NAVERまとめ 魚拓
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(2020年7月28日 魚拓取得)
https://matome.naver.jp:443/odai/2146008909133035001 - 2020年7月28日 13:44 - ウェブ魚拓
今回の最初の目的地に選んだのは、宮城県石巻市。これまで何度か訪れてはいたんすけど、意外と腰を据えて観光したことはなくって、あーそーいえば石巻のあそこってまだ行ってなかったんじゃん。やっぱ行きたいよなー、なんつー感じで決めたっす。お馴染みの場所もチラホラ、逆に、今はもう無くなってしまった施設なんかもあるんすけど、そちらの詳細は例によって、ぼきの以前の石巻レポを参照っつーことでお願いするっす。正直言って、楽したっす。
2016年1月8日は、石巻駅を乗り換えで利用しただけっす。
2016年4月4日(月) 宮城県石巻市に到着!
JR「石巻駅」ホーム
JR石巻駅には、石巻線と仙石線が乗り入れています。
石巻駅に着いてまず目につくのは、駅構内のいたるところに描かれた、故石ノ森章太郎氏が生み出したキャラクターたち。そして、駅改札脇に設置された「仮面ライダー」と「サイボーグ009」のキャラクター像。キャラクター像は、「石ノ森萬画館」が開館した2001年に、石巻駅から萬画館までの道のりとその周辺に設置。現在は、その後追加されたものも含めて計19体もあるんすから。石巻、素敵すぎるっす。
JR「石巻駅」駅舎
「サイボーグ002」と「サーボーグ003」のキャラクター像が設置されているっす。
「石巻市役所」前の「仮面ライダーV3」
いしのまきカフェ「 」(かぎかっこ)の「 」親黒カレー
震災後の石巻を元気にしたい!という思いから2012年11月3日にオープン!
地元高校生たちが自分たちで作り運営している、いしのまきカフェ「 」。
サンマの香りが食欲をそそる「 」親黒カレーの開発も、高校生たちによるものなのでーす。
いしのまきカフェ「 」のお皿
こちらのお皿も、高校生たちによるオリジナル。
「石巻立町復興ふれあい商店街」
石巻市が石巻商工会議所と連携し、2011年12月10日に立町イーケーパーキングで開設した石巻の市街地初の仮設店舗。
石巻市は当初、「石巻立町復興ふれあい商店街」の2015年内での閉鎖を決めていたが、2016年10月末まで設置期間を延長した。移転先が決まらない商店主の要望を受けての措置。
「石ノ森萬画館」 近くにある建物
この建物だけを残し、周辺建物は全て無くなってしまっていた。
西内海橋側からみた「石ノ森萬画館」
「石ノ森萬画館」
石巻市復興まちづくり情報交流館「中央館」
石巻から情報を発信するべく、2015年3月7日にオープン。館長は、外国人のリチャードさん。海外からも注目されるようにと戦略的な考えからの配慮だとのこと。功を奏し、海外から訪れる方も多いとのお話でした。
リチャード館長には、色々なお話を聞かせていただいて来たっす。何より、このリチャードさんがなんとも人柄の良い方で、なんか色々尋ね易いんすよ。石巻に訪れた際には是非こちらで、石巻の現状を見聞きしていって貰いたいっす。
石巻市は、現在でも、相当数のボランティアの方々の協力を必要としている現状ではあるのですが、ニーズが専門的なものに移行しており、震災直後の様に、すぐに協力を申し出てくれている方々に、ボランテイア先を紹介するという事が出来ていないそうです。
また、「石巻市復興まちづくり情報交流館」への問合わせの中には、石巻の復興はすでに完了していると考えている方や、震災直後の様に未だにあちこちに瓦礫の山が放置された儘なのだと考えている方からのものも多くあるそうです。いずれにしても、全く関心を寄せてくれさえしなくなってしまった方々よりも有り難く思うと、リチャード館長は仰っていました。
ここからは、「日和山公園」を目指して歩いて行きまーす。
東日本大震災「津波襲来の地」碑
「永巌寺」
「永巌寺」境内内駐車場に、東日本大震災からおよそ1か月後の2011年4月6日に、被災者への入浴サービスを目的に仮設風呂「千人風呂」が開設されていたとのこと。
「千人風呂」は、設備を移転しながら、2012年7月9日まで、多くの被災者をはじめ、復興支援に訪れたボランティアの方々などに入浴サービスを提供。
やがて、入浴サービスが終了した後でも「千人風呂」があった場は、コミュニティスペースとしての役割を持つようになり、現在は拠点を移し、地域のコミュニティスペース「スペース千人風呂」として活動を続けているそうです。
この前を通ったんすけど、気がつかなかったっす。
「紫明神社」
震災当時、ここは鳥居が隠れるほどの瓦礫が山積みされていた場所。周辺の家屋は取り壊され、復興住宅の建設が進められている中で、ひっそりと佇んでいました。
「石ノ森萬画館」を日和山中腹から望む
「鹿島御児神社」鳥居
「日和山公園」内、「鹿島御児神社」鳥居から沿岸部を望む。
「日和山公園」から眺める沿岸部
広範囲に亘って復興工事が行われています
宮城県石巻市「日和山公園」から望む被災沿岸部
