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東日本大震災から4年…

東日本大震災から4年が経過、復興進む宮城県・女川町から福島県の「帰還困難区域」まで行って来ましたー。

2011年3月11日に東日本大震災が発生。そして翌3月12日には長野県北部地震が。それから早くも4年が経過。なかなか復興が思うように進んでいるとは言えない現状ながら、かつて足を運んだ懐かしい場所からは嬉しいニュースもちらほら聞かれるように。そんなん聞くと、ぼら、やっぱムズムズして来るもんなんすよね。

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NAVERまとめ 魚拓

1 https://megalodon.jp/2020-0717-1608-04/https://matome.naver.jp:443/odai/2142866577803705701
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11 https://megalodon.jp/2020-0717-1619-28/https://matome.naver.jp:443/odai/2142866577803705701?&page=11
(2020年7月17日 魚拓取得)

そんな中、ひと際大きく伝えられて来てんのが、2015年3月21日に、4年ぶりに全線開通が再開されるっつー宮城県内を走るJR「石巻線」のニュース。
これまでは東日本大震災の影響で、女川町にある「浦宿」駅~「女川」駅間を代行バスで運行して来ていたんすよね。
その区間の路線整備も整ったっつーことで、いよいよ列車運行が開始されるわけなんすよ。

宮城県女川町には震災後に、2度訪問してるっす。
そのどちらも、「浦宿」駅~「女川」駅間は徒歩で移動してたんで、結局、代行バスには乗らずじまい。
一度くらいは乗っときゃよかったな、なんてことを思いつつ、この「石巻線全線運行再開」っつーニュースには、やっぱワクテカ感が半端ないっす。
じゃあ当然、実際に、その運転再開された区間の列車に乗ってみなくちゃってなるじゃあ~りませんか(チャーリー浜風)

2015年4月6日(月) 宮城県女川町の新生「女川駅」さん、ごめんくさい!あ、こりゃまたくさい!

つーことで、前回の女川訪問の様子はこちらっす。さんこーまでに。

14時50分、女川駅に到着!
空は今にも雨が降り出しそう。天気予報も微妙だし。
この後いろいろ予定を考えてあるんで、なんとか雨よ降らないでくれーなどと思いつつ、まず新しく出来た「女川駅」周辺を見て回ることにしましたー。

3月21日に運転再開…

3月21日に運転再開したばかりの、JR石巻線「女川駅」に到着!

出典元:YouTube

「女川駅」ホームに到着した列車

「女川駅」駅舎

「女川温泉ゆぽっぽ」の「足湯」
メンテナンス中で、残念ながら入れませんでいた。とほほ

「女川駅」と女川フューチャーセンター「Camass」
3月28日にオープンした、起業支援や町内外住民の地域交流拠点

なんか「女川駅」凄い!って感じっすけど、実は駅周辺は、これらの施設以外まだなんも出来てないん状態なんすよ。辺り一面造成中で、道路の通行禁止個所もあちらこちらに多数。駅前幹線道路はほぼ全域で舗装整備済みのよーなんすけど、しばらく進むと通行止めで、ここに来るのは工事関係車両だけってとこばっか。
綺麗に整ってはいるけれど、実は他方とはまだ繋がっていない。
そんな印象が強い女川駅周辺。震災から4年も経過していながら、こうした状態の被災された地域がまだまだ多くある現状。
各方面の方々には、もっともっと頑張って頂きたいもんすよね。ふんとにもう。

造成中の「女川駅」周辺
中央が「女川駅」駅舎

中央奥に見えるのは「女川町地域医療センター」

ここで一旦、本日の宿泊先、お馴染みのトレーラーハウス「エルファロ」へ。
荷物を置き、「エルファロ」備え付けのレンタル自転車を借りて女川町内を巡る予定なんすけど、これまで「エルファロ」へ繋がっていた道が通行止めに。
ちょっちあたふたしちゃったんすけど、造成工事が進む様子を、なんか実感しちゃったりしたのでした。

女川町の造成地
画像の右側中ほどにある表示が「嵩上げ地点」を示す。左に見えるのは「女川町総合体育館」

「嵩上げ地点」を示す右上の看板。この地点では、この高さまで「嵩上げ」する

辺りは前来た時とはすっかり様変わり。それは、あちこちで行われている「嵩上げ」工事の所為。現場の方によると、「嵩上げ」予定地内の、現在あるこの道筋もほぼ埋め立てられちゃうっつー話。なんで、今後ここに形成されていく道路は、どーゆー道筋になるかまだわかんないんだって。

トレーラーハウス宿泊村「エルファロ」

それでは、「エルファロ」で自転車を借りて、予定していた女川町高白浜にある「果樹園CAFE ゆめハウス」にレッツゴー。
まず来た道を戻り、「女川駅」前を抜け、「女川町地域医療センター」横を通って、国道398号線へ。そこから県道41号線を女川港沿いに進んで行くっす。
目的地までの距離は約5キロ。山あり谷ありで、こんなキツイとは思わなかったっす。おまけに工事車両もばんばん通るし。
途中、鹿さんとの遭遇も。女川町には、野生の鹿がたくさん居るんすから。これ豆な。

