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東日本大震災から6年…

東日本大震災から6年、岩手県久慈市から南下、避難指示が解除された福島県浪江・富岡迄行って来ましたー。

2011年3月11日に東日本大震災が発生。そして翌3月12日には長野県北部地震が。それから6年。原発事故による避難指示のほとんどは解除になったし、被災地の復興だって充分進んでるはずじゃ?ならばやっぱこの目で見てみなくっちゃ。すると岩手には、昨年8月の台風10号が残した新たな傷跡が未だ残ってたんすから

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(2020年8月1日 魚拓取得)

2017年4月4日(火)東京発「岩手きずな号」で出発」!

「東京ドームホテル」

高速夜行バス「岩手きずな号」
「岩手きずな号」は東京~久慈間を結ぶ、高速夜行バス。東日本大震災を受けて、2013年 3月22日から運行開始。
東京側の始発停留所は芝浦車庫。
23:05発の「東京ドームホテル前」停留所で乗車っす!

2017年4月5日(水)岩手県久慈市に初上陸!

高速夜行バス「岩手きずな号」

岩手県久慈市中央「久慈駅前停留所」
停留所は、あまちゃんハウスの真ん前。
予定到着時刻は9時50分だったんすけど、9時頃にはもう到着しちゃいましたー。

岩手県久慈市中央「あまちゃんハウス」
2016年8月にこの場所に移転して新装開店したが、それから1カ月も経たないうちに、台風10号豪雨で被害を受け、2メートルもの床上浸水の被害を受けた。同年10月に仮オープンしていたが、今月9日から本格的に再開する。
水曜日の今日は定休日っす。

「あまちゃん」は、2013年4月に放送が開始されたNHK連続テレビ小説。
ここ、岩手県久慈市舞台の一つであり、東日本大震災も物語の中に組み込まれている。

岩手県は、昨年8月の台風10号豪雨でも、大きな被害を受けてるっす。
久慈市に限って言えば、8月31日に久慈川と長内川が氾濫。氾濫した2つの川に挟まれた地域、ここ「あまちゃんハウス」があるところもそうっすけど、そこが広範囲に浸水。
9月4日には、山間部の1279世帯3008人に避難準備情報が出され、孤立集落はヘリなどで緊急避難。 全ての集落で孤立が解消されたのが9月13日だったっす。
久慈市内は、今も、台風10号がもたらした被害が残っているんすよね。

久慈市街地の「あまちゃん絵」
あちこちにありますよ、あまちゃん絵。

「久慈駅前ロータリー」

JR八戸線「久慈駅」
JR東日本の八戸線「久慈駅」に隣接し、三陸鉄道北リアス線「久慈駅」がある。両線とも当駅が終着駅。

三陸鉄道北リアス線「久慈駅」
1984年4月1日、三陸鉄道開業にともない国鉄駅とは別に設置された、北リアス線の終着駅。
駅舎には観光案内所と売店、そば店、駅レンタカーの窓口もある。
レンタル自転車もあるんすけど、この日はメンテナンス中ってことで貸し出しは不可!つーことで、他の自転車を貸し出してくれてるところを紹介して貰いましたー

岩手県久慈市中央「金久サイクル」
久慈駅で紹介して貰った自転車を貸して貰えるところがここっす。

「金久サイクル」の柱に記された台風10号の浸水深
この地は比較的低い場所であるために、何年か毎に浸水があるということを常に注意しているという。しかし、昨年の8月30日の台風10号による浸水程の規模を想定などしてはいなかったとのこと。

「台風10号」以前の浸水深跡
大体、5~60cmくらいか。これまでは、せいぜいこの程度の浸水だった。

昨年8月の台風10号の被害に遭われた「金久サイクル」のご主人は、地域の役員をしている事もあり、当時のマスコミ対応を行っていた。常に聞かれるように、マスコミ連中が被災現場を煩わせるようなことがここでもあったのかと尋ねてみたが、ご主人からはマスコミ批判を聞く事はなく、寧ろ、よくこんな場所にまで来てくれたものだと感謝する程だった。余程、ここにやって来た者達の態度が良かったのだろうと思う。
また、水が引いた後の清掃活動も、行政の対応が遅れていたために、ご主人らが率先して行っていたということであった。

ご主人は、現在、水没し動かなくなったバイクを細部まで分解し、再び動かせるようにと整備を行っている。
現在の久慈市内にはまだ、台風10号によってもたらされた被害の後が残っており、その対処に奮闘している者らがいる。しかし、それでも、もうマスコミが訪れるようなことはなくなってしまった。
「金久サイクル」のご主人が行っているこのバイクの修理が完了し、無事、走行出来るようになった暁には、これを「復興バイク」だと言ってマスコミに売り込めば、台風10号の被害を受けながら忘れられたかのようなこの久慈市も再び取り上げられるようになるかも知れないと、二人で笑いあったりした。

岩手県久慈市中央「つたや旅館」
昭和28年10月23日創業の旅館。
「金久サイクル」に隣接している。
昨年8月の台風10号豪雨の被害により、現在休業中。昨年から復旧工事を行っている。

浸水深跡が記された「つたや旅館」前の鉄柱

公園遊具下に溜まった沈殿物
2016年8月の台風10号豪雨で、水が引いた後の遊具下に堆積していた。
カトリック久慈教会敷地内。

白く固まったものは、コンクリートほどの堅さになっている。

岩手県久慈市川崎町「久慈警察署」

岩手県久慈市川崎町「久慈市役所」

岩手県久慈市湊町「金刀比羅神社」
久茲湾に面した高台に鎮座している。災害時の指定避難場所。
東日本大震災時には、この神社に多くの人が避難した。

東日本大震災の津波被害からの復旧工事
岩手県久慈市での東日本大震災の津波における被害は、他の地域と比べると、比較的狭い範囲だった。金刀比羅神社で、東日本大震災時に津波が来るのを見ていたという方にお話を聞かせて貰ったが、津波は上流方面から押し寄せてきたということだった。

東日本大震災から6年。現在、久慈市の沿岸部では、津波により破壊された防波堤や橋などの工事が行われている真っ只中である。

岩手県久慈市八日町「久慈大神宮」

岩手県久慈市中町「道の駅くじ・やませ土風館」

「道の駅くじ」の「こはくちゃん」
久慈市の復興のシンボルとして誕生した「北限の海女」キャラクター。2012年11月に、名前が「こはくちゃん」に決定した。

「道の駅くじ」のあまちゃんロケ地紹介

「つるし飾り展示会」開催中

「地場食材レストラン山海里」の「まめぶ汁定食」
初「まめぶ汁」!
ほんとに甘くって酸っぱくって、不思議な味っす。よくもまあこの味に決定しちゃったもんだなあって。
でも、ぼきは嫌いじゃないっす。まめぶ美味しいよまめぶ。

岩手県久慈市の郷土料理と言われている「まめぶ汁」は、旧山形村(現山形町)の8つの集落だけに伝えられてきた料理。山形村はなくなってしまったが、久慈市の活性化のためにと、まちおこし団体「久慈まめぶ部屋」が、この「久慈まめぶ汁」で町おこしを進めていこうと2011年の「B-1グランプリ」への挑戦を目指していた最中に、東日本大震災が発生。県内の多くの避難所を回って、まめぶ汁で炊き出しを行っていった。

そんなため、久慈市内でも、これまでは「まめぶ汁」を知ってる人は少なかったんすよ。市内でお話伺った方も、やっぱそれまでは全然知んなかったって。そして、例の「あまちゃん」のおかげで、地元を飛び越えていきなりの全国区の知名度に。ははは、笑うしかないっすね。その方はこうも話してくれたっす。