出典元:YouTube
「日和山公園」から、沿岸部方面に向う石段を下る。
周辺には寺院が多く、墓石も無数に立ち並んでいました。
震災の津波によりなぎ倒されたという墓石たちも今はすっきりと整備されてはいるが、墓石を支えるなどの用途で使用されていたと思われる石材などの多くは、手付かずのまま放置されていました。
墓周辺に放置されたままの石材
「称法寺」
津波により称法寺の墓石は大半が倒れた。多くのボランティアの尽力により、瓦礫が取り除かれ、倒壊した墓石がまとめられた。嘗ては境内に、山門や親鸞像も建っていたが今は取り外されたよう。寺自体は、放置されているままのようだった。
石巻市東浜地区防潮堤「石巻壁画大作戦」
2005年に、石巻市が合併した時に記念として小学生たちが描いた壁画。壁画には「合併記念 H17.10.16」と記されている。
「善海田稲荷神社」
広大な更地の中に、松と祠だけがぽつんと位置している。この場所にまで工事が進むには、まだ大分時間がかかるだろう。
この南浜地区近辺は居住が許可されない地域となっており、約40ヘクタールの「南浜地区復興祈念公園(仮称)」とすることが計画されている。
「震災の記憶を後世に伝えるため、津波の被害に遭った街路網の骨格を各所に残し、中心部には追悼式典や復興イベントの会場となるスペースを整備。市民活動やレクリエーションに対応する多目的広場を造り、海側には松林や湿地を復元する。災害時に備え、一時避難場所として築山も建設し、日和山までの避難路も設ける」とのこと。
現在は、具体的な基本設計等の検討が行われている段階で、2021年3月に完成予定となっている。
「がんばろう!石巻」看板
周辺の復興工事のため、2016年4月11日に取り外され、約100メートル南に新看板が設置される。
看板前には、「復興するぞ!」の文字が。
DVD「がんばっぺ石巻 2011.3.11 忘れない 震災復興への思い」
「がんばろう!石巻」看板脇に、この場所を訪れた方のために用意されていた。震災当日から、2016年3月11日の追悼の様子までが収録されている。
「南浜つなぐ館」の解体工事
パネルや写真、街並み復元模型を展示し、東日本大震災の記録と教訓を伝える施設として2015年11月22日、「がんばろう!石巻」看板に隣接してオープンした。
東日本復興支援プロジェクト「花譜」のスイセン
東日本復興支援プロジェクト「花譜」により、「国営みちのく社の湖畔公園」から石巻市門脇町に届けられたスイセン。このスイセン後方、画像に映っている場所に、「がんばろう!石巻」看板が移設される。
門脇町で行われている道路設備工事
門脇地区で進む「復興公営住宅」建設工事
震災遺構「本間家土蔵」
江戸時代に廻船問屋として栄え財を成した旧家武山家(現本間家)が、明治三陸津波(1896年)の翌年に建てた土蔵。
西隣に建てられた双子の土蔵は、東日本大震災の津波により倒壊してしまった。
案内板には、「2011.3.11 震災遺構 本間家土蔵 私(土蔵)は残った。私が生まれたのは明治三陸大津波の翌年明治30年、西暦で言うと1897年だった。隣にあった同じ年の双子の蔵は今回の津波のため倒壊してしまった。私は多くの悲劇を生んだこの3.11の惨状を後世に伝えるために、ここに建ち続けるだろう。」と、記されている。
2階建ての土蔵内部には、江戸時代の廻船問屋帳簿や、石巻地域の歴史を学べる資料、文献などが展示されており、申し込めば見学が出来る。
「津波襲来の地」碑
「日和山公園」に至る階段下に設置。
「日和山公園」に通じる石段
「日和山」案内板
「日和山公園」の桜
この日、日和山公園の桜の開花宣言がされたみたいなんすけど、ぼきには咲いてる桜なんか見つけらんなかったっす。
「菊地旅館」
今日の宿は「菊地旅館」さんでーす。東日本大震災時、3メートルもの津波が押し寄せ、天井近くまで浸水。廃業も考えはしたんすけど、それでも1年6ヶ月後には営業を再開されたんすから。
ご主人が、裏にある山のおかげで、その程度の津波で済んだんじゃないかなって仰ってたっす。
青くライトアップされた「石ノ森萬画館」
世界自閉症啓発デーの4月2日から、自閉症啓発カラーの青色で彩る「ライト・イット・アップ・ブルー」に合わせて、「石ノ森萬画館」もライトアップ。8日まで。
雨に濡れる、夜のフランソワーズ・アルヌール
2016年4月5日(火) まずは私設避難所「佐藤山」へ!亘理町「中町カフェー」にも行きまーす。
「菊地旅館」に飾られている園児からの手紙
震災後、周辺整備が整っていない中、園児たちが散歩をしている姿に、皆は嬉しく思い、声をかけたり、お菓子をあげずにはいられなかったそう。園児たちからの感謝の気持ち。今でもご主人はこれらを大切にしています。
震災後、廃業も考えた「菊地旅館」のご主人。そんな気持ちのうちにもやがて、近所では2店舗が営業を再開して行った。それに勇気付けられ、ご主人は旅館の再開を決意。地域のみんなとの繋がりこそが何より大切で、頑張って来る事が出来た源だったのだと振り返った。
辛く厳しい状況を乗り越えたことで、これまでの自身の思いが改められたことが多くあった。
