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東日本大震災から5年…

東日本大震災から5年9ヵ月、宮城県石巻「大川小学校」跡地から福島県南相馬と飯舘村に行って来ましたー。

2011年3月11日に東日本大震災が発生。そして翌3月12日には長野県北部地震が。それから5年9ヵ月。被災地からの報道は減少傾向で、伝えられて来るのは新店舗開業や新事業立ち上げなど、恰も復興が順調に進んでいるかのような明るい報道ばっか。だけど伝えられない現実ってやつにこそ、真実があるはずなんすよね。

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(2020年7月30日 魚拓取得)

2016年12月10日、JR常磐線「相馬駅」(福島県相馬市)~「浜吉田駅」(宮城県亘理町)間が、5年9ヵ月ぶりに列車運行を再開。「相馬駅」~「浜吉田駅」間には、「駒ケ嶺駅」(福島県新地町)、「新地駅」(同)、「坂元駅」(宮城県山元町)、「山下駅」(同)の4つの駅があって、そのうちの「新地駅」、「坂元駅」、「山下駅」の3つの駅が新設。
これまでぼきも何度もお世話になった「相馬駅」~「浜吉田駅」間を繋いでいたJR代行バスは、その前日の9日、その役目を終えたっす。(代行バスでの宮城県側の発着は、「浜吉田駅」のひとつ先の駅である「亘理駅」から)

この運転再開をみなさんがどれほど待ち望んでいたのかは、当日の現地の様子を伝える報道をみれば、それは容易に感じ取れるっす。みなさんめっちゃ笑顔。ほんとうに喜ばしいニュースではあるっすけど、これでJR常磐線の全線が運転再開を果たしたわけじゃあないんすよね。
まだ福島県側の「小高駅」(南相馬市)~「竜田駅」(楢葉町)間では、これまで通りJR代行バスに頼らなくちゃなんないわけだし、両駅間にある6つの駅(桃内、浪江、双葉、大野、夜ノ森、富岡)のうち5つの駅(桃内を除く)まで帰還困難区域がある行政町に位置してるっすから、各駅に停車することのない、「小高駅」~「竜田駅」間を行き来するだけの運行を余儀なくされてるんすよ。

宮城県のJR気仙沼線では、鉄道での再開を断念して、すでにBRT(バス高速輸送)専用道として運行してる区間があるっす。
岩手県のJR山田線の「宮古駅」~「釜石駅」間は、2018年度までに再開する予定で、それで全線開通とはなるんすけど、その後に「三陸鉄道」へ移管される予定になってるっす。

JR常磐線は、2019年度末までに全線での運転再開を目指してるっす。
次に運行再開が予定されてんのは「桃内駅」(南相馬市小高区)と「浪江駅」(浪江町)で、来年の2017年春になるっす。
そして、「富岡駅」(富岡町)は2017年末。
2019年度中に「双葉駅」(双葉町)、「大野駅」(大熊町)、「夜ノ森駅」(富岡町)が運転を再開して、晴れてJR常磐線全線が運転再開ってことになるんすよ。

まだまだ、時間は掛かるんすよね。

2016年12月20日(火) 運転再開した、「常磐線」で行こう!

JR常磐線「竜田駅」までは列車で。そこからはJR代行バスに乗り「小高駅」を経由して、「原ノ町駅」へ到着したっす。
「竜田駅」、「小高駅」、「原ノ町駅」周辺の様子は、ぼきの以前のレポ参照ってことで。

JR常磐線「小高駅」
2016年7月12日、小高駅~原ノ町駅間の運転再開に伴い営業再開。

JR常磐線「原ノ町駅」
2011年5月23日、原ノ町駅~亘理駅間の代行バス運行が開始され、同年12月21日、原ノ町駅~相馬駅間での列車運転が再開。
2015年1月31日、竜田駅~原ノ町駅間で代行バスの運行が開始。
2016年7月12日、小高駅~原ノ町駅間の運転再開。竜田駅へ向かう代行バスは、継続して原ノ町駅から運行されている。

「原ノ町駅陣屋」
2016年12月10日の相馬駅~浜吉田駅間運転再開に合わせて原ノ町駅舎内に新設され、同日オープン。甲冑の試着体験ができ、「相馬野馬追」の写真を背景に記念撮影が出来る。

