NAVERまとめ 魚拓
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(2020年8月17日 魚拓取得)
https://matome.naver.jp:443/odai/2155391061709436101 - 2020年8月14日 15:37 - ウェブ魚拓
岩手県
1~9
宮城県
9~13(気仙沼・大鍋屋「Wake Up, Girls!」 10、11)
福島県
13、14、20、21、22 南相馬市小高区
14~20 浪江町(思い出の品展示場 15、16)
23~27 富岡町
27~28 楢葉町
各地の紹介に加え、ふたば未来学園高校演劇部の紹介もまとめました。
20、21 ふたば未来学園高校演劇部
新元号「令和」も発表されたっつうことで、明日からちょっち、東北旅行に行って来まーす。なんか強烈な寒気が来てるんで、服装が悩ましいとこっす。開通したばっかの三鉄「リアス線」釜石~宮古間にも乗って来るっす。復興が進み、街の様子がどんな風に変わって行ってっか、この目に焼き付けて来まーす
2019年4月2日(火) 初日の目的地は、岩手・宮古駅!
東日本大震災により被災し運休していた「JR山田線」の釜石~宮古間が三陸鉄道に移管され、「北リアス線」、「南リアス線」を含めた全線を「三陸鉄道リアス線」と改称。そして、2019年3月23日、8年ぶりに列車運行が再開され、沿線のみなさんの喜ぶ様子が多くのニュースで伝えられました。どれほど多くの方々が、この列車運行再開を待ち望んでいたことでしょう。
リアス線は、岩手県沿岸の盛駅(大船渡市)~久慈駅(久慈市)間の163キロを南北に結びます。第三セクター運営鉄道としては最長となります。
東日本大震災で被災した岩手県沿岸を縦断する第三セクター三陸鉄道(宮古市)のリアス線が23日、開業した。JR東日本から移管された旧山田線の釜石-宮古間(55.4キロ)を記念列車が走り、沿線住民が鉄路の完全復旧を祝った。4両編成の一番列車は午前11時40分に「出発進行」の合図で釜石駅を出発。自治体関係者のほか公募で選ばれた乗客40人を乗せ、宮古駅に向かった。釜石駅のホームであった出発式には約180人が出席。リアス線は、従来の南、北リアス線に旧山田線の移管区間を加えて誕生。盛(大船渡)-久慈間の総営業距離163キロは全国の三セク運営鉄道で最長となる。 2019年3月23日
東日本大震災で被災した岩手県沿岸部を縦断する第三セクター三陸鉄道(宮古市)のリアス線は24日、新ダイヤで通常運行を始めた。上下線ともに混雑し、新たな鉄路への期待の大きさをうかがわせた。午前7時50分釜石発久慈行の下り列車は、同9時15分に宮古駅の2番線ホームに到着。駅構内は県内外から訪れた乗降客でごった返した。三鉄旅客営業部の冨手淳副部長は「思った以上のお客さまに乗車いただきありがたい。これからも三鉄を利用してほしい」と呼び掛けた。リアス線は、従来の南、北リアス線をJR東日本から移管された釜石-宮古間(55.4キロ)が結ぶ形で23日に開業した。 2019年03月25日
釜石駅から、3月23日に開通したばっかの「三陸鉄道リアス線」を利用して宮古駅へ。車両は、普通車とレトロな装いの2両。駅周辺には新興住宅が立ち並んではいたけれど、まだまだ灯りは乏しい。鵜住居駅では、駅隣の施設内から、スタッフの方が、乗客に向かって手を振ってくれていましたー。 #岩手 https://t.co/jzGQtqiTQQ
「三陸鉄道リアス線」宮古駅に到着!旧JR駅舎は、改修工事が行われたようで、現在はここを、三陸鉄道の駅舎として利用しています。明日は朝から、この宮古〜釜石間の三陸鉄道に乗車して、駅周辺を見て回って来まーす。 #岩手 https://t.co/83xmTmNRv4
岩手県などが出資する第三セクター三陸鉄道(宮古市)の宮古駅に木彫りの黒い鹿が登場した。その名も「クロジカくん」。駅売店前に陣取り、乗降客の安全や駅舎内のにぎわい創出の任務に当たる。有志でつくる「三陸鉄道を勝手に応援する会」が寄贈した。3月23日のリアス線開業を機に、赤字経営が続く三鉄の黒字化を、との願いを込めた。「黒字化に向けて社員一同頑張る」と中村一郎社長は感激の面持ち。三鉄ファンの熱い思いをシカと受け止めた。 2019年02月23日
岩手の平和を守る、我らの「鉄神ガンライザー」!彼の右手は、南部鉄器なのだー!後方に見えるのは、旧三陸鉄道駅舎。 #岩手 https://t.co/Zraeof1XGb
「鉄神ガンライザー」は、東日本大震災後、「岩手の子供たちに元気と笑顔を!」を合言葉に誕生したご当地ヒーロー。
宮古市「ホテル宮古ヒルズ ステーション店」
2017年4月に宮古訪問時にも利用させて貰ったっす
2019年4月3日(水) 岩手・宮古から、リアス線を利用して、宮城・気仙沼へ!
宮古市「ホテル宮古ヒルズ ステーション店」
三鉄グッズ専門店・三陸土産「さんてつや 」
三陸鉄道リアス線開通に合わせ、2019年3月23日にオープンした三陸鉄道直営店
三陸鉄道がオリジナル新商品「クロジカせんべい」を発売した。経営の「黒字化」達成への願いを込めた。しょうゆ味は、岩手県産の雑穀を素材に香ばしくサクサクとした食感に仕上げた。塩味は、岩手県普代村産のすき昆布と宮古市産の塩で三陸の風味が楽しめる。1袋200円(税別)。商品デザインには有志でつくる「三陸鉄道を勝手に応援する会」のキャラクター「クロジカくん」を起用。久慈、宮古、釜石、盛の各駅と沿線の道の駅で販売している。三鉄は2006年、経営難を逆手にとって名付けた「三鉄赤字せんべい」を売り出して話題となった。中村一郎社長は「全国の皆さんに購入していただき、黒字化を目指したい」とPR。2019年3月1日
三陸鉄道(中村一郎社長)は23日、リアス線の開通を記念して久慈市産の木炭商品「木まじめ脱臭炭」を発売した。地元産の商品で沿線地域の活性化を目指す。脱臭炭は、同市山形町の山村生活体験施設バッタリー村で炭焼きを営む木藤古修一さんが製作。経営黒字化への願いを込めた商品「クロジカシリーズ」の第2弾で、開発には三陸鉄道を勝手に応援する会(草野悟会長)も協力した。約200グラム入りで税別500円。久慈駅と、宮古市宮町に同日オープンした三陸鉄道直営店「さんてつや」で販売。 2019.03.24
この度、平成31年3月23日に三陸鉄道直営店「さんてつや」がオープンします。 「さんてつや」は三鉄グッズの専門店として、またリアス線沿線の商品を中心に販売します。皆様のご来店を心よりお待ちしております。 チラシ:コチラからご覧いただけます。 三鉄グッズ専門店・三陸土産の店 さんてつや
「イーストピアみやこ」に通じる連絡通路
三陸鉄道リアス線「宮古駅」
駅の愛称は「リアスの港」
三陸鉄道(宮古市)のリアス線が23日開業する。現行の三鉄宮古駅は22日で閉鎖となり、JR宮古駅に新たな駅名標が取り付けられた。乗車券販売など23日以降のJRの業務は、三鉄が引き継ぐ。駅名標は縦60センチ、横2メートル。「宮古駅」の表記の左右に三鉄とJRのロゴマークを配した。宮古駅にはリアス線とJR山田線が乗り入れる。除幕式で三上政勝JR宮古駅長は「安全第一を心掛け、鉄道員魂を引き継いでほしい」とあいさつ。赤沼嘉典三鉄宮古駅長は「国鉄時代からの宮古駅の歴史を受け止め、駅員一丸で頑張る」と意気込んだ。リアス線は岩手県沿岸の盛(大船渡市)-久慈間を南北に結ぶ。 2019年03月23日
「三陸鉄道リアス線」宮古駅と「イーストピアみやこ」 東日本大震災の津波で浸水した旧宮古市役所に代わり建てられた、新庁舎を核とした複合施設。2018年10月1日から使用を開始した。 #岩手 https://t.co/yFDKwDlhtJ
