付いて行ってみたのでしたー。

2014年1月5日(日)

JR東北本線「福島駅」
福島県福島市栄町

福島市消防出初式
JR福島駅前で行われた、福島市消防出初式

福島市消防出初式を途中まで見てから、直ぐに目当ての列車に乗車。
以後、今夜の目的地であるJR宮古駅までずーっと列車に乗りっぱなしでしたー。

JR山田線「宮古駅」
岩手県宮古市
すぐ隣に、三陸鉄道北リアス線「宮古駅」がある。

JR宮古駅前「蛇の目」本店の「磯丼」
「蛇の目 本店」店舗前まで津波が押し寄せたとのこと。震災後、一週間以内に営業を再開しました。

災害派遣の皆さんへの感謝の言葉
災害派遣にいらした方々の写真と共に掲げられている「災害派遣の皆様ご苦労様です」の言葉。
自らも被災し、そこから営業を再開した宿の方は、とにかく、被災された方々への住居の対応が遅すぎだと憤っていました。防波堤より何より、まずここに住んでいる住民の事を一番に考えて欲しいと仰っていました。

2014年1月6日(月)

東北旅行2日目は岩手県宮古市からスタート。
三陸鉄道で田老地区を目指します。

岩手県宮古市
宮古港近くから市街地方面

シートピアなあど
建物壁面に「津波浸水表示ライン」が示されている。

宮古港 駐車場

宮古港

宮古市街地
左側にあるのが「NTT東日本岩手 宮古サービスセンター」。右側にあるのが「宮古市役所」。宮古港方面を望む。

市街地には、まだまだ被災した建物が取り払われたままの空き地が目立つ。

市内あちこちに張られた、「がんばれ宮古」と書かれた長嶋茂雄氏のサインのコピー。実物は、市役所にあるとのこと。

宮古駅前「蛇の目 本店」

JR宮古駅と三陸鉄道宮古駅

久慈ありすちゃんの三陸鉄道北リアス線「宮古駅」

久慈ありすちゃんの三陸鉄道「宮古駅」駅舎内
久慈ありすちゃんのグッズもたーくさん。

久慈ありすちゃんの三陸鉄道「宮古駅」駅舎内
多くの方から寄せられた、たくさんの応援メッセージが飾られています。

久慈ありすちゃんの三陸鉄道「宮古駅」の「キット、ずっと3号」
ネスレ日本の支援企画 「キット、ずっと プロジェク」の一環で運行。

久慈ありすちゃんの三陸鉄道「田老駅」の「キット、ずっと3号」

久慈ありすちゃんの三陸鉄道「田老駅」

久慈ありすちゃんの三陸鉄道「田老駅」前付近から田老港方面を望む

たろう観光ホテル
津波の被害を受けた、岩手県宮古市田老にある「たろう観光ホテル」。初の国費支援により、震災遺構として保存が決定した。保存に関しては今尚賛否あるとのこと。

たろう観光ホテル

「たろう観光ホテル」脇に放置されていた「朝日新聞」社の脚立
「たろう観光ホテル」横に放置されていた、「朝日新聞」と名前が入れられた脚立。取材に訪れた際に持ち込み、そのまま放置していったのだろう。

たろう観光ホテル

「たろう観光ホテル」と「田老魚市場」
右側「たろう観光ホテル」、左側「田老魚市場」。震災前は当然、この辺り一帯には住居などが立ち並んでいた。

田老港
周囲では、防潮堤のかさ上げ工事が行われている。

田老港にある遊歩道
津波で壊され、通行禁止になっている。

「三王岩」を望む展望台付近の遊歩道
三陸復興国立公園にある「三王岩」を望む展望台付近の遊歩道も、津波による損壊のため通行止め。
この展望台まで、漁協の方の車で送って頂きました。その際、ここでもやはり、何よりも住居を一番に再建して欲しいとの要望が強いという話を聞きました。

三陸復興国立公園内「三王岩」

「魚籃観音」と「たろう観光ホテル」

田老港

田老ふるさと物産センター
もとは堤防内にあったが、震災後はこちらのプレハブ店舗で営業。しかし、一帯のかさ上げ工事のため、ここも立退き期限が迫っている。

岩手県田老産わかめ
田老ふるさと物産センターで購入。

田老ふるさと物産センター周辺
これから、かさ上げ工事が行われる、「田老ふるさと物産センター」周辺。

田老から路線バスで宮古駅に戻り、そこから更にバスで釜石駅を目指しました。

JR山田線「岩手船越駅」
岩手県下閉伊郡山田町船越。
本州最東端の駅だが、現在は震災により営業を休止。周辺では復興工事が行われている。
田老からのバスはここまで。ここで次のバスを待ちます。