じぇじぇじぇなんかも言わないよ。

ここにも「あまちゃん絵」

あ、ほら、ここにも「あまちゃん絵」
久慈市街地はほんと至る所にあまちゃん

岩手県久慈市中央「まめぶの家 久慈駅前店」
山形町(旧山形村)のまちおこしを「久慈まめぶ汁」を通しておこなっているお店。古い情報で、訪れた日の水曜はお休みだってあったもんすから、残念だったんすけどこちらのまめぶ汁は諦めてたのに、行ってみたら開店してんじゃん!つーか、今は年中無休ってなってんじゃん!へたこいたー

「まめぶの家」と、久慈市のみなさんに寄せられた応援メッセージ
応援メッセージは、東日本大震災を受けて、静岡県藤枝市の「白子商店会」のみなさんから寄せられたもの。久慈駅前商店街歩道の掲示板に、2011年5月に設置されました。

ここで「金久サイクル」さんに自転車を返却。
ご主人が、久慈はやっぱりウニ。今度はウニ食べに久慈に来なよだって。やっぱウニっすかー。ウニいいっすねー。まめぶじゃないんすねー。そうっすねえ、またウニの季節に久慈に来たいっすねえ。

岩手県久慈市中央「久慈駅前デパート」
「駅前デパート」は、老朽化や耐震化などの問題があり、解体という意見も出ているが、現在はまだ結論は出ていないよう。

「久慈駅前デパート」のあまちゃんロケ地紹介

三陸鉄道北リアス線「久慈駅」

「久慈駅」のあまちゃんロケ地紹介

「久慈駅」内の「あまちゃんコーナー」

「久慈駅」の久慈ありすちゃん
三陸鉄道株式会社所属。北リアス線の運転士。
岩手県立久慈工業高校出身。好きな食べ物は海鮮丼とホヤ。祖母は小袖海岸の海女で、ありす自身も素潜りが得意。とある幼少期のトラウマのため嵐の日には家から出たがらない。
cv.藤村歩

三陸鉄道車両に記されたクウェートへの感謝の言葉
クウェートからは、東日本大震災からの復旧に多大な支援が寄せられている。

三陸鉄道北リアス線「野田玉川駅」

三陸鉄道北リアス線「摂待駅」

三陸鉄道北リアス線「田老駅」

三陸鉄道北リアス線「田老駅」
ぼきは、2014年1月にも田老を訪れてるっす。
そん時とは周囲の様子はすっかり様変わり。
やっぱ3年も経過してるっすからね。

田老地区の新たに建設された防波堤

岩手県宮古市田老「田老野球場」
東日本大震災の津波で全壊し、2016年4月22日、再建された。愛称は「キット、サクラサク野球場」。

「田老野球場」の「津波浸水深」表示板

田老野球場のもう一つ愛称は「あきらめない心スタジアム」。
工藤公康さん、中畑清さん、篠塚和典さんらのサインが飾られている。

「キット、サクラサク野球場」の「バッファローマン」
バッファローマンは、「キット、サクラサク野球場」を本拠地とする、地域密着型草野球チーム「三陸鉄道キットDreams」のマスコットキャラクター。

岩手県宮古市田老「道の駅たろう」産直施設
「道の駅たろう」は、2016年7月31日に仮オープンした。

岩手県宮古市田老「観光案内施設 たろう潮里ステーション」
2017年3月28日に「道の駅たろう」地内にオープンした。部分的にオープンしている「道の駅たろう」は、2018年度の本格オープンを目指して、現在、工事を進めている。

岩手県宮古市田老「たろう観光ホテル」
東日本大震災の津波によって、6階建ての建物の4階まで浸水し、1、2階は完全に破壊されてしまった。津波遺構として保存され、「学ぶ防災」ガイドに活用されている。

震災遺構として保存工事が施され、2016年4月1日から一般公開が始まった。浸水した1階に見学通路を設け、上階に通じる専用の外階段も整備した。

東日本大震災による地殻変動を示す標識
「たろう観光ホテル」前に設置されている。標識の移動によって、この地点では、震災前から東南の方向へ2.18メートル移動し、0.31メートル地盤沈下したことがわかった。

岩手県宮古市田老「魚籃観音」

「魚籃観音」と「たろう観光ホテル」

「田老魚市場」と「たろう観光ホテル」

「田老漁港」

岩手県宮古市田老「JFたろう製氷貯氷施設」
表面に、それぞれ、明治、昭和、平成の津波到達跡が表示されている。

周辺では、復旧工事が行われている。

「JFたろう製氷貯氷施設」背後の岩壁
明治、昭和の津波到達表示がある。東日本大震災による津波の表示はない。

海岸景勝地「三王岩」へ通じる裏手側の道
周辺の散乱物は取り除かれているが、復旧工事には全く着手しておらず、通行止めのまま。

「田老漁港」

岩手県宮古市田老「田老漁業協同組合JFたろう」施設

表示のない整備済の場所

「道の駅たろう」

岩手県宮古市田老の「津波浸水深」表示

岩手県宮古市田老「田老総合事務所」の「津波浸水深」表示

岩手県宮古市田老「田老ふるさと物産センター」
東日本大震災前までは沿岸近くにあったが、震災後、プレハブを内陸部に立てて営業。しかし、その場所が整地対象となったために、この場所に移転した。

三陸鉄道北リアス線「田老駅」

三陸鉄道北リアス線「宮古駅」

久慈ありすちゃんと釜石まなちゃんグッズ
三陸鉄道社員である両者のグッズなどを販売している。

「バッファローマン」パネル

三陸鉄道北リアス線「宮古駅」
北リアス線の終点

駅前の「鉄神ガンライザー」自動販売機
「鉄神ガンライザー」は、テレビ岩手にて放送されている特撮番組及び岩手県内で展開されているローカルヒーロー。
「岩手の平和は俺が守る!」

そして彼はこうも言う。 「俺の右手は南部鉄器だ」と。

「蛇の目 本店」
三陸の海の幸を提供してくれる宮古の名店。
3年前に来た時に食べたんすけど、今日、水曜はお休みっす。ざんねーん。水曜定休多いなあ。

岩手県宮古市和見町「ホテル宮古ヒルズ ステーション店」
こちらが今日の宿っす。

「宮古湾」

岩手県宮古市臨港通「シートピアなあど」
「シートピアなあど」内に、「道の駅・みなと」と「オアシスみやこ」がある。

「シートピアなあど」の「津波浸水」表示

岩手県宮古市臨港通「宮古市魚市場」
多くの漁船や漁具が流失し、冷凍・冷蔵庫も壊滅。屋根と柱しか残っていないなど、東日本大震災の津波で大きな被害が出たが、2011年4月11日に再開。
震災後、水産業の再生を目指し、市場の拡張整備で約2倍の大きさになった。

「宮古市魚市場」の「津波浸水深」表示
以前からある建物部に設置されている。

岩手県宮古市新川町「宮古市役所」

正面には「感謝‼︎全国の皆様あたたかいご支援ありがとうございます。宮古市」の文字と、津波到達表示がある。

宮古市役所前の歩道橋
3年前に訪れた時も腐食が進んでいたが、今もそのままで使用されている。
昨年の台風10号豪雨でもこのあたり一帯は浸水し、大きな被害が出た。
近くの方にお話を伺ったところ、利用者が少ないことと、修繕に回す費用がないからそのままであるのだろうとのこと。周辺では東日本大震災からの復旧工事が頻繁に行われており、とても復興したとは言えないと話してくれた。

宮古市役所前歩道橋の「津波浸水深」表示

2017年4月6日(木) 岩手県宮古市から大船渡市へ!