宮古市の新市役所庁舎など3施設を集約した市中心市街地拠点施設「イーストピアみやこ」がJR宮古駅隣接地に完成して1日、開庁した。東日本大震災を教訓に防災機能を備えた。鉄筋コンクリート6階。市民交流センターと保健センターも入居。施設の2階と宮古駅前広場を結ぶ自由通路は災害時に避難路となる。自家発電機や水、食糧を備蓄し、一時避難所として約2000人を収容できる。市民交流センターは多目的ホールなどを備え防災プラザでは震災の被災状況や復興の歩みを紹介。旧本庁舎は震災の津波で2階まで浸水。耐震性の問題もあって新庁舎は内陸側に約1キロ移転した。旧本庁舎跡地には多目的広場などが整備される。2018年10月2日
イーストピアみやこ(集い、学び、語らう 賑わいの拠点)は、市本庁舎、保健センター、市民交流センターの3つの施設からなる複合施設です。新たに加わる市民交流センターでは、講演会や発表会に利用可能な「多目的ホール」やお子さんを連れて安心して遊べる「ふれあいひろば」、災害や復興の歩みを紹介する「防災プラザ」などがあります。
「ネスレ日本」による「リアス線」開通を祝う横断幕
三陸鉄道復旧の応援を通して、東日本大震災からの沿線地域の復興支援を行ってきたネスレ日本。宮古市で活動する草野球チーム「三陸鉄道キットDreams」結成にも協力しています。
東日本大震災の苦難から立ち上がろうとする三陸鉄道を世界のみんなと一緒に応援するために、2012年春から始動したプロジェクトです。
三陸鉄道リアス線「宮古駅」
駅の愛称は「リアスの港」
三陸鉄道リアス線「磯鶏駅」
駅の愛称は「松原の想い出」
三陸鉄道リアス線「八木沢・宮古短大駅」
駅の愛称は「八木沢川のせせらぎ」
リアス線開業と共に新設された新駅
宮古市河南の県立宮古短大(鈴木厚人学長、学生204人)は10日、三陸鉄道リアス線に乗って沿線自治体の復興の歩みを学ぶ「三陸を知るツアー」を行った。学生らは東日本大震災後の三鉄の変遷を学びながら、復興が進むまち並みに目を向けた。1年生103人が新駅の八木沢・宮古短大―鵜住居間を往復。車内では三鉄の金野淳一運行本部長がリアス線全線開通までの流れなどを説明し「地域にとってマイレールがどんな存在かを考え、観光利用に向けた取り組みにも力を入れる」と展望を語った。学生らは、住居や店舗の建設が進む山田町や大槌町の様子を目に焼き付け、釜石市鵜住居町でいのちをつなぐ未来館などを見学した。 2019.04.11
三陸鉄道車両内の釜石まなちゃんと久慈ありすちゃん
三陸鉄道社員である2人がポスターモデルで三鉄に貢献
駅員の釜石まなと、運転士の久慈ありす(左から)
三陸鉄道は12日、三陸の森林・メッセージつり手列車の運行を開始した。宮古地域の豊富な森林資源を活用し、南北リアス線の車両に木製の列車用つり手を設置。全国初の試みで関係者は木のぬくもりを感じ木材に親しんでほしいとPRする。宮古駅で行われた出発式では同市の赤前保育園の年長組13人が歌や踊りを披露し盛り上げた。つり手列車は北リアス線に3両、南リアス線に2両を配備し、毎日運行する。つり手は、クリやホオノキ、ナラなど広葉樹5種を使用。三陸を象徴する南部鼻曲がり鮭形とラグビーボール形があり樹種の特徴をイメージし「純粋な心」「優しい心」などとメッセージも書かれている。 2018.10.13
三陸鉄道リアス線「津軽石駅」
駅の愛称は「鮭の町」
第三セクター三陸鉄道の津軽石駅(宮古市)に自転車スタンドが復活した。東日本大震災の津波をかぶり、さび付いた状態で保管されていたが、リアス線開業を機に宮古工高の生徒が修繕した。自転車スタンドは長さ3メートル、幅45センチで2基あり、計10台が駐輪できる。震災でJR山田線が不通となったため、8年間利用されずにいた。旧山田線区間の移管によるリアス線開業を見据えて宮古市が昨年11月、津軽石駅を利用する生徒が多い宮古工高に修繕を依頼。工作部の生徒を中心にさびを落とし、ねじの交換や塗装を施した。 2019年04月07日
三陸鉄道車両内の「あまちゃん」ポスター
「あまちゃん」は、2013年にNHKで制作されたドラマ作品。作品内では、東日本大震災で被災した三陸鉄道が描かれています。
三陸鉄道リアス線「払川駅」
駅の愛称は「新たな希望」
リアス線開業と共に新設された新駅
三陸鉄道リアス線「豊間根駅」
駅の愛称は「まつたけの里」
三陸鉄道リアス線「陸中山田駅」
駅の愛称は「海のオランダ島」
リアス線開通を伝える幟の久慈ありすちゃんと釜石まなちゃん
三陸鉄道社員である2人がリアス線開通通達幟で三鉄に貢献
運転士の久慈ありすと駅員の釜石まな(左から)
三陸鉄道リアス線「陸中山田駅」駅舎
オランダ風車をイメージした外観。
旧駅舎は、東日本大震災による津波と、その後の発生した大規模火災により焼失してしまった。旧駅舎屋根に設置されていた大時計は、後世の防災の教訓とするために御蔵山に展示されている。
三陸鉄道リアス線「陸中山田駅」 オランダ島と風車を模した洋風のデザイン。駅舎内には、情報ステーションも設置されています。そちらで、山田町の現在における大きな課題などのお話を聞かせていただきました。 #岩手 https://t.co/QUsYVrLdau
三陸鉄道リアス線「陸中山田駅」駅舎内
符販売所兼観光案内所や待合室などが設けられています
隣接する「山田町交流センターはぴね」
陸中山田駅駅舎と通路でつながっています
来年3月23日に三陸鉄道に移管され「リアス線」として開通するJR山田線宮古-釜石間の陸中山田駅(山田町)の駅舎が完成した。オランダ風車をイメージした外観で、観光案内や東日本大震災からの復興までの道のりを紹介するコーナーを備える。周辺には再建した飲食店が並び、新たなまちの拠点として期待される。敷地面積約291平方メートル。木造平屋の駅舎は切符販売所兼観光案内所があり、2人程度の従業員を配置する。待合室、トイレのほか、復興への歩みや観光を宣伝するコーナーも設ける。図書館機能を備えた山田町交流センターはぴねと通路でつながる。震災で流失し、町が再建を進めた。 2018.12.30
民間交番「やまだ地域安全センター」
2019年3月18日に開所した
建物は山田ハリストス正教会から寄贈を受けたプレハブを使用している
東日本大震災で被災した山田町中心部に18日、民間交番「やまだ地域安全センター」が開所する。津波などで全壊した宮古署山田交番が高台移転したことから、町防犯協会が管理運営する。民間主体で防犯や交通安全の拠点を担う「民間交番」が設置されるのは県内で初めて。沿岸被災地で新たなまちづくりが進む中、住民の安心安全や防犯意識高揚へ効果が注目される。民間交番は同町中央町の国道45号近くに立地。23日のリアス線開通で陸中山田駅周辺の人通りが増えると予想されることから、それに先駆けて開所する。18日に現地で開所式を行う。建物は山田ハリストス正教会から寄贈を受けたプレハブを使用。 2019.3.14
山田町「山田ハリストス正教会」
東日本大震災で全焼し再建された同教会。2018年12月3日に完成を祝う成聖式が行われた。
東日本大震災で全焼した山田町の山田ハリストス正教会は2日、同町八幡町に再建した。約140年の歴史を持つ教会は、過去にも津波など困難に直面し、信者が一丸となって乗り越えてきた。今回は全国の支援を受け、震災から約7年9カ月で復活。高い建物はかさ上げした新中心部で目立ち、住民との交流も期待される。震災の記憶を伝える復興のシンボルとして、町に再出発の鐘が鳴り響いた。同日は完成を祝う成聖式を行い、信者ら約80人が参加。日本ハリストス正教会教団(東京都)に寄せられた義援金で再建した。木造1階建て。建物の中には、焼け跡から見つかった聖歌の楽譜や燭台を飾る。 2018.12.03
