NAVERまとめ 魚拓
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(2020年7月19日 魚拓取得)
https://matome.naver.jp:443/odai/2145232400646478501 - 2020年7月17日 16:37 - ウェブ魚拓
ならいっそ、気になるその場所へ、もう一度行って来てみればいんじゃね?つーことで、以前伺ってからちょうど2年経ったかつての訪問先を中心に巡るべく、年明け直ぐに東北地方へ向け出発したのでしたー。
2016年1月4日(月) まず目指すのは、もうすっかりお馴染みさんの福島県南相馬市!
まずはJR常磐線に乗り込み北上。震災による不通区間があるため、現在の列車による直通の終点「竜田駅」からは代行バスに乗り込んで、最初の目的地「原ノ町駅」へと向かったっす。
JR常磐線「竜田駅」
「竜田駅」の「楢葉町写真展」パネル
竜田駅が位置する福島県楢葉町は、昨年9月5日に避難指示が解除。帰還を促すためという思いもあるのだろう、駅舎内には前回訪れた時にはなかった、楢葉町の復興推進課による写真パネルが展示されていた。
「竜田駅」のある楢葉町周辺は、その変化して行く姿を直に目にしたいって思って、これまで何度か訪れてるんすよね。
そん時のまとめたもんがあるんでご紹介しておくっす。
富岡町「双葉警察署」
原発PR看板「原子力明るい未来のエネルギー」撤去跡
撤去された看板は震災遺構として保存される。
「大堀相馬焼」看板
「大堀相馬焼」は浪江町大堀で焼かれる陶器。原発事故により10キロ圏にあった浪江町大堀は強制退去を余儀なくされ、協同組合もろとも二本松の小沢工業団地内に移転。現在は、二本松市小沢工業団地に「陶芸の杜 おおぼり 二本松工房」を開き、営業を再開している。
バス内から見た南相馬市「小高駅」
JR常磐線「原ノ町駅」
「原ノ町駅」に到着!
今日はすんげー暖ったけー。
「原ノ町駅」にも、「相馬野馬追」観に来たりとかで何度も来てるんすよ。
そいで周辺巡る時は決まって、駅隣で管理してる「レンタル自転車」のお世話になってるっす。
やっぱとーぜん今回も、レンタル自転車をお借りすることにしたのでしたー。
早速、さっきバスん中から見えてた、「小高駅」のほーに向かってしゅっぱーつ。
「ふくしま浜街道・桜プロジェクト」による、国道6号線沿いに植えられている桜
以前目にした時よりも大きく成長しているものが大半だったが、中にはプレートが外れてしまっていたり、支柱を残して桜の木自体が無くなってしまっている箇所もあった。大変だとは思うが、成長して行く過程で、定期的なサポートを強く希望する。
陸橋上から見た「小高駅」周辺
JR常磐線「小高駅」
ガラス越しに見た「小高駅」舎内
2016年春の運転再開を目指す「小高駅」~「原ノ町駅」間では、2015年4月6日から復旧工事を開始。そのおかげで「小高駅」周辺はすっかり整備されている。
そして「小高駅」〜「浪江駅」間の2017年3月の運転再開を目指して、1月6日からこの区間の復旧工事を開始。この運転再開時期は、浪江町が帰町開始を目標としている時期に合わせてるんすよね。
「小高駅」前の「菜の花プロジェクトネットワーク」による「イルミネーション」
2014年から、滋賀県の「菜の花プロジェクトネットワーク」によって行われているイルミネーションイベント。イルミネーションの電気は、廃食油を精製してつくったBDF燃料による自家発電の電気を使用。イルミネーションは2016年1月15日まで実施の予定。
「のらともはなかふェ」
南相馬市鹿島区に 2013年5月に開設した「のらとも農園」が、2015年に新たに小高駅前にオープンさせたオープンガーデン。「のらとも農園」は、当初の約束通り、2016年3月までに元の状態の更地にする。
「双葉屋旅館」
こちらを訪れた1月4日から、宿泊希望の一時帰宅者の受け入れを行っている。隣にある、アンテナショップ「希来」オーナーが、こちらの女将さん。
奥は「双葉屋旅館」。そこから一軒はさんで「希来」。
アンテナショップ「希来」
2015年1月31日にオープンした、小高区の避難中の住民らが作ったグッズなどをそろえるアンテナショップ。営業は木曜から日曜までの週4日。午前10時~午後3時。今日はお休みっす。
仮設店舗「東町エンガワ商店」
2015年9月28日にオープン。食料品など1000点以上を取り扱う。営業時間は午前10時~午後7時、定休日は日曜日。
「東町エンガワ商店」の「菓詩工房わたなべ」コーナー
「菓詩工房わたなべ」の「小高秀」
ここで弁当と「菓詩工房わたなべ」さんとこの「小高秀」ゲッツ!お店に行った時には、「小高秀」がひとつも見当たらず。お店の方に尋ねたら、お客さんが「大人買い」して行った直後だったんだって。まーこれ、美味しいからしゃーないか。
南相馬市小高区から原町区に移転し2014年12月5日に営業を再開した「菓詩工房わたなべ」さんとこの「小高秀」はめっちゃ美味い(確信)
「おだかぷらっとほーむ」
2015年10月1日に、2016年4月の避難指示解除を目指す南相馬市小高区で活動している団体「小高を応援する会」が、小高区を訪れた人や地元住民などの交流スペースとしてオープン。時間は午前10時~午後3時。
室内改装中の「おだかぷらっとほーむ」さんの隅で、買って来た弁当食べてたっす。「小高秀」マジうめー。コーヒーも出して頂いちゃいましたー。こちらは、皆さんのためのフリースペース。いろんな方が入れ替わり立ち替わり、いらっしゃってましたよ。
「小高区船山ふれあい広場」
2013年4月より「ふれあい広場」が再開。自宅の清掃まどに訪れる方のために、休憩場などを提供。また、帰還住民間の交流を活発化させたいと、イベントなども開催している。
「小高商工会館」
老朽化していた旧会館が震災でさらに損壊したため、2014年3月に「商工会館」の建て替えを決定。2015年4月16日に竣工式が執り行われ、6月1日より事務所をこちらに移転した。
「相馬小高神社」
「相馬野馬追」最終日に行われる「野馬懸」の祭場地。桜の美しいところっす。