JR山田線「宮古駅」
三陸鉄道「宮古駅」の隣にある。
東日本大震災以降、山田線の宮古~釜石間は不通のまま。運行復旧は2019年3月を予定しており、その後の運営は三陸鉄道に移管する。

宮古駅前バスターミナルの「岩手県北バス」
宮古駅前から、岩手船越駅前行きバスに乗車。

「山田湾」
岩手県山田町の山田湾の周囲では、防波堤の建設が進められている。

建物に書かれた「がんばろう!山田町」の文字

「山田湾」

岩手県下閉伊郡山田町のかさ上げ工事

山田町中心部では、復旧工事が進められている。まだ大部分で整地作業が行われている状況。

岩手県下閉伊郡山田町「山田町ふれあいセンター はぴね」
2016年7月2日に開所。
小中高生世代をはじめとする子どもの居場所と、図書館機能を持ち、子どもたちだけでなく地元の方々も利用できる公益施設。

岩手県北バス「山田駅前」バス停
JR陸中山田駅前のバス停となるが、現在、震災の津波とその後の火災で大きな被害をうけた駅舎は、まだ再建されていない。
山田町の中心市街地であるこの一角の再開発は、2015年3月に、宮城県女川町に続く、復興庁の「まちなか再生計画」の第2号に認定された。

岩手県下閉伊郡山田町の中心市街地

山田町の被災建物
被災建物が未だ残ったまま。

岩手県下閉伊郡山田町の「仮設商店店舗」

「山田湾」周辺の復旧工事

「山田湾」沿いの建設中の「防波堤」

「山田湾」

「道の駅やまだ」停留所
「岩手県北バス」はここで下車。

岩手県下閉伊郡山田町「道の駅やまだ」

「道の駅やまだ」停留所の「岩手県交通バス」
ここから岩手県交通バスに乗車。

岩手県下閉伊郡山田町「鯨と海の科学館」
商業捕鯨禁止となる1987年まで捕鯨基地として栄え、豊かな海の恵みを受けてきた山田町の姿を後世に伝え、巨大マッコウクジラを残すために作られた。
現在は、震災の影響で休館中。2017年度リニューアルオープン予定。

JR山田線「岩手船越駅」
中央右側の建物が「岩手船越駅」駅舎。
本州最東端駅。東日本大震災の影響により現在は営業休止。

JR山田線路線と「船越湾」

「船越湾」周辺の復旧工事

岩手県交通バス「大槌橋」停留所

大槌町の復旧工事

岩手県上閉伊郡大槌町「旧役場庁舎」
東日本大震災の津波で、当時の町長ら40人が亡くなった。解体を公約に掲げ現町長が当選したが、その後も解体か保存かの議論が行われている。町長は解体の方針を表明したが、住宅再建を優先させるとして解体は先送りとなっている。

整地作業が行われている大槌町「旧役場庁舎」周辺

大槌町の建設中の建物

岩手県釜石市片岸町「大浜渡橋」停留所
周囲では新しい建物の建設が進んでいる。

復旧工事が進められている釜石市鵜住居町
中央に見える高台上に、新しい鵜住居幼稚園園舎が建設された。

岩手県釜石市鵜住居町「鵜住居幼稚園」
鵜住居幼稚園は東日本大震災の津波で被災し園舎が全壊、園長ら4人の職員が亡くなった。仮設の建物を使っていたが新しい園舎が完成し、10日に竣工式が、11日に入園式が行われた。
新しい園舎は海抜18メートルの高台に作られ、津波注意報や警報が出た際は園内で避難する。
震災前約60人いた園児は、現在26人に減少している。

園舎前には「にゅうえんしき」と書かれたパネルがありました。

国道45号線と三陸自動車道との交差地点

復旧工事が行われている国道45号線沿い

岩手県釜石市「両石湾」

岩手県釜石市天神町「釜石市天神町仮設団地」
釜石市では、住宅の完成に伴い仮設住宅が21カ所に集約された。

岩手県釜石市銚子町「釜石駅前」停留所
ここでバスを下車。

JR「釜石駅」と「釜石復興の鐘」
「釜石復興の鐘」は、東日本大震災で被災した釜石市の復興のシンボルにしようと、市民有志がつくる「釜石復興の風プロジェクト」が製作、2011年12月31日に除幕式が行われた。

鐘には、野田武則釜石市長が書いた「鎮魂」「復興」「記憶」「希望」の文字が刻まれている。

JR山田線・釜石線「釜石駅」
山田線と釜石線が乗り入れているが、宮古へ通じる山田線は現在、不通となっている。

三陸鉄道南リアス線「釜石駅」
JR釜石駅に隣接している。

三陸鉄道「釜石駅」入口の「津波浸水」表示

三陸鉄道「釜石駅」の「巨大ラグビーボール」のモニュメント
2014年4月5日の吉浜~釜石間の運転再開にともない、三陸鉄道南リアス線全線再開を記念して「三陸鉄道を勝手に応援する会」より送られた、「巨大なラグビーボールと猫選手」のモニュメント。

釜石駅に停車中の「三陸鉄道車両
昨年1月に南リアス線に乗車した時は、釜石駅隣の平田駅まで歩いて行ったんで、釜石駅からの乗車は今回が初めて。北リアス線は昨日全線乗車したんで、これでようやく、三陸鉄道全線の乗車が完了したことになったのでしたー。わーい!すごーい!うっれしー!
ぼきは、三陸鉄道全線乗車を成し遂げたフレンズになったんだね!

そん時の釜石の様子は以下を参照!

岩手県釜石市大渡町「ホテルマルエ」
釜石に来た時はいつもお世話になってるっす

「三陸鉄道」車両から見た「イオンタウン釜石」
イオンタウン釜石は、東日本大震災後の釜石市に、2014年3月14日にグランドオープンした。

「三陸鉄道」車両から見た釜石市嬉石町

三陸鉄道南リアス線「平田駅」

三陸鉄道「吉浜駅」駅舎内
「吉浜駅」駅舎内に常駐していらっしゃった志村けん駅長は、まだおられるのでしょうか。

三陸鉄道南リアス線「三陸駅」

三陸鉄道南リアス線「恋し浜駅」

「恋し浜駅」待合室の「ホタテ貝の絵馬掛け」
地元「恋し浜ホタテ」の貝殻を絵馬にして待合室に「願い」を掛けることができます。

三陸鉄道社員、恋し浜レンさん
恋し浜レンさんは大船渡市出身なんすよ。
いやー、話が弾んじゃったなあ。

三陸鉄道南リアス線「綾里駅」

三陸鉄道南リアス線「盛駅」
盛駅が南リアス線の終着駅。

「三陸鉄道 盛駅ふれあい待合室」
東日本大震災後の2011年10月5日、NPO法人夢ネットが「三陸鉄道 盛駅ふれあい待合室」をオープン。
2013年4月3日、盛~吉浜間の運転が再開され、「ふれあい待合室」が乗車券の委託販売を開始。
NPO法人夢ネット大船渡は3月31日に「ふれあい待合室」の運営を終了。4月1日から、三陸鉄道の直営となった。

レンタル自転車は継続してくれてまーす。

岩手県大船渡市盛町「ちっちゃなクレープ屋さん」
「ちっちゃなクレープ屋さん」は、東日本大震災の津波で店舗が浸水しながら、1ヶ月余りで営業を再開。避難所へクレープを届けるなどの支援をしてくれていました。