震災を機に、得たものがあるとするならば、そうした思いだったのだろうと。
混乱の中、迫る解体費用負担期限に急かされ、廃業を決めた方には、今でも後悔してる者も居るという。
東日本大震災から5年経過した石巻市。「菊地旅館」の周囲でも復興住宅の建設などが進められているが、復興の本番はまだまだこれからだとご主人は言う。震災時の自衛隊の働きに感謝してもしきれないと話しはじめると、途端に涙が溢れ、ほんとうに彼らはよくしてくれたと感極まった。物資面での援助もありがたいが、いつまでも、被災地にいる私達のことを忘れないでいて貰うこととそが一番の願いだと話された。
津波の被害を受けてから5年経ち、周辺の掃除もすっかり終わっている筈なのに、時に、どこからかまだ少量ながらヘドロが流れ出て来ることがあると。どこかにまだ残っているのだろうけれど、それがどこなのかは、全くわからないそう。
当時の大量に発生したハエには、ほんとに困らせられた。津波によって運ばれた魚などの死骸の所為だったんだろうな、なんて話も聞かせて貰いました。
「菊地旅館」
ご主人さん、お世話になりましたー。
また是非にって言われちゃったし、また石巻に来た時はよろしくねー。
石巻市の空
今日は、昨日と打って変わって良い天気。
「あいプラザ・石巻」前の「仮面ライダー」
「石巻駅前交差点」の「島村ジョー」
JR「石巻駅」
さて、今日、最初の目的地は、JR仙石線の野蒜駅が最寄り駅となる、東松島市野蒜にある私設避難所「佐藤山」。誰の手も借りず、たった一人で岩山に作り、東日本大震災時に、74名もの命を救ったっつーところなんすから。
JR仙石線「野蒜駅」
東日本大震災の津波の被害に遭った旧野蒜駅駅から500メートルほど内陸の高台に建設され、2015年5月30日に営業を再開。
周辺は広範囲に亘って新たな施設建設の真っ最中。
JR仙石線「旧野蒜駅」
東日本大震災時、約3.7メートルの津波に襲われた。震災遺構としてプラットホームは残される。駅舎は改修され、コンビニエンスストアを中心とした観光交流拠点となっている。
私設避難所「佐藤山」は、この「旧野蒜駅」の北東100メートルほどのところに位置してるっす。
社会貢献支援財団による、平成24年度「東日本大震災における貢献者表彰」受賞者に選ばれた、「佐藤山」を作った佐藤善文さん。東日本大震災時の「佐藤山」の果たした役割の簡単な紹介文が、そこに載ってるっす。
チリ地震を契機に、三陸でも近いうちに地震による津波で甚大な被害を被る事態を想定していたことから、自宅の裏山を私財を投じて避難所として利用できるように10年かけて整備していた。高さ30m程の山に4方から昇れる石段を作り、頂上には広場と東屋、8畳ほどの小屋を作り、食料や水、燃料などを常時備蓄。大地震直後は40名程の人が既に避難してきていた。津波は直ぐにやってきて更に30名程が命からがらに避難し合計70名程の人が避難し、自衛隊が来るまでの2日間を過ごした。日頃、山は「佐藤山」と呼ばれ、時に変わり者と呼ばれながらも、結果的に70名もの人命を救うこととなった。
私設避難所「佐藤山」入り口
「津波なんてここまで来るわけがない」と言われながら、約10年がかりで土地の所有者、佐藤善文さんが岩山に建設した。
東日本大震災時に、この場所のおかげで74人の命が救われた。
「佐藤山」入口にある「喫茶去苑」看板
「佐藤山」入口にある「災害避難所(津波)」とある看板
「佐藤山」の豊かな植物群
「佐藤山」から望む「旧野蒜駅」
「佐藤山」は、30メートル程の高さの岩山を整備し造られた。
「佐藤山」のハウス
これなんすかって、尋ねんの忘れちゃってたわ。
「佐藤山」の東屋と桜の木
この日、数輪の桜が開花してんのを、佐藤さんに先立ちぼきが発見。
「佐藤山」の「喫茶去苑(きっさこえん)」
震災時、佐藤山に避難してきた74人のうち数十人が、狭いこの中で生活。中に入り切らない他の者は、外の東屋や、建物周囲で避難生活を行っていた。
平時は、「喫茶去苑」として、お茶などを提供している。
写っているのは、佐藤山を造った佐藤善文さん。
避難所とは本来、誰でも気軽に訪れる事が出来る場所でなければならないと佐藤さん。そのための「喫茶去苑」であり、豊かな木々であると。
避難所としての機能を十分にすると共に、快適な環境作りも大切なことだと佐藤さんは仰っていました。
「佐藤山」には、多くの植物が育っているっす。佐藤さんと周辺を歩きながら、珍しい植物の名前なんかを教えてもらったっす。え!そんなもんも生えてるんすか!ってな感じで、驚かされたっす。
東松島市野蒜「佐藤山」には桜をはじめ、多くの木々が植樹、または自生している。この日、桜は数輪咲きはじめただけだったが、満開時にはここで花見が出来るように準備が整えられている。また、今後新たな設備も整えてい行く予定とのこと。単なる避難所では行けないのだと、佐藤善文さんは仰っていました。
「佐藤山」には、多くの方々が避難所の在り方を学びに見学に来ています。個人で訪れるのは元より、学校主催の催しとしてだったり、外国の方が佐藤さんのお話を聞きにいらっしゃる事も。所有者である佐藤善文さんは、誰もが気軽に来られる事こそが避難所としてのあるべき姿だと考えており、山頂の小屋を喫茶室「喫茶去苑」として活用しているのも、そうした考えからのこと。