ここまで紹介して来たとこは比較的まとまってたところ。さてこれから本日のメインデッシュ、「大悲山の石仏」に向かうべく、一旦小高駅に戻るっす。そっからの距離は約2・5キロほど。線路沿いに南下して行くと、まず、「薬師堂石仏」のある「「薬師寺」前に、ずん!っと、でっかい杉の木がそびえ立っていたのでした。ずんと。
小高区泉沢「大悲山の大スギ」
県指定天然記念物。「薬師堂石仏」の庭前石段のそばにある大樹で、根元は石段設置の際に埋められているが、目通り幹周り8.6メートル、高さ約45メートルある。
小高区泉沢「薬師堂」
堂内に「大悲山の石仏」群のひとつ、「薬師堂石仏」がある。「大悲山の石仏」は東北地方で最大、最古の石仏。国指定史跡に指定されている。
削られた崖部の中に建てられている。
「薬師堂」内部
「大悲山の石仏」群のひとつ、「薬師堂石仏」がある。現在は文化財保存のため、ガラス戸内の立ち入りは中止。
「薬師堂石仏」
日本三大磨崖仏と称される。思ってた以上の迫力。石仏に僅かに残る彩色から、本来の色鮮やかさが偲ばれる。
小高区泉沢「阿弥陀堂」
「阿弥陀堂石仏」
「大悲山の石仏」群の内の「阿弥陀堂石仏」 形もあきらかでないほどに剥落が激しい。阿弥陀仏が刻まれていたと伝えられている。
小高区泉沢「大悲山大蛇物語公園」
この地に伝わる「大悲山大蛇物語」に因みつくられた公園。左後方に続く道は、通行止めになっている。
大蛇の模型が保管されている。
「大悲山大蛇物語」のあらすじが記されたパネル
小高区泉沢「観音堂」
「観音堂石仏」
「大悲山の石仏」群の内の「観音堂石仏」。岩窟に彫り込まれた十一面千手観音坐像であったと考えられている。
「観音堂」の復旧までの様子を紹介したパネル
東日本大震災の本震と4月まで続いた余震で観音堂石仏の覆屋が倒壊。南相馬市内の文化財の中で最も大きな被害を受けた。
南相馬市小高区と、原町区の一部で指定されていた警戒区域が解除された2012年4月16日直後に訪れた「大悲山の石仏」の様子が紹介されています。
磨崖仏つったら、福島県相馬市の「百尺観音」も、いずれ見に行かなくちゃなんだよなー。まだ完成してないっつーんだからこれ、製作中なんだよね。
相馬出身の仏師荒嘉明氏(昭和38年没)が岩山を切り開き建立したが、完成を見ないまま他界。現在3代目の嘉道氏が制作を再開したが、現在資金不足の為制作はストップしている。
小高区泉沢字浪岩「浪岩の横穴古墳A群11号」
南相馬市指定文化財。浪岩地区の山林中腹に、幅およそ54メートルにわたって横一列に並べて19基ほど構築された6~7世紀の横穴古墳群。
帰りに再び「東町エンガワ商店」さんで「菓詩工房わたなべ」の「小高秀」を購入した際に、「大悲山の石仏」について色々とお話しして来たんすよ。「旅行前に探して来てみたんすけど、ここのしっかりとした説明が無いんすよね」とか、「紹介写真が、今日実際の目にした石仏の迫力をぜんっぜん伝えきれてねえんだなこれが」だとか言ってたら、今度そうした意見を観光課の方に伝えておくつってくれたんすよ。よかったよかった。だってね、この「大悲山の石仏」ったらほんとに素晴らしかったんすから。これからは、この「大悲山の石仏」目当ての観光客が、ここ小高にもたくさんやって来るかもしんないっすからね。
「おだかのひるごはん」
「おだかのひるごはん」さんとこの年明けの営業開始は、1月7日からなのでしたー。今日はまだ、お休みでーす。
震災から間もなく5年が経つというのに、南相馬市沿岸部の復旧工事は、まるで今始まったばかりであるかのような印象すら受けずにはいられなかった。何より進展が感じられない。海が怖く、見る事さえ出来ないという地元の方もまだ多いという話も聞いた。にも関わらず、小高の住民たちには何事にも屈することのない強いバイタリティーが感じられる。それがまたこの地に足を向けさせ、皆に逢いたいと思わせる理由にほかならない。
JR常磐線「原ノ町駅」
今日一日中はすっごく暖かかったっつっても、夕方になってからは、沿岸部から吹きつける強く冷たい風で身が凍えるほどだったっす。それは防風の役目を果たすもんが未だ無い、吹きっさらしの地形の所為なんすよね。
状況は相も変わらず大変ではあっけど、それでも、これまで以上に活気溢れる小高が感じられる一日だったのでした。
小高好きだぜこのやろー。
こっからは、本日の宿のある「相馬駅」へ列車でGO!
JR常磐線「相馬駅」
「相馬駅」についてから直ぐに、甘酒と、2年連続「農林水産大臣賞」を受賞した「本醸造特選醤油」を買おうと楽しみに、相馬市中村の「相馬ヤマブン山形屋商店」さんまでスキップしながら向かったんすけど、なんと、想定外のお休みで買えなかったのでしたー。ざんねーんくそー。
だからいつも言ってんだろーがよー(心の中で)、日本橋ふくしま館で取り扱ってくれってなー。
2016年1月5日(火) 福島県相馬市から、今日は一気に岩手県釜石市まで行くでー!
JR常磐線「相馬駅」
「亘理駅」行きの代行バスが停車中。
今日は朝っぱらから相馬市を出発して、一路、岩手県釜石市に向かうっす。
こっから、2年前に訪れた地へ再び!ってわけなんすけど、前回と全く同じコースを辿るってわけにもいかなくて、残念ながら泣く泣く削ったコースもあるんすよね。
そこいらはまた、機会を作って行くとすっかな。
つーことで、2年前の2014年1月ん時のまとめは、こちらっす!
来年の2016年12月末までに、「相馬駅」(福島県相馬市)から、「亘理駅」の一つ手前の「浜吉田駅」(宮城県亘理町)間の列車運転が再開するっつーことなんで、そうすっと、今までのような代行バスを乗り継ぐ区間が無くなって、相馬から仙台まで列車で直接繋がるってーわけなんすよね。わーい。
まあ今日はこれまで通り、「相馬駅」発「亘理駅」行きのJR代行バスに乗り込んで出発しまーす。
JR常磐線「亘理駅」
「亘理駅」ホームから見える、亘理町臨時災害放送「FMあおぞら」スタジオ
「FMあおぞら」スタジオは、町立図書館や郷土資料館がある「悠里館」2Fに設置されている。2011年3月24日に開局。
「FMあおぞら」が、総務省からの放送免許の期限となる来年3月末以降の放送継続が困難になっていると伝えています。他の東日本大震災に伴い開局した多くの臨時災害FM局でも、同様の問題を抱えています。
そんなこんなで宮城県を通過して、無事に岩手県に入ったのでしたー!