「お魚いちば おかせい」
「女川丼」が有名な「おかせい」さん。
今回は、時間がなかったんで、お店の前を通過しただけなのでしたー。ざんねーん

「おかせい」の「女川丼」
2014年3月、上野松坂屋の「がんばろう東北‼︎東北物産展」にて、ペロリ。美味しかったなー

「果樹園CAFE ゆめハウス」に到着!ぜいぜい、げほげほ。
この「ゆめハウス」は、高白浜に残った唯一の建物を改築したもの。なんで周辺にはなんもなし。建物前に広がる果樹園には、津波にのまれながらもたくましく復活したイチジクの木なんかもあるっす。
ここでの収穫物を加工販売したり、カフェを運営したり。そうした多岐にわたる活動で、被災者の自立を支援してるところっす。

女川町高白浜「果樹園CAFE ゆめハウス」

実はぼき、「ゆめハウス」の改修工事が行われる以前の2013年9月に、こん中に潜入していたのでしたー。
今回は、完成したここが、まーそのーチミ達うまくやれちょるのかな(偉そう)って思って、来てみたのでしたー。
詳細は以下を見よ!

「ゆめハウス」の果樹園
イチジクやトウガラシなどを栽培

「ゆめハウス」2階

襖上部の黒い染みは、東日本大震災時の津波到達の跡。建物改修に際しても、この跡はあえて残した

「女川とうがらし」
ここで栽培した「とうがらし」を加工。辛さは「普通」と「激辛」の2種類。「普通」のほーを購入したんすけど、こっちでよかったわ。ヒー

加工された「ガラス玉」
栽培作業が出来ない雨天時に、こうした加工作業を行っている。最近はこうした作業に、若いお母さん方も参加し始めているとのこと

「ゆめハウス」カフェ
被災建物の天井部を外し、壁材を変えただけ。建物改修前と比べると、まるで別の空間に感じられる。外の竹も伐採し、見晴らしも良好

宮城県女川町高白浜の…

宮城県女川町高白浜の「果樹園カフェゆめハウス」

出典元:YouTube

イチジクの「ドライフルーツ」
ご馳走になっちった。てへ

「ゆめハウス」の「女川ポスター」
映っているのが代表の八木さん。こり、恥ずかしいんだって

「女川町ポスター展」未出品の「ゆめハウス」ポスター
「女川町ポスター展」に出せんのは、1団体1枚だったっつーことで、ほんとはこっちも出したかったんだけどなーっつー1枚。ポスター持ってんのは、代表の八木さん

製作中の「ゆめハウス」の新しい看板
完成したら入口に設置する

今回はいきなり「ゆめハウス」を訪問しちゃったんすけど、たまたま八木さんがいらしたんで、色々お話を伺うことが出来たのでしたー。八木さんの次の目標は「キッチンカー」をつくること。それを使って、こちらの名物「さんまなたい焼き」なんかを移動販売していきたいって仰ってましたー。
現在、ここ「ゆめハウス」では「さんまなたい焼き」を作ってないんすよ。ぼきはこれ、残念ながらまだ一度も食べたことがないんで、是非「キッチンカー」を実現して貰って、焼き立てをいただきたいものだなーって思ったのでしたー。
そりと、毎年11月に横浜の山下公園で開催してる「復興支援まつり」にも参加してるっつーことなんで、そっちにも行ってみたいと思いまーす。
今後「ゆめハウス」は、他県での開催なんすけど、多くの支援してくれる方たちと共にコンサートも開催予定。あと、なんかここの歌もつくってCDも出すっつー話。
どこへ向かってるのか「ゆめハウス」!がんばれ「ゆめハウス」!「ゆめハウス」の明日はどっちだ!

「女川町地域医療センター」に掲げられている横断幕
「女川は流されたのではない。新しい女川に生まれ変わるんだ。」と書かれている

この日伺ったお話の中で、復興・再建に携わっていこうとする意欲がある者たちにさえ、ある「壁」が立ちはだかっているというものがありました。
嘗ては漁業に携わっていたんすけど、震災を経て、現在は女川町で建設関連の仕事に携わっている方から伺ったお話で、その「壁」によっては折角の意欲もそがれ、自らによる再建も諦めてしまうといったことがあるとも。
その方の視点から考察する「復興」についてのお話を伺い、「復興」といって思いうかべる形にも、個人差があるのだということにも気が付かされたっす。
ほんとそうしたのってのは、一括りに伝えられて来る「ニュース」では、感じ取れないもんっすよね。

明日も、朝から自転車で女川町を回る予定なんすけど、雨が心配。
まあ取りあえず、「エルファロ」の美味しい夕食をいただいて、ゆっくり過ごすことにすっか。
こまけーことは、明日朝起きてから考えよーっと。

「エルファロ」付近から見る、夜の女川町
中央から左に続くのは道路沿いの電灯。遠くに小さく見える灯りは、高台にある中学校などの施設のもの。他に灯りは見えない。嘗ては、この周囲一帯に住宅が建っていた

2015年4月7日(火) 目が覚めると雨!次第に晴れるとの予報っすけど、いかに!