突然訪問して来たぼきも、この「喫茶去苑」にてお話を伺わせて貰ったっす。
そして何より驚かせれたのは、この岩山に人工的に手を加えた「佐藤山」の豊かな自然。
植樹し整備した木々が茂るのはまあわかるが、これほど多種の珍しい植物が自生しているのは驚きに値する。何しろ、この植物らに関しては、まったく手を加えていないのである。言ってみれば、知んないうちになんか勝手に生えちゃってた、のである。
佐藤さん曰く、海に面したこの土地の風向きと、やって来る鳥たちの所為なのだろうと。
ここで吹く風が、いい匂いだったんすよね。自生した珍しい植物の名を教えてくれる佐藤さんと楽しくそこらを歩き回ってるうちに、時間があっという間に経過。残念ながら、列車時刻を気にしながら、「佐藤山」を後にしなければならなかったっす。
ここは、避難所機能を併せ持った、自然豊かな憩いの場。ぼきにはそう感じられたっす。
佐藤さんが目指しているのは、そういうものだったんだろうなと思ったっす。
佐藤さん、いろいろなお話、ありがとうございましたっす。
今年の桜の時期にはもう無理っすけど、今度は、教えて貰ってそれぞれの木々の季節に合わせて来てみたいもんすね。
そりと、この「佐藤山」と、「佐藤山」を造った佐藤善文さんをモデルにした、昔話風に仕上げたデジタル絵本「おさとうやま」が2014年12月に出版されてるんすよ。
筆者は京都市の藤枝雅博さん。絵本を通じて「津波の恐ろしさや高台避難の重要性を全国に広めたい」っつーことで、今後も「佐藤山」を通じて、いろいろと展開していくみたいでーす。
「佐藤山」遠景
新町区民「幸福の楽園」碑
東日本大震災の津波によって命を落とした、新町区民130余名の供養のために行われた桜の植樹を示した碑。
JR仙石線「野蒜駅」から見た「佐藤山」
画面中央が私設避難所「佐藤山」。白いハウスが建っているのが見える。
さて、「佐藤山」の次は、「名取駅」に向かって列車でGO!
「名取駅コミュニティプラザ」
JR「名取駅」西口側にある、レンタル自転車を取り扱ってる施設。
いつも通り、レンタル自転車利用させて貰いまーす。
名取市閖上地区
広範囲に亘って、嵩上げ工事が行われている。
「日和山」
閖上漁港への船の出入りを見るためなどに、1920年に築造された山。
「閖上溱神社」
標高6.3メートルの山頂に、富主姫神社社殿などがあったが、東日本大震災の大津波により社殿が流出、石碑は倒壊してしまった。津波は山頂から2.1メートルの高さまで推移したと推定される。
2013年5月に現在の社殿が再建された。
「日和山」から沿岸部方面を望む
「名取市東日本大震災慰霊碑」
2014年8月11日に完成。
慰霊碑左右の芳名板には、震災により犠牲になられた944名の方の御芳名が記されている。
「東日本大震災慰霊碑」と、被災した笹かまぼこ「佐々直」旧本店工場
「慰霊碑」は、2014年8月に建立。
「佐々直」旧本店工場は、震災遺構として保存が検討されていたが、保存を断念することが決まった。
笹かまぼこ「佐々直」本店工場跡
東日本大震災の津波の被害を受けた。
名取市の「復興桜プロジェクト」による桜が植えられている。
名取市の観光復興のため、桜の苗木を植えて、新たな観光名所づくりを進める「復興桜プロジェクト」。
桜の苗木は、津波で多くの人が亡くなった閖上地区で津波をかぶりながらも震災後に花を咲かせた桜の木から芽をとって、育てている。
「佐々直」は、東日本大震災の津波により閖上にあった3つの工場と店舗が流失するなかで、震災から約1ヶ月後の4月に、中田バイパス店工場の見学用製造ライン「笹かまぼこができるまで」のみで、24時間休まず細々と製造を再開。2012年4月に名取市増田柳田に新工場が完成、翌2013年7月に同工場敷地内に名取直営店を完成させた。
「名取市東日本大震災慰霊碑」と「日和山」
「佐々直」本店工場跡周辺
「ゆりあげ港朝市」市場
毎週日曜日・祝日の朝6時~13時に開催されている。
名取市閖上地区へは、名取駅コミュニティプラザのレンタル自転車を使って行ったんで、あんま時間もなくて、ちゃんと見てこれなかったんすけど、印象としては、どーしても、まだ復興工事が始まったばっかって感じにしか思えなかったっす。広範囲に亘る更地の極わずかにだけ手が加えられてて、これじゃ確実に、まだまだ時間が必要だろうなあって実感したっす。
解体工事中の「閖上小学校」
津波の被害に遭い、嵩上げ工事にともない解体工事が行われている。
次は、「名取駅」から電車に乗って「亘理駅」へ向うっす!列車時刻に合わせたやりくりで、ゆっくりしてる暇が全然無いっす。
JR常磐線「亘理駅」
ちょっぴり、亘理町を紹介をしてるページもあったんで、のっけておきまーす。
アトリエ&喫茶「中町カフェー」
2月18日に開店した、亘理町内で女性の雇用創出に取り組む一般社団法人「WATALIS」が運営する、「各地で頑張る生産者の商品を地域住民に楽しく味わってもらいたい」がコンセプトのカフェ。