2年ぶりの釜石市このやろー。
JR山田線・釜石線「釜石駅」
「釜石復興の鐘」
「釜石駅」前に設置。東日本大震災の犠牲者の鎮魂と復興への祈りを込めて釜石駅前に設置された。「鎮魂」「復興」「記憶」「希望」の4つの言葉が刻まれている
三陸鉄道 南リアス線「釜石駅」
2015年4月よりイオンが命名権を取得、2016年3月までの予定で「イオンタウン釜石駅」と称する。
三陸鉄道「釜石駅」舎内
震災の影響で不通になっていた間、駅舎を利用し営業していた「さんてつジオラマカフェ」で展示していた「ジオラマ」は、現在、「イオンタウン釜石」3Fに移設し展示している。
三陸鉄道「釜石駅」の、東日本大震災による「津波浸水」地点の表示
「巨大ラグビーボール」のモニュメント
「三陸鉄道」全線運行再開にあわて釜石駅構内に設置された。
煙がのぼる「釜石製鐵所」
「ホテル マルエ」
本日の宿は、2年前にもお世話になった「ホテル マルエ」さん。
ホテル内に記された「津波浸水表示」
「ホテル マルエ」内から見た「甲子川」
震災時、ホテル前のこの甲子川が、凄い勢いで逆流していったそうです。川向こうに見えるのは釜石駅。
「薬師公園」からの眺め
「三陸鉄道ジオラマ」
以前は、三陸鉄道「釜石駅舎」内で展示していたもの。現在は、「イオンタウン釜石」3Fにて展示している。
釜石市浜町「市営釜石ビル」前の、東日本大震災の津波で曲がったままの手すり
「市営釜石ビル」
1階の駐車スペースの壁面や天井は、津波で損壊したままになっている。
「釜石港湾合同庁舎」
「釜石港湾合同庁舎」壁面に示されている「津波浸水深」表示
復旧工事中の釜石市港湾部
釜石市東前町
市街地から離れた港湾部では復旧が進んでおらず、未だにこうした状況が広がっている。
東日本大震災で被災した、岩手県釜石市東前町の様子(2016年1月5日撮影)
出典元:YouTube
釜石市東前町にある、東日本大震災の津波で破壊されたままの家屋
「青葉公園商店街」(大只越町仮設店舗)
2011年11月25日オープンした仮設商店街。オープン時は34店舗が入居。現在は、新設店舗へと移動した店舗などがあり、空きスペースが目につきました。
「青葉公園商店街」の「洋食 あべ」
実は、2年前にまた来るね!つった約束を果たしに来たんすけど、訪れた日は火曜日で、なんと「洋食 あべ」さんとこの定休日だったのでしたー。とほほ。ぼきのばかやろー。
今回、釜石に来た一番の目的は、この「青葉公園商店街」の「洋食 あべ」さんとこで食事をして、ご主人のおそらくあべさんに再会する事だったんすよ。そうだったんすけど、他の予定なんかもあって、この日程を変更する事が出来ないまま釜石行きを決行しちゃったんすよね。ご主人のおそらくあべさんの大変さをいろいろ聞かせて頂いてたんで、是非またお会いしたいなって思ってたんで、ほんと残念でしかたなかったっす。
そんなんで今日の夕食は、この「青葉公園商店街」からでは釜石駅を越えさらに少し行ったところにある、「釜石はまゆり飲食店街」で食べることにしたのでしたー。
「釜石はまゆり飲食店街」
「釜石はまゆり飲食店街」の「こんとき」
釜石市大町にあった店舗は震災の津波により破壊。この、鈴子町「釜石はまゆり飲食店街」に移転し営業を再開した。
「こんとき」の「ミニチャーハンと釜石ラーメン」
あっさり醤油味で美味かったなー。
「こんとき」店内の「応援メッセージ」
店内には多くの方からの応援メッセージが飾れてまーす。なんとあの、さかなクンさんも応援に来てくれてたのでしたー。
夜の「釜石製鐵所」
釜 石 の 夜 は 寒 い 助 け て
岩手県釜石市の震災からの復旧といって目立つのは、どうしても大型スーパーの出店となるだろう。しかしその規模をもって、釜石市の復興が大きく進んでいるとするのは間違いだ。なぜなら、元々の地域に根付いていた繋がりの復旧が優先されるべきであるはずなのに、それを考慮したものだと言えるものではないからだ。未だ仮設店舗で踏ん張り頑張っている者達への支援が、寧ろおざなりであるのが現状であるのに。
2016年1月6日(水) 岩手県釜石市からの大船渡市からの陸前高田市からの宮城県気仙沼市!
今朝は「マルエ」さんでゆっくりと朝食。それからゆるゆると釜石市内を散策してから三陸鉄道「釜石駅」に向かおうと思っていたんすけど、ここではたと思いついた。発車時刻までちょっち時間があるんなら、三陸鉄道「釜石駅」の隣の駅、「平田駅」まで歩いて行ってみんのも面白いれーんじゃね?つーことで、「平田駅」まで歩いて行くことにしたのでしたー。ちなみに「平田」は「へいた」って読みますからね。じゃあ、「平田駅」目指して出発すっか。釜石さみーよー。只今、釜石の気温0℃!
朝の「釜石製鐵所」
釜石市鈴子町「大渡橋南」信号
「釜石駅」は奥右側。右側の道(県道4号線)から来て、ここで左折、「釜石街道」(国道283号線)を手前側に歩いて行き、三陸鉄道「平田駅」を目指す。
「三陸鉄道 南リアス線」の陸橋
「釜石製鐵所」
「三陸鉄道 南リアス線」の陸橋
「釜石港」と、港湾施設に書かれた「がんばろう!!釜石」の文字
文字が掛かれているのは「釜石製鐵所」施設。周囲では現在も復旧工事が行われている。
「釜石大観音」
釜石湾を見下す高台にある。高さ48.5mの日本一の魚籃観音。
釜石市平田地区
ほぼ全域で復旧工事が行われている。
中央奥に見えるのは三陸鉄道 南リアス線「平田駅」。
三陸鉄道 南リアス線「平田駅」
三陸鉄道 南リアス線「平田駅」ホームから見た、釜石市平田地区の復旧工事の様子
三陸鉄道「平田駅」に掲げられた「祝 三陸鉄道南リアス線運行再開」の幕
2014年4月5日、東日本大震災で大きな被害を受けた南リアス線で、最後まで運休していた「平田駅」を含む「釜石駅」~「吉浜駅」間の運転が再開。
三陸鉄道 南リアス線「平田駅」ホーム
三陸鉄道 南リアス線「平田駅」に到着する列車
この列車で、終点「盛駅」を目指す。
三陸鉄道 南リアス線「恋し浜駅」
駅ホームに設置された「幸せの鐘」。
東日本大震災時、津波による流出は免れたが、路盤流出などにより南リアス線全線が不通に。2013年に営業を再開した。
「恋し浜駅」待合室の「ホタテ貝の絵馬掛け」
地元「恋し浜ホタテ」の貝殻を絵馬にした、みんなの「願い」がたっくさん。
がんばれ東北!
恋の願い事も叶いますよーに!