山田町御蔵山にある「東日本大震災 津波犠牲者慰霊碑」と「消防殉職団員慰霊碑」 共に平成31年3月11日に建立された #岩手 https://t.co/7NvyM7Ay9q
「消防殉職団員慰霊碑」の除幕式は2019年3月10日、「東日本大震災 津波犠牲者慰霊碑」の除幕式は翌11日に行われた。
御蔵山は、東日本大震災時に多くの住民が津波から逃れて避難した場所。眼下に山田湾を望む。
岩手県山田町中心部の御蔵山に、東日本大震災で殉職した町の消防団員の慰霊碑が完成し10日、除幕式があった。町の消防団員50人が参列し、地域住民の命を守り抜く決意を新たにした。山田町では、水門を閉めに向かったりポンプ車で住民に避難を呼び掛けたりした消防団員8人が津波にのまれた。碑は多くの住民が津波を逃れて避難した高台に建立され、眼下に山田湾を望む。除幕式で全員が黙とうし、津波から町や町民を守ろうとして命を落とした仲間の冥福を祈った。震災から8年となる11日には同じ御蔵山で、津波の犠牲になった町民の慰霊碑除幕式もある。 2019年03月11日
山田町「JR陸中山田駅の駅舎屋根に設置さてていた大時計」
津波に襲われた「午後3時27分」で止まっている。大震災の規模と大きさと威力を如実に示すものであり、後世の防災の教訓とするため展示されている。
2011年3月11日午後2時46分、マグニチュード9.0の歴史的大地震が東日本太平洋沿岸一帯を襲った。それに引き続いて発生した大津波は山田町に襲いかかり、被災したJR陸中山田駅の駅舎上に設置されていた大時計は津波による被災時刻の3時27分を指したまま止まっている。山田ロータリークラブの創立記念行事として、昭和46年に当時の国鉄陸中山田駅舎上に設置されていたものである。
東日本大震災復興祈念植樹「河津桜」
2013年2月10日植樹された
山田町「鎮魂と希望の鐘」
震災犠牲者の冥福を祈ろうと山田町の山田ロータリークラブが建設、2012年3月11日に除幕式が行われた。訪れた者誰もが、鐘を鳴らすことが出来ます。
岩手県山田町「鎮魂と希望の鐘」
出典元:YouTube
追悼と復興への願いを込め、山田湾及び被災した山田町中心部を望む御蔵山に立つ。同じ敷地内には、被災した陸中山田駅にあった大時計も保存されている。
山田町「御蔵山」から眺めた町の様子
岩手県山田町「御蔵山」から眺めた町の様子
出典元:YouTube
東日本大震災からの復旧工事が進められています
山田町「新生やまだ商店街」
2015年12月から、それぞれの店舗が順次オープン
「山田町ふれあいセンター はぴね」
山田町子どもまちづくりクラブが、地元の方々や行政と震災後のまちづくりについての話し合いの中で生まれたアイデアを元に建設、2016年7月2日に開所した。
「山田町ふれあいセンター はぴね」入口
「はぴね」内の子どもたちによる三陸鉄道の絵
子どもたちによる、三陸鉄道を歓迎する絵がたくさん描かれていました
山田町川向町「Pattisseris 穂茂」 2016年12月10日オープンした、「低糖・低カロリースイーツ」のお店。2017年12月に伺って、美味しいスイーツをもう一度って思ってたんすけど、今日はお休みでしたー。ざんねんすぐるー。 #岩手 https://t.co/MhOReVT930
山田町「Pattisseris 穂茂」
陸中山田駅駅舎内から店舗建物が見えます
三陸鉄道リアス線「陸中山田駅」ホーム
「陸中山田駅」高架橋からの眺め
復旧工事が進められており、駅周辺には多くの店舗が開店しています
三陸鉄道リアス線「陸中山田駅」高架橋
三陸鉄道リアス線「陸中山田駅」ホーム
山田町で、これまで仮設店舗で営業を続けてきた方々に中には、店を止めてしまった方も多数いるということです。理由は、年齢のことであったり、この地を離れることになったりとさまざま。山田町に暮らしている者にとって、医療機関が乏しいというのは切実な問題。それが、生活の基盤を他の地にうつして行った者の理由のひとつではあろうということでした。
三陸鉄道リアス線「織笠駅」
駅の愛称は「鮭まつる川」
山田町「鯨と海の科学館」
東日本大震災による津波で被災して長期閉館ののち、6年4か月後の2017年7月15日に再開した
岩手県山田町にある「鯨と海の科学館」の公式サイトです。鯨を通じて彼らが住む三陸の海や、海を育てる豊かな自然環境について知ることをテーマにしている自然科学博物館です。
2017年12月に「鯨と海の科学館」を訪問した時の様子です
三陸鉄道リアス線「岩手船越駅」
駅の愛称は「本州最東端の駅」
本州最東端の駅
三陸鉄道リアス線「浪板海岸駅」
駅の愛称は「片寄波のサーフサイド」
三陸鉄道リアス線「吉里吉里駅」
駅の愛称は「鳴き砂の浜」
大槌町旧役場庁舎の解体工事は3月2日、現場作業を終えました。
大槌町旧役場庁舎跡地周辺
旧役場庁舎跡地は、画像の右側前方となります
三陸鉄道リアス線「大槌駅」
駅の愛称は「鮭とひょうたん島の町」
新駅舎は、ひょうたん島を模した円形のデザイン。作家の井上ひさしさんの人形劇「ひょっこりひょうたん島」のモデルの一つとされる同町の「蓬莱島」がモチーフ。
2019年2月1日に落成式が行われた
東日本大震災で流失した大槌町本町の大槌駅の新駅舎が完成し1日、現地で落成式が行われた。同町小鎚の理容店経営、菊池晃総さんは同駅を含むJR山田線が3月23日にJR東日本から三陸鉄道に移管されるのに合わせて駅構内に飲食店を開き、町特産のさけだしを使ったラーメンの販売を始める。1日は真新しい駅内の調理場を訪れ、震災から立ち上がり、町ににぎわいを生み出すことを誓った。菊池さんは「開放的できれいな建物だ」と駅舎に見入った。調理器具などを搬入する真新しい調理場に立ち「年齢や性別を超え、みんなが入りやすい開かれた雰囲気にしたい」と思いを語った。 2019.02.02
三陸鉄道リアス線「鵜住居駅」
駅の愛称は「トライステーション」
2018年8月21日に駅舎が完成。復旧工事後の試運転が始められた。
鵜住居駅前にある「鵜の郷交流間」と 津波伝承施設「いのちをつなぐ未来館」 共に、リアス線開通に合わせ、3月23日に開館。なんと、本日水曜が休館日。知らなかったなー。 #岩手 https://t.co/oVaKt0gvaS
津波伝承施設「いのちをつなぐ未来館」
2019年3月23日開館
釜石市の鵜住居駅前の観光交流拠点施設「鵜の郷交流館」は、三陸鉄道リアス線が全線開通した23日、開館した。市内の3事業者が特産品や海産物などを販売し、地域の魅力発信や交流人口の拡大を推進する。市が整備した同駅前地区公共施設「うのすまい・トモス」内の施設。490平方メートルの館内に飲食、物販の計4店舗や休憩スペースなどが設けられ、同駅の開業に合わせてオープンした。 2019.03.24
岩手県釜石市が鵜住居地区に整備した東日本大震災の津波伝承施設「いのちをつなぐ未来館」が23日、開館する。住民ら160人以上が犠牲になった市鵜住居地区防災センターで何が起きたかを伝える。指定避難場所ではなかった防災センターに大勢の人々が逃げ込んだ経緯や生存者の証言を紹介。市内の小中学生による主体的な避難行動にも焦点を当て、防災教育の成果であることを説明する。未来館は事業費約2億円。隣接する市追悼施設「釜石祈りのパーク」や観光交流拠点「鵜の郷交流館」とともに、三陸鉄道リアス線の鵜住居駅前エリアを構成する。 2019年03月09日