代表の引地さんは「新たに集う場を提供し、震災で散り散りになった住民のつながりを取り戻したい」とおっしゃってまーす。
「桑の葉茶」とクッキーセット
オススメの「桑の葉茶」とクッキーゲッツ!この桑の葉茶ってのが、意外だったんすけどほんと一に美味いっ!一日中歩き通しだったんで、心からホッと出来たっす。ワタリス応援してまーす。頑張れー。
「バタークッキー」
こちらのクッキーは、NPO法人「麦の会」さんが製造。東北産小麦100%使用なのでーす。
どーりで美味しいわけだ。
「中町カフェー」全景
スタンプを集めるとプレゼントが貰える「中町カフェー スタンプカード」も貰ちゃったことだし、こりゃあまた行かなくっちゃっすね。
「亘理駅」から次、目指す福島方面は、JR代行バスっす。
JR常磐線「駒ヶ嶺駅」
福島県相馬郡新地町駒ヶ嶺、JR常磐線「駒ヶ嶺駅」 東日本大震災の影響で、現在は休業中。代行バス停留場も、この場所となっている。
「駒ヶ嶺駅」の「新地町」観光案内版
「駒ヶ嶺駅」構内
「駒ヶ嶺駅」方面を望む
新地町の桜
「ふくしま浜街道桜プロジェクト」により国道6号線沿いに植樹された桜
ビジネスホテル「相馬六万石」
今日の宿はこちらでーす!
2016年4月6日(水) 今日は、福島県新地町から、福島県内各所を回って来るぞー
「駒ヶ嶺駅入口」交差点
「新地町立駒ケ嶺小学校」の桜が、すっかり咲きほころんでいます。
JR常磐線「駒ヶ嶺駅」
JR代行バスで、現在のバス路線の終点、「相馬駅」へ!
こっから、見事に咲き誇った福島の桜を堪能していく怒涛の展開が待ち受けてるっす。
期待していいと思うっす。
と、その前に、「相馬野馬追」見に来たりとかで、もう何度も「相馬駅」には来てるんすよ。
で、以前来た時のレポもあんで、そっちも紹介しておくっす。
JR常磐線「相馬駅」
「相馬中村神社」の桜
「相馬中村神社」
「相馬ヤマブン山形屋」
「相馬ヤマブン山形屋」の「あまざけ」
こちらに来た時は、いつも買ってまーす。好きなんでーす。
相馬市の「相馬駅」の次は、南相馬市の「原ノ町駅」へ!
この「原ノ町駅」ってとこにも、もう何度も来てるっす。
ここから、まだ列車が不通で、「小高駅」んとこまで、レンタル自転車で向かうってのが、なんつーか、好きなんすよね。いまだ避難指示が出されている中で、着々と前に進もうとしてる小高の変化を目に出来るってことが。
つーことで、こちらでも以前のレポを紹介しときまーす。
JR常磐線「原ノ町駅」
松永「アイスまんじゅう」
南相馬に来たらやっぱコレっしょ!駅んとこのコンビニでもずっと取り扱ってたなんて、気が付かなかたっす!今月からちょっち値上がりしちゃったんすけど、うーん、美味しいからまー良しとしておくか!
「相馬野馬追祭場地」(雲雀ヶ原祭場地)の桜
「相馬太田神社」の桜
「相馬太田神社」
「同慶寺」の桜
昨年4月に訪れた時は、画面後方の駐車場いっぱいのフレコンバックがひしめいていたが、今はすっかり片付けられていた。
「相馬小高神社」
「相馬小高神社」の桜
「相馬小高神社」境内から「貴船神社」方面を望む
「貴船神社」の桜
交流施設「小高浮舟ふれあい広場」の桜
交流施設「浮舟ふれあい広場」
帰還住民のための気軽に立ち寄れる場として、2015年7月4日にオープン。
JR常磐線「小高駅」
これまで「原ノ町駅」~「小高駅」間の運行再開を、2016年の春ごろと予定していたが、現在のところ、正式な発表はまだない。
駅舎の整備は終了し、あとは小高区の避難指示解除に合わせ運行再開を待つばかりといった状況であったのだろう。しかし、2016年4月の避難指示解除を目指していた小高区であったが、先日、桜井市長が、南相馬市の避難区域、小高区と原町区の一部の避難指示解除は夏ごろになるだろうと発言した。
「アンテナショップ希来」
2015年1月31日にオープンした、小高区に所縁のある商品を扱っているアンテナショップ。
「希来」さんのツイッターの表示なんかは前のままなんすけど、現在は、月曜日から営業してますからねー。レンタル自転車や、住民の帰還支援を行う「小高サポートサービス」も始めましたー。
「アンテナショップ希来」店内
南相馬市小高「アンテナショップ希来」では、震災直後の避難生活や、一時帰宅時のお話を聞かせて頂きました。他に、店に人が来てくれると言っても、やはり東京方面から来てくれるようになって貰い。何も買わなくてもいいから、ただ話をするためだけにこの店を訪れて貰いたいなどとも、仰っていました。
地元の野菜を買いたいなって思ったんすけど、「希来」が野菜を仕入れるのは木曜日なんで、この日は無かったっす。残念。
「双葉屋旅館」
「アンテナショップ希来」オーナーの小林さんが女将さん。現在は、避難者の一時宿泊施設として営業を再開。
今日はお客さんがたくさんで、なんだか忙しいらしいでーす。
「東町エンガワ商店」
2015年9月にオープン。
4月より、営業開始時間が9時になりましたからねー。
「菓詩工房わたなべ」の「小高秀」と「すきです小高」
「東町エンガワ商店」さんで「菓詩工房わたなべ」さんとこの「小高秀」と「すきです小高」ゲッツ!