三陸鉄道 南リアス線「盛駅」
2013年4月3日、「盛駅」~「吉浜駅」間の運転が再開。
「三陸鉄道 盛駅ふれあい待合室」
岩手県と三陸鉄道から委託を受け運営。三陸鉄道を活用した様々なイベントを企画・開催している。
「三陸鉄道 盛駅ふれあい待合室」内
こちらでは「お土産品」や「三鉄グッズ」などを販売。お茶も振舞ってくれている。室内には、訪れた方々のたくさんのメッセージなども飾られている。
「三陸鉄道 盛駅ふれあい待合室」に取材に来ていた山形放送クルー
こちらの「三陸鉄道 盛駅ふれあい待合室」さんでは、レンタル自転車の無料貸し出しもしてくれてるんすよねー。こーゆーのマジありがたいっす。つーことで、今回もまた自転車をお借りして、盛駅周辺を回って来る事にしまーす。山形放送、窓口占領しすぎだっつーの。
三陸鉄道 南リアス線「盛駅」と、JR大船渡線「盛駅」
JR大船渡線「盛駅」は、三陸鉄道「盛駅」に隣接。
大船渡市大船渡町の、東日本大震災の津波で破壊されたままの建物
現在も復旧工事が行われている、大船渡市大船渡町
大船渡市大船渡町湾岸部の復旧工事
JR大船渡線「大船渡駅」
東日本大震災による津波で駅舎及び関連施設の大部分が消失。2013年3月、盛駅間とのバス専用道を整備しBRT用駅舎運営を開始。2014年8月、区画整理事業のため現在の場所に移設された。
「大船渡湾」
建設中の大船渡湾岸の防波堤
大船渡市大船渡町茶屋前の復旧工事
かつての「さいとう製菓」本社周辺
銘菓「かもめの玉子」」で知られる、旧「さいとう製菓」本社を見下ろす位置にある高台からの周囲の眺め。2年前に訪れた時はまだ被災した建物がそのまま残されていたが、現在は全て取り壊されている。周囲では嵩上げ工事が行われている。
東日本大震災で被災した、岩手県大船渡市大船渡町の様子(2016年1月6日撮影)
出典元:YouTube
かつての大船渡市大船渡町台「さいとう製菓」本社を見下ろす位置にある高台からの周囲の眺め。2年前に訪れた際にはまだあった、東日本大震災の津波で破壊された「さいとう製菓」本社はすでに取り壊されていた。嵩上げされ、新たな道路が敷かれつつあった。
津波の被害を受けた、現在の「さいとう製菓株式会社」元本社社屋周辺 2014年1月7日撮影
出典元:YouTube
同じ場所から、2年前に撮影したものです。
大船渡町新田「NTT東日本大船渡営業所」周辺
新たな道路の整備が行われている。
JR大船渡線「盛駅」前
三陸鉄道「盛駅」も併設。
ここでは駅を華麗にスル―。
次の目的地、「ちっちゃなクレープ屋さん」へ一目散だ!
大船渡市盛町「ちっちゃなクレープ屋さん」
こちらは、震災の津波で店舗が浸水しながら、1ヶ月余りで営業を再開。避難所へクレープを届けるなどの支援をしてくれていました。
「ちっちゃなクレープ屋さん」の「三鉄クレープ」
待望の「三鉄クレープ」ゲッツ!
震災の津波で「ウミネコ」の金型が流失。その話を聞いた兵庫県の方が以前の写真を参考にして作ってくれるなどして、「三鉄クレープ」は2011年11月3日に完全復活!三陸鉄道を応援するこのクレープは、購入すると一つに付き30円お店が三陸鉄道に寄付してくれるんすから!
あたしたち女子にとって、なくてはならない美味しくて素敵なスイーツを作り続けてくれている「ちっちゃなクレープ屋さん」、応援しています!
「ちっちゃなクレープ屋さん」店内
店内では、小物や書籍も販売してまーす。
JR大船渡線「盛駅」
JR大船渡線「盛駅」BRT専用ホーム
JR「盛駅」発の「BRTバス」
JR大船渡線「大船渡魚市場前駅」
2015年12月5日に開業したBRT専用駅。
陸前高田市高田町「キャピタルホテル1000」
津波で全壊し、約2キロ西の山側にある高台に移転、2013年11月1日に再オープンした。
JR大船渡線「陸前高田駅」
2015年3月14日開業。
JR「陸前高田駅」舎の「たかたのゆめちゃん」
「たかたのゆめちゃん」は、陸前高田市の親善キャラクター。子どもたちの応援団長で、希望の光で満ちた頭の星で、子供たちを安全なところへ導いてくれる(泣)「奇跡の一本松」の上に住んでいる。
BRTバスの「ホヤぼーや」
「ホヤぼーや」は気仙沼市の観光キャラクター。剣はサンマで、ベルトはホタテ。
陸前高田市「陸前高田市コミュニティホール」
東日本大震災で被災したふれあいセンターに準ずる施設で、2015年5月11日から一般利用が始まった。シンガポール赤十字社が創設した「ジャパン・ディザスター・ファンド2011」からの支援を生かし建設した。
「陸前高田市防災消防センター」
震災による津波で殉職1名、本部庁舎全壊等の被害を出す。2014年10月31日完成。同年12月16日から本格稼働した。
陸前高田市高田町鳴石「陸前高田市役所」
プレハブの仮庁舎。陸前高田市役所は4階建ての3階まで津波に襲われ、壊滅状態となった。本格的な庁舎建設まで各種業務を行う。
2年前に訪れた時は、プレハブ「陸前高田市役所」の前の道路沿いには、BRT「陸前高田駅」停留所しかなかった。現在は、立派なBRT専用駅に隣接して「陸前高田市コミュニティホール」と「陸前高田市防災消防センター」が建ち、コンビニとパン屋までが並んでいる。しかし、市役所は未だプレハブのままであり、見渡す周囲は復旧工事のさ中。震災が残した爪痕は、あまりにも広範囲に渡っている。
「陸前高田市役所」敷地内から見た「陸前高田駅」方面
高田町鳴石「陸前高田郵便局」
高田町鳴石「思い出の品」施設
震災の津波で被災した写真などを保管・管理し、持ち主に返す活動を続けている。
2年前に訪ねた際、いろいろとお話を聞かせて頂いたスタッフは、今はいらっしゃらなかった。仕事を引き継ぎ、新しいスタッフが運営。相変わらず、施設運営継続が大きな悩みとのこと。
「思い出の品」でお聞きした話の中に、2年前には聞くことがなかった内容のものがあった。
写真を津波で流された方で、これまでは無くなってしまった写真などもういらなく、探すほどのこともないとずっと考えていたが、震災から5年近く経ち、徐々に気持ちに変化が感じられ、今だから無くなった写真を探してみようと思い立ったというもの。