「エルファロ」に掲示されている「女川ポスター」

朝方強かった雨足も、次第に小降りに。完全に雨がやむことはないんすけど、予定していた自転車での女川町「竹浦」行きを決行することに。約6キロの道のり。強く降らなきゃいいんすけど。

朝食前に周辺を散歩。濡れた木々の香りを堪能したっす。清々しい気分っす。花粉症に苦しめられていてさえ、こんなに素敵な気分。ひっくしょん。

昨日自転車で通った国道398号線を、今日は反対の方向に。「ゆめハウス」方面よりも緩やかではある女川港沿いの坂道を、それでもやっぱ必死こいてペダルを漕いでいったのでした。

国道398号線から眺めた「女川港」
画面中央に見えるのは「女川町地域医療センター」

「女川湾戦没者慰霊塔」
国道398号線沿いにある
「女川防備隊」が米艦載機と交戦した際の戦没者等が祀られている

女川港沿いの道は、どっち方向も工事車両が頻繁に走ってっから、要注意。
しばらく走ると、やがて「竹浦」と看板が出ている脇道が。周囲は交通整理のガードマンを配備し、造成工事の真っ最中。
周囲を走る車両に注意しながら脇道に入り、もんの凄い急な下り坂を下っていった先が「竹浦」集落。ここは、東日本大震災の津波によって約60戸あったほぼ全戸が流出してしまったところ。

ここへ来たのは、女川中学校の生徒達が設立した「いのちの碑」があるから。
女川中学校の生徒達が、東日本大震災の津波の被害を記録に残し、「1000年先の命を守りたい」という思いで設置したのがこの「いのちの碑」。女川町内の各浜で21カ所の津波到達点より上の場所に、石碑を建てる予定。
現在までに、6つの「いのちの碑」が女川町内に建てられてるっす。

竹浦「二渡五十鈴神社」
高台にあるここまでは、東日本大震災の津波は届かなかった。地上から約20メートルの高さにある

「二渡五十鈴神社」境内の「女川いのちの石碑」
2013年11月に設置

「竹浦」の海
「二渡五十鈴神社」境内から望む

竹浦「いのちの碑」と猫

宮城県女川町竹浦の「…

宮城県女川町竹浦の「女川いのちの石碑」、からのー猫

出典元:YouTube

「二渡五十鈴神社」にしばらくいると、どっからともなく猫が。最初は警戒してるようだったんすけど、直ぐにすり寄って来たっす。人懐こいっつーより、なんか人恋しいんじゃないかなーってな感じ。もんの凄くじゃれ付いて来るもんだから可愛くて、ちょっち一緒に遊んでたっす。ぼきが神社を離れようとする時はずっとぼきの足元の少し前を歩いて、階段を下っている時は、こっちが足を踏み出す位置の先に体をちゃんと向かわせるんす。猫は、ぼきの足取りに合わせて小刻みに右左と蛇行しながら、常に先行して進んで行くんすから。
足先のちょっち先を進んでいるだけなんすけど、邪魔になるなんつーこともなかったんすよね。猫のそんな歩き方は、まるでぼきに道案内をしてくれてるみたいな、それか歩いて行く先の安全確認をしてくれているみたいな、そんな感じがしてならなかったっす。

「二渡五十鈴神社」境内に通じるこの石段を、震災時、津波から逃れるために集落のお年寄りが駆け上がって行った

やがて、もう一匹猫がやって来た
こちらも甘えて来る

高台に位置する「二渡五十鈴神社」
中央に「二渡五十鈴神社」の屋根が少し見える。周囲の崖は切り開かれ造成の真っ最中。トラックが何台も駐車していた

宮城県女川町竹浦の海…

宮城県女川町竹浦の海辺から、「二渡五十鈴神社」を望む

出典元:YouTube

ぼきは雨の降る中、この地域のおいちゃんに「いのちの碑」がある場所まで案内して貰ったんすけど、そん時おいちゃんは、「こうした天気では復興工事もあまり進まなくなるのでは」って工事の遅れることを心配してたっす。
それは、震災から4年も経っているのに工事が完了しないことへの不満なんかじゃなくて、ただ工事の完成を一心に望む想いからの言葉なんだなって感じられたっす。

帰り道では途中から雨が降り出し、やがて大降りに。そこからは自転車を押して、傘を差すことに。
到着した「エルファロ」では、ちょっち休憩してから出発。「エルファロ」さんお世話になりましたー。また来まーす。
ここからは、「女川駅」では列車に乗らず、「浦宿駅」まで歩いて行きまーす。

「女川町仮設庁舎」

3月21日に運転再開…

3月21日に運転再開したばかりの、JR石巻線「女川駅」周辺

出典元:YouTube

「女川駅」駅舎
周辺は造成工事中

造成工事中の「女川駅」駅前
画面中央は「女川町地域医療センター」

「女川町地域医療センター」横の嵩上げ地

「津波記憶石」
「女川町地域医療センター」に隣接した公園に設置

「女川さいがいエフエム」スタジオ
現在生放送中!

「おながわさいがいFM」は、東日本大震災による大津波にて流出した町の防災無線にかわる情報伝達手段として開局。スタジオは「女川町地域医療センター」入口隣にある

「女川町地域医療センター」のある高台から望む女川港周辺

「女川町地域医療センター」

以前の「うみねこハウス」プレハブ設置場所
嵩上げ工事の為、立ち退き。現在、当時の「うみねこハウス」は「ゆめハウス」敷地内に移送設置されている

「きぼうのかね商店街」

「希望の鐘」
「きぼうのかね商店街」内に設置。 元々は「女川駅」に4つ設置されていたが、震災の津波の流出。その内の1つが奇跡的に見つかり、ここに設置されている

今日のお昼は「きぼうのかね商店街」でって決めてたっす!
なんで「きぼうのかね商店街」を回ってたんすけど、食べ物処は定休日とか臨時休業とかばっか。実は、「カフェごはん セボラ」さんとこもお休みだったんすけど、急遽、昼食を用意して頂いたのでしたー。その節はどーもすいません(林家三平風)、アーンド、ありがとーございましたー!
今度は、ちゃんとした営業時間内にお伺いしまーす。

きぼうのかね商店街「カフェごはん セボラ」
入口が空いてたんでシラーっと着席しちゃったぼきに、じゃあ、有り合わせで良ければ何か作ってあげるわっつってくれたのでした。てへぺろ

「カフェごはん セボラ」の「しらす汁」
「しらす汁」は女川でよく食されるものとの事

「女川町」の桜
ほころび始めてた頃っす

「浦宿駅」に着く頃には、完全に雨はやんでたっす。じょじょに晴れ間も見えて来たし。
これから「石巻駅」を目指し、JR石巻線に乗車。
また来るぜ女川町!あばよ!