「菓詩工房わたなべ」さんとこの小高区本店は休業中。現在は、原町店にて営業してまーす。
「おだかぷらっとほーむ」さんで休憩しながら、いただこうっと。
「おだかぷらっとほーむ」
南相馬市小高区で活動している団体「小高を応援する会」は2015年10月1日、同市小高区を訪れた人や地元住民などの交流スペース「おだかぷらっとほーむ」をオープン。
「小高に来た人が『ぷらっと』訪れ、『ぷらっと』休んでほしいと」の思いを込めて名付けたっす。
今回も、コーヒーご馳走になっちゃたのでしたー。
元「おだかのひるごはん」店舗
2014年12月に、地域の飲食店などが再開していない中でオープン。地域業者の帰還の呼び水として役割を果たし、今年3月11日で営業を終了した、南相馬市小高「おだかのひるごはん」店舗。今後、店舗オーナーが帰還し、食堂を再開する。
そろそろ、小高区から離脱!
そして昼食は、こちらへ来る途中みかけた、「相馬太田神社」から県道120号線に入って「同慶寺」へ向かう途中の「お食事処」で食べると決めてたのでしたー。
「古内酒店」
県道120号線沿、南相馬市原町区矢川原「古内酒店」内に「お食事処 手打ちうどん ぶったぞお〜」さんであるのでーす。以前にここを通った時には気づかなかったっす!
「お食事処 手打ちうどん ぶったぞお〜」の「オリジナル冷やしうどん」
不揃いな太麺が後引くなー。また食べたーい。
またかよ、松永の「アイスまんじゅう」
南相馬を後にする前に、も一度、松永の「アイスまんじゅう」ゲッツ!日本橋ふくしま館「MIDETTE」での発売開始はよ。
南相馬市原町区の「原ノ町駅」前から、福島交通バスで、伊達郡川俣町にある「川俣営業所」停留所まで。
途中、全村避難指示区域である、相馬郡飯舘村を通過して行きます。
「飯舘村」
積まれた「フレコンバック」
飯舘村内の道路工事
飯舘村内の主要道路では、広く整備工事が進められていました。
「綿津見神社」入口
南相馬警察署「飯舘駐在所」
2015年5月から警察官の常駐が開始された。居住制限区域で宿泊が出来ないため、平日午前9時~午後5時まで、警察官が駐在所に詰めている。
「セブンイレブン 飯舘村仮設店舗」
2015年7月31日にオープン。
もりの駅「まごころ」
「山津見神社」案内看板
東京芸術大の荒井経准教授らによって、3年前に焼失した「山祇神社」拝殿のオオカミ絵の復元が全て完了した。
5月28日~7月3日に福島県美術館で開催の「よみがえるオオカミ」展で、計242枚を一堂に披露する。
やがてバスは、「川俣営業所」(伊達郡川俣町飯坂中道23−1)に到着!
ここからは徒歩で、今日の宿まで!
これが、けっこー距離があるんだなーまた。
「機織神社」の「小手姫桜」
今から1400年前、政争に巻き込まれた息子を探しに「川俣町」にたどり着いた「小手姫」が、養蚕・機織を伝授したとして祀られている。
「ホテル一期一会」
震災前は結婚式などを執り行う「川俣ホテル」として営業し、秩父宮妃殿下や村田英雄さんもいらしていた所だったんすけど、多くの苦難を乗り越え、名称も新たに再出発!これからも頑張って下さーい。
川俣町の夕日
「割烹 新川」
「新川」の「しゃも親子丼」
「町おこし川俣シャモ」メニューの「しゃも親子丼」ゲッツ!川俣シャモって初めてだったんすけど、これが噛めば噛むほど旨味が溢れ出てきて美味い!早食いなんて以てのほか!川俣シャモは、ゆっくり味わってつかあさい。
「中央公園」の雪洞
「中央公園」の雪洞に、もう灯は灯ってるんすけど、この地に絹織を伝えた祖の名を冠した「お手姫様のさくら祭り」開催は、16日からですからねー。お願いしましたよー。
「中央公園」看板
わずかな範囲を目にしただけの印象では、避難指示区域の山木屋地区以外の川俣町に、まるで震災の影響はないかの様にさえ見えた。しかし、「ホテル一期一会」が震災後に直面した状況を知り、実際に修繕の行き届かない館内を目にしたりすると、露わにならない被害というものに対する支援というものは、得てして行き届かないものであるということを理解せずにはいられないのだった。
2016年4月7日(木) 旅行最終日!川俣町からの福島駅周辺へ!帰りたくないよー
「ホテル一期一会」の部屋からの眺め
どんよりした川俣町の空。今日の予報は雨。
早めに行動を開始しよーっと。
それから、いくら「ホテル一期一会」館内が広くて入り組んだ造りになってるからって、2度も迷った挙句、他のお客さんがいる客室を覗くことになっちゃった、なんてことあるわけないからね。
「川俣日和田」バス停留所の「小手姫像」
「ホテル一期一会」のすぐ前にあるっす。
「中央公園」
「中央公園」の「小手姫像」
平成4年8月に建立された。7メートルも高さがあるんすから。でっけー。
「春日神社」の町指定天然記念物「大ケヤキ」と桜
「春日神社」と登校途中の小学生たち
「大円寺」
道の駅「川俣」オアシスinシルクロード
「かわまた銘品館シルクピア」
川俣町の特産である絹織物や、「川俣シャモ」などの紹介・販売を行っている。
「シャモつくね」と「シャモメンチ」(ナンコツ入り)
こちらではサービスで「川俣シャモスープ」も用意してくれてまーす。川俣シャモ、ほんと美味えなー。
「川俣シャモ 地鶏ご飯の素」
こちらもゲッツ!