震災の津波で流失してしまった写真を保管管理し、持ち主に返す活動を続けている団体は数多くある。どこでも存続の問題を抱えている。自身の無くした写真を探しに施設に足を運ぶ利用者の数が減ってしまったことを理由として、施設閉鎖を決断しようかという話を聞かせていただいたこともあった。
しかし「思い出の品」でのお話は、あの甚大な被害をもたらした震災の、心に関わる部分をサポートしようとする活動においては、一時の施設利用者の減少などだけを、活動をやめてしまう理由にしてしまうのは間違いであるという事を示唆しているように思う。
お話によると、「思い出の品」では、流失した写真を探すために施設を訪れる方の数が、最近では増えて来ているということだった。2年前にお聞きしたお話では、それこそ利用する方が減ってしまう一方で、正にそれを理由にして施設の閉鎖もあり得るかのような状況だったのに。
ほんとうに、この活動を継続してくれていてよかったと感じた。
この震災というとてつもない渦の只中にいる人々の中にはきっと、ただ無為に流れて行くだけの時間さえも、必要な方がおられるのだろうと思わずにはいられなかったから。
JR大船渡線「奇跡の一本松駅」
2014年10月1日から常設駅となった。
陸前高田市の「巨大ベルトコンベヤー」の一部
かさ上げ工事用の土砂を山から市街地に運んでいた総延長3キロのベルトコンベヤー。現在はその役目を終え、2015年10月14日から解体作業が始まった。現在、一部保存に向けた議論が進んでいる。
解体途中の岩手県陸前高田市にある「巨大ベルトコンベヤー」(2016年1月6日撮影)
出典元:YouTube
岩手県陸前高田市にある、かさ上げ工事用の土砂を山から市街地に運んでいた総延長3キロの「巨大ベルトコンベヤー」の一部。現在はその役目を終え、昨年10月14日から解体作業が始まった。
陸前高田市気仙町「奇跡の一本松」
震災からの復興を象徴するモニュメント。後方に見えるのは、津波で全壊した「陸前高田ユースホステル」。ユースホステルが一本松と海との間に建っていたため、松原の7万本の木の中で一本松だけがほぼ唯一生き残った。
やなせたかし「ヒョロ松君」モザイクタイル
やなせたかしさんが「奇跡の一本松」をモデルにして描いたイラストを基に、陸前高田市の障害者就労継続支援事業所あすなろホームの入所者らが制作。2015年3月5日、除幕式が行われた。やなせさんは、一本松の保護整備に多大な支援をし、一本松から接ぎ木して生まれた4本の苗木に命名した。
陸前高田市による「奇跡の一本松」プレート
2013年3月に設置。
陸前高田市気仙町「陸前高田ユースホステル」跡
建物は震災遺構として保存される方針。
JR大船渡線「気仙沼駅」BRT専用ホーム
前谷地駅方面へは「気仙沼線」に乗り換える。2年前にはなかったBRT専用ホームは、去年から運用とのこと。
JR大船渡線「気仙沼駅」
「気仙沼郵便局」
「気仙沼郵便局」の「津波浸水深」表示
「気仙沼市役所」
「気仙沼市役所」の「津波浸水深」表示
今日の気仙沼での宿は、2年前にもお世話になった「大鍋屋」さん。
そん時、小野寺五典議員のご実家だったなんて全く知んないまま宿泊してビックリしたんすけど、今回はまた、違う理由で驚かされちったのでした。
まずは大鍋屋さんに到着していきなり「ワグナーさんですか?」って尋ねられたんすけど、なんすかそれ?それに何やら、旅館内部の雰囲気が、がらっと変わってしまっているようなんすけど・・・
気仙沼市魚町「旅館 大鍋屋」
「大鍋屋 新館」
2014年にオープン。新館の宿泊第1号は小泉進次郎議員。
「旅館 大鍋屋本館」入り口
あ…ありのまま今起こった事を話すぜ!
小野寺五典議員のご実家だと思って来た「旅館 大鍋屋」が、アニメ「wake Up,Girls!」の聖地になっていた!な…何を言っているのかわからねーと思うが、おれも何をされたのかわからなかった…
「wake Up,Girls!」菊間夏夜ポスター
「菊間夏夜」役の声優、奥野香耶さんの直筆サイン入り。
入り口前に並べられている、「wake Up,Girls!」関連写真など
2年前に来た時は、ここに震災関連の写真や書籍があったのに。
「wake Up,Girls!」ポスター!
「wake Up,Girls!」ポスター!!
「wake Up,Girls!」に関係する何か
もう、作品観てないぼきには何が何やら。
「大鍋屋」の手ぬぐい
「大鍋屋」の看板娘、菊間夏夜ちゃんの名刺
「wake Up,Girls!」っつーのは、2014年1月10日に劇場アニメが全国公開され、その続きでテレビアニメシリーズも始まったっつー、東日本大震災を受けて、東北地方を舞台とした作品をってことで発表されたアニメ。この作品で、宮城県の観光振興に関わる取り組みもなされてたんだって。
これは知らなんだ。
仙台に拠点を置く弱小芸能プロダクションが、存亡の危機を打開するためにアイドルグループを結成させることを思いつく。そこでメンバー間で、なんやかやが繰り広げられてくってストーリーらしい(全くの未見)。
そして、作品内のキャラクターで「wake Up,Girls!」のメンバー、菊間夏夜(お色気担当)の出身地が宮城県気仙沼市で、メンバーが合宿で訪れたのがここ「大鍋屋」で、この近くにある「復興屋台村 気仙沼横丁」も作品内に出て来るんだってさ。
こりゃ地元民だったらとーぜん高まるところだわ。
ところで「ワグナーさん」とは、「wake Up,Girls!」を応援してる方たちのことだったんすよ。
いまでも大勢、この「ワグナーさん」たちが「大鍋屋」さんを訪れて来るんだって。そんな方たちのために、特に宿泊目的でなくても、この「wake Up,Girls!」関連のもんが展示してある「大鍋屋本館」入口付近は、常に開放してあるのでしたー。
ちなみに、こちらがご実家の小野寺五典議員はこれらのことをとーぜんご存じで、「wake Up,Girls!」を応援してるんだって。
「大鍋屋」館内に展示されている美術品
東日本大震災で被災した「大鍋屋」は2014年に「新館」をオープン。現在、それを機に、館内にここに伝わり被災を免れた美術品を展示しています。被災時の写真なども配しており、決して「Wake Up,Girls!」のワグナーさんばかりをお待ちしているって訳じゃないんだからね!ほんとなんだからね!