「ちっちゃなクレープ屋さん」の「つばきクレープ」
1年3ヶ月ぶりに訪れた「ちっちゃなクレープ屋さん」。前回頂いたのは「三鉄クレープ」だったんで、今回は「つばきクレープ」をゲッツ!鮮やかピンクが可愛らしい!カスタードばかりではなく甘酸っぱさのアクセント!そして、緑の葉っぱは三陸産ワカメを練り込んだオリジナルチョコ!ほんと、あたしたち女子のハートを鷲掴みよねえ。

岩手県大船渡市猪川町「酔仙酒造 大船渡蔵」
陸前高田市にあった酒蔵が津波で全壊。その後、一関市で同業者の空き蔵を借り酒造りを行っていたが、2012年8月に新たに完成した。事前申し込みで、酒蔵内の見学も出来る。

「酔仙酒造 大船渡蔵」敷地内の「復興祈念 滝桜」

JR大船渡線「盛駅」
待合室にいっ時、三陸鉄道盛駅出発列車に向かって、三鉄職員のおねいさんがめっちゃ手を振ってくれてんのが羨ましかったっす。

JR大船渡線BRT車両
BRT車両で隣駅の大船渡へ。

大船渡線は2013年、一部で線路を舗装した専用道を使う「大船渡線BRT」として仮復旧。しかしその後、鉄路での復旧を断念したため、BRT路線で本格運行を行っている。

JR大船渡線BRT「大船渡駅」

大船渡駅は、区画整理事業に伴い、2016年3月13日に現在の位置に移設されました。

「大船渡駅」と、その周辺 辺り一帯では、区画整理事業が進められている。工事車両は頻繁に行き交い、すぐ近くの場所に行くにも、警備員の誘導を受け、時には迂回しなければならない状況。

岩手県大船渡市大船渡町「ホテル福富」
震災では2階天井まで浸水したが、4ヶ月後の7月に、無事だった3階部の営業を再開し、復旧工事関係者らを受け入れてきた。区画整理事業に伴い、2015年4月にかさ上げ地への新築移転に着手。2016年4月21日に、現在の場所にオープンした。

本日の宿の「ホテル福富」さん。区画整理事業による嵩上げ地への移転第1号の福富さん周辺は、今まさに新築事業へ着手しようとしてるって段階。これから大船渡が目まぐるしく変わってくって事が、ほんと実感出来るっす。

こちらで自転車を借りて、大船渡町を回って来まーす。

「さいとう製菓」本社があった地をのぞむ高台の桜
こちらの桜は、まだまだ蕾の状態。
ここから周囲の復旧工事の様子が一望できます。

「ホテル福富」
「ホテル福富」さんは、この場所の正面に位置しています。

岩手県大船渡市大船渡町「加茂神社」鳥居

「加茂神社」社殿
高台に位置し、大船渡湾が望める。東日本大震災時には、この場所で、多くの方々の命が助かった。

「加茂神社」の桜
こちらもまだまだ蕾の状態。大きな蕾の重さで枝が傾いていました。

岩手県大船渡市大船渡町「仮設飲食店 大船渡屋台村」
2011年12月、壊滅的状態の市街地にオープンした。復旧工事に伴い、来月末に退出期限を迎え、全て閉鎖する。入居する19店のほとんどは既に営業を終えている。移転する店舗もあるが、これを機に廃業する店もある。

大建設中の商業施設に描かれて行く壁画
大船渡市市街地に間も無くオープンする商業施設の、オープニングセレモニーに合わせて、壁面に絵を描いている。絵を描いたボードは取り外せるようになっていて、セレモニー後は施設内などに移動させるとのこと。かなり猶予がないらしかったっす。

「大船渡湾」沿いの復旧工事

ところどころ途切れている状態だが、防波堤の建設も進んでいる。

大船渡市大船渡町に未だに残る被災建物
開発が進む中心部から少し離れたところにある。

2017年4月7日(金) 岩手県大船渡市から、一気に福島県南相馬市へ!

「ホテル福富」からの眺め
大船渡は朝から雨降り。

「ホテル福富」
居心地のいい宿。お世話になりましたー。また来まーす。

JR大船渡線「BRT路線」
盛駅方面。

中央右が大船渡駅。

JR大船渡線BRT「大船渡駅」

大船渡駅前に停車するBRT車両

BRT車両内からの眺め

JR大船渡線BRT「大船渡魚市場前駅」
2015年12月5日に開業した。

JR大船渡線BRT「高田高校前」駅
岩手県交通バスの停留所と併設。
周辺一帯では、かさ上げ工事が行われている。

岩手県陸前高田市高田町一帯のかさ上げ工事

建設中の大型商業施設「アバッセたかた」
2017年4月27日にオープンする。

大型商業施設「アバッセたかた」のオープンに合わせ、JR大船渡線BRT「まちなか陸前高田駅」を新設する。「まちなか陸前高田駅」から「アバッセたかた」までの距離は約100メートル。

岩手県陸前高田市高田町「大船渡警察署 高田幹部交番」
2016年4月7日に業務が開始された。

JR大船渡線BRT「陸前高田駅」

岩手県陸前高田市高田町「陸前高田市役所」
2011年5月16日に完成し、業務を開始したプレハブ庁舎。本格的な庁舎建設は行われておらず、未だプレハブのままである。

岩手県陸前高田市気仙町のかさ上げ工事

岩手県陸前高田市気仙町「奇跡の一本松」
2013年6月8日に設置工事が完了した。

JR大船渡線BRT「鹿折唐桑駅」
気仙沼駅の一つ手前の鹿折唐桑駅で下車。気仙沼市街地を目指します。

BRT「鹿折唐桑駅」周辺

土地整備が進められている傍らでは、店舗が多く立並んでいる。

宮城県気仙沼市新浜町の災害公営住宅
立並ぶ災害公営住宅では入居が始まった。

ここ鹿折地区は、6年前の東日本大震災の津波で何隻もの漁船が打ち上げられていたところ。

宮城県気仙沼市魚町のバス停留所
ミヤコ―バスの「鹿折唐桑駅前」停留所と岩手県交通バスの「鹿折駅前」停留所がある。

宮城県気仙沼市魚浜町の復旧工事

宮城県気仙沼市「気仙沼湾」

宮城県気仙沼市魚町「五十鈴神社」

宮城県気仙沼市魚町「猪狩神社」
五十鈴神社境内にある。

宮城県気仙沼市「気仙沼湾」

「五十鈴神社」の周囲
東日本だ震災の津波によって破損したままの場所が残り、まだ立ち入り禁止区域が多い。

宮城県気仙沼市「気仙沼湾」

宮城県気仙沼市魚町「洋菓子の店 ブリアン」
気仙沼湾前にあるこの店舗は、東日本大震災の津波で2階まで浸水したが、2012年10月26日に営業を再開した。
しかし、魚町地区土地区整理事業の工事に伴い、2017年3月31日をもって閉店を余儀なくされた。再開の予定はまだ決まっていない。

宮城県気仙沼市魚町「旅館 大鍋屋」新館
道路拡張工事のために、東日本大震災の津波にも耐えた「本館」の解体作業が行われた。現在は、震災後に新たに建設された「新館」で営業を行っている。

「旅館 大鍋屋」新館前にあった本館は道路拡張工事のために取壊された。幾度も延長されて来た解体作業は今年1月にようやく着手。2月に解体作業が完了した。今後、区画整理が進み土地利用が可能になってから、新しい本館工事の着工となる。

「かやたんコーナー」は、新館2階にちゃーんと残ってるってことでーす。
「かやたんコーナー」って何だって?あなた、ワグナーさんじゃないんすね。もしかして、「Wake Up,Girls!」も知んないんすか?困った方ですねえ。

そんなあなたは、昨年1月にぼきが「大鍋屋」さんに宿泊した時のレポをチェックっす!