中央奥が試着室の扉。現在試着中。

「原ノ町駅」から運転再開を果たした「駒ケ嶺駅」までは、3駅(鹿島、日立木駅、相馬)あり、「亘理駅」からの代行バスの終点は「相馬駅」となっていたっす。

JR常磐線「駒ケ嶺駅」プラットホーム
2011年4月12日、相馬駅~亘理駅間の代行バスが運行を開始、当駅前に駒ケ嶺停留場を設置。
2016年12月10日、相馬駅~浜吉田駅間の運行が再開。
震災以前からの駅舎をそのまま利用している。

JR常磐線「新地駅」プラットホーム
2011年4月12日、相馬~亘理間の代行バスの運行開始。旧新地駅舎から900メートル程離れた新地町役場前に新地停留場が設置。
2016年12月10日、相馬駅~浜吉田駅間の運行が再開。旧駅舎から約300メートル西側に移設された新駅舎で営業を再開。

「新地駅」駅舎
旧駅舎から約300メートル内陸部に建設された。

駅前に設置された「新地駅周辺市街地復興整備事業」を記した看板
駅周辺一帯は造成中でまだほぼ更地の状態。海岸部は広域工事中で立ち入り禁止となっている。

新地駅周辺で建設中の住宅

「新地駅」プラットホーム

「新地駅」プラットホームから見た海岸部

「新地駅」に到着した「仙台駅」行きの列車
この列車で隣駅「坂元駅」へ。

次は「坂元駅」へ向うっす。「坂元駅」が、宮城県に入って最初の駅になるっす。

JR常磐線「坂元駅」プラットホーム
2011年4月12日、相馬~亘理間の代行バスの運行開始。坂元停留所を国道6号線上に設置。場所はのちに建設される新駅舎近く。
2016年12月10日、相馬駅~浜吉田駅間で運行再開。坂元駅新駅舎は旧駅舎から1100メートルほど西側に移設建設された。

「坂元駅」プラットホームから見た内陸部側

「坂元駅」プラットホームから見た沿岸部側

駅前に設置された「坂元駅周辺案内板」

「坂元駅」駅舎
もとあった場所から内陸に移動し高架上に建設された。周辺は駅舎完成に先がけて宅地造成が進められており、駅前には郵便局も新設されている。

「坂元郵便局」
新築移転され2016年11月7日にオープンした。

「ローソン坂元駅前店」
2016年2月18日オープン。

「坂元駅」駅舎沿岸部側

宅地造成が進む正面側と異なり、まだ整地を進めているような状況。画面中央部分に旧駅舎があった。

次は「山下駅」っす。

JR常磐線「山下駅」プラットホーム
2011年4月12日、相馬駅~亘理駅間の代行バス運行開始。山下停留場を旧山下駅舎の西方約2キロにある山元町役場前に設置。
2016年12月10日、相馬駅~浜吉田駅間運行再開。旧駅舎の西方約1キロの地点に移転した新駅舎で営業を再開。

「山下駅」プラットホームから見た沿岸部側
周囲にはイチゴのビニールハウスが数多く見られる。

「山下駅」プラットホームから見た内陸部側

駅前に設置された「山下駅周辺案内板」

「山下駅」駅舎

「山下駅」前の「巨大壁画」
巨大壁画は高さ2メートル、長さが33メートル。地域再生や鎮魂の願いが込められている。山下駅前に開店を予定していたスーパー「フレスコキクチ」が、障害者のアート作品を手掛ける町内のNPO法人「ポラリス」に制作を依頼した。

「山下駅」駅舎遠景
画面中央左側にある食品スーパー「フレスコキクチ」は2016年10月23日、「新市街地まちびらき」に合わせてオープンした。

「山下駅」駅舎前の「祝常磐線運転再開!!」幟

「山下駅」駅舎沿岸部

「山下地区地域交流センター」新築工事
工期は来年の7月31日まで。

元の場所から1キロほど内陸に移動し、高架上に建設された「山下駅」。他の新設駅のどこよりも周辺開発は進んでいる。しかし、「列車の運行再開などの華やいだ報道だけで、地域の復興が進んでいると思われるのはどうか」という、工事関係者の話を聞かせて貰った。