岩手県下閉伊郡山田町船越
復興工事を行っている。

久慈ありすちゃんの三陸鉄道「釜石駅」
岩手県釜石市鈴子町
震災により列車運行を休業。現在は「さんてつジオラマカフェ@釜石駅」として営業。4月運転再開予定。

「さんてつジオラマカフェ@釜石駅」のジオラマ

「さんてつジオラマカフェ@釜石駅」の「いかカレー」

青葉公園商店街
釜石市大只越町青葉公園内
2階建プレハブ5棟で構成。飲食店や理容店、書店やサーフィンショップなど入居店舗は多数。

釜石市の被災した「桑畑書店」
現在は「青葉公園商店街」内で営業をしています。

釜石港湾合同庁舎
壁面には、津波到達位置の表示がある。

「市営釜石ビル」前の歩道手すり
押し寄せた津波の影響で曲がってしまっている。

「洋食 あべ」
今日の夕食はこちらでー。

「洋食あべ」店内にある「がんばろう釜石」寄せ書き
飲食業組合から寄せられたもの。

「洋食あべ」のカキフライ定食
うまー。サービスつって、デザートもいただいちゃいましたー。わーいわーい。

「洋食 あべ」のご主人
おそらく、あべさん。
「それが興味本意なのだとしても、兎に角多くの方に来て頂きたい。それが被災地の経済を動かす事になる」と仰っていました。そうした話は他でもよく耳にします。現地の方に悪いなどの考えは無用。皆にもっと気軽に被災地へ足を運んで欲しいものです。

ホテル内の津波到達地点表示

今回伺っている被災された方々から一様に聞かれるのは「被災住民の最も要望している声を行政側が汲み取ってくれていない」というもの。防災面から防波堤建設を優先することに理解を示していた方も「最優先すべき」との声が圧倒的な住居整備の遅れを指摘。先ず地域の要望を聞き入れる体制確立が望まれます。

2014年1月7日(火)

旅行3日目。
この日は早朝から釜石をバスで出発、三陸鉄道「吉浜駅」までやってきました。
ここで次の列車時刻まで大分時間があるため、津波により線路が分断された地点を目指し歩いて行ったのですが、最初から完全に道を間違えてしまっていて、地元の方によると「行けなくもないけどー」という事だったけど、もー時間もあんまないし残念ながら断念しました。とほほ。

久慈ありすちゃんの三陸鉄道南リアス線「吉浜駅」駅舎
岩手県大船渡市三陸町吉浜
震災発生時、車両が吉浜~唐丹間の鍬台トンネル内で停止。そのエピソードは「あまちゃん」でも描かれた。復旧時、駅舎壁面に桜の花が描かれた。志村けんが吉浜駅の駅長みたい。
釜石~吉浜間は4月再開予定。

三陸鉄道「吉浜駅」の志村けん駅長
駅舎内に居た志村けん駅長。早朝にもかかわらずにこやかに微笑んでくれました。志村けん駅長はここに常駐しているとのこと。しかしタレント活動のほうに支障はないのだろうか。バカ殿とか、あとなんか他のやつとか。

久慈ありすちゃんの三陸鉄道南リアス線「吉浜駅」に停車中の車両

久慈ありすちゃんの三陸鉄道南リアス線「吉浜駅」に停車中の車両内部

久慈ありすちゃんの三陸鉄道南リアス線「恋し浜駅」
駅待合室にはホタテ貝の絵馬が吊るされている。

久慈ありすちゃんの三陸鉄道南リアス線「盛駅」に到着した車両
岩手県大船渡市盛町
ここが終着駅。

久慈ありすちゃんの三陸鉄道南リアス線「盛駅」駅舎
駅舎は「ふれあい待合室」として無料でお茶、レンタル自転車を提供している。様々なイベントも開催。

久慈ありすちゃんの三陸鉄道南リアス線「盛駅」の「ふれあい待合室」
お茶の無料提供や物販販売、多くの方からの応援メッセージや荒木飛呂彦「東北復興平泉宣言」板画が飾られている。