宮城県気仙沼市南町の復旧工事

宮城県気仙沼市魚町「酒造蔵元 角星」
2016年11月に再建された店舗。

気仙沼市街地の「ホヤぼーや」
ホヤぼーやは、宮城県気仙沼市の観光PRキャラクター。
気仙沼市街地では、あちこちにホヤぼーやの姿がみられるっす。いまはまだ復旧工事の最中にあって、目まぐるしく変化して行ってる気仙沼湾周囲にも、いずれホヤぼーやの姿が見られるようになって行くんだろうなあって思ったっす。

「北野神社」鳥居
気仙沼街道沿いに建っている。

JR大船渡線BRT路線
鹿折唐桑駅方面。

気仙沼駅方面。中央奥に見える水色の建物が気仙沼駅駅舎。

宮城県気仙沼市新町「北野神社」

高台から眺めた気仙沼市古町

JR大船渡線・気仙沼線「気仙沼駅」
大船渡線と気仙沼線が乗り入れており、大船渡線を所属線としている。

ここからまず仙台駅を目指すっす。
時間的に早い、大船渡線で一ノ関駅経由のほうを利用。つーことでまた一旦、岩手県入りすることになるのでしたー。

JR大船渡線「一ノ関駅」
ここで、東北本線に乗り換えまーす。

JR東日本「仙台駅」

JR常磐線「原ノ町」行き列車
仙台駅から、常磐線で福島県の原ノ町駅への直通列車に乗車っす!
これも、これまで津波被害で不通となっていたJR常磐線の浜吉田(宮城県亘理町)~相馬(福島県相馬市)駅間が2016年12月10日に、5年9ヵ月に再開されたおかげっす!

JR常磐線「浜吉田駅」
画像はないんすけど、浜吉田駅は、津波の被害を受けたが以前のままの駅舎を利用しています。

「山元いちご農園」のビニールハウス
イチゴ狩りは勿論、農園併設カフェ「Berry Very Labo」では、あの!「特製いちごカレー」も提供していまーす!

辺り一帯にたくさんのビニールハウスが。

JR常磐線「山下駅」

建設中の「山下地区地域交流センター」
山下駅の真ん前にある。
工期は今年の7月31日まで。

JR常磐線「坂元駅」

「坂元駅」内陸部側

「坂元駅」沿岸部側

「新地駅」沿岸部側

JR常磐線「新地駅」

「新地駅」内陸部側

JR常磐線「駒ヶ嶺駅」
震災以前からの駅舎をそのまま利用している。

JR常磐線「相馬駅」

福島県相馬市中村「相馬ヤマブン山形屋」
相馬市中村「相馬ヤマブン山形屋」で、毎度お馴染み、相馬に来たら定番の「あまざけゲッツ!山形屋さんでは、双子姉妹によるブログが開設されたのでしたー。応援してまーす。

「相馬ヤマブン山形屋」のあまざけ

福島県相馬市中村「光善寺」
境内の桜が咲いています。「相馬ヤマブン山形屋」さんの向かいに位置しています。

「相馬中村神社」の「一ノ鳥居」
ここ周辺は中村城跡に含まれ、城址内に相馬中村神社が位置しています。

福島県相馬市中村「相馬中村神社」

現在、改修工事が行われているため、本殿への参拝は出来ません。

「北野天満宮」

「相馬中村神社社務所」

ここで「相馬野馬追」の出陣式が行われます。

「相馬中村神社」の桜
ようやく桜の花がほころび始めたという程度。まだまだ蕾が目立っています。

「相馬中村神社」の「一ノ鳥居」

「中村城 外大手一ノ門」
城址に現存する唯一の建物。

「第3回 サムライフェス in 南相馬」ポスター
相馬駅んとこに、第3回「サムライフェス ln 南相馬」のポスターが貼ってあったっす!開催日は、5月5日。会場は当然、野馬追の聖地、雲雀ヶ原祭場地!鎧を身につけて、「相馬」と「伊達」の二軍営に分かれて合戦を行うんすから!なにそれカッコいい!

JR常磐線「原ノ町駅」

福島県南相馬市原町区「ロイヤルホテル丸屋」
今日の宿はこちら!
原ノ町駅真ん前にあります。

福島県南相馬市原町区「夜の森公園」
南相馬市原町区「夜の森公園」の桜のライトアップに行って来ましたー。満開にはまだ程遠いっすけど、そりを補って余りある程の数の謎の鯉のぼりが!そして耳に残る北乃きいの「サクラサク」。
みんなのんびり夜桜見物していましたよー。

「夜の森公園」の謎の鯉のぼり

福島県南相馬市原町区「まちなかひろば」

洋菓子「かぼちゃのあしあと」
県立小高商業高校商業研究部が「菓詩工房わたなべ」さんとコラボして開発した洋菓子「かぼちゃのあしあと」。原発事故後に地域のために出来る活動を行っている同校商業研究部。地域の特産品を使用した商品開発などに取り組んでいまーす。がんばれー

純米酒「御本陣」
希少でもう入手は無理なのではと思われていた、南相馬市鹿島区で作付けした「夢の香」原材料に醸造した純米酒「御本陣」を、駅前のコンビニで発見!迷わずゲッツ!
南相馬の更なる発展を図るためにと誕生したこの地酒。ラベルの文字は、相馬家第33代当主、相馬和胤公の揮毫によるものです。

純米酒「御本陣」のラベル文字
南相馬市などでつくる南相馬地酒生産推進協議会が、3月23日に純米酒「御本陣」の販売を始めた。

純米酒「御本陣」

2017年4月8日(土) 原ノ町駅から浪江町駅へ!

「ロイヤルホテル丸屋」入口から見た「原ノ町駅」
「ロイヤルホテル丸屋」さんてば、部屋の広さもさる事ながら、部屋備え付けのユニットバスも中々の広さで、流石パーティーなんかやっちゃうとこだなって感じ。居心地良かったなあ。美味しい朝食はサービスだしなあ。お世話になりましたー。

「浪江駅」行きの列車
浪江町は3月31日に、帰還困難区域を除いて、避難指示が解除となった。
それを受けて、4月1日、浪江駅は6年ぶりに列車運行を再開した。

JR常磐線「小高駅」

小高駅で下車する高校生
運動部の生徒たち。ジャージやバッグには「小高商業高」、「小高工業高」とあった。

JR常磐線「桃内駅」
4月1日に6年ぶりに運転を再開した、小高〜浪江間にある。

「桃内駅」の跨線橋

「桃内駅」正面

福島県南相馬市小高区「稲荷神社」
桃内駅近くに位置しています。

「桃内駅」に向かう列車
稲荷神社すぐ脇を線路が通っている。

福島県南相馬市小高区「藪内の十一面観音」
市指定有形文化財

「藪内の十一面観音」 は、この観音堂内にある。鎌倉時代に作られたものと推定され、小高の中でも古い仏像のひとつ。

福島県南相馬市小高区「熊野神社」

福島県南相馬市小高区「上浦公会堂」

「桃内駅」の跨線橋

「桃内駅」周辺の花々
黄色い水仙は、あちこちに咲いていました

「浪江駅」行きの列車

JR常磐線「浪江駅」
4月1日に6年ぶりに、小高駅〜浪江駅間で運転を再開した。

作曲家・佐々木俊一の譜碑
2007年1月に浪江駅前に建立された、浪江町出身の作曲家・佐々木俊一「高原の駅よさようなら」の譜碑。

佐々木俊一の没後50年を記念して建立。浪江町には、佐々木の東京からの疎開先であった高瀬川沿いにも譜碑が建っている。

「高原の駅よさようなら」は、佐々木俊一の代表作。

「高原の駅よさようなら」の曲が流れる装置
ピアノの形をした石製で、前に立つと、佐々木俊一の代表作「高原の駅よさようなら」の曲が流れる。2007年5月に設置された。