列車内から見たイチゴのビニールハウス
東日本大震災による津波で、イチゴの産地であった山元町の栽培ハウスのほとんどが失われたが、農業生産法人が立ち上げるなどして、イチゴ生産の復興が進められている。

JR常磐線「浜吉田駅」へ

JR常磐線「浜吉田駅」
2011年4月12日、相馬~亘理間で代行バス運行開始。駅前に浜吉田停留場を置く。
2013年3月16日、浜吉田~亘理間の列車運行再開。浜吉田停留場を中原に移転。
2016年12月10日、相馬~浜吉田間の運行再開。

浜吉田駅も津波の被害を受けたが以前のままの駅舎を利用している。

このまま常磐線で「仙台駅」まで行き、「仙台駅」から仙石線に乗り換えて、今日の宿がある「石巻駅」を目指すっす。

JR仙石線「石巻駅」
石巻線も乗り入れていて、石巻線を所属線としている。

ここからバスで「東伊原津」停留所を目指すっす。
「東伊原津」停留所からは僅か50メートルのところに、今日の宿「旅館 小松荘」はあったのでしたー。

石巻市緑町「旅館 小松荘」

「旅館 小松荘」での夕食
石巻で採れた海の幸。トロカツオがほんとに美味しかったなあ。

夕食の「アンコウ汁」
アンコウも石巻で獲れたもの。

食後に「旅館 小松荘」さんで自転車を借りて、ちょっち「石巻漁港」周辺をぶらついて来たっす。

「石巻漁港」

「石巻魚市場」

「石巻漁港」

「石巻漁港」の「龍神弁天像」
東日本大震災から1年3ヶ月後に石巻漁港の海底から発見、修復された。海側を向いて設置されている。

2016年12月21日(水) 震災遺構として保存される「大川小学校」へ

石巻市緑町「旅館 小松荘」
海岸線から600メートルほど内陸にある「旅館 小松荘」は、東日本大震災時に周囲に押寄せた4メートルほどの津波により1階天井まで浸水。廃業を検討したが、2011年8月20日より営業を再開しました。

「旅館 小松荘」の「津波到達表示」

「旅館 小松荘」に展示されている「東日本大震災写真」

「旅館 小松荘」内の「津波到達表示」

「旅館 小松荘」に展示されている「東日本大震災写真」

JR仙石線「石巻駅」

「東伊原津」停留所から「石巻駅」へ向かい、更にバスを乗り継いで「イオンモール石巻」へ。
そこから、月水金のみ運行している「雄勝地区住民バス」を利用して、「大川小学校跡地」へ向かいました。

石巻市釜谷「大川小学校跡地」
東日本大震災の津波により、在学中の108名の児童の内74名と、教職員13名中10名、スクールバス運転手1名の計85名が犠牲になった。

大川小学校跡地に飾られた葉ボタン
津波で亡くなった4年生担任の佐々木芳樹教諭の父親、栄朗さんと妻の恵美さんが育てた葉ボタン。葉ボタンの飾り付けは2012年秋に始まった。佐々木さん夫妻は今回初めて、葉ボタンの装飾作業に参加した。

「大川小学校慰霊碑」
2013年8月25日に建立された。

「裏山」への道

遺族による訴訟に対して軽率に感想を述べるべきではないと考えているが、この裏山に通じる道は学校からあまりにも近く、残念でならない。

石巻市釜谷「長谷山 観音寺」跡
東日本大震災の津波により本堂、庫裡、山門、鐘楼が全壊し、安置されていた観音仏などが流出し、不明となったまま。

「長谷山観音寺跡」の碑
以前は寺院跡の近い場所にプレハブを設置し、仮本堂として檀務を行っていたというが、現在はプレハブもなく、「観音寺跡」の碑が建てられている。

石巻市釜谷「南無大慈大悲聖観世音菩薩」
観音寺跡地に建てられ、2013年9月14日、開眼供養式が行なわれた
東日本大震災により418名もの犠牲を出した、大川地区の惨状に心を痛めた埼玉県熊谷市在住の男性から寄進された。