「おりもの展示館」
川俣町の絹織物業の発展の歴史などを紹介している。併設する「からりこ館」では、機織りや染色などの体験が出来る。
「おりもの展示館」展示物
絹織機の変遷や、絹糸生成の様子などが紹介されている。
「八重の桜」で使用された「川俣シルク」を用いた衣装
「からりこ館」 で展示中の「雛人形」
雨は益々強くなって行ってるっす。
これからの予定、ちょっち変更してかなきゃなんないなー、どうすっかなーとか考えながら、道の駅「川内」前の「JRバス東北」バス停で、バスを待ってたっす。
結論が出ないまま、まーバスに乗ったら直ぐに寝ちゃったんすけどね。
取り敢えず、福島駅まで行きまーす。
JR「福島駅」東口
「ミニ花見山」(花のモニュメント)
福島駅東口駅前広場に「スマイルとうほくプロジェクト」により設置。
「春爛漫!秋山庄太郎 名作と花見山写真展」
駅ん中のボランティアの方々による「案内所」で勧められて行って来たっす。
花見山は、秋山庄太郎氏が「福島に桃源郷あり」と絶賛し毎年訪れていたところ。
「いつどこにいても花に囲まれているが、福島市郊外の花見山公園の春を、日本随一位に推薦したい。」
ほんと、福島っていいとこなんすよねー。
そして、今旅行の最後の目的地!
原発事故により飯舘村から福島市に移転して、福島店として営業している「椏久里珈琲」へ!
当初はJR「福島駅」の西口に回って、「ももりんレンタサイクル」っつー無料のレンタル自転車を借りてそこに向かう予定だったんすけど、この雨じゃねー。
「椏久里珈琲」の最寄り駅「笹木野駅」に向かう電車も、「野田中央公園前」バス停に向かうバスも、ほんと本数が少ないんで、えーいままよ!ってな感じで、この雨ん中を思い切って歩いて行っちゃうことにしましたー。(タクシーという選択肢は俺には無い)
JR「福島駅」西口
「椏久里珈琲」福島店
原発事故により飯舘村から福島市に移転、福島店として営業している。
「椏久里珈琲」は、2011年4月、飯舘店を避難に伴い休業。同年7月、飯舘村より福島市に移転、野田町に「福島店」を開店。2015年10月に、現在の福島市東中央3丁目へ移転し営業中。
「コロンビア・マタレドンダ」中煎りと「フロッケンザーネトルテ」
コーヒー素人を悟られ、ぼきの要望に合わせて、ご主人にコーヒーを選んで頂きましたー。
む、私の好みにぴったりだよ。ご主人、腕をあげたな。
「椏久里珈琲」ご主人は、奥さんと共著で本を出版されています。
飯舘村での暮らし。原発事故後の暮らし。そして、「コーヒー」に取組んで来た暮らしのことなど。
『山の珈琲屋 飯舘「椏久里」の記録』(市澤秀耕・市澤美由紀:著/言叢社:刊)2013年3月11日発売
「椏久里珈琲」福島店には、ひっきりなしのお客さま。
明るく広い店内には、和やかな雰囲気と、香ばしいコーヒーの香りが漂っています。
ご主人のコーヒーを入れる手際は見ていて気持ちが良く、けれども妥協を許さない厳しさも感じられました。
ご主人の気持ちは、今も飯舘村にあるようです。
飯舘村に戻る日のためにも、おいしいコーヒーを作り続けて下さいね。
雨に濡れたぼきに、ご主人が差し出してくれたタオルには、コーヒーの香りが染みついていました。まる。
また絶対、美味しいコーヒーいただきに行きますからねー。
へいマスター、俺の馴染のそこのカウンター席、開けておいてくれよな。みたいな。
おまけ
2016年4月10日(日) 千葉県山武市「和食処 まんまや」で「までい牛」ゲッツ!