釜石東中3年で東日本大震災に遭い、今春県立大総合政策学部を卒業する釜石市橋野町の菊池のどかさんは11日、一時開館する同市鵜住居町のいのちをつなぐ未来館で震災の経験や教訓を伝える。釜石の奇跡とされる避難行動で生き延びたあの日から8年。「この場所で自分の経験を生かし、恩返しする」と誓い、4月から同館常駐職員として未来の命を守り続ける。未来館などが立つ鵜住居駅前エリアでは10日、関係者が荷物を搬入し一時開館の準備を進めた。同館は震災時、児童生徒が高台に避難した状況を時系列のパネルで詳細に紹介。菊池さんは「中学生だった自分の思いや経験に向き合い、誠実に伝えることが大切だ」と。2019.3.11
整備中の「うのすまいトモス」
釜石市が鵜住居町の鵜住居駅前周辺に整備を進めている公共施設。8月に完成予定の市民体育館なども含めた駅前全体の愛称。
追悼施設「釜石祈りのパーク」入口
工事中だが、2019年3月11日に一部オープンしている
「釜石市東日本大震災慰霊碑」
2019年3月11日から解放されています
鵜住居「釜石市東日本大震災慰霊碑」 「釜石祈りのパーク」内にあり、震災で亡くなられた方の名が記されている。施設はまだ工事中だが、立ち入ることは出来る。末永く保存され、腐食などしないよう、特殊な金属が使用されている。 #岩手 https://t.co/gD15wCOHFE
防災市民憲章モニュメント「釜石市防災市民憲章 命を守る」
「釜石市防災市民憲章」は、東日本大震災の発生を機に、あらゆる災害から身を守る知恵を次の世代、また次の世代へと伝えて行くため、「市民の誓い」として作成。2019年3月11日に制定され、同日、防災市民憲章のモニュメントを設置した。
モニュメントには、「備える」「逃げる」「戻らない」「語り継ぐ」と記されています。
釜石市鵜住居「釜石祈りのパーク」 「釜石市防災市民憲章」からの眺め
出典元:YouTube
釜石市が「命を守る災害文化会議」 防災市民憲章、定着へ 「語り部」登録制度を検討 /岩手 毎日新聞 2019年3月21日
釜石市は20日、東日本大震災の教訓を後世に伝える市民の行動規範「釜石市防災市民憲章 命を守る」に記した「備える」「逃げる」「戻らない」「語り継ぐ」を市民に定着させるため、官民協働の「命を守る災害文化会議」を発足させた。震災の風化が懸念される中、今と未来を生きる子どもたちの命を守るための具体策や、「大震災かまいしの語り部」の登録制度などを考える。
「釜石市東日本大震災慰霊碑」
後方の高台に見えるのは、釜石東中、鵜住居小、鵜住居幼稚園
釜石市鵜住居町に市が整備した釜石祈りのパークは11日、除幕式を行い市民が献花に訪れた。市内で最も被害が大きかった鵜住居地区に造られた慰霊の場。被災後大槌町小鎚の実家に一人引っ越した山下恵子さんも、夫清司さんと一人娘五苗さんの名を刻んだ金属板に花を手向けた。かすかな笑みを浮かべて芳名板に近づいたが、縦に並んだ2人の名前に涙がこぼれ落ちた。8年前の3月11日、仕事が休みだった五苗さんは、海岸でワカメの収穫準備に追われていた清司さんに津波警報を知らせようと家を出た。「ようやくみんなと一緒になれて良かったね」。恵子さんは、いとおしそうに名前をなでた。 2019.3.12
鵜住居「釜石鵜住居復興スタジアム」 2018年8月19日にオープニングゲームが行われた。 #岩手 https://t.co/QtFayhL4b6
9月20日に開幕するラグビーワールドカップ2019の試合会場となる
2019年ラグビーワールドカップ(W杯)日本大会の会場として釜石市が整備した「釜石鵜住居復興スタジアム」が完成し、記念イベント「リポビタンD釜石鵜住居復興スタジアムオープニングDAY」が19日開催された。来場した約6500人が、東日本大震災からの復興のシンボルとなる競技場の門出を祝った。国内12会場のうち唯一の新設で、津波で全壊した鵜住居小と釜石東中などの跡地約9ヘクタールに立つ。座席は6000席を備え、本番では仮設1万席を増設する。総事業費は約39億円を見込み、岩手県と市が計約8億円を負担。残りを復興交付金などで賄う。 2018年08月20日
「釜石鵜住居復興スタジアム」の自動販売機
建設中の「釜石市民体育館」
9月20日開幕のラグビーワールドカップ2019にあわせ、8月完成予定
釜石市が新たなスポーツ拠点として同市鵜住居町に整備する市民体育館の建設工事安全祈願祭は現地で行われた。復興まちづくりが進む鵜住居地区の中核施設の一つ。ラグビーワールドカップ(W杯)の開幕に合わせ、2019年7月末の完成を目指し、使用開始はW杯終了後の12月ごろを見込む。市民体育館はJR山田線(休止中)鵜住居駅西側の敷地約6700平方メートルに建設し、鉄骨一部鉄筋コンクリート造り2階建てで延べ床面積約3500平方メートル。観客席は車椅子用6席を含む776席を設ける。バリアフリーに配慮し、多目的トイレなども設置する。 2018.06.30
釜石市鵜住居「釜石東中・鵜住居小・鵜住居幼稚園」がある高台からの眺め
復旧工事が進められています
釜石市鵜住居「釜石東中・鵜住居小・鵜住居幼稚園」がある高台から眺めた町の様子
出典元:YouTube
それぞれの施設は、2017年4月から利用が開始された。復旧工事が進められています。
鵜住居幼稚園では、4月11日に入園式が行われた
釜石市鵜住居「鵜住居幼稚園」
釜石市鵜住居「鵜住居小学校」
北海道と協賛団体で組織する「希望をきぼうでプロジェクト」は18日、釜石市鵜住居町の鵜住居幼稚園に木製遊具「きぼうのプール」を贈り、被災地の子どもたちの健やかな成長を願った。プールは道産のカラマツとトドマツ、エンジュの3種類を使用し、六角形の木枠に長さ10センチと7・5センチの木棒(きぼう)が約4千本敷き詰められている。棒は「ガンバレ東北」「応援しているよ」など道民のメッセージや絵を刻む。贈呈式には園児ら約20人が出席。プロジェクトは復興支援として2014年に始まり、これまでに北海道と岩手、宮城、福島の3県に計九つを寄贈した。19日は山田町の大沢保育園に贈る。 2018.12.19
釜石市鵜住居「鵜住神社」
7年目の被災地
鵜住神社が本格復興 一番鳥居再建、氏子ら祝う 釜石 /岩手 毎日新聞 2017年12月27日
東日本大震災で損壊した釜石市鵜住居町の鵜住神社の一番鳥居が再建され24日、鵜住居虎舞や氏子総代のメンバーによる手踊りやもちまきで完成を祝った。震災7年を前に、神社はすべての建造物が本格復興を遂げたことになる。
市内の死者・行方不明者の半数以上にあたる586人が犠牲になった鵜住居地区。神社は、津波でみこし3基とその保管庫や一番から三番までの鳥居が破損・流失したが、直後から避難所となり、秋の例大祭などで古里を離れた人たちのよりどころとなってきた。
東日本大震災の教訓を発信する看板
2019年1月31日に設立
地名に関する言い伝えを描いた絵に、教訓を伝えるメッセージが添えられている
東日本大震災で行方不明になった釜石市の元鵜住居小事務職員木村タカ子さんの夫正明さん=同市栗林町=は31日、同市鵜住居町のかさ上げ地に震災の教訓を発信する看板を立てた。時とともに記憶は風化し、震災を知らない世代も増加。「逃げようよ」-。絵画とメッセージに思いを込めた木村さんは「二度と災禍を繰り返さないため、形として残し伝えていく」と思いを強くする。震災後、移転新築された鵜住居小と国道を挟んで向かい側の新市街地は区画整理事業でかさ上げされ、住宅再建が進む。木村さんの仮換地では同日、滝沢市の業者が看板を2枚立てた。地名に関する言い伝えを描いた絵に、教訓を伝えるメッセージを添えた。 2019.2.1
「いのちをつなぐ未来館」と「鵜の郷交流館」
「釜石祈りのパーク」
建設中の「釜石市民体育館」
3月23日に鵜住居にオープンした「うのすまい・トモス」に続き
4月13日に釜石魚河岸にぎわい館「魚河岸テラス」がオープンします。
釜石市魚市場に隣接した施設では、1階に虎舞の展示やキッチンスタジオ
、会議室が利用でき、2階にある飲食店4店舗では釜石湾を眺めながら
お食事が楽しめます。