JR石巻線「浦宿駅」
「沢田駅」方面

「女川駅」に続く線路

「女川駅」が完成したというだけの事を、ことさら「復興した」と取り上げるマスコミを批判する声を聞きました。駅周辺には「まだ何も無い」だろうにと。しかし、駅再開などの華やかな話題があがることで、普段なされることの少なくなった被災地に光を当てた報道の機会が出来たのも事実なのだとも。
伝え来るニュースは、喜ばしいものばかり。しかしそんな華やかな側面ばかりではない被災地の報道を、もっと公平に伝えて貰いたいという想いからの声なのでした。

「石巻駅」駅舎

「石巻市役所」前

いしのまきカフェ「 」(かぎかっこ)
震災後「石巻を元気にしたい!」とゼロからすべてを地元の高校生でつくってきたカフェ。企画、運営を高校生たちが行っている

土日祝は高校生、月火水は応援スタッフが営業

「白ひげコーヒー」と「ドーナツプレート」
ドーナツは中まで甘ーくて美味しかったー。メニューのネーミングも、高校生たちが考えたものでーす

「立町復興ふれあい商店街」
2011年12月10日にオープンした仮設商店街
こちらの無料レンタル自転車で、石巻の街中を駆け回って来ましたー

「石巻市街地」
以前あったアーケードは、2014年11月に、「老朽化に加え、東日本大震災で一部が損壊し、通行人の安全を確保できない恐れがある」などの理由から撤去。寂しい印象を受けてしまう

「石ノ森萬画館」

「水辺の復興・みらい館」と隣接する「石ノ森萬画館」

復興への思いを記入する「矢坂護岸」の基礎となる石
水辺の復興・みらい館」に設置された、旧北上川河口部、矢坂護岸の基礎となる石。みんなに復興への思いを記入して貰っている。ぼきも、応援メッセージを書いて来ましたー

「八幡町歩道橋」の「東日本大震災 津波浸水部」表示板

石巻市湊町「松厳寺」
こちらも震災で大きな被害を受けた。境内では、これまで様々な復興イベント等が行われて来た

石巻市「一皇子宮」
東日本大震災の津波により、お堂が根こそぎ流出。そうした爪痕が残る震災直後、境内で内田裕也による炊き出し&ライブが行われた

「石巻・吉野町 花咲け!プロジェクト」により一皇子神社境内に植樹された桜の木
被災地支援として「みなと応援村」の「石巻・吉野町 花咲け!プロジェクト」により一皇子神社境内に植樹された桜の木。この時はまだ、数輪が開花したばかり

宮城県石巻市湊の高台…

宮城県石巻市湊の高台から、沿岸部を望む

出典元:YouTube

「石ノ森萬画館」
周辺では、護岸工事が行われている

「中瀬」横の護岸工事

自転車の貸し出し時間は17時まで。時間ぎりぎりに自転車を返却して、今日はここ石巻に宿泊でーす。ここでは宿の予約なんてしとかなかったんで、ちょっち焦っちゃったんすけど、なんとか宿を確保。明日は早くから出発して、福島県まで足を伸ばしまーす。

2015年4月8日(水) これが「寒の戻り」っつーやつか!寒いっす! マジ寒いっす!

朝の「石巻駅」
陸橋の上から

「石巻駅」前の「東日本大震災 復興祈念の碑」
2015年2月20日に、東大阪東ロータリークラブが中心となり、JR石巻駅前に建立された「東日本大震災 復興祈念の碑」

JR石巻線「石巻駅」駅舎

JR石巻線「石巻駅」から「仙台駅」を経由して、JR常磐線「亘理駅」へ。
そこから福島県相馬市の「相馬駅」行きの代行バスに乗り込み、途中駅の「山下駅」を目指しまーす。

「亘理駅」駅舎
「相馬駅」行きのJR代行バスの中から

JR代行バス「山下駅」
「山元町役場」内に設置

「山元町役場」

山元町役場内「ふるさと伝承館」

「ふるさと伝承館」内の「被災写真返却会場」
こちらでは、東日本大震災により被災した写真を分類し保管、持ち主の元へ返却するための返却会を実施している

「被災写真返却会場」内の、山元町を区分けした地図
震災後、自衛隊により回収された写真類はこの区分け通りに分類され、その後の洗浄、返却作業が進められていった。この地図は、当時使用されていたもの

宮城県山元町の東日本大震災時に自衛隊などにより回収された「被災写真」は、約75万枚。
震災後、現地に入った自衛隊らは区分した地域毎に回収された写真を分けて保管し、その区分けを、その後の写真の洗浄や返却作業にも活用していった。