千葉県山武市に、唯一、福島県飯舘村から運び出し育てて来た牛を提供してくれている店、「和食処 まんまや」がありまーす。
震災後、飯舘村の畜産農家・小林将男さんが、村から黒毛和牛を千葉県山武市に運び込み、そこで牧場地を借受け、「小林牧場」として運営。血を引いていても法律の規定でブランド「飯舘牛」とは表示できないため、「千葉県産黒毛和牛」の商品名で取引きしてはいるんすけど、「和食処 まんまや」では、「手間を惜しまず」「心を込めて」「丁寧に」っていう意味を持つ福島の方言「までい」からとって、「までい牛」と名付けて、美味しい料理を提供してくれてるのでしたー。
山武市では、多くの方が小林さんの取り組みに賛同し、協力してくれてるっす。
「和食処 まんまや」ご主人・山田博志さんも、そんな中のひとり。
「まんまや」での「までい牛」の提供は、2014年の夏からなのでした。
「和食処 まんまや」
11:30~14:00
17:00~21:00
定休日は毎週水・木曜日
最寄り駅は、JR総武本線「日向駅」っす。
「までい牛サイコロステーキ定食」
やっぱり美味い!までい牛!
お店の方は、昨年来たぼきのこと覚えててくりたのでしたー。
「小林牧場」の小林将男さん言うところの「白身」(脂身)が、さっぱりしてて、ほのかに甘いってところが、「までい牛」の特徴っすかね。
までい牛メニューも増えてましたよー。
読売新聞記事「千葉育ち『飯舘牛』人気」
2016年4月2日の読売新聞(夕刊)で、「まんまや」ご主人・山田博志さんが紹介されてるっす!
「和食処 まんまや」さんは、店舗隣に加工場を作り、3月から「までい牛」精肉販売を開始してるっす。和食店営業もあるっすから事前の予約が必要となるんすけど、とにかく、今以上に「までい牛」を普及させていきたいってのが、「まんまや」ご主人・山田さんの願いなんすよ。
そして、いずれは東京でも「までい牛」を提供できる店を出すって意気込みなのでーす。
現在、「まんまや」さん以外に「までい牛」を提供していこうっていう新しい店舗の開設が進められてるっす。開設は山武市周辺になるだろうってことで、複数店舗を検討中ってことだったっす。
そりと、今度、東京大学で行われる「5月祭」では、飯舘村を支援している同大学生が中心のサークル「までいラボ」が、「までい牛」を調理して提供するっす。同サークルによる「までい牛」の紹介は、1月10日に東大農学部キャンパスで開かれた「第一回弥生物産展」でも行われたっす。
「まんまや」ご主人もこの試みに協力してて、みなさんの成功を、心から願ってたっす。
以下は、その「第一回弥生物産展」ん時の様子っす。
もんの凄い人気で、早々に「までい牛」は完売してしまったんすから。
東京大学「食で農業を考える〜第一回弥生物産展」で、千葉県山武市の「小林牧場」さんとこの「飯舘牛」改め、「までい牛」ゲッツ!こちらは東大生の「までいラボ」による出店。アメリカ牛との食べ比べなんすけど、断然、までい牛のほうが美味いっす! https://t.co/xCiyzH8iEG
東京大学「食で農業を考える〜第一回弥生物産展」で、福島県飯舘村のハウスで「試験栽培」された小松菜を使用した「ケークサレ」ゲッツ!こちらは、フェリス生より、飯舘村での取り組みについてお話を聞かせていただきながらの、試食なのでしたー。 https://t.co/xZQIkGlkMc
東大「食で農業を考える〜第一回弥生物産展」で、東京大学大学院農学生命科学研究科・農学国際専攻教授、溝口勝氏による講演会「福島農業に復興を考える」に参加。「までい牛」を飼育している千葉県山武市「小林牧場」の小林さんもいらしていました。
飯舘村産小松菜の「ケークサレ」は、フェリス女学院大学学生有志のグループと、横浜市の地産地消レストラン「80*80」による企画っす。
東京大学「食で農業を考える〜第一回弥生物産展」で、福島県飯舘村の日本酒「相馬いいたて おこし酒」ゲッツ!お腹にストンと優しく入ってくるお酒で、香りの良い美酒。美味しかったでーす。 #福島 https://t.co/0TCbDhaEiG
この「相馬いいたて おこし酒」など飯舘村のお酒は、商品を取り扱っている店舗からお取り寄せが出来るっす。
被災地への応援、何かをしたいって思ってる方々は、ほんとーに沢山いらっしゃるっす。
直接、現地へ赴きたいって方もいるっすけど、実際、なかなかそーいうわけにもいかなっすよね。
でも、安心して下さい、身近なところでも支援活動たくさんやってますよ!(とにかく明るい安村風)
現地の方々も、ほんと大変な状況の中で、それぞれが出来る精一杯でもって、復興に向けて努力してるっす。そして、そうした活動を支えていこうとする、多くの方々の協力も当然あるわけっす。
でも、そうしたもんの詳細って、大きなイベントにでもなんない限り、マスコミも取上げてくれないんすよね。
今回の旅行中にも、震災後5回目の「3月11日」が近づいてくっと、たっくさんのメディア関係者がやって来ていたけど、その後は、まーたいつものようにぱったり、訪れることも無くなっちゃったなーってな話を何度も耳にしたっす。まー、そんなもんすよね。わかっちゃいるけどなんだかなー。
でも、しっかり調べて行くと、ちゃんと欲しい情報に辿り着くことは出来るっす。
悪質なデマに惑わされぬよーに、こりからもみなさん、被災地の支援をよろしくお願いしましたよ。頼みましたからねー。
おしまい