「#Thank You From KAMAISHI」のラッピング車両
2019年に東日本大震災の支援に対する「ありがとう」の気持ちを世界に発信する活動「#Thank You From KAMAISHI」。その一環として、釜石東中生徒らが、リアス線車両へのラッピングや駅舎装飾に取り組んできた。
「#Thank You From KAMAISHI」案内板
「#Thank You From KAMAISHI」は、ラグビーW杯など三陸・釜石地域にとって特別なイベントが満載の2019年に、東日本大震災の支援に対する「ありがとう」の気持ちを世界に発信する活動。三陸鉄道リアス線の営業運転がスタートした24日、釜石市の鵜住居駅では釜石東中が取り組んできた駅舎装飾やラッピング車両がお披露目された。8年ぶりの鉄路復旧の喜びに包まれた「みんなで鵜住居駅びらき!」。 2019.03.25
Thank You From Kamaishi /釜石から世界に感謝を届けよう。東日本大震災から8年となる2019年。釜石・三陸から世界へ。ありがとうの気持ちを伝えます。
三陸鉄道リアス線「両石駅」
駅の愛称は「恋の峠 愛の浜」
三陸鉄道リアス線「釜石駅」
駅の愛称は「鉄と魚の町」
JR東日本の釜石線と三陸鉄道リアス線が乗り入れている
三陸鉄道リアス線「釜石駅」駅舎
三陸鉄道リアス線全線開通に向けたカウントダウンボード
2018年10月16日に設置
2017年5月に釜石市平田で発生した林野火災の被災木材を活用した
三陸鉄道と釜石地方森林組合は来年3月23日の三陸鉄道リアス線(盛―久慈)全線開通に向けた木製カウントダウンボードを製作し、16日、釜石市の三陸鉄道釜石駅でお披露目セレモニーを開いた。昨年5月に同市平田で発生した林野火災の被災木材を活用。ぬくもりのあるボードで念願の鉄路復活を盛り上げ、森林復旧の一助とする。中村社長5人が除幕し「三陸鉄道リアス線2019年3月23日開通まで158日」と示されたボードを披露した。重りとして東日本大震災で被災した盛―陸前赤崎駅間のレールを設置した。組合が4基製作。残りの3基は19日から大槌町役場、山田町役場、三陸鉄道宮古駅で活用する。 2018.10.16
「三陸防災復興プロジェクト2019」開幕までのカウントダウンボード
「三陸防災復興プロジェクト2019」は、東日本大震災からの復興を内外へ発信し、風化防止や交流活性化を図ろうと岩手県 などが主催する博覧会。
東日本大震災からの復興を内外へ発信し、風化防止や交流活性化を図ろうと岩手県などが主催する博覧会「三陸防災復興プロジェクト2019」の運営計画が19日、決定した。19年6月1日~8月7日の68日間、沿岸13市町村で22の催しを繰り広げる。震災の教訓や地域防災について考えるシンポジウムを各地で開催。復興支援に取り組んできた指揮者佐渡裕さん、音楽家坂本龍一さんらを招いてのコンサートを開く。石巻市などで昨年開かれたリボーンアート・フェスティバルとも連携し、フェスティバル実行委員会が制作する宮沢賢治作品をベースにしたオペラを上演する。 2018年12月23日
『三陸がつながる。日本各地や世界とつながる。ひとつになって 更に前に進む』復興に力強く取り組んでいる地域の姿を発信し、東日本大震災津波の風化を防ぐと共に、国内外からの復興への支援に対する感謝を示し、更には、被災県として東日本大震災津波の記憶と教訓を伝え、国内外の防災力向上にも貢献すること、また、三陸地域の多様な魅力の国内外への発信と交流の活発化により、新しい三陸の創造につなげるためのプロジェクト。
釜石〜宮古が開通し、全線がリアス線となった三陸鉄道。その業務は更に忙しさを増している。ワンマン運行で運転と運賃清算は1人で行われ、新線開通に伴う乗客誘導も、社員が通路で乗客を待ち構え、その都度対応。そんな様子を見せられては応援せざるを得ない。いや、応援したい!応援させてくれ三鉄! https://t.co/TfjDIOJTOd
上画像は、三陸鉄道社員の恋し浜レンさんです
宮古駅から走る列車は釜石駅が終点。ここで盛駅行きの列車に乗り換えます。
三陸鉄道リアス線「釜石駅」
三陸鉄道リアス線「恋し浜駅」の「幸せの鐘」
駅の愛称は「愛の磯辺」
「恋し浜駅」駅待合室
「恋し浜駅」待合室の「ホタテ貝の絵馬掛け」
ホタテ貝を絵馬とする「ホタテ貝の絵馬掛け」が多数吊るされています。
「恋し浜駅」待合室にいた恋し浜レンさん
恋し浜レンさんは恋し浜駅勤務。さっきまで釜石駅にいたと思ったらいつの間に
三陸鉄道リアス線「盛駅」
駅の愛称は「椿の里」
三陸鉄道リアス線の南側終点駅
三陸鉄道リアス線「盛駅」とJR東日本・大船渡線「盛駅」
三陸鉄道リアス線「盛駅」の「希望のタネをまこう!」プロジェクトで配布している「ヒマワリのタネ」と、鉄道ルポ漫画「鉄子の旅」シリーズ漫画家による。三鉄応援企画スタート予告!「希望のタネ」プロジェクトは、東日本大震災の復興支援を目的に発足して、今年で9年目の活動。 #岩手 https://t.co/BhVPzSyvce
三陸鉄道リアス線「盛駅」側にある「ちっちゃなクレープ屋さん」は、知ってたけどやっぱ、現在は土日のみの営業だったのでしたー。「三陸鉄道リアス線」開通を応援する。「三鉄ポンポンクレープ」食べたかったなあ。三鉄応援寄付金もついてるでしたー。 #岩手 https://t.co/KebZEcgpf1
盛駅から徒歩5分。ピンクと白のストライプが可愛らしい、ちっちゃなお店。その名も『ちっちゃなクレープ屋さん』です。甘い香りにいざなわれて、お店の中にレッツゴー♪
JR東日本・大船渡線「盛駅」
BRT路線にて運行
JR大船渡線「陸前高田駅」
以前は陸前高田市役所仮庁舎前にあった陸前高田駅。
市からの要望により、2018年4月1日に同市の新中心市街地であるこの場所に移転。
同年9月に駅舎前に交通広場が整備され、BRTの乗降場が設置された。
2016年1月に陸前高田市役所仮庁舎周辺を訪問した時の様子です。
陸前高田市役所仮庁は、2011年5月16日より業務を再開したプレハブ庁舎のままで、現在(2019年4月)も当時のまま、プレハブ庁舎で業務を行っています。
新庁舎は、2020年に完成予定とのこと。
津波区域に新庁舎建設へ 岩手・陸前高田 共同 2017/6/12
東日本大震災の津波で庁舎が全壊した岩手県陸前高田市の市議会は12日までに、津波が押し寄せた区域に新庁舎を建設する条例改正案を可決した。市は防潮堤整備や土地のかさ上げで「東日本大震災クラスの津波が来ても浸水しない」としているが、不安視する市民もいる。
建設場所は、2019年夏に移転する予定の市立小学校の跡地。震災時は校舎1階が津波で浸水した。今年4月に開業した大型商業施設に近く、市街地を活性化したい地元商工会が要望していた。
可決後、市職員だった長男と長女が犠牲になった戸羽初枝さんは取材に「津波が小学校まで来たという事実は変わらない。どんなことがあっても賛成できない」と訴えた。戸羽太市長は記者団に「懸念が払拭できるよう議会や市民と話し合いたい」と述べた。
市は3月の議会にも同じ条例案を提出したが、庁舎移転に関する条例の可決に必要な3分の2以上の賛成を得られなかった。今回は、庁舎の高さを当初計画の4階建てから7階建てに変更し、津波対策を強化すると説明、議会の理解を得た。
海に近かった同市の庁舎は津波にのまれ、庁舎外にいた人も含め100人以上の職員が犠牲になったほか、行政機能がまひした。現在は高台の仮庁舎で業務をしている。
陸前高田市「アバッセたかた」
東日本大震災の津波被害を受けて土地嵩上げが行われていた岩手県陸前高田市の中心部に2017年4月27日にオープンした複合商業施設
陸前高田 アバッセたかた&市立図書館紹介プロジェクト