観世音菩薩像の視線の先には大川小学校跡地がある。
宗派にかかわらず祈りをささげられるようにマリア像も建てられている。

石巻市釜谷地区の山裾に植えられた桜の木
東日本大震災による津波の犠牲になった児童、教職員84名と、地域の犠牲者を合わせた人数と同じ数、269本が並んでいる。孫娘2人を亡くした男性が5年がかりで植え続け、2016年11月20日に 、この本数が揃った。

石巻市釜谷「東日本大震災大津波横死者 大川地区四百十八精霊位供養之碑」
震災により亡くなった、大川地区の犠牲者418名の供養の碑。

果たしてこの場所で、あれほどの規模の津波が押し寄せて来る事を予見する事が出来ただろうか。あるいは水辺に暮らす者にとっては、警戒心を常に抱く事は当然の事だったのだろうか。我先に逃げ出そうとする生徒の振る舞いが勝手な事と捉えられたのかも知れない。真実はどこにあるのか。

以前は地元の被災建造物が保存されることに反対していたが、復興のためにも多くの人に訪れて貰いたいと考える現在は、かつて反対したことを悔んでいるという声が多数あることを聞いた。時が経ち、感情は当然変化して行くものである。それを誰も責められるものではないだろう。

現在行われている復興工事がひと段落した時こそが本当の踏ん張り所となるだろうと、大川小近くの地元の方とお話した。静まり返った周囲に、これまで張り詰めていただろう気持ちが落ち込んで来てしまう人も出て来てしまうのではないかと。既に6年近くの時が経っているのである。どれだけの人が気力を維持出来るものだろうか。

バスでイオンモール石巻に戻り、そこから徒歩で「石巻あゆみ野駅」に。そこから今日の宿がある福島県南相馬市「原ノ町駅」へ。

JR仙石線「石巻あゆみ野駅」
2016年3月26日開業。
駅名には「復興、未来、新生活への歩み」を進めてほしいという思いが込められている。

JR常磐線「原ノ町駅」
車内アナウンスの「次は終点、原ノ町です。浪江、富岡、いわき方面へは乗り換えです」が、ちょっち切ないっす。

一旦宿へ行ってから、南相馬市小高区で行われてる「あかりのファンタジーイルミネーション」を見に行って来まーす。

JR常磐線「小高駅」
2016年7月12日、小高~原ノ町間の運転再開。また竜田~原ノ町間の代行バスの停車も開始。

「小高駅」周辺を彩るイルミネーション

「双葉屋旅館」のイルミネーション
2016年7月12日の小高区の避難指示解除にともない営業を再開。

「東町エンガワ商店」のイルミネーション
2015年9月28日にオープンした仮設店舗。

南相馬市小高区「あかりのファンタジーイルミネーション」
「小高浮舟ふれあい広場」で、来年1月9日まで行われる。
以前から住民に親しまれてきた冬の風物詩。震災後は、小高区民が多数暮らす仮説住宅や、区内小中学校児童らが通う鹿島区内の仮説校舎で行われてきた。今回が、7月の避難指示解除後、初めての開催。

kazuy1929 はに丸@kazuy1929

美しい南相馬市小高区の「あかりのファンタジーイルミネーション」の中で、ボッチではしゃいでみた https://t.co/Rgh86RAG0M

返信 リツイート 2016.12.21 20:02:12

「小高駅」駅舎内の「ダンボー」
小高駅を訪れる者たちを優しく迎えてくりています。

2016年12月22日(木) 飯舘村「山津見神社」の「オオカミ絵」の巻

南相馬の朝やけ

今日は新しく設置された「オオカミ絵」を観に、飯舘村の「山津見神社」に行って来るっす。
飯舘村には、8月20日に5年5カ月ぶりに村内にバス停留所が新設された直後にちょっちお邪魔してるっす。そん時の様子を以下に紹介!