山元町の写真修復作業は、町内の「思い出サルベージ」と連携。
画像のデータベース化も進められ、複製画像を作成していく事により閲覧が容易に出来、また、複数存在する画像などからは、損傷が少ないもののデータを保存していく事によって、卒業文集などの複製を作成する事が可能になった。希望者には、その部数分発行し、配布する事が出来る。それらは、フジフイルムの協力によるところが大きい。

山元町の被災写真修復の現場では、当初より率先し活動を牽引した方がいて、他の地域の活動よりも、既にある程度の整理は行われていたように感じられました。更にその方の尽力により、広範囲からの写真救済の援助を受ける事が出来るようになっていくのです。

現在でも山元町では、個人が所有している「被災写真」の修復を受け入れています。これは、例えば、山元町に持ち込まれた「被災写真」を、山口県にいる修復支援者の元に送り、修復作業を行ってもらうといった方法をとっています。

未曾有の大災害に見舞われ、その中で必要となっていった「写真修復技術」も前例がないものであり、新しく開拓していかなければならないような分野であった。その中で、他の地域の修復ノウハウを持つ側との連絡が取り合えるという強みを、山元町は得ていく事が出来ました。

こうした活動体系は、「思い出サルベージ」の支援活動によるもの。

ここ山元町では、現在までに約42万枚の「被災写真」が持ち主に返却されています。

現在は、山元町役場の「ふるさと伝承館」内に、規模を縮小して「被災写真返却会場」が併設されており、「伝承館」館長がそちらの管理も行なっています。「伝承館」自体も震災後は従来の活動は行なってはおらず、もっぱら、スペースを地域の住民達の日常の交流のために使用しているとのこと。

規模は縮小傾向だが、山元町の「被災写真」救済の取り組み方は、こうした事態のモデルケースとなり得るものだと強く感じられました。

会場内には、修復された写真を受け取った時の、持ち主の方の喜びにあふれた笑顔の写真が飾られています。それらの素敵な写真のおかげで、このあまり広くなく書棚ばかりの殺風景なスペースも、なんだか居心地の良いところのようにも感じられました。

山元町では、被災現場で回収された「ネガフイルム」も持ち主の元へ返すために、全て現像し、「被災写真返却会場」に展示しています。
その画像の多くは、ほぼ無傷といってもいいくらい綺麗で、長時間海水に浸かったりしながらも耐久性が強いという特性を「ネガフィルム」は持っているのだと感心させられました。
館長さんとぼきは、「もしかしたらこれから、フィルム写真の価値が見直されることとかがあるかも知んないっすよね」なーんてなお話も、してたりしたのでした。

山元町役場前「国道6号線」沿いに咲いていた桜

「ベリーベリーラボ」
被災した農家が集まり設立した「山元いちご農園株式会社」が、2014年2月に農園内にオープンしたカフェ
山元町役場からは2.5キロほど

「ベリーベリーラボ」店内

「特製いちごカレー」
「いちごのソース」がついてて、かけて食べれば味の変化を楽しめますよって。「いちごカレー」なんて食べる前はおいおいって思ってたけど、意外とあり。生いちごより、「いちごのソース」のほうがカレーに合ってんじゃないかなー

「苺のチーズケーキ」
生地にも苺が練り込んであって、ほんのり苺味。これは美味しかった!1ホール、ひとりで簡単にペロリだわ

山元町役場に戻り、再び、JR代行バスに乗車。これからバス終点の、福島県相馬市のJR「相馬駅」を目指しまーす。

JR常磐線「相馬駅」

福島県相馬市中村「山形屋商店」
こちらの商品「本醸造特選醤油」が、2年連続「農林水産大臣賞」を受賞。建物は、江戸末期のもの。

福島県相馬市中村「山形屋商店」店内

福島県相馬市中村「山形屋商店」の「あまざけ」

「福島交通相馬営業所」

JR「相馬駅」からは、「福島交通」さんの路線バスを利用。今日の宿は「松川浦」にある「旅館 いさみや」さんでーす。

バスん中では、見かけない顔のぼきに、運転手さんが声をかけてくれたんすよ。どこに行きたいんすか?って。で次には、運転手さんと乗客である地元の方との話し合い。バス路線上のどこで降りれば、一番「旅館 いさみや」に近いだろうかなって。元々降りようって思ってたとこじゃ宿から離れてたんで、助かったっす。みなさん、ありがとー。

福島県相馬市尾浜「旅館 いさみや」
東日本大震災の津波により被災し営業を中止していたが、2011年7月に営業を再開。この地区で最も早く営業再開を果たした旅館のひとつ

東日本大震災発生当時、工事作業員の宿泊場は全く無い状況。津波で1階の全て、ボイラー室共に損壊し泥まみれになっていた「旅館 いさみや」に、水に浸かっていない2階だけでも使用出来ないかとの話もあったほど。この地域は比較的、津波到達時には避難が完了していたため、人員の被害は少なかった。