「源氏物語図屏風」
江戸後期。六曲一双。
江戸時代から大正時代にかけて使用された食器類
東日本大震災で津波に流されたが、瓦礫や泥の中から奇跡的に見つかった
気仙沼市南町「復興屋台村 気仙沼横丁」
嵩上げ工事にともない、今年10月で閉鎖してしまう。
「復興屋台村 気仙沼横丁」の「たすく」
気仙沼横丁「たすく」の「賄い丼」
「たすく」さんで人気の「賄い丼」。美味い!そんでこれで普通盛。大盛り注文しなくてよかったわほんと。
気仙沼横丁「たすく」の「魚の煮付け」
なんと、サービスしてもらっちゃいましたー。すんませんねー、でへへ。
「復興屋台村 気仙沼横丁」には、2年前にも訪問。今日は、その時入った「ごはん処 まるげん」の女将さん目当てに来たんすけど、残念ながら「まるげん」さんは店をやめ、現在は震災前に営んでいた魚の卸関連の仕事をしてるそう。話をしていると「たすく」の女将さんは「まるげん」の女将さんとは知合いっとつーことで、ぼきの再訪問を伝えてくれるって。「また来てくれたなんて聞いたら、きっとまるげんの女将さん泣いちゃうな」だって。
「復興屋台村 気仙沼横丁」は、嵩上げ工事にともない、今年10月で閉鎖してしまう。 その後の予定など無いまま、現在の店舗で営業を続けている方もいる。「折角の馴染みの店が無くなるのは寂しいが、被災した地では仕方がない」と、「屋台村」常連客の男性が話してくれました。
2016年1月7日(木) 今日は、宮城県気仙沼から、南三陸町経由で、女川町入りだーい!
東日本大震災からの復興工事にともない、「旅館 大鍋屋」本館前の道路拡張は決定事項である。
工事が始まるともなれば、当然、大鍋屋本館は取り壊される。女将によれば、拡張工事は数年前に始まっていてもおかしくはなかったはず。決定した計画発表だけが先行し、開始がともなわない事がこの被災した地ではほかにもあると。
「私もいつまで頑張れるか」
そうした行政側の不手際は、再建者の思いを削ぎかねない。
朝の「大鍋屋」
「大鍋屋本館」は本館前の道路拡張工事のために解体する事が決定している。度重なる工事遅延により、工事開始時期がずれ込んでいる。現在は、工事開始を8月末頃と予定しているとのこと。
そろそろ「大鍋屋」を出発する時間。
「本館」があるうちに、また泊りに来たいなってなことを女将さんとお話しながら、「本館」入口を眺める。
震災の津波の脅威からも、なんとか生き残ることが出来た歴史ある建造物。震災直後から多くの方の尽力を経て再建出来た「大鍋屋」。残して欲しかったっすよねここ、なんつってたら女将さんは、「よく頑張って来たけど仕方ないわね」。
また、この「本館」があるうちに、大鍋屋」さんを訪れる機会があるのかどうなのか。
そりはわからないっすけど、ぼきの心の中に大きく残る「旅館」になったのは間違いないのでした。
女将さん、ありがとーございましたー。いつまでもお元気で!
五典さんにもよろしく!
「気仙沼湾」
「気仙沼湾」沿いの、震災の津波で曲がったままのポール
気仙沼市魚町「旅館 大鍋屋」周辺
中央奥が「大鍋屋」。いまだ復旧工事が行われていない箇所が多い
酒蔵「男山本店」店舗
1912年創業の老舗酒蔵「男山本店」の社屋兼店舗。 国登録有形文化財。2年前に訪れた際と同じ「国内外の募金により応急修理されています。平成24年9月に応急修理の曳き家工費が実施されました」との表示があるだけで、新たに修理の手を加えられてはいないまま。
元々は3階建ての古典様式風の建築だったが、震災時に漁船が衝突し1、2階が破損、3階だけが瓦礫の上に残された。
気仙沼市南町の嵩上げ地帯
気仙沼市南町
震災の津波で折れ曲がり放置されたままの街灯
気仙沼市南町海岸「港ふれあい公園」方面
気仙沼市南町「復興屋台村 気仙沼横丁」
建物の壁面に記された津波到達地点
気仙沼市河原田の被災した家屋
気仙沼市仲町の造成地区
気仙沼市仲町2「南気仙沼地区まちづくり情報館」
工事の進捗に伴い、2015年4月にこちらに移転された
辺り一帯の造成地と、建設中の高層建築物
気仙沼市幸町の、JR気仙沼線の切断された陸橋の線路
気仙沼市「大川」の災害復旧工事
JR気仙沼線「南気仙沼駅」
他の路線バス停留所とも共有している。
JR気仙沼線「ベイサイドアリーナ駅」
南三陸町志津川「ベイサイドアリーナ」
「ベイサイドアリーナ」駅が併設。東日本大震災当時、南三陸町でここが最も大きい避難所だった。
バス内から見た「南三陸町防災対策庁舎跡」
JR気仙沼線「志津川駅」
後方に「南三陸さんさん商店街」がある。
駅に着き、先ほどバスの窓から見えた「南三陸町防災対策庁舎跡」を目指すべく、バスが辿って来た道を戻って行ったっす。距離は約800メートルほどっす。
南三陸町志津川「南三陸町防災対策庁舎跡」
庁舎の現状を把握するため、今日と明日の2日間、庁舎の細部点検作業を実施。
この日は、建物の劣化状況を調べる調査が行われていた。
建物は2031年3月まで県が維持管理する事が決まっており、補強対策や保存の方法を探るのが目的。
南三陸町志津川「南三陸町防災対策庁舎跡」の劣化状況調査作作業中
保存か解体か、議論が繰り返されてきた、津波で被災した「南三陸町防災対策庁舎跡」に対し町は、2015年6月30日に県有化を受け入れる事を表明。2031年まで県が管理(保存)する事になった。今回の庁舎点検の結果が今後の庁舎の有り様を探る一つの指針となり得るだろうとは、現場の方のお話。
南三陸町志津川「南三陸ポータルセンター」
2013年8月1日、新しい交流の拠点として南三陸町観光協会が管理運営しオープン。
「南三陸ポータルセンター」前の「きりこ」
かつて、志津川地区中心街に「きりこプロジェクト」によって店舗ごとにキリコボードを設置されていた。しかし、それらが東日本大震災の津波で流出。「きりこプロジェクト」が新たに作製し店舗跡に設置していたものを、ここに集め展示している。
「南三陸さんさん商店街」の「モアイ像」
1960年のチリ地震津波の記憶を未来に伝えようと1991年にイースター島より寄贈されたモアイ像が東日本大震災の津波で流出。それを受け、2013年5月25日に、新たに贈呈されたもの。
「南三陸復興まちづくり情報センター」
2014年3月20日オープン。南三陸町における復興まちづくりの概要や、進歩状況がわかるパネルなどを展示。また志津川高校の美術部が作成した新たな町の完成予想模型や、南三陸町の地形がわかるジオラマなども設置している。
南三陸町志津川「南三陸さんさん商店街」
2012年2月25日にオープンした仮設商店街。
「南三陸さんさん商店街」の「阿部茶舗」
「阿部茶舗」の抹茶入り「おしるこ」
雪降る中を歩いた凍えた体が、生き返るわほんと。
「阿部茶舗」の「南三陸みんなのきりこ」
JR気仙沼線「志津川駅」
ここから再びバスに乗車。2012年8月20日に、「気仙沼駅」から気仙沼線途中の「柳津駅」(宮城県登米市)までBRTが仮復旧。そんで2015年6月27日に、「柳津駅」から気仙沼線終点の「前谷地駅」までBRT路線が伸びたっす。これから乗るBRTバスは、「柳津駅」に停車後、「前谷地駅」まではノンストップ。そいから「前谷津駅」で、今日の宿がある「女川駅」行きの列車に乗り込むって寸法なんでさあ。
JR気仙沼線「前谷地駅」
前回、女川町を訪問したのは、女川町が「まちびらき」(2015年3月21日)を行ってから直ぐの、2015年4月6日だったんすよねえ。あれからもう9ヵ月かあ(遠い目)
「女川駅」ホーム
「女川駅」は、2015年3月21日、町が計画する駅周辺のまちびらきに合わせ再開。これにより、石巻線のうちの最後の一区間、浦宿―女川間が開通し、石巻線が全線開通となった。
「女川駅」に到着した列車
JR石巻線「女川駅」
「女川温泉ゆぽっぽ」が併設されている。
「女川温泉ゆぽっぽ」内の、3月14日に張り出された「石巻日々新聞社」壁新聞
東日本大震災発生直後の3月14日に張り出された「石巻日々新聞社」の壁新聞の現物。甚大な被害により孤立状態に追い込まれていた女川町の被害状況や救助活動が、新聞記事として初めて記された。
石巻市「木の屋」の「長須鯨 大和煮」
「女川温泉ゆぽっぽ」1Fの売店で購入。「50年以上変わることのない、懐かしい味わいの大和煮に仕上げました」なんてもう、味わうの楽しみ過ぎだろ!