荒木飛呂彦「東北復興平泉宣言」板画
久慈ありすちゃんの三陸鉄道南リアス線「盛駅」の「ふれあい待合室」に飾られていました。

久慈ありすちゃんの三陸鉄道「盛駅」とJR「盛駅」
右がJR盛駅。現在は列車運行は停止。BRT(バス高速輸送システム)運行を行っている。

岩手県大船渡市
集められ山になっていた鉄骨。

被災した「さいとう製菓」本社
大船渡市台にある「さいとう製菓」本社。震災当時社長だった齊藤賢治さんは、現在「大船渡津波伝承館」の館長をされています。

被災したSHIOYAビル
大船渡市茶屋前

津波で破壊された「大船渡港」の堤防

大船渡駅前周辺
現在のJR大船渡駅はBRT待合所があるのみ。
この辺りは、まだ瓦礫が取り除かれたに過ぎず、大きく手が加わっている箇所はほんの僅かしかない。

「さいとう製菓」本社周辺
「大船渡保育園」のある高台から見下ろす、被災した「さいとう製菓」本社周辺。

津波の被害を受けた、…

津波の被害を受けた、現在の「さいとう製菓株式会社」元本社社屋周辺 2014年1月7日撮影

出典元:YouTube

JR大船渡線「盛駅」停車中のBRTバス

盛駅からBRTバスに乗り、陸前高田駅を目指します。

陸前高田市役所
岩手県陸前高田市高田町
4棟のプレハブで構成。ここへの公共交通機関は、工事車両がひっきりなしに通過する道路にあるBRTバス停留所のみ。足が悪く這うようにしないとバスを降りられない方が、ここへ一人でいらしてました。

陸前高田市高田町鳴石の「思い出の品」
震災の津波で流された写真などを持ち主、身内、その近い方々に返却していく活動を行っている。
2階建プレハブには主に写真等が保管、右隣の平屋プレハブには人形や位牌等が保管されている。是非住民の皆さんには気軽に立ち寄って欲しいと仰っていました。

陸前高田市高田町鳴石の「思い出の品」施設内
ここには主に写真等が保管、隣の平屋プレハブには人形や位牌等が保管されています。データベース化を進めていて、以前より探し易くなっているとのこと。

陸前高田駅から気仙沼駅へ。この時、待っていたバスが途中で事故に遭ったということで、次のバス到着まで待たなければなりませんでした。

陸前高田市「奇跡の一本松」
走行中のバスの中から。

気仙沼駅に到着すると、駅員さんがバスを降りる乗客一人ひとりに向かって、事故で到着が遅れたことに対して頭を下げていました。
大分時間が遅くなってしまったので駅前の「観光案内所」で宿の一覧表をいただき、今夜の宿を探すことに。なるべく港に近い宿に泊まりたいと思い、歩きながら地図を見決めたところが、なんと小野寺五典大臣の御実家だったのには、ほんと心の底からワロタ。

JR大船渡線「気仙沼駅」
宮城県気仙沼市古町

駅前「観光案内所」内の震災の記録写真

ライトアップされた「気仙沼港」周辺
震災により光を失った内湾エリアに気仙沼を担う子供達の為に光を灯そうと、昨年クリスマスから実施されている。

旅館「大鍋屋」のイルミネーション
気仙沼に希望の光を灯す「ONE-LINE イルミネーション」に賛同、参加している小野寺五典大臣のご実家。「ほんの少しだけど、気仙沼が元気になるようでうれしいから」と大臣のお母様が仰っていました。

復興屋台村 気仙沼横丁
気仙沼港そばの南町にある「復興屋台村 気仙沼横丁」。気仙沼全体で7割、南町ではほぼ100%の飲食店が津波で流された中、2011年11月に立ち上がった。

復興屋台村 気仙沼横丁「ごはん処 まるげん」の「メカステーキ」
さすが元魚屋の母ちゃん。うまー。
「まるげん」の女将さんは、津波が気仙沼の街を飲み込んで行く様子を高台から眺めながら、昔みた映画「日本沈没」を思い出していたそうです。瓦礫を吸い込む幾つもの渦が出来、自宅方面から火の手が上がるのを目にしながら、不思議なほど冷やかに、このあり得ない状況に対峙していたと話してくれました。