この日、浪江町にやって来た老夫婦が、この前で何度も曲を流し、一緒にこの歌を歌っていました。

「浪江駅」前の解体中の家屋

浪江町の桜

「富岡街道」交差点

福島県双葉郡浪江町「常福寺
建物周囲には板が張り巡らされている。

浪江町のマンホール
請戸川を水しぶきを上げて勢い良く飛び跳ね遡上する鮭の絵柄。

請戸川沿いの桜並木

桜を観に来た地元の方が、いつも15日頃に満開になるからこんなもんだろうと仰っていました。その方によると、現在は五分咲き程度。

「請戸川」沿いに取り付けられたライト
この日、商工会の方々が沿道にライトを取り付けていました。

「請戸川」

福島県双葉郡浪江町「浪江町商工会館」
2017年3月31日の避難指示解除に伴い、4月3日より通常業務を再開した。

福島県双葉郡浪江町「あぶくま信用金庫 浪江支店」
2016年7月12日、営業を再開。
原発事故に伴う避難指示が全域に出ている浪江町で初の金融機関の再開となった。

福島県双葉郡浪江町「浪江町消防団 第一分団第一部」

福島県双葉郡浪江町「双葉警察署 浪江分庁舎」

福島県双葉郡浪江町「浪江町役場」

「浪江町役場」入口

「仮設商店街 まち・なみ・まるしぇ」
2016年10月27日に浪江町役場敷地内にオープンした。

毎月第2土日は「まるしぇの日」として、いろいろなイベントが行われています。

「まるしぇの日」として、いろいろなイベントが行われていた今日は、この後、安倍総理の訪問があるということで、もう、しっちゃかめっちゃか。
お目当てのお店で、食事もとれなくなってしまいました。とほほ。
満足に昼食が取れなかったのもアベのせい。

来場記念品の「鈴栄の小女子」

「まち・なみ・まるしぇ」を訪れた安倍総理

安倍総理と馬場有浪江町長

今村復興大臣

よーやく総理一行は退場。

「まるしぇの日」ふるまい
本日は、秋田の「大曲納豆汁」。

落ち着きを取り戻した「まち・なみ・まるしぇ」

「浪江町役場」

福島県双葉郡浪江町「JA福島さくら浪江支店」
4月3日より営業を再開した。

福島県双葉郡浪江町「浪江郵便局」
4月4日、営業を再開した。

浪江町のマンホール
絵柄は町の花「コスモス」

JR常磐線「浪江駅」

JR常磐線「小高駅」

「小高駅」待合室のダンボーと顔出しパネル
顔出しパネルは、小高区で4月から小・中・高校が授業が再開され、避難先から電車で通学する生徒たちのためにと、神奈川県の城北工業高校デザイン科1年生4人が製作した。 
先月3月18日に、城北工業高校の非常勤講師が自らの手で設置した。

小高~浪江間の4月1日の運転再開を祝った飾り

福島県南相馬市小高区「東町エンガワ商店」
2015年9月28日にオープン。4月1日から常磐線の利用客増が見込まれることから、閉店時刻を1時間繰り下げ、午後8時まで営業している。

松永牛乳「バニラアイス」
「東町エンガワ商店」さんで、松永牛乳の「バニラアイス」ゲッツ!生乳を51%も使用してっから、マジ美味いっす!今日も歩き通しだったんで、疲れた身体の癒しっす。

福島県南相馬市小高区「双葉屋旅館」
2016年7月12日の南相馬市小高区の避難指示解除に伴い営業を再開した。
今日は、こちらのにお世話になりまーす。

福島県南相馬市小高区「小高アンテナショップ希来」
2015年1月31日にオープンした、小高区の情報発信・アンテナショップ。店内では、小高区の方々が作ったグッズや野菜などを販売している。
こちらのオーナーは、直ぐ隣の「双葉屋旅館」の女将さんでーす。

こちらのレンタル自転車で小高の街中に向けて出発!

福島県南相馬市小高「浮舟ふれあい広場」
2013年4月より再開。帰還住民間の交流を活発化させたいとイベントなどを開催している。

「浮舟ふれあい広場」の桜

福島県南相馬市小高区「おだかぷらっとほーむ」
2015年10月1日に、「小高を応援する会」が、小高区を訪れた人や地元住民などの交流スペースとしてオープンした。

「おだかぷらっとほーむ」さんて場所変えちゃってたんすね。なくなっちゃったのかと思ったっす。

「鍋屋金物店」
店舗の新築工事がほぼ完了していました。

憲法学者・鈴木安蔵の実家
南相馬市小高にある、憲法学者・鈴木安蔵(1904〜1983)の実家。鈴木安蔵は、日本国憲法草案の「手本」を起草した。日本国憲法の間接的起草者。ここは、昔滞在していた母方の実家。以前は蔵もあったが、それは既に取り壊されている。特に保存に関しての話は出ていないらしい。

福島県南相馬市小高区「ローソン南相馬小高店」
2016年10月20日にオープン
2016年7月12日に避難指示が解除となった小高区に、震災後初めてオープンしたコンビニ。

福島県南相馬市小高区「貴船神社」

「貴船神社」の桜

「相馬小高神社」の一ノ鳥居

福島県南相馬市小高区「相馬小高神社」

「相馬小高神社」拝殿

「相馬小高神社」の桜

福島県南相馬市小高区「見明院」
以前見た時と比べると、敷地内の木々はほとんど取り除かれ、隣接する建物は無くなっています。

福島県南相馬市小高区「市立小高小学校」
これまでは、南相馬市鹿島区の仮設校舎で授業を続けてきたが、4月1日に本校舎で学校を再開。4月6日に、原発事故後初めて入学式を行い、7年ぶりに地元で新入生を迎えた。

福島県南相馬市小高区「Cafeほっと悠あゆみ」
原発事故の影響で休業していた授産施設「ほっと悠あゆみ」が、名称を「Cafeほっと悠あゆみ」に変更し4月5日に再開した。ドリンクやケーキなどを提供し、住民の憩いの場となることを目指している。

福島県南相馬市小高区「県立小高商業高等学校」
これまで小高工業高校と小高商業高校は、原町区の仮設校舎で授業を行ってきたが、本年度から2校が統合して、小高産業技術高校が開校した。
小高産業技術高は旧小高工業高本校舎で授業を行う。

小高区の解体中の家屋

福島県南相馬市小高区「市立小高中学校」
今年3月まで鹿島区の仮設校舎で授業を行ってきたが、本年度から本校舎での授業を再開した。

「県立小高工業高等学校」生みの親 山尾清海先生の碑
この碑の先に、小高工業高校が位置している。
生徒らが部活動を行っていました。

本年度から、小高工業高校と小高商業高校2校は統合して、小高産業技術高校となり、旧小高工業高校本校舎で授業を行う。

福島県南相馬市小高区「光慶寺」
東日本大震災の原発事故により避難中だった2013年10月に漏電による出火で、本堂や庫裏が全焼。
2016年11月26日、門信徒会館の落成慶讃法要が営まれた。
白江順昭住職が門徒会館から復興することにしたのは、会館が完成したら、「他の寺に預かってもらっている檀家の遺骨も安置して供養したい」との思いからだった。