「女川駅」前の「足湯」
前回、女川に来た時は残念ながらメンテナンス中で入れなかったため、今回ようやくIN!「女川温泉ゆぽっぽ」で「木製座布団」貸して貰えまーす。いやー気持ちいいのなんのって。周囲にはだーれも居なくてたった一人っきりだったので、つい裸になって、しっかり肩まで浸かってしまいました(笑)
「女川温泉ゆぽっぽ」で貸し出している「木製座布団」
「女川駅」前のイルミネーション「スターダストページェント 海ぼたる」
開催は1月3日までとのことだったんすけど、夕方になると…
女川町「シーパルピア女川」
2015年12月23日にオープンしたテナント型商業施設。木造平屋建ての複合施設6棟。震災前に町内で営業していた商店や飲食店、制作販売店や観光案内所など、計27店舗が出展している。
「KONPO′ S FACTORY」
石巻市の「今野梱包」が、「シーパルピア女川」に出店している店舗。
今話題の、あいつがここに!
「ダンボルギーニ」
「KONPO′ S FACTORY」内で展示。
すっげー、すっげー!
マジかっこー!
ねえちょうだいよ。ねえ、ちょうだいったらあ。
アオシマは、ダンボルギーニのプラモデルはよ。
「KONPO′ S FACTORY」に「今野梱包」の社長さんがいらしてて、「ダンボルギーニ」の販売ってしないんすか?って聞いてみたんすけど、したら何かその可能性もゼロでは無いぽかったっす。んでも、そこに至る迄には色々クリアしてかなきゃなんない問題もある訳なんで、直ぐって事にはなんなそうだったっすけどね。
女川水産業体験館「あがいんステーション」
2015年6月14日に、同年3月開業した女川駅前で整備が進む商業エリアに、初の本格的な集客施設としてオープンした。
「女川とうがらし」
「コミュニティスペースうみねこ」さんとこの「女川とうがらし」ゲッツ!まーた、うみねこさんとこまで自転車で買いに行くってのはキッツいんで、こちらに置いてあって助かったわー。
やっぱ、美味しいんすよこれ。
女川を、いっちゃん最初に訪れたのは東日本大震災後の2013年8月31日。
「コミュニティスペースうみねこ」さんとの出会いはその翌日で、まだ女川町高白浜に今のような素敵な「果樹園カフェゆめハウス」が完成する前だったんすよね。
初めて完成した「ゆめハウス」を見た時はほんと、まあまあちょっと見ないうちにこんなに大きくなっちゃって状態だったもんっす。
懐っつかしいっすねえ。
「旧女川交番」紹介パネル
東日本大震災の津波で倒された「旧女川交番」
現在、保存の可否を検討中。
「障がい者就労支援施設 きらら女川」
「シーパルピア女川」内店舗。
「えごま豚入り メンチカツ」
写真に写すっつったら、わざわざお皿持って来てくれたのでしたー。もーほんと、お世話かけてすんません。
「さんまパン」
さんまが練り込んであるっす!確かにさんまの風味はするんすけど、臭みではなく、なんつーか、惣菜パンって感じでパクパク食べられるんすよ。カルシウム摂取もこれできまり!こりゃあー、魚嫌いのお子さんにはもってこいですわよ奥さん。
「女川駅」前のイルミネーション「スターダストページェント 海ぼたる」
イルミネーション点灯!すでに点灯期間が終わってるはずなんすけど。そこんとこ一体どうなってるんすかね。
「女川フューチャーセンターCamass(カマス)」
2015年3月28日開業した、女川駅に隣接した交流施設。
サンマ加工に携わる方に伺ったお話では、女川での昨年のサンマ漁獲量は例年と比べはるかに少なく、大きさも小振なものばかりだったそう。これまでサンマを採ってこなかった地域の漁獲量が一気に増えた為、サンマの数が減った事もその一因だろうという。そしてそれが、女川復旧の妨げにならなければいいですがとおっしゃっていました。
女川町の「マンホール」
「女川さいがいFM」
以前は「女川町地域医療センター」内にあったが、現在は「女川町役場仮庁舎」隣に移転。今年3月末をもって放送を終了する。放送終了後は、インターネット等を活用した新たな地域メディアとして取り組みを始める。
「女川町仮設庁舎」
「女川町役場」を抜け、「エルファロ」へと向かう道
道の両側は嵩上げ工事が成され、見上げる程の盛土が。
今日の宿はこちら、お馴染みの「エルファロ」さんでーす。
女川町清水町「女川町宿泊村 EL FARO(エルファロ)」
2012年12月27日に新しくオープンしたトレーラーハウス宿泊村。被災に遭った4社の旅館、民宿の経営者たちが共同経営をして再建を果たしたトレーラーを使用した宿泊施設。
南三陸町「南三陸せっけん工房」の「オーガニック石鹸」
南三陸町を拠点に三陸地域の海や山の幸を活用したオーガニック石鹸を製造販売する「南三陸せっけん工房」が女川町の仮設商店街「きぼうのかね商店街」に店舗をオープンし、12月に入り本格的に事業を開始。
「エルファロ」客室内で、紹介していました。
「女川駅」前の「スターダストページェント 海ぼたる」のイルミネーション
2016年1月8日(金) 今日が旅行最終日!もうかよ!せつねえなあーほんと。福島まわって帰りまーす。
朝の「EL FARO(エルファロ)」
周辺の造成工事は着々と進んでいます。
「EL FARO(エルファロ)」全体
造成工事中の女川町清水町
中央奥に見える建物は「女川総合体育館」。震災時は住民の避難所となっていました
女川町女川浜川尻方面を望む
朝日が昇りかけている。
女川町女川浜大原方面を望む
朝の「女川駅」
女川町「シーパルピア女川」を照らす朝日
朝日に照らされる、「女川フューチャーセンターCamass(カマス)」
朝日に照らされる、女川町「女川駅」
「女川駅」に到着する列車
女川町では、これからも数々のイベント開催が控えているようっすね。震災からの復興目覚しい女川町。東日本大震災復興特別区域にも指定されてっこともあって、復興のモデルケース的な意味合いもあると思うっす。まだまだ復興の遅れてる地域もある中で、ただの一か所だけ復興への度合いが加速して行っちまう地域があるってのもどうかっつー声も聞かれるんすけど、ならいっそ独自に突っ走っちまって、さらに突き抜けちゃいしちまって、他の被災地域の復興を手を貸し押し上げて行けるくらいのバイタリティーを培っていける場所になっていっちまって欲しいっなって思うんすよ。
やっぱ魅力的な町なんすよ、女川町ってやつあ。
あばよ女川!また来るぜ!