2014年1月8日(水)

旅行4日目は、気仙沼から石巻を目指し出発しました。

旅館「大鍋屋」
小野寺五典大臣の御実家「大鍋屋」。辺りは大きく損傷、木造で確実に駄目だと思われたこの建物は、奇跡的に助かった。「もの珍しさから」でも構わないから多くの方に足を運んで頂きたいと、九死に一生を得た大臣の御母様も仰っていました。

旅館「大鍋屋」内の津波到達地点表示
旅館「大鍋屋」の2階に上がる階段途中に、室内に津波が到達した地点を示す表示があった。到達時刻「PM3:38」と記されている。大臣の御母様は、津波から逃れる為に必死に階上へ向かったと仰っていました。

旅館「大鍋屋」の玄関脇に置かれている止まってしまったままの時計
旅館「大鍋屋」の玄関脇に置かれている、震災の津波到達で止まってしまったままの時計。旅館周辺に流れ着いた瓦礫が積み上がってる中、後片付けを行う大臣の御母様の写真なども、館内に置かれています。

気仙沼市鹿折地区
巨大漁船「第18共徳丸」が打ち上げられていた地域。今はもう解体してしまい跡形もない。

気仙沼港

気仙沼港「五十鈴神社」脇の歩行者専用通路に倒れたままになっている電信柱

宮城県気仙沼市魚町周辺
中央の白い建物が旅館「大鍋屋」。周囲の建物は津波による損傷が大きかったためすべて取り壊された。

被災した国登録有形文化財、老舗蔵元「男山本店」店舗
国内外の募金により応急修理されている。

気仙沼市内

南気仙沼駅があった周辺
まったく駅の名残はなく、辺り一帯は工事の途中。
よく見ると、途中で切断されている線路が伸びていた。

現在、JR南気仙沼駅(BRT専用)は、600メートルほど西に移設されている。

JR気仙沼線「本吉駅」
気仙沼市本吉町
震災時、本吉駅は津波の被害は受けなかったが、BRT専用ホーム設置のため元の駅ホームを途中で切断してある。

バスを志津川駅で降り、南三陸町防災対策庁舎へ。

南三陸町防災対策庁舎
宮城県本吉郡南三陸町にある、被災した「南三陸町防災対策庁舎」。隣接していた町役場は跡形も無く流失した。県などは遺構保存の支援を示しているが、町は解体の方針のまま。

南三陸町「南三陸さんさん商店街」
JR志津川駅に隣接する宮城県南三陸町の「南三陸さんさん商店街」。2012年2月25日にオープンした仮設商店街。飲食店や電気店、接骨院もある。

南三陸さんさん商店街内「鮮魚 マルセン」

「鮮魚 マルセン」の「かまぼこコロッケ」
うまー

「南三陸さんさん商店街」隣にある「モアイ像」
チリ地震時チリから送られたモアイ像が東日本大震災の津波で流失、再びチリのイースター島から送られた。

JR「柳津駅」
BRTバス路線はここまで。

電車で石巻駅へ。

JR石巻線「石巻駅」
宮城県石巻市鋳銭場

JR石巻駅駅舎
震災時津波により水没、列車は運行業務を停止。2011年5月に、一部列車運行を再開した。

JR石巻駅前の「石巻市役所」
1F商業施設「エスタ」北口入って直ぐに、高校生が「このまちを元気にする」ために企画、運営するいしのまきカフェ「 」(かぎかっこ)がある。

いしのまきカフェ「 」(かぎかっこ)
高校生が「このまちを元気にする」ために企画、運営している。土日祝は高校生、月火水は応援スタッフが営業。

「 」親黒カレー
いしのまきカフェ「 」(かぎかっこ)の人気メニュー、「 」親黒カレー。さんまそぼろが入ったキーマカレー「親潮カレー」と、鯛のだしをとったスープカレー「黒潮カレー」の2種類ルウ。高校生達が開発した。