「ふるさといわて創造プロジェクト」により、岩手大学・岩手県立大学らの学生が、そして明治学院大学の学生も協力して、アバッセたかたの専門店街と市立図書館を取材し、お店の紹介と震災からの歩みを綴ったブログを作成しました。
http//abassetakata.biogspot.jp/
陸前高田市気仙町「奇跡の一本松」
東日本大震災の津波に耐えた岩手県陸前高田市の「奇跡の一本松」の復元作業が終わり、2013年7月3日に完成式典が開かれた。
「奇跡の一本松」後継樹育成成功 復興のシンボルへ 日刊スポーツ 2019年3月9日
東日本大震災で津波の被害を受けた貴重な樹木の苗木を残し、育てて被災地に帰郷させる復興支援に心血を注ぐ研究者がいる。住友林業森林・緑化センター長の中村健太郎さん(52)は、津波に耐えたが枯死しモニュメントとなった、岩手県陸前高田市の「奇跡の一本松」の後継樹の育成に成功。成長する苗木の帰郷の目標を20年に定めた。
◇ ◇ ◇
中村さんは「奇跡の一本松の後継樹を、10年目に入る一区切り…来年には古里に帰らせられる」と、かみしめるように言った。東日本大震災で発生した大津波で、350年にわたって植林した約7万本あるといわれた名勝“高田松原”の松は、1本を残して全て姿を消した。唯一、残った奇跡の一本松も、海水に10時間以上漬かったため根腐れを起こし、枯死した。その遺伝子を未来につなぐ日々は、困難の連続だった。
名木の保存、育成に取り組む住友林業に陸前高田市から要請があり、中村さんは震災直後の11年4月22日に現地に入った。奇跡の一本松から枝を採取し、ホテルの風呂に水を張って一晩、水を吸わせて茨城県つくば市の研究所に輸送。別の松の幹に接ぎ木してクローン苗を3本育成した。
種からの育成にも挑戦しようと、樹上に辛うじて残った1000個の松ぼっくりを採取した。研究員たちと1つ、1つペンチで割ったところ、大半の種がすでに飛散していたが、飛散できず根元に残った75粒を回収できた。75粒は自然界では本来、生き残れない未成熟の種。通常より一回り小さく、表面も乾き、状態は悪かった。
中村さんは11年の秋、研究所内で一部の種をまいた。18個の種が発芽し、苗を外の畑に出したが、13年までに全て枯れた。再度、13年春に種をまいたところ9個発芽した。温室の中で30センチくらいまで育った段階で畑に出すと、7本が順調に育ち、1メートル50センチ程度まで伸びた。クローン苗も3メートル程度まで伸びた。
東日本大震災から8年が経過した今、奇跡の一本松の“子ども”は10本しかない。中村さんは「本体が枯れて、接ぎ木も種も、もう何も取れない。慎重に育てた。盆も正月もなく水をやりに来ました」と振り返る。
その裏には復興への思いがあった。「うちは木でしか、お役に立てない会社。仮設住宅を木造で建てる中、生きた木を通じてお役に立てないかと思った。復興のシンボルとして被災地の人に喜んでほしい」。中村さんは切に願った。
震災遺構「陸前高田市立気仙中学校旧校舎」
2021年度までに内部見学が出来るように進められている。
岩手県は11日、国や県が整備する陸前高田市の高田松原津波復興祈念公園内にある震災遺構5件のうち、旧気仙中校舎と旧道の駅「タピック45」について、見学者向けに内部を公開する方針を明らかにした。市が改修工事を進め、2021年度の公開を目指す。3階建ての旧気仙中は津波で屋上まで浸水したが、生徒は避難して無事だった。県によると、教室は学習机などが散乱したままで、黒板の板書も被災当時の状態で残されている。旧道の駅は鉄筋コンクリートの外壁が大破した。内部には高田松原から押し流されてきた松の木が横たわっているという。両遺構は所有、管理する市が安全確保のための改修工事を担う。 2018年12月12日
JR大船渡線「鹿折唐桑駅」
「鹿折地区土地区画整理事業完了記念碑」
かつては中みなと町の旧みなと公園にあったもの。
東日本大震災の津波で大きく傷ついたが、復興を果たした鹿折地区を見渡すこの地に再び建立された。
「鹿折地区土地区画整理事業完了記念碑」と「鹿折唐桑駅」
気仙沼署「鹿折駐在所」
東日本大震災の津波で被災した気仙沼署の鹿折駐在所が気仙沼市新浜町に移転新築して業務が始まり、3日に現地で開所式があった。敷地には津波からの避難誘導中に殉職した当時の所長門馬勝彦さんの慰霊碑も完成した。被災した旧駐在所から南西約10メートルの場所にできた。所内には門馬さんの遺影も掲げられた。入り口前にある門馬さんの慰霊碑は、地元の自治会や気仙沼署員らの寄付金で建てられ、犠牲になった地域住民を悼む意味も。津波で全壊した駐在所は、2011年12月に中みなと町にあった店舗跡に入居して業務を開始。15年7月に同市西八幡町のプレハブ仮設庁舎に移った。 2019年04月04日
気仙沼市錦町「津波記憶石 〜未来への伝言〜」 2017年11月に建立。東日本大震災の津波の教訓を伝える。石柱に地元の中学生ら82人が寄せた津波への教訓や将来への誓いが刻まれている。 #宮城 https://t.co/sMLNlJ9tPx
気仙沼市「ホテル望洋」
東日本大震災後の復旧復興関連の記事で何度もみかけていたホテル。2017年の3月いっぱいで営業を終了した。
宮城・気仙沼の「ホテル望洋館」倒産 震災直後に被災者受け入れる 産経新聞 2018.4.25
東京商工リサーチによると、宮城県気仙沼市魚町の「ホテル望洋館」(加藤英一)が仙台地裁気仙沼支部から破産手続きの開始決定を受けた。負債総額は約7億円。
同社は気仙沼市の高台でホテル望洋を経営。平成23年3月の東日本大震災発生直後から約70日間、避難所として被災者を受け入れた。接客業務が被災者のケアに生かされるなど、宿泊施設の緊急時への準備や対処の指針となり、全国旅館ホテル生活衛生同業組合連合会(全旅連)主催の第17回「人に優しい地域の宿づくり賞」で最優秀の厚生労働大臣賞を受賞していた。
昭和39年に設立。多くの観光客が訪れたほか、地元市民の結婚式や会合の場としても利用され、平成3年2月期には売上高7億6500万円を上げていた。
しかし、その後は観光需要の落ち込みや施設の老朽化などで減収に転じた。震災で津波の被害を免れ、復旧工事関係者やボランティアの利用で一時的に業績が回復したが、昨年3月に営業を終了していた。
気仙沼市「五十鈴神社」
気仙沼市「気仙沼プラザホテル」
湾周囲の工事も落ち着いた様相の気仙沼湾
出典元:YouTube
気仙沼湾を廻る通りには、まだ立ち入り出来ない箇所もあります。
気仙沼市「旅館 大鍋屋」本館
「大鍋屋」さんとつったら、アニメ「Wake Up,Girls!」では菊間夏夜たんの実家として描かれ、声優ユニット「Wake Up, Girls!」のメンバーも実際に訪れたところ。「Wake Up, Girls!」とは深く関わり合いがあるとこだったんすけど、その声優ユニット「Wake Up, Girls!」が、2019年3月8日のさいたまスーパーアリーナでのラストライブをもって解散してしまったんすよ。
2017年12月に気仙沼を訪問した時の様子と、それ以前の訪問時の様子。そして、「Wake Up, Girls!」の紹介もこちらに。
そして、その3月8日のラストライブ会場に飾られた、アニメ「Wake Up, Girls!」メンバーの等身大ポップが、なんとここ「大鍋屋」さんに飾られることになったんすよね。
「WUG!等身大ポップフラワースタンド、送らせてください!」実行委員会@WugFinalPop
ただいま、お花屋さんにお伺いさせていただきました。
ご相談の末、今後のスタンドポップの取り扱いについてですが、こちら全てのポップ、そして特注の菊間夏夜卒業証書を、大鍋屋本館様に寄贈されることとなりました!