飯舘村「臼石」バス停留所
「山津見神社」の復元された「オオカミ絵」を見に、「臼石」バス停留所から、徒歩でレッツゴー!県道315号線をあっちふらふら、こっちふらふらしてる怪しい野郎を見かけたら、そりはきっとぼきでーす。

「臼石交差点」

「山津見神社」案内看板
「山津見神社」まで7キロとある。
近くに設置されている自動販売機は稼働していた。なんか嬉しい。

飯舘村臼石「臼石神社」

「臼石神社」からの眺め

飯舘村臼石「細川牧場」
この場所は閉鎖されたまま。現在は他の場所に新たに牧場を開設している。牧場内に5頭の馬が放牧されていた。

飯舘村の「馬頭観世音」

飯舘村の「道路開修碑」

飯舘村の「馬頭観音」

飯舘村臼石の「除去土壌仮置場」

飯舘村を走る「県道315号」

飯舘村前田にある東北大学「惑星圏飯舘観測所」の看板
東北大学大学院理学研究科惑星プラズマ・大気研究センターの、日本で唯一の惑星シンクロトロン電波望遠鏡設備。
東日本大震災により、10m波帯電波観測用アンテナの一部が損傷したが、大型装置郡は無事。大型電波観測装置は約2カ月後に観測を再開。損傷したアンテナも2012年末迄に修復された。

「前田公民館」

飯舘村の猿の群れ
県道315号線を20頭ほども次々に横切って行った。

「野菜無人販売所」
100円均一のお店。

飯舘村前田「ふれあい茶屋前田」
囲炉裏が置かれた、萱葺きの直売所。前田地区住民の手作りの産直施設だが、現在は閉鎖中。元々あった炭焼き小屋の横に建てられ、清水も引かれている。

「炭焼き小屋」

道路をはさんだ向かい側に、「まえだバンカリ」が見える。

飯舘村前田「まえだバンカリ」
沢水や川の水を利用して、米や粉を突く。昔は、飯舘村内のあちこちにあったとのこと。「ふれあい茶屋前田」と合わせここを中心に、山菜、蕎麦、わさび畑や水辺の植物が楽しめる散策路などがある観光スポット着工を目前にして、東日本大震災が起こってしまった。

別名「森のきつつき」

「バンカリ」内部

「バンカリ」内部

「山津見神社」案内板
ここから2キロと表示。

「虎捕山」
正面に見えて来るのが「山津見神社」の位置している虎捕山。飯舘村と伊達市霊山町の境界に位置する。別名「佐須山」ともいう。

飯舘村前田「豊栄開拓の礎」石碑

「豊栄開拓の礎」石碑と「虎捕山」

「虎捕山」

「山津見神社」鳥居

「山津見神社」狛犬
山津見神社の狛犬はオオカミを型どっている。

飯舘村佐須虎捕「山津見神社」

「山津見神社」の狛犬「白狼」
山の神の使い。

「山津見神社」の「オオカミの天井絵」
2013年4月1日に発生した火災により焼失してしまったが、東京芸術大学の学生たちにより計242枚の「オオカミ絵」が復元され、2016年10月に設置された。誰でもが気軽に拝覧することが出来る。

日本画家・志田展也さんが描いた「オオカミ絵」
2013年4月の火災で焼失し、復元された飯舘村「山津見神社」の「オオカミ絵」は、2016年8月11日に奉納された。飯舘村の住民を支援している、東京・阿佐ヶ谷の「ふくしま再生の会」からは、日本画家の志田展也さんが描いた「オオカミ絵」も贈られた。

「山津見神社」本殿までの道のりを示す地図
鎖を頼りに登らなければならない箇所もあります。

「虎捕山津見神社本殿登拝入口」碑

「手水舎」

「鳥居」

「虎捕洞」
この岩穴に「虎捕山」の名の由来である、凶賊・橘墨虎が潜んでいた。山の神のお告げにより墨虎の居所を知った源頼義は、藤原景道に墨虎討伐を命じ、景道は山の神の使いである白狼に導かれ、見事この任を果たしたという。

「山津見神社」本殿

「虎捕山」山頂の祠

「虎捕山」山頂の「見晴らし台」

kazuy1929 はに丸@kazuy1929

飯舘村佐須「山津見神社」奥の院からの眺め #福島 https://t.co/PuKdkEHNkg

返信 リツイート 2016.12.22 17:20:38

「山津見神社」山頂から見える吾妻連峰

「山津見神社」の本殿は拝殿の背後に聳える「虎捕山」のほぼ山頂にある。道のりは、親切な道しるべがあるわけでなくなかなかに分かりづらく、いよいよ本殿に達するという個所では鎖を手繰って登り切らなくてはならない。相当な難所というわけでもないが、本殿到達では達成感が得られる。山頂からの眺めは素晴らしい。