「 」親黒カレーを食べ終わった後のお皿には、「まだ来てけさいん!Thank you」の文字が。このお皿も、高校生たちが作った。

石巻立町復興ふれあい商店街
石巻市立町2丁目

仮設商店街「石巻まちなか復興マルシェ」
石巻市中央2丁目
石ノ森萬画館の向かいにある仮設商店街「石巻まちなか復興マルシェ」。2012年6月にオープンした。

仮設商店街「石巻まちなか復興マルシェ」前から望む「石ノ森萬画館」
石巻市中瀬
道路脇の柵が、津波で捻じ曲がったままになっている。

中瀬公園「輝く人」
中瀬公園に設置されている高さ9mの巨大モニュメント「輝く人」。市の住民有志が震災復興の象徴として移設。

石巻駅から列車で浦宿駅へ。
女川方面を目指します。

「マンガッタンライナー」、JR浦宿駅到着

JR石巻線「浦宿駅」
宮城県牡鹿郡女川町浦宿
震災の津波の影響により、女川方面列車の現在の終着駅。

「JR浦宿駅」に停車中の石巻線「マンガッタンライナー」
ここからJR女川駅までは代行バスが走っている。女川駅駅舎は震災の津波により、土台だけを残して流失してしまった。

蒲鉾本舗 高政・女川本店「万石の里」
女川町浦宿浜
浦宿駅から徒歩5分ほど。
平成23年9月にオープン。

蒲鉾本舗 高政「万石の里」店内
「水曜どうでしょう」Tシャツが展示。非売品だかんね。

浦宿駅より徒歩で「エルファロ」を目指します。
女川へは2回目となるけれど、まだ一度も代行バスには乗っていません。
バスどんなんなのかなー。

女川トレーラーハウス「エルファロ」
今回で二度目の宿泊。前回なかったレストラン棟が一台増えていました。

「エルファロ」の夕食
いやー、新鮮魚介類使ってんで、すげーうまー。

蒲鉾本舗 高政「万石の里」購入の蒲鉾
チーズ蒲鉾蔵王うまー。

トレーラーハウスへは、正直最初、やっぱトレーラーハウスだしあれなんじゃね?ってなこと思ってたんですけど、そんなこと全くありませんでした。ほんと快適。普通のホテルとなんら変わりありませーん。
今日もおやすみー。

2014年1月9日(木)

旅行五日目。
残念ながら女川は、朝から強い雨。
いろいろ行き先を考えてはいたんですけどね。
いーや、とりあえず出発しちゃえ!ってな感じで、朝食食べてから福島方面に向かいましたー。

「エルファロ」の朝食
朝から食い過ぎた。

フロントに貼られているDVD「リアスの戦士 イーガー外伝」ポスター
リアスの戦士イーガーは、女川を守る正義のヒーロー。

雨降る中を震えながら出発。

胡桃をくわえたカラス
雨の降る中、くわえた胡桃を空中高くから落としたり、車両に踏ませるため道路に置く位置を変えることを何度も繰り返していた女川町のカラス。

女川港

町が保存方針を示した「旧女川交番」
女川町の震災遺構で、町が保存方針を示した「旧女川交番」。奥にある建物は「女川町地域医療センター」。建物のある高台の上まで津波は押し寄せた。

「女川町地域医療センター」内の「女川さいがいFM」

江島共済会館
「女川町地域医療センター」のある高台から見下ろす「江島共済会館」。「女川サプリメント」と共に、解体する方針。

女川町「うみねこハウス」
女川町の仮設住宅で暮らす方々が作った布草履や、「さんまなたい焼き」を販売している「うみねこハウス」。またもや「さんまなたい焼き」ゲッツ!とはなりませんでした。とほほ。
詳細は以下を見よ!

浦宿から石巻へ行き、そこから仙台、福島、郡山へと出て、JR郡山駅から磐越東線に乗り換えて、いわき駅に向かうことにしました。

JR磐越東線「小野新町駅」
福島県田村郡小野町
近くの「小野小町生誕の地」に向かったけれど、目印を見つけられず。駅員さん曰く「わかりづらい」んだって。
あと「リカちゃんキャッスル」なんつーのも近くにあるらしい。

JR小野新町駅周辺

JR磐越東線「いわき駅」
福島県いわき市平

いわき駅前のイルミネーション

復興飲食店街 夜明け市場
いわき駅近くにある「復興飲食店街 夜明け市場」。震災や原発事故で店舗を失った飲食店オーナーらによって2011年11月にスタート。当初は2店舗しかなかった。