「旅館 いさみや」階段
階段途中に、津波が押し寄せた地点を示した表示がある。また、被災時の写真、「旅館 いさみや」再建に向け作業している写真なども展示

スタッフ一丸となり復旧作業を進めようと、「がんばっぺ松川浦」Tシャツを作成。多くのボランティアの方々と共に、営業再開に向け取り組んだ

「松川浦」の護岸工事

「川口稲荷神社」
海を見下ろす高台に建つ。神社すぐ下の位置まで、津波が押し寄せた

「松川浦大橋」
現在は、工事車両のみ通行可

「松川浦」の護岸工事

折れ曲がったままの鉄柱

「相馬市伝承鎮魂祈念館」周辺

「相馬市伝承鎮魂祈念館」
4月1日オープン。市が東日本大震災の教訓を継承するとともに、市内で犠牲になった458人を追悼する場として新設

「相馬市伝承鎮魂祈念館」前の折れ曲がったままの看板

「相馬市東日本大震災慰霊碑」
2014年3月11日に、除幕式が行われた。直ぐ側に、「相馬市伝承鎮魂祈念館」が建つ

「相馬市伝承鎮魂祈念館」と折れ曲がったままのブランコ

「藤の花」の古木と「相馬市伝承鎮魂祈念館」
東日本大震災の津波にのまれながら奇跡的に残った「藤の花」の古木

聞くとはなしに聞こえて来た、「伝承鎮魂祈念館」にいらしていた地元の方の話の内容がユーモラスで、思わず笑っちゃいそうになったんすけど、そのどれもが実は震災当時の大変な時のもの。その方自身も避難生活を体験し、親類の方の死にも直面。現在も、復興半ばという状況であるとは思うんすけど、なんとも朗らかに、友人と一緒にそれらを「思い出」として語り合ってるんすよ。こうしたもんが「強さ」なのかなーって思ったんすよね。

「旅館 いさみや」の夕食
「旅館 いさみや」は、現在、ほぼ工事関係者の宿泊の為、本来はこうした一般観光客向けの食事は提供していない。食材の用意が出来ない等が理由であり、観光目的という宿泊者に対しても、時には断らざるを得ない事もあるとのこと
でも、これはとても美味しかったっす!早く「松川浦」の食材がたくさん並ぶようになって欲しいっすよねー
わざわざ、こんな美味しい料理を用意してくれて、ありがとーございましたー

2015年4月9日(木) 旅行最終日は南相馬市へ!そして「帰還困難区域」を通過しまーす。

「船越観音堂」の鳥居

「船越観音堂」

「船越観音堂」境内の「津波到達地点」表示

「船越観音堂」と「夕顔観音堂」

「船越観音堂」境内の桜

「伝承鎮魂祈念館」周辺
「船越観音堂」近くの「県道38号線」から見た眺め
この周辺が嘗ての住宅地であり、もっとも犠牲者の多かった地域。そのほとんどが津波は大したことが無いと自宅に残っていたり、荷物を取りに自宅に戻ったりした方々だった

「松川浦」の朝
ほのかに磯の香り。清々しい景色です

福島県相馬市「松川浦…

福島県相馬市「松川浦」の朝(ロングバージョン)

出典元:YouTube

ここ「松川浦」は、他よりも安く美味しい「松葉ガニ」が食べられると、多くの人が訪れていたところ。現在は、ようやく「試験操業」がある程度行われるようになってはいるんすけど、とても豊富な食材があるとは言えない状況。それでも「旅館 いさみや」の女将さんはお話の中で、その「試験操業」開始を喜んでいらっしゃいました。まだまだ全然、震災前とは程遠い「松川浦」の現状で、本当の復興までには長い時間が掛かりそうではあるんすけど、自身が共に暮らしてきた「海」が復興に向かって進んでいるってな実感が、そこに感じられているみたいだったのでした。
他の方々からもよく聞かされるんすけど、目の前に広がる「海」の所為で大きな被害に遭ったにもかかわらず、この「海」が嫌いにはならないって、女将さんもおっしゃっていました。

「旅館 いさみや」さん、お世話になりましたー。今度行く時も、美味しい料理お願いしまーす。

「旅館 いさみや」

「松川浦」からバスで「相馬駅」まで。そこからはJR常磐線の列車で「原ノ町駅」へ向かいまーす。

「相馬駅」駅舎

「原ノ町駅」駅舎

「原ノ町駅」前の「相馬野馬追像」

この「原ノ町駅」前には、無料で自転車を貸してくれるとこがあるんすよ。
前回こちらに来た時と同様に、まーた無料レンタル自転車をお借りして、「小高駅」を目指しまーす。
どこで借りられるのか知りたい!ってな方がやっぱいると思うんで、そん時のレポートを紹介しとくっす。これから向かうとこの他の「南相馬市」のいろいろも、紹介してありますからねー。

「ふくしま浜街道・桜プロジェクト」の桜
国道6号線沿いに植えられた、「ふくしま浜街道・桜プロジェクト」の桜。以前来た時より、新芽部分が大きく膨らんでました

「原ノ町駅」〜「小高駅」間を繋ぐ「国道6号線」沿いの、「小高駅」に近いところの側道の整備が、以前より進んでいました。大きく破損し通行止めになっている箇所が1ヶ所残るだけ。「国道6号線」は、大型工事車両が頻繁に通るが、気を付けて進めば、自転車でも安全に通行できる。