「光慶寺」の「東日本大震災物故者追悼桜」
日付は平成29年3月5日とある。
後ろの建物は小高体育センター。

全焼した「光慶寺」本堂があった場所

福島県南相馬市小高区「市立小高幼稚園」
6年ぶりに再開し、7日に入園式が行なわれた。園は再開にあたり、園内の放射線量を測定し問題の無いことを確認。定期的な測定をしていくなどの対策を行っている。

福島県南相馬市小高区「金性寺」の割れたままの塀
東日本大震災による被害であり、「ひび」程度ではなく、完全に割れている箇所がいくつもある。これまで放置されて来たが、先ごろ環境庁が視察に訪れたとのこと。これから修繕が本格的に行われるのかもしれない。

「金性寺」山門

山門内の金剛力士像

「金性寺」本堂

崩壊の恐れのある「金性寺」の壁

「金性寺」境内は、崩壊の恐れのある塀周辺が片付けられている。こちらは「大悲山の石仏」等の管理も行っているが、現在は不在であるため、両箇所の管理はしっかり行われていないらしい。国指定石仏である「大悲山の石仏」群よりも対応は遅れるのは当然だとの声を聞いた 。

大悲山の例大祭は毎年2月8日で、金性寺住職が護摩祈禱をする習わしになっている。しかし、金性寺も原町区に避難中で例大祭も開けないままである。

福島県南相馬市小高区「小高調剤薬局」
原発事故の影響により閉店していたが、3日に再オープンした。帰還住民らの声を受け、市の支援で再開に漕ぎつけた。実際、お年寄りの方から、帰還を促すのであれば、老人にとっては何より医療関係の充実が必要だとの話を聞かせてもらいました。

福島県南相馬市小高区「南相馬市ボランティア活動センター」
南相馬市社会福祉協議会の委託を受けて活動している。現在も多くのボランティアの方々による作業が続けられています。

福島県南相馬市小高区「小高区役所」
震災以降、小高区役所の機能を南相馬市役所内に移転していたが、2013年4月1日から通常業務を再開した。

小高区の解体中の家屋

福島県南相馬市小高区「HARIOランプワークファクトリー」工房兼ギャラリーショップ
2016年6月18日に開所した、ガラス細工加工製造、販売のための新工房。同年7月12日の小高区の避難指示解除を見越し会社を設立、事業を展開して来ていた。

福島県南相馬市小高区は、2016年7月12日に避難指示が解除された。現在では学校も再開し、店舗の数も徐々に増えてきている。しかしその一方、家屋の解体作業は全て完了している訳ではなく、住民の要望が全て受け入れられているとは言えない。細かい事かも知れないが、ゴミ収集に関する不満の声も聞いた。

小高区の帰還住民の中には、帰還するのが早すぎたと考えている方もいた。他の地に移り住みたいというのではない。確かに賑わい創生と頑張っているものの、中心地から1キロも離れてしまうと、それも最早私たちには関係のないことでさえあるという意見もあった。私たちだって頑張ってるよ、応援してね。その方は、笑顔でそう話してくれた。

3月31日に避難指示が解除された浪江町内には解体作業開始を待つ家屋が数多く立並んでいた。まるで以前の小高区のような印象を受けた。しかし、そこには単なるタイムラグが存在している訳では決してない。ここまでの長い年月に加え、ここからまた数年が費やされて行くのだ。浪江町の方々の思いは如何ばかりのものだろ。

時間と共に人の気持ちは変わって行くから、私だってどう思うようになるかわからないとは、南相馬市小高区の帰還住民の方の話。それは、浪江町の方々にも同様のことだろう。そして更に、決断までの時が引き延ばされて来た現実が個人にどう影響して行くのかわからないし、またそれは、他の者から何を言われる類いのものでもないだろう。

小高の空
中央が小高駅。中央右側にあるのは双葉屋旅館。その向かい側にエンガワ商店の幟が見える。

とみおかプラス@TomiokaPlus

7年ぶりの桜のライトアップは4月1日(土)〜16日(日)まで開催してます♪ライトアップされて幻想的な雰囲気の夜桜デートなんて粋ですよ♪皆、夜桜見学へGo!!
当たり前の事ですが、ゴミのポイ捨て歩きながらと車の運転しながらの携帯操作はダメですよ(゚´ω`゚)
#とみプラ https://t.co/lEcDgVBST3

夜ノ森の桜のライトアップを企画した「とみおかプラス」さん。
「見る人の心を引き付けてやまない桜もつぼみから始まる。これから復興を始める自分たちをつぼみに重ね合わせている」。代表理事の大和田剛さんの言葉っす。

返信 リツイート 2017.04.04 13:07:23

2017年4月9日(日) 今日はいよいよ、念願の富岡町夜ノ森の桜の元へ!

福島県南相馬市小高区「双葉屋旅館」
女将さんにはまた、いろいろ教えて貰ったっす。お世話になりましたー。また来まーす。

JR常磐線「小高駅」
今日は雨の予報。空はどんより。

JR常磐線「浪江駅」
ここからはJR代行バスで富岡駅へ向います。

国道6号線から夜ノ森方面へ通じる道

「富岡駅」前ロータリー
停車中のJR代行バス。この後、バスは竜田駅まで運行します。

建設中のJR常磐線「富岡駅」駅舎
旧富岡駅の駅舎は、東日本大震災の津波によって破壊された。背後直ぐのところに海岸線が見える。4月1日、富岡町の避難指示が、帰還困難区域を除き解除された。駅周辺では、多くの復興住宅の建設が進められている。

駅舎の向こう側に見える海岸線

建設中の「富岡浄化センター」
白い大きな建物です。

「富岡駅」前の被災家屋

「富岡駅」前ロータリー

建設中の建物

ここから夜ノ森へ、徒歩で向かいまーす。
今日の天気予報は雨!

富岡町のマンホール
桜の木が描かれています。

福島県双葉郡富岡町「町立とみおか診療所」
2016年9月28日に開所した。

福島県双葉郡富岡町「さくらモールとみおか」
避難指示解除を目前の控えた3月30日に全面開業した複合商業施設。富岡町の避難指示解除は、帰還困難区域を除き、4月1日に解除された。

福島県双葉郡富岡町「東京電力旧エネルギー館」
現在は、福島第1原発を視察に訪れる人の受け入れ拠点となっている。2016年11月末に、それまでの拠点だった「Jヴィレッジ」から役目を引き継いだ。

福島県双葉郡富岡町「双葉警察署」
3月30日、6年ぶりに本社機能を富岡町の本庁に戻し、本格的に業務を再開した。

「双葉警察署」の桜

津波で被災した福島県警双葉署のパトカー
双葉警察署に隣接する岡内東児童公園内に2015年1月に移動し、同年3月から展示している。東日本大震災発生後、富岡町仏浜地内沿岸部で避難誘導を行っていた2人の警官が津波に飲まれた。殉職した2人の警官のうち1人が未だに行方不明である。

福島県双葉郡富岡町「富岡郵便局」

「富岡川」に架かる門口橋

「富岡川」

富岡町の排水口

「東北電力富岡サービスセンター」

富岡町夜ノ森地区の桜並木
富岡町の避難指示が4月1日に帰還困難区域を除き解除となり、7年ぶりに間近での桜の観賞が可能となった。

「富岡町立富岡第二中学校」校庭
昨日、7年ぶりに開催された富岡町の「桜まつり」のメイン会場となっていた。会場撤去作業が行われていました。

以前はもっと枝振りが大きく、本当にトンネルのようだったということだが、除染ということで切ってしまっている。もう前のようには戻らないと嘆く声を聞いた。

それにしても、ほんとに素敵な桜並木。満開の夜ノ森の桜は凄っげー綺麗なんだろうなあ。やっぱ観てみたいよなあ。

部分的にはほぼ満開って箇所もあったっすけど、全体としては3分咲き程度って印象っす。絶えず訪れて来る地元の方々のほとんどは終始笑顔。それぞれ色んな思いを抱いてんだろうっすけど、この素敵な桜並木を前にしては、やっぱ顔もほころんじゃうんすね。満開が待ち遠しいっす。