「虎捕山」山頂部
標高705.5メートルの虎捕山。下山して見上げると、山頂の岩場が見える。

「虎捕山」山頂の祠がある岩場

「臼石交差点」

「臼石停留所」と「飯舘村立臼石小学校」

「原町駅前」行きのバス

「原ノ町駅」周辺のイルミネーション

今日も原町で宿泊っす。いよいよ明日で帰んなきゃなんないって寂しいなあ。
でもまあ何事もなく、平穏無事にこの旅行が終わることを願っておやすみなさあい(フラグ)

2016年12月23日(金) 旅行最終日は南相馬市鹿島区へ!

南相馬の朝
南相馬の朝 いい天気になりそう。ただ今日も風が強いみたいっす。 でもまあ大したことはないっしょ(再びフラグ)

「原ノ町駅」から列車で隣駅の「鹿島駅」へ向うっす。両駅間の距離はおよそ9キロ弱。まあ、昨日は散々歩き回って疲れたんで、今日はレンタル自転車でゆるりと参りましょう。

JR常磐線「原ノ町駅」

鹿島区つったら、そーいや今年の「相馬野馬追」観覧は、鹿島区「北郷本陣」の総大将御迎えから始めたんだった。
そん時の様子も、よかったらどーぞ。

JR常磐線「鹿島駅」
2011年5月23日、代行バスの乗り入れ開始。同年12月21日、原ノ町~相馬間の運転再開にともない鹿島も営業再開。

南相馬市鹿島区鹿島「星澄輪業」
鹿島駅前の前にある「星澄輪業」さんのレンタル自転車を利用。こちらは不定休とのことでーす。

南相馬市鹿島区南海老剱ノ宮「御刀神社」
東日本大震災の津波により被災。鎮守の森は残されたものの、御刀神社の鳥居・社殿・境内社などが流出する被害を受けたが、2011年6月11日に、北海道神社庁と東京都の下谷神社の後援により、仮社殿が境内に建立された。現在も境内に、破壊された石柱などが置かれている。

南相馬市鹿島区南右田榎内「みちのく鹿島球場」
海岸部から1.8キロの距離にある。東日本大震災の津波で大きな被害を受け、2015年7月に修復工事が完了。震災時には、津波で、車や家屋の一部など大量の瓦礫が流入した。

南相馬市鹿島区南右田榎内「南右田部落 東日本大震災慰霊の碑」

東日本大震災の津波で集落の全70世帯が被災し、54人が亡くなった南右田行政区の慰霊碑。2013年7月7日建立。表には、犠牲者の名前が刻まれている。

南相馬市鹿島区南右田榎内「南右田神社」
東日本大震災の津波により社殿が流失する被害を受けた。

南相馬市鹿島区南右田谷地「かしまの一本松」
東日本大震災の津波により海岸沿いにあった数万本の松の木はほとんど流され、生き残った数本も枯死し、唯一生き残った松の木。現在、この一本松の種子から苗木を育てており、再びこの場所に植樹する活動が進められている。

「かしまの一本松」のイメージキャラクター「一本松太郎」
東日本大震災の津波に耐えた、南相馬市鹿島区「かしまの一本松」のイメージキャラクター「一本松太郎」 2016年12月7日に看板を設置。浜を見守り続けて来た松の木の妖精。なかなか力強いキャラクター。

「かしまの一本松」の種子から育った苗木の写真
この土地は防災林整備で土地がかさ上げされるため、将来的には「かしまの一本松」が伐採される可能性が高い。
現在、「かしまの一本松を守る会」が「かしまの一本松」の種子から苗木を育てており、この場所に記念公園を整備し、苗木を植栽する活動が進められている。

「かしまの一本松」の苗木植樹の為の賛同呼掛け

「かしまの一本松」遠景

鹿島区北右田の沿岸部

鹿島区北右田の内陸部

南相馬市鹿島区沿岸部は、未だに見渡す限りの更地。それでも「かしまの一本松」周辺では以前より盛り土が進み、均されただけに見える土地には、土壌改良のものと思われる杭状の物体が、等間隔に無数に埋められている。震災から5年9ヶ月。鹿島の沿岸部の景色に色どりが戻るまで、あとどれ程の年月が必要なのか。