「小高区」は現在も「避難指示解除準備区域」とされて、居住許可は出ていない。今回のように「小高区」内に自由に立ち入ることは出来るが、宿泊は出来ないという状況。

JR常磐線「小高駅」駅舎

小高アンテナショップ「希来(きら)」
「小高駅」の目の前に1月31日にオープン
「小高区」にゆかりの商品を販売。開店は木曜日から日曜日の午前10時~午後3時まで

「希来」店内

地域で栽培され、測定検査済みの野菜を販売

「希来」オーナーの小林さん
小高からの情報発信をどんどんして行きたい!と、熱く話してくれました。だけど現状、忙しくってとほほ、なんだって

「油菜ちゃん」
相馬農業高校農業クラブ生徒のアイデイアによる、南相馬市で栽培されたナタネを使用した「なたねオイル」。放射能測定を行い、安全を確認している

「希来」オーナーの小林さん に、「正直、人のいないここでアンテナショップなんて」ってな、ぼきの最初に思った感想を話したところ、そんなことはなく、「ははは(笑)訪れる人は案外多い」んだって。こちらは、復興バスツアーなんかのコースにもなっているし、近くにいらした地域の方なんかも、ふらっと話をしに立ち寄る事なんかもよくあるんだって。
実際、こちらを伺った時にも、ちょうど浪江町の方がいらしていて、皆さんで近況報告や「愚痴」なんかを楽しそうに話していたところ。同じような境遇で、同様の問題を抱えている者同士が気楽に話し合える場ってのが以外に無いらしく、ここをそうした場に使って貰ってもいいんで、みんなに気軽に来て欲しいってさ。ぼきにもまた来てねだって。

小林さん は、ここが全く問題のない、まったく安全な場所だとは思っていないと。だからこそ、この地域の者として正しい情報を発信し、注意するべき事は注意するべきこととしてしっかり伝え、そうして皆さんに安心してここに来て貰いたいと仰っていました。「小高駅」前では定期的にイベントも行っていて、今週末はバーベキュー大会を予定しているとのお話。
小林さん、小高からのいろんな情報発信よろしこー。

「希来」隣の補修工事中の「双葉屋旅館」
小林さんが女将をしていた補修工事中の「双葉屋旅館」。工事着手は2013年だが、まだ工事途中。理由は、人手不足や、地区の家屋解体工事優先などのため。いつになるか分からないが、ここでの「旅館再開」は決定事項とのお話

「おだかのひるごはん」
2014年12月8日オープン
営業は月・火・木・金の週4日で、午前11時~午後2時迄

本日の日替わり定食「メンチカレー定食」
デザートに、ヨーグルトもついてまーす

「小高浮舟ふれあい広場」の桜
自宅の清掃まどに訪れる方のために、休憩場などを提供。また、帰還住民間の交流を活発化させたいと、イベントなども開催している

小高区の小学生が「手形をつけたベンチ」
小高区の4小学校の児童たちが絵を描き、「がんばっぺ!小高」などと書かれたベンチなどを、民間のスペースを借りて配置している。以前来た時は、ただ一か所にまとめられていただけだった

「相馬小高神社」
嘉暦元年(1326)領主相馬氏は小高の城を築き太田から居城を移し、相馬氏の鎮守妙見を祀る堂を建立鎮座させた。その妙見堂が相馬小高神社の由来とされている

福島県南相馬「相馬小高神社」の桜
地元の方が引っ切り無しに、桜を観に来ていました。中には今は地方に住んでいて、福島を発つ前にここの桜を観に来たという方も。風が強く、花弁が舞っていました

福島県南相馬市小高区…

福島県南相馬市小高区、JR常磐線「小高駅」周辺を陸橋上から望む

出典元:YouTube

これから「小高区」を後にして、「原ノ町駅」が位置する「原町区」内を、ちょっち回って来まーす。

「原ノ町駅」手前の踏切から
「原ノ町駅」方面を望む

「磐城太田駅」方面
左側の線路上は草が生えたままになっている

「朝日座」
映画館としては1991年に閉館。開館から91年を経た2014年4月、相双地区第1号の「国登録有形文化財」となる。現在も映画上映や寄席が行われている

「朝日座」側面

「三嶋神社」

実は、前回、南相馬に来た時に「南相馬ひばりエフエム」さんがある「南相馬市市役所」にちらっと来てて、今度こっちに来た時はスタジオまで行ってみよーってな事を思ってたんすけど、いざスタジオ前まで行ったら極度の緊張のあまり足はガクガク、冷汗はダラダラ、過呼吸さえ引き起こしてしまいその場にくずおれて、敢え無くスタジオ訪問を断念してしまったのでしたー(嘘)

南相馬ひばりFM@msfm795

怖くないですよ RT @kazuy1929 臨時災害放送局「南相馬ひばりエフエム」さんのスタジオ前まで行きながら、なんかビビっちゃって、入口に備え付けてあるチラシを貰っただけで帰って来ちゃったことは内緒のはなし。

返信 リツイート 2015.04.11 11:17:40

さて、これでぼきの今回の旅行もそろそろおしまい。
後は東京への帰路を辿るだけなんすけど、そこで今回選んだルートは、1月31日に運行を開始ばっかの「原ノ町駅」~「竜田駅」間を結ぶJR代行バス。
これまで不通となっていたJR常磐線「原ノ町駅」~「竜田駅」間を、「国道6号線」を使ったバス運行で繋いでるっす。「竜田駅」までの所要時間は1時間25分となってるっす。

この「原ノ町駅」~「竜田駅」間の代行バスは、今んとこ1日朝夕の2往復のみ。「原ノ町駅」発車時刻は、6時50分と16時50分。
これからその夕方の便に乗り込もうって寸法っす。

「原ノ町駅」発「竜田駅」行きJR代行バス
「原ノ町駅」~「竜田駅」間の運行を1月31日に開始

JR「原ノ町駅」発〜「竜田駅」行きの代行バスは、他の東日本大震災の影響で運行を行っているJR代行バスとは異なり、運転手の他に乗務員も1名乗車。他では行われない、出発前の簡単な説明が乗務員によって行われた。バスの大まかな運行ルート、「帰還困難地域」を通過すること、そのため途中停車はしない旨の説明がなされた。
乗務員は線量計を携帯していて、降車する際に、希望者には実際の被ばく線量を伝えてくれるとのこと。