「盛岡じゃじゃ麺&水餃子 さんさ」の「盛岡じゃじゃ麺」
我が生涯初の「じゃじゃ麺」。全く予想外の食べ方で、ご主人に一から十まで手ほどきを受けました。

福島のある地域では、原発から避難して来た避難住民が、総人口の約一割にもおよんでいるそうです。そうした中、仕事を持たず保証金で生活している避難住民に対し、元々の住民が反感を抱くということがあるそうなのです。
また、福島産の食品ということで避けられてるのを感じているというお話も聞きました。
その方は「復興へはまだ程遠い」と仰っていました。

2014年1月10日(金)

いよいよ今日が旅行最終日。無茶して帰れなくなってしまうのもあれなんで、福島沿岸部の移動だけに止めておきました。
まずは、いわき駅から北上する常磐線の終点、広野駅へゴー。

朝のいわき駅

原発事故により、水戸…

原発事故により、水戸方面から至る常磐線の現在の終点「広野駅」へ向かう 2014年1月10日撮影

出典元:YouTube

JR常磐線の終点「広野駅」

JR常磐線の終点「広野駅」
原発事故の影響により運転停止区間があるため、現在の水戸方面から北上するJR常磐線の終点「広野駅」。

JR常磐線「広野駅」

JR常磐線「広野駅」駅舎

JR常磐線「広野駅」の踏み切り

福島県双葉郡広野町「修行院」
津波で甚大な被害を受けた。

福島県双葉郡広野町「修行院」

福島県双葉郡広野町の海岸線
津波の損傷による「海岸災害復旧工事」が行われている。

奥に見えるのは「東京電力広野火力発電所」

広野町の「大好き広野!!」看板
福島県双葉郡広野町で見かけた「大好き広野!!」、「ガンバッペ福島!!」と書かれた看板。

広野駅からいわき方面へ戻り、「アクアマリンふくしま」のある泉駅へ。

JR常磐線「泉駅」
福島県いわき市泉町

「復興支援バス」と表示されている福島県いわき市のバス停

海岸方面埋立地区
「福島臨海鉄道専用線」踏み切り。中央奥に見えるのが「アクアマリンふくしま」

「アクアマリンふくしま」前の「がれき座」
震災を機に作った展示スペース。右側にあるのは津波で損壊した厚さ6cmのアクリル板の破片。

アクアマリンふくしま
福島県いわき市小名浜

「アクアマリンふくしま」の前では道路整備が行われていた。

「アクアマリンふくしま」展示スペース
1F「海・生命の進化」

「アクアマリンふくしま」展示スペース
3F「オセアニック・ガレリア」に展示されている「小名浜港の水に触ってみよう!」というコーナーには、「環境放射線モニタリング」の結果が表示されている。

「アクアマリンふくしま」展示スペース
「アクアマリンふくしまでは東京電力福島第一原子力発電所事故の影響を調べるために環境放射線を独自に測定しています。」

「アクアマリンふくしま」展示スペース
2F「ふくしまの海」
「サンマの展示の再開」開館以来サンマの周年展示を行っていたが、震災のため展示を中止。静岡県の漁業者の協力を得て、展示を再開することが出来た。

海上保安庁巡視船「あぶくま」と「アクアマリンふくしま」

「アクアマリンふくしま」館内で震災に遭遇したスタッフの方から、当時のお話を伺いました。
津波から逃れる為に上階へ駆け上がり、呆然と流れる瓦礫を眺めていたこと。震災後誰もが大きな喪失感からやる気の起こらない中、半ば強引に館長一人が皆を引っ張って行ったというお話。
こちらでも、復興を進める為にも多くの方に足を運んで頂きたいと仰っていました。

スタッフの方に「アクアマリンふくしま」の直ぐ隣にある「いわき・ら・ら・ミュウ」で震災展が開催されていると聞いたので行ってみました。

「いわきの東日本大震災展」
いわき市小名浜「いわき・ら・ら・ミュウ」で開催中

これで今回の5泊6日の東北旅行は終わり。
まだまだ多くの方が震災の被害に遭われ、ご苦労しているのが現状です。
我々に何が出来るのかと考えた時に、堅苦しく考えることはせず、まあとりあえず東北へ足を向けてみるってことから始めるのがいいんじゃないかなーって思います。
あーまた直ぐにでも、東北のほーに旅行行きたいなー。
いやマジ、明日にでも。

1