鹿島区南海老の整備中のビニールハウス施設
沿岸部の鹿島区南海老にビニールハウスが多数建てられている。まだ稼働はしていないが、内部には機材などが持ち込まれていて、着々と準備が進められていた。

鹿島区南海老の海岸線

南相馬市鹿島区北海老「ハ沢地区慰霊碑」
2013年3月11日建立式が行われた。再建された「山田神社」の近くに立っている。

南相馬市鹿島区北海老磯ノ上「山田神社」
ここより1キロ北上した地点にあったが、東日本大震災の津波で社殿などが流失。周辺に住んでいた氏子たちが46名犠牲となった。
熊本県立球磨工業高校から手作りの仮社殿を寄贈。2016年9月11日に、再建が進められていた社殿の完工遷座祭が行われた。
球磨工業高校の仮社殿は、現在、本殿の中に遷してある。

南相馬市鹿島区南海老の様子

南相馬市鹿島区北海老林崎「鶏足神社」
東日本大震災の津波で鶏足神社の氏子が住む北海老などの沿岸部が被災。住宅の流失や住民の移転などに伴い、氏子は大幅に減少している。

ここら辺りから、朝方から吹き続けていた風が急激に強まって、自転車漕ぎながらじゃ全く前に進めない状態に。
周りに何も遮るもののない沿岸部だから尚更風の影響を受け易いんだろう仕方ないなんて思いながら、ゆっくりと自転車を押しながら、結構な時間をかけてなんとか沿岸部を脱したのでした。
この時間なら、予定しているとこを見て回ってからでも、列車時刻に間に合いそうっす。

南相馬市鹿島区鹿島町「若松味噌醤油店」
江戸後期から続く創業150年の老舗。震災では住居や蔵が破損。原発事故により一時避難していたが、翌月には営業を再開。ご主人になんか感謝されちって、こちらのタオルも頂いちゃいましたー。ありがとうっす。

「相馬田舎みそ」袋入りバージョン
容器入りの「相馬田舎みそ」は売り切れで、「袋入り」のものしかないって。でもこちらの方がたくさん入っててお得なんすから。

「相馬田舎みそ」ゲッツ!
しっかり袋に入れて貰ったし。パンフレットも頂いたっす。
ゆっくりお話でもつって椅子を進めらりたんすけど、列車時刻も迫ってるんで、早々に退却。残念だったなあ。

南相馬市鹿島区鹿島町「菓子処 しお」
こちらの「たい焼き」は、鹿島ではお馴染みの甘味ってことっすから、こりゃあ外せないっしょ。
「若松味噌醤油店」の向かい側にありまーす。

「菓子処 しお」の「たい焼き」
たい焼きゲッツ!

南相馬市鹿島区鹿島町「鹿島御子神社」
境内には「夫婦欅」と呼ばれる2本の大欅がそびえ立っている。樹齢300年以上と云われ、「福島県みどりの文化財」に指定されている。

南相馬市鹿島区鹿島町「勝縁寺」
ここを利用して、仮説住宅で暮らしている方々のためのサロンなどが開かれている。「かしま福幸商店街」のすぐ側に位置している。

南相馬市鹿島区西町「かしま福幸商店街」
2011年10月23日にオープンした仮設商店街。空き店舗が目立つ。

鹿島区「牛河内第二仮設住宅」集会所に展示されている住民による写真アート作品
つらい避難生活で見つけた楽しい思い出を振り返り製作した。仮説住宅の入居者数は、当初は約80世帯だったが、今は半数程度。自治会は入居者数減に伴い、12月10日に解散式を行った。
展示は来年1月中旬まで行い、その後住民各自が持ち帰る。

「牛河内第二仮設住宅」案内板

南相馬市鹿島区鹿島「食堂 すずき」
「鹿島駅」近くにある「食堂 すずき」さんで昼食!