「富岡は負けん!」と「I LOVE 富岡」横断幕

黄色ライトを点滅し続ける信号

kazuy1929 はに丸@kazuy1929

富岡町夜ノ森の帰還困難区域の桜並木 #福島 https://t.co/8CEBfXzQLB

返信 リツイート 2017.04.09 17:00:48

「帰還困難区域」の桜並木

住宅地の「帰還困難区域」ゲート

JR常磐線「夜ノ森駅」に続く線路

遠くに夜ノ森駅が見えます。

JR常磐線「富岡駅」へ続く線路

線路沿いの桜並木

JR常磐線「夜ノ森駅」
東日本大震災と原発事故により現在は休止中。
常磐線は、2019年度末までに全線での運転再開を目指している。

「夜ノ森駅」内の伐採されたツツジ
ツツジは、1939年に住民らが線路沿いに植樹を始め「町の花」に指定。しかし、昨年11月から着手した駅構内の除染に伴って約6000本すべてを伐採。
住民らの願いを受けて根は残し、幹をわらで養生することで、新たな枝が育つようにしている。今後は、新たな苗木も植えていく。

蔦が絡まった道路案内標識
これから富岡駅を目指します。
っと、ここで雨が降って来やがった。いや、これまでよくもったって感じっすか。まあ良しとしとくか。

「富岡駅」前ロータリー
けっこうな雨の中、よーやく到着!
ここからJR代行バスで竜田駅へ。

JR常磐線「竜田駅」

2017年3月31日に浪江町、川俣町、飯舘村の避難指示が帰還困難区域を除き解除。翌4月1日には、富岡町の避難指示が帰還困難区域を除き解除された。
2011年3月の原発事故直後には、11市町村約8万1千人に避難指示が出され、現在、約7割の避難指示が解除されたことになる。
残る避難指示区域は全体の約3割。
今後は、5年後をめどに「帰還困難区域」の一部解除を目指すという。

楢葉町の避難指示が解除となったのは2015年9月5日。それから1年と7ヵ月が経過したっす。楢葉町の復興も、随分と進んでいる部分と、そうではない部分があるのは事実。それでも確実に進んでいることは確かっす。

今回訪れた、避難指示解除を迎えたばっかの浪江町も富岡町も、既に避難指示が解除になったこの楢葉町が辿って来たのと同じような問題を抱えていくのかも知んないし、それらとは全く違った問題を抱えていくのかも知んない。
しかし、いずれにしても、それらを乗越えて行こうとするだろうし、乗り越えて行かなくちゃなんないっす。そんためには、浪江町、富岡町の頑張りもさることながら、多くの方々の知恵と経験が必要になってくと思うんすよ。
ここまでの楢葉町が培って来たノウハウが役にたったり、また、ぜーんぜん関係ない分野の方々の頭脳が、思いがけずに重要な問題をパパパッと解決しちゃったり。
だからこそ、東日本大震災、そして、原発事故の被災地に多くの方に関心を持ち続けて貰いたいなって思うんすよね。

2011年3月11日から6年。

でもまだ、長い時間が必要っすからね。

おまけ

「座・高円寺」

4月12日~16日まで、東京・杉並にある「座・高円寺」(杉並区立杉並芸術会館)で上演されたお芝居「KUDAN」。
「TOKYOハンバーグ」主催の大西弘記氏によるこの物語の舞台は、現在の福島県浪江町。
台詞の中に、3月31日の避難指示が解除された現実などをさり気なく折り込み、これが現実をなぞるものであるということを観る者に示し、物語は進んで行く。

舞台上に登場するのは、原発事故後の被爆した牛たち。そして、その牛たちを守ろうとする人間と、その牛たちをも奪ってしまおうとする人間たち。

しかし、この物語は、ただ現実を突きつける類のものだけではない。

古くから日本各地に伝えられてきた、半人半牛の姿をした妖怪「件(くだん)」の伝承を下敷きに、事実ばかりではなく、まして、ただのファンタジーだけでもない作品に仕上げられていた。

原発事故に向き合う人間たちと、被爆という事実など知る由もない牛たち。

互いに接点を持たなくなった後にも、共に共通し持ち続けていたことは、「一生懸命に生きようとする」ということ。

それは、人や動物の違いを越え、生きとし生けるもの全てに共通する課題。

福島県に起こった原発事故に材を取りながら、物語の本質は、そういう事なのだと感じられました。

kazuy1929 はに丸@kazuy1929

TOKYOハンバーグ公演「KUDAN」 2011年、物語の幕は切って落とされる。現実と虚構の境界線を、視界が霞むほどの大音量が曖昧にさせた。舞台は、現在の福島県浪江町。事実だけではなく、まして、ファンタジーだけでもない。虚実入り混じる物語は、どう受け止めるべきか戸惑わせられた。

返信 リツイート 2017.04.12 21:55:19

この「TOKYOハンバーグ」さんは、昨年の3月には、原発事故直後の福島県南相馬市から三重県の伊勢市へと避難して生活を送る家族を描いた、「愛、あるいは哀、それは相。」っていう作品も上演してるんすよ。

kazuy1929 はに丸@kazuy1929

下北沢「劇」小劇場 TOKYOハンバーグ公演「愛、あるいは哀、それは相。」 微な地響きが、やがて耳をつんざく程の轟音へ。逃げ惑う人々の叫び声が交差する中、場面は、震災後の南相馬市から疎開する家族が身を寄せる事となる喫茶店へと変わる。 https://t.co/PTept8yZvg

返信 リツイート 2016.03.30 21:40:07

kazuy1929 はに丸@kazuy1929

TOKYOハンバーグ公演「愛、あるいは哀、それは相。」 東日本大震災直後に南相馬市から三重の親戚を頼り疎開して来た母と姉妹。其々が相容れない感情を抱えながら、それでも心から互いを支え合う。当人達は元より、周囲の者も戸惑いを隠せない、そんな忘れていた当時の状況が、苦しく迫って来た。

返信 リツイート 2016.03.30 23:38:08

東日本大震災、そして原発事故に材を取り新たに作られる物語は、なかなかに難しいもんだとは思うっす。得てして偏ったものになりがちで、多くの批判を受けることが決定事項のように思われてるとこがあるようにも感じられるっす。
それでも、この現実から目を背けることなく、そして批判を恐れずに、これらをテーマにした多くの作品を生み出していって貰いたいと思ってるっす。

東日本大震災や原発事故に対するみんなの関心が風化しないために、といった事じゃなくって、この現実に、まだまだ多くの方々が関心を持ち続けているって事が感じられるっすから。
これほど多くの悲劇を生み出してしまった未曾有の事態が、きっと次世代には、何かを生み出すこととなる「種」にさえ、なって行くことが出来るかも知んないと思えるっすから。

これからの「TOKYOハンバーグ」さんにも期待っす。
今後の作品に、どういう題材を選んでいくのか。これまで上演した作品が、どう影響して行くもんなのか。(謎の上から目線)

とにかく、これだけは言っておくっす。

TOKYOハンバーグはいいぞ!

おしまい

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