JR石巻線「石巻駅」改札口
ここで乗り換え、仙台駅を目指すっす。
ちょっちトイレ行っておこうかなって思ったら、くそー、トイレのある方角からはわんさと乗客が向かって来やがって邪魔でしょうがねえ。ええい、めんどくせえ、加速装置!
「福島駅」でお出迎えしてくれている「キビタン」
キビタン」は、福島県の鳥であるキビタキをモチーフとしたマスコットキャラ。
今日は一月のわりに暖かいから薄着なのかな。
JR東北本線「福島駅」
福島駅西口にある「コラッセふくしま」を目指して下車!
「コラッセふくしま」への案内板
奥のビルが「コラッセふくしま」。
「コラッセふくしま」
福島駅西口にある12階建ての複合施設ビル。
もう、いっろーんなもんが入ってますから、ほんとにいろんなもんがね。
「コラッセふくしま」内「福島県観光物産館」
「コラッセふくしま」の1階にある。
さあ、お土産の物色なのだー。はいるぞー。
浪江町「鈴木酒造 長井蔵」の「親父の小言 辛口」
東日本大震災の津波による甚大な被害、さらに原発事故のため浪江町請戸へは立ち入りが制限され、「鈴木酒造」の酒蔵「請戸本蔵」での酒造りは休業中。現在は、山形県長井市の酒蔵「長井蔵」にて酒造りを行っている。
相馬市「めんの旭屋」の「親父の小言 みそらーめん」
2015年7月10日に販売を始めた、原発事故で全町避難の続く浪江町の製麺業者「旭屋」と「鈴木酒造」などが連携し作り上げたオリジナルラーメン。「なみえ焼そば」を製造する旭屋の麺に鈴木酒造店の酒かす入りみそが絡む深い味わいが特長。
「鈴木酒造」の清酒「親父の小言」も、「めんの旭屋」の「親父の小言 みそらーめん」も、共に浪江町由来の商品。現在、浪江町は立ち入りが制限されており、多くのみなさんが故郷へ戻ることが難しい状況。それでも故郷を想いながら頑張っている浪江町の方々が数多くいらっしゃいます。
「鈴木酒造」さんや、「めんの旭屋」さんは当然として、他にも、例えば、古里を想いながら古里の自然や伝統文化を題材にした「なみえっ子カルタ」を製作した浪江町の小学生たちもそうだし、浪江町請戸地区に伝わる伝統芸能「請戸の田植踊」を浪江町民のためにもと踊り続けている女性などもいらっしゃるのです。
そうした方々を思いながら、「自分が何か出来ないか」っつーことを常々思ってはいるんすけど、じゃあ具体的に何が出来んだっつったら、その答えは出て来ない。はっきしいって、わっかんないんすよ。じゃあわかんねえっつーんなら、今まで通りに浪江町の商品でも買えばいいんじゃねえかってえこと。うじうじ考えたってえわかんねえもんはわかんねえ。つまり、何が言いてえかっつーと、「こまけぇこたぁいいんだよ!」つーことなんすよね。てやんでえちくしょーこのやろー。
相馬市富沢「海鮮フーズ」の「鮟鱇の唐あげ」
海鮮フーズは福島県相馬の生産物を県外に広く知って貰うために立ち上げた会社。製品はすべて無添加で作り上げている。
福島でも鮟鱇の水揚げがあるとは知らなんだ。
といっても、水揚げは月に一度なるかないかってくらいっつー話。
味は白身魚よりしっかりとして甘辛の味付け。胡麻の風味が効いてて美味!ご飯は当然、酒にも絶対合うわな。
なんつってたら、早速、相馬市の松川浦漁港での今年初めての試験操業でアンコウが穫れたって記事が載ってたわ。
「コラッセふくしま」に来られてた「海鮮フーズ」の青田さんは、今度、茨城で開催される「鮟鱇サミット」に個人的に招待されてんだって。
福島駅の次は、今回の旅行の最終目的地、二本松駅へGO!
「二本松駅」と「二本松少年隊士像」
JR東北本線「二本松駅」
「なみえ焼そば 杉乃家」
二本松駅つったらやっぱ「なみえ焼そば 杉乃家」さんっしょ!
二本松駅前にある「二本松市民交流センター」内に店舗があります。
「杉乃家」の「なみえ焼そば」
1年振りの本場の「なみえ焼そば」ゲッツ!やっぱ「杉乃家」さん美味いっす!
「大堀相馬焼」の皿
「杉乃家」さんで使用されるお皿はすべて「大堀相馬焼」でーす。
「杉乃家」によせられた応援メッセージ
店内のメッセージもたっくさん増えてましたー。遠くからもたっくさんの方が応援に来てくれてまーす。
あんた、「杉乃家」の「なみえ焼そば」をまだ食べたことがないなんて、「なみえ焼そば」ファンとしてはモグリだぜ。
二本松市本町「二本松神社」
今回の旅行の最後に、二本松神社でお参りっす。
どーか、被災の復興が速やかに進みますよーに!(優等生風)
「2年ぶりの懐かしい顔たちに再会する旅」ってコンセプトでお送りして来た今回だったのに、結局、再会できた懐かしい顔ってのは、小野寺五典議員のお母さんだけだったっす。
それでも、そんな寂しさなんか吹っ飛んでしまうくらいの新しい出会いが今回もあったっすね。
これこそが、今回の旅での最大の収穫!それはやっぱ、
「wake Up,Girls!」菊間夏夜ちゃん(お色気担当)との出会い!
これからみなさんも、「大鍋屋」さん共々、「wake Up,Girls!」の応援をよろしくお願いします!
それじゃあ最後は、「wake Up,Girls!」のテーマでお別れ!
せえのー!
「ふんふふふーんふふふーん、ららららー、るるるるー」(適当)
おしまい
「高村智恵子像」