「食堂 すずき」の「もやしラーメン」
あっさりとろみスープが疲りた身体にうってつけ。具沢山ながらスープも残さずペロッと完食。もう一杯行けそうな勢いだったんすけど、後々頼まなくてよかったって思うことになるのですた。

実は、折から吹き続けている強風は相変わらずで、すでに常磐線は上り下りとも全列車が運休中なんすよ。
本来ならば、すでに福島経由で東京へ向っているこの時間。
先ほど再開予定ってなってた列車が、発車時刻が近づいている今になって運休決定になってる始末。なんでもうずっと鹿島駅に足止め。
このままでは東京にすら帰れなくなっちゃいそう。どうする俺。鹿島駅を脱するべきか。はたまたこのまま運転再開を信じて鹿島駅に留まるべきなのか。いろいろ検討した結果、ここから原ノ町駅まで歩いて行くことにしたのでしたー。
早速、原ノ町駅に向かうべく、まずは国道6号線に進路をとれ!
色々アドバイスくりた鹿島のおっちゃんありがとー。ぼく頑張りまーす。

国道6号線からみた沿岸部

国道6号線からみた内陸部

「ふくしま浜街道・桜プロジェクト」により国道6号戦沿いに植樹された桜の木
大きく成長しているものがほとんどだが、中には背丈が低いままのものもあった。日差しが遮られている訳でもなく、生育に差が出てしまっている理由は一体なんなのだろうか。

国道6号線からみた沿岸部

国道6号線からみた内陸部

「ふくしま浜街道・桜プロジェクト」により国道6号戦沿いに植樹された桜の木

南相馬市原町区「金沢交差点」

「ふくしま浜街道・桜プロジェクト」により国道6号戦沿いに植樹された桜の木

南相馬市原町区「原町市立病院入口」交差点

南相馬市原町区高見町「道の駅 南相馬」

松永の「アイスまんじゅう」
「道の駅 南相馬」で休憩中。

JR常磐線「原ノ町駅」

よーやく原ノ町駅に到着ぜいぜい。
したら、駅舎内は大混乱。相変わらず列車は上りも下りも運休状態。駅窓口には長蛇の列。駅員さんがんばれ!
どーやら「原ノ町」発「滝田」駅行きのJR代行バスは無事に運行するみたいなんで、竜田駅以南の常磐線の運行状況を問合せていっと、少し前に運休が解除されたって話。これでぼきも無事に東京に帰れまーす。
ほんとにマジやばかったっす。

JR常磐線「竜田駅」
2014年 6月1日、広野~竜田間運行再開。
2015年1月31日、竜田~原ノ町間の代行バス運行開始。

「竜田駅」駅舎内の「楢葉町写真展」
楢葉町町民の方々の「笑顔」と「明るい話題」が集められている。

ともあれ、東京に無地到着。しっかし今考えてみっと、鹿島駅から原ノ町駅まで歩いて向かったっつーのは、ほんと大正解だったっす。なんか原ノ町出発以降も列車運休は続いてたみたいで、下手すりゃ東京に帰って来る事なんて出来なかったはず。まあ楽しかったかって聞かれりゃあ、迷わず楽しかったって笑顔で答えちゃう感じ何で、これはこれで全然ありだったんすけどね。

こりで今回のぼきの旅行は終わり。最後にこれだけは言っとくっす。もうこれまでも何度も何度も口が酸っぱくなるほど言ってることではあるんすけど、東日本大震災の被災地の方々は、被災した跡を見に行ってやろうっつう興味本位的なもんでもなんでもいいっすから、ほんとに多くのみなさんに来てもらいたいって思ってるんすから。

東日本大震災発生から5年9ヵ月。決して短い時間なんかじゃなかったはずっすけど、被災された方々には、どうやらまだまだ大変な時間を過ごして貰わなきゃならないみたいっす。
そこで皆さんにも、どーか被災された方々がまだまだ大変な思いをされてるってことを、気持ちのどこかで持ち続けていただきなって思うっす。そして気が向いた時にでも、ちょっくらニュースでやってたあの場所に足を向けて貰えたらいいなって思うんすよね。
そんな些細なことでいいんすから、お願いするっす。

さてぼきの今度の東北旅行は、どこにしようかなー。あれも食いてーしなー。

おしまい

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