この「原ノ町駅」〜「竜田駅」間を走るJR代行バスが通過する「帰還困難地域」は、「原ノ町駅」側から順に「浪江町」→「双葉町」→「大熊町」→「富岡町」。「浪江町」よりこちら側は、先程自転車で回って来た南相馬市「小高区」となり、「富岡町」の先は現在「避難指示解除準備区域」となっている「楢葉町」となる。「楢葉町」では6日から、帰町に向けた3カ月間の準備宿泊が始まっている。

やがて出発時刻のとなり、バスは「原ノ町駅」前を通る「県道262号線」を南東へと走り出す。そして、交差する「国道6号線」を南下して行く。

南相馬市「小高区」
「国道6号線」と「小高駅」方面へ通じる「県道260号線」が交わる「大井」交差点を過ぎた辺り

浪江町「知命寺」そば
「国道6号線」を挟み右前方に「浪江町役場」がある

左下には「ふくしま浜街道・桜プロジェクト」で植えられた桜の木が。「国道6号線」沿いにずっと植えられていました

画面左に少し見える案内板には「請戸川」の文字が

並べられた「除染廃棄物」

浪江町
主要幹線道路以外の脇道は、全てバリケードで封鎖されている

浪江町
主要幹線道路の脇道は、バリケードで封鎖。全てではないが、警官を配備している個所もあった

「県道253号 酒井・井手方面 帰還困難区域につき 通行制限中です」とある立て看板

浪江町

浪江町「高瀬」交差点
「帰還困難地域」の進行方向の信号は全て「黄色」信号。それ以外はすべて「赤」信号となっていた

浪江町

双葉町長塚「寺内前」交差点

双葉町「双葉厚生病院入口」交差点
「国道6号線」を挟んで右方向に「双葉駅」がある

倒壊したままの家屋

「この先 帰還困難区域につき 通行止め」と書かれた看板

双葉町新山「牛踏」交差点
「国道6号線」を挟み反対側に「双葉郵便局」がある

大熊町

大熊町「小入野」交差点
「国道6号線」を挟み右に進むと「大野駅」に至る

大熊町の桜

大熊町「JA施設」

「除染廃棄物」

富岡町「東京電力エネルギー館」

富岡町「双葉警察署前」交差点

富岡町「双葉警察署前」交差点
ここから信号が正常に作動。この交差点で信号待ちをするため、しばらく停車していた

富岡町

「除染廃棄物」

富岡町上郡山「太田」交差点

楢葉町「ファミリーマート楢葉町上繁岡店」
2015年1月31日に、約3年10カ月ぶりに営業を再開

JR常磐線「竜田駅」駅舎

こうして、JR常磐線「原ノ町駅」発の代行バスは「竜田駅」に到着。この日の所要時間は1時間10分ほど。もともと運行ダイヤには、余裕を持たせているとのこと。

この「竜田駅」も、昨年の6月1日に営業営業を再開したばっか。
駅周辺に商業施設は皆無で、「楢葉町」で生活を送っている方も、まだ多分、数えるほどしかいないっしょ。
駅から1キロ程のところにある楢葉街役場前には、こちらも7月31日にオープンしたばっかの「ここなら商店街」があるんすけど、そこまではまだなーんにも無いし。
そんな「楢葉町」周辺の様子は、昨年8月に「竜田駅」に来た時にちょっち回ってんで、よかったら見てみて下さーい。

こうして、今回の旅行は全日程を終了。この後は、ほんと、ただ電車に揺られて、家路を辿るだけっす。

東日本大震災から4年。もう4年すよ、早いもんすよね。
各地から、復興に向かう精力的な声が多く聞かれて来る一方で、しかし4年も経っているのにまだこんなところまでしか工事が進んでいないのかってな、落胆の思いも正直感じてしまうこともありはするっす。
だけど今回、皆さんにいろいろお話を聞かせていただくうちに、こうした辛い状況に中で落胆するのも仕方がないことではあるけれど、そうした思いよりも、前へと進む気持ちを持つことがいかに大事なことであるのかっつーことを、強く知らしめられた気がするんすよね。
そりゃー、困難な状況の中で、常に前向きな気持ちでいられるっつー精神力は、並大抵のもんじゃないとは思うんすけど、ぼき個人としても、そんな思いを常に持ち続けていられれば、誰かの支援をってー時にだって、より力を発揮出来るっつーもんだよなーって思ったんすよ。
被災地で暮らす現地の方たちに元気を求めるばかりじゃなくて、そんな方々を支援する側の元気が、ずんずん溢れてたっていいもんなんじゃないのかなーって思ったりしたんすよね。

取りあえず、ぼきなんかは、早々被災地支援のために多くのことに取り組めなんて出来やしないんで、現地発信の正しい情報を、しっかりキャッチして行きたいなって思ったのでしたー。
差し当たり、皆さんには、現地からの美味しいもんの情報を、どんどん送っていただきたいなーって思ってまーす。
それを目当てに、次の旅行先を決めちゃったりするかもだし。
そこんとこ、よろしくー。

「竜田駅」ホーム

さて、これから東京へと帰るとすっか。
今日は家につくのが、余裕で23時過ぎちゃうんだよなー。とほほ。
はやく、常磐線の平常運行開始しろっつーの。

おしまい

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