今後はこちらをご覧になる際には大鍋屋様へ是非お越しくださいませ…! https://t.co/YMLC39Z1rE
Wake Up,Girls!の皆様、これまでの輝かしいご活躍、お疲れさまでした。
全国のワグナーさん、熱い応援、本当に有難うございました。
皆様の活動と熱意に押され、長く重い道のりでしたが、ここまで歩むことができました。心から感謝申し上げます。皆様のさらなるご活躍を祈念いたしております。大鍋屋
「WUG!等身大ポップフラワースタンド、送らせてください!」実行委員会@WugFinalPop
皆様、大鍋屋様より、ひとまず仮にという形ですが、等身大ポップを並べていただいた写真が届きました!
(到着はされていたのですが、大口のお客様がいたりとお忙しかった関係でこのタイミングでお写真をいただきました)
非常に壮観ですね…!! https://t.co/ztYsF8PAqr
「WUG!等身大ポップフラワースタンド、送らせてください!」実行委員会@WugFinalPop
しかし、あまりに大きいため、常時展示することが難しいとのことです…。
そこで、こちらの条件にて展示させていただくこととなりましたご了承下さいませ。
ただ、今度のGWには特別に大広間に常設していただけるとのことです!
是非GWは大鍋屋様へご宿泊くださいませ! https://t.co/MCBX5Z1EOz
宿泊予約時に、等身大ポップのことなんかを質問していたぼきは、早速、等身大ポップが飾られている広間に連れてってもらっちゃったっす。なんの説明もないままだったんでびっくり!サプラーイズ!ってやつっすね!そしてさらに、連れてってもらったのが、菊間夏夜たんグッズがあちこちに飾られてる「かやたん部屋」!べ、べつに、「Wake Up, Girls!」なんて好きなわけじゃないから普通の部屋でよかったんだけどね。ほんとなんだからね!
言の葉 青葉 「素晴らしき仲間たち」
出典元:YouTube
「Wake Up, Girls!」の楽曲で一番好きなのは「言の葉 青葉」。TVアニメ「Wake Up, Girls!」エンディング曲で、震災後の仙台の町並みが映し出されていました。
Wake Up, Girls!、ラストライブに13,000人が集結! 最後は「タチアガレ!」熱唱 アニメ!アニメ!
3月8日、声優ユニット・Wake Up, Girls!(WUG)のライブ「Wake Up, Girls! FINAL LIVE ~想い出のパレード~」がさいたまスーパーアリーナにて行われた。WUG史上過去最多となる13,000人のファンが詰めかけ、トリプルアンコールが飛び出す大盛況となった。
Wake Up, Girls!は2014年に発表されたアイドルアニメから派生した声優ユニットである。アニメで役柄を演じる7人のキャスト(吉岡茉祐、永野愛理、田中美海、青山吉能、山下七海、奥野香耶、高木美佑)は、現実世界でも声優ユニットとしてアーティスト活動を展開してきた。
初のさいたまスーパーアリーナ公演の冒頭は、7人の少女が出身地から東京に上京しSSAのステージに立つまでのムービーが流れ、原点といえる制服衣装でメンバーが登場。始まりの曲「タチアガレ!」が披露され、イントロの「Wake Up, Girls!」のコールで会場は一気に盛り上がりを見せる。
女性歌手・May‘nとコラボした楽曲「One In A Billion」では、7人のメンバーカラーに加えて、May’nを表す白色が加わった8色のスポットライトがステージを照らす。そして「May‘nちゃん私たちに出会ってくれてありがとう!」とメンバーが感謝を口にして、ファンの涙を誘った。
スペシャルコーナー「出張版WUGちゃんねる!」では、今回だけの撮り下ろしミニ番組が公開。「長年行ってきた番組をぜひFINAL LIVEでも行いたい、WUGらしい賑やかな姿を見てほしい」というメンバーたっての希望が叶った企画だった。
クライマックスでは吉岡茉祐が「2013年に結成されてから6年が経ちます。今日が最後の日になります。この6年間いろいろな想い出がありました。その想い出と一緒にこの曲を聴いてください」と「さようならのパレード」を披露。メンバーの手書きによる歌詞が次々にスクリーンに映し出され、最後の7人分の「また会いたいんだ」が印象的なラストとなった。 2019年3月9日
Wake Up, Girls!公式@wakeupgirls_PR
本日3/31で声優ユニットとしてのツイートもこちらで最後になります。
※今後もこちらのアカウントでは作品や商品情報等のお知らせを継続予定です。
ファンの皆さま、引き続き各メンバー個人への応援もどうぞよろしくお願いします。
以上、Wake Up, Girls!でした!
ありがとうございました!
#WUG_JP https://t.co/5nUbCOASff
東日本大震災で被災した気仙沼市内湾地区で、官民出資のまちづくり会社「気仙沼地域開発」が整備した観光集客施設「迎(ムカエル)」が15日、本格的にオープンした。震災前は「気仙沼の顔」だった内湾地区のにぎわいを創出する拠点としての役割を担う。施設は鉄骨3階。飲食店や雑貨店など6店が入る。海抜5.1メートルの防潮堤と一体化したような造りで、海が望めるよう、2階部分に取り付けたウッドデッキのテラスが防潮堤の頂上部分を覆う珍しい構造になっている。既に4店舗は開店していたが、同日、新たに2店舗がオープン。施設に入居する全6店舗がそろったことから、関係者がテープカットで完成を祝った。 2018年11月16日
気仙沼「かもめ食堂」さんで、胡麻油が香ばしい「サーモン丼」と、肉汁が半端ない「かもめメンチカツ」ゲッツ!「かもめ食堂」は、後継者がいないまま、閉鎖されていた老舗店の名称。このまま忘れ去られてしまうのはしのびないと、こちらの社長さんが、震災を機に、名称を受け継いだとのこと。#宮城 https://t.co/zWZCxCxV1C
「かもめ食堂」店内には、渡辺謙さんや野村克也さんらのサインが飾られています
気仙沼港に明かりともす「かもめ食堂」 9年ぶり復活オープン 2015.11.20 17 産経新聞
東日本大震災の津波で被災した気仙沼市の老舗飲食店「かもめ食堂」が19日、9年ぶりに地元で復活オープンした。市民に長らく愛され続けた店舗の再開を待ち望んだ人々らが続々と駆けつけ、名物のラーメンを味わいながら新たな出発を祝った。
かもめ食堂は昭和17年に創業。メニューも豊富な港町の食堂として、地元住民や漁師を中心にファンが多かった。後継者不在のため平成18年に閉店した後も地元のシンボルとして店舗の建物は残っていたが、津波で全壊した。
気仙沼市出身で、東京や仙台などで人気のラーメン専門店「ちばき屋」などを展開する千葉憲二さんが「4歳のころに初めて食べたふるさとの味を復活させ、復興の力になりたい」と看板を引き継いだ。24年に「新横浜ラーメン博物館」(横浜市港北区)で「かもめ食堂」ののれんを上げ、今年4月に“卒業”するまで37万杯を売り上げた。
千葉さんはかもめ食堂の名前にふさわしい気仙沼港の近くで店を復活させようとしたが、震災後の建築制限がかかる中で土地探しが難航し、その間はラーメン博物館で一時復活。建築制限が解除されるのを待って、ようやく地元でのオープンにこぎ着け、旧店舗から数百メートル離れた港に面した場所に構えた。
メニューは鶏がらや煮干しでとっただしスープに、地元特産のサンマの香油をきかせた「かもめラーメン」などのラーメン類を中心に、「カレーライス」や「サーモン丼」なども楽しめる。従業員8人のうち6人は地元で採用し、開店を準備してきた。
「気仙沼市まち・ひと・しごと交流プラザ」パーキング入口
東日本大震災で被災した宮城県気仙沼市内湾地区に市が整備する観光交流拠点施設「気仙沼市まち・ひと・しごと交流プラザ」が8日、報道関係者に公開された。愛称は「創(ウマレル)」でオープンは13日。2階が連絡橋でつながる観光集客施設「迎(ムカエル)」と共に内湾地区のにぎわい創出の役割を担う。施設は鉄筋一部鉄骨3階で延べ床面積約2400平方メートル。1階には市民の起業を促すチャレンジショップを整備。2階には軽運動室や観光客の休憩ラウンジがあり、ラウンジのピアノは誰でも自由に弾ける。3階には音楽スタジオや研修室がある。 2019年04月08日
気仙沼の賑わいは、以前から次第と内湾から離れていっていたという。それが東日本大震災を機に拍車がかかった形となった。4月7日の気仙沼大島大橋開通と共に、内湾を発着場とするフェリーは廃止される。そうした事を踏まえてなのか、ここに完成する商業施設は、どれも洒落たものばかり。気軽に立ち寄る観光客を、あまり視野に入れていないかのように感じられてしまうのだ。
古くからの気仙沼を知る者からは、昔からの気仙沼の名残りなどはなくなっていく一方だと聞かされた。東日本大震災後のここ数年の復旧していく気仙沼の姿しか知らない自分でさえも、そうした思いはある。他の被災地と比べてみても、気仙沼にそれを強く感じてしまうのはどうしてだろう。港町の風情が乏しいと感じられてしまうのは。
宮城県気仙沼市の大島と本土を結び、東北初の離島架橋となる気仙沼大島大橋(356m)が7日、開通した。島民の利便性向上や島内観光の振興に加え、非常時の緊急輸送路としての役割が期待される。東日本大震災からの復興の象徴に位置付けられ、地元の悲願が半世紀を経て実現した。大島大橋は2014年11月に着工し、18年11月に工事が完了。橋脚間の長さは297メートルで東日本最長のアーチ橋となる。橋を含む5.5キロが今回開通した。全区間の完成は20年度を予定している。大島は人口2447(2月末現在)で東北最大の有人島。橋の開通で本土との交通手段だった定期フェリーの運航は、7日夜で廃止された。2019年4月8日
内湾地区には震災前、市随一の繁華街があった。同社は地区のにぎわいを復活させようと3施設の建設を計画。昨年11月に観光集客施設「迎(ムカエル)」がオープン。今年10月には鮮魚店などが入る「気仙沼スローフードマーケット(仮称)」が開店する予定。 2019年03月09日
2019年4月4日(木) 気仙沼にオープンした震災遺構見学、そして一気に小高へ!
気仙沼市「旅館 大鍋屋」から眺めた気仙沼湾周辺
出典元:YouTube
東日本大震災からの復旧工事が進められています。
「Wake Up,Girls!」等身大ポップ
昨年伺った、こだわり餡子のたい焼きがめっちゃ美味しかった気仙沼の「おのでら商店」さん。グーグルマップで見てっと、元あった店舗の場所で営業してるみたいな記載されてっけど、まだ昨年と同じ仮説店舗での営業をしてるってことだったっす。店舗での営業再開に向けて、がんばってくださーい。また美味しいたい焼き食べに行きまーす
宮城県気仙沼市魚市場前1−36 おのでら商店
気仙沼「旅館 大鍋屋」
美味しい朝食で腹いっぱい。また食べすぎちゃったわ。
今回もお世話になりましたー。
気仙沼市唯一の銭湯「友の湯」 創業60年以上。東日本大震災発生後の3月24日に営業を再開。被災された方々や、多くのボランティアの方々に、貴重なひとときを提供してくれて来ました。 #宮城 https://t.co/IfE1MOUVOo
昨年伺った際には、ご主人さんに震災時の貴重なお話をたくさん聞かせて頂きました。応援してまーす
東日本大震災後、宮城県気仙沼市に移住した若者たちが市内に唯一残る老舗の銭湯「友の湯」を拠点に、街を活気づけようと奮闘している。近所の飲食店と協力し、風呂がある2階建ての施設を丸ごと使ったイベントを開催し、住民に歓迎されている。若者たちは「皆が楽しめる空間をつくりたい」とアイデアを練っている。「いい風呂の日」の今月26日、銭湯1階の男女浴場でそれぞれ、ミニコンサートがあった。2階の個室では、マッサージや雑貨の販売ブースを設置。近くのスナックで買ったつまみや飲み物を持ち込み、くつろげるスペースをつくった。約60人が訪れ、演奏や他の客との交流を楽しんだ。 2018年11月30日
気仙沼市古町にある同市唯一の銭湯「友の湯」で、鹿児島県阿久根市の特産ボンタンを湯船に浮かべる「ボンタン湯」が行われている。10日まで。直径15センチほどの鮮やかな黄色のボンタンが男湯と女湯に計21個浮かび、かすかな香りも。阿久根市によると、1975年に550戸あったボンタン農家は現在6戸。年間生産量は1600トンから130トンに激減した。新たな可能性を探ろうと市内の農家後継者と地域おこし協力隊が2016年に「B(ボンタン)プロジェクト」を結成。同じく利用者の低迷や後継者不足に悩む銭湯業界と協力し、17年から全国の銭湯で「ボンタン湯」を展開している。友の湯は東北で初めての実施。2019年3月8日
宮城県気仙沼市で半世紀以上(Since 1958)に渡り営業している公衆浴場「友の湯」の公式ホームページです。ぜひ、ご来店お待ちしています。
JR大船渡線・気仙沼線「気仙沼駅」
JR気仙沼線「陸前階上駅」
ここから徒歩で、「気仙沼市 東日本大震災遺構・伝承館」へ向かいます
気仙沼市・震災遺構「宮城県立気仙沼向洋高旧校舎」
出典元:YouTube
「東日本大震災遺構・伝承館」として、2019年3月10日から公開が始まった。
気仙沼市「東日本大震災遺構」 宮城県立気仙沼向洋高旧校舎を震災遺構として保存し、2019年3月10日に一般公開を始めた。隣接する「伝承館」と合わせて、内部を見学して回ることが出来る。 #宮城 https://t.co/2hJWOKzU1K
気仙沼市・震災遺構「宮城県立気仙沼向洋高旧校舎」4階にある錆びたレターケース 床から25センチのところまで錆びが特に目立っている。この高さまで、津波が到達したことがわかる。地上からの高さは約12メートル。 #宮城 https://t.co/KaiYWSsOys
「宮城県立気仙沼向洋高旧校舎」屋上
「屋内運動場」
気仙沼市「震災伝承館」では、東日本大震災発生直後の映像や、その後の復興に向かう人々の様子や、困難を乗り越えようとする人々の証言などが紹介されている。また、ここを訪れた者が寄せた感じられた思いも記され、ここで交流が生まれ得ることに重きを置こうとしているのだろうと感じられた。 #宮城 https://t.co/cIgI6gJd5N
気仙沼市「東日本大震災遺構・伝承館」前の敷地には、現在のところ、パークゴルフ場建設が決まっている。決定までには当然、地域の方々とによる話し合いが行われたわけで、その上での決定であり、ここが、人々の集いの場になって欲しいとの思いも込められているのだろうと感じられました。 #宮城 https://t.co/JdBriCLciX
「震災伝承館」内では、2004年のスマトラ沖地震の被災地であるインドネシアのアチェの子どもたちの絵を展示した、被災地間交流展示「アチェの子どもアート」も行われていました。被災地間交流は、2013年から行われているものです。
宮城県気仙沼市が同市波路上瀬向に整備した「気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館」が10日、開館した。宮城県内外から集まった約1000人が、津波に遭った気仙沼向洋高の旧校舎を回りながら、震災の教訓を胸に刻んだ。来場者は4階建ての最上階まで浸水した南校舎や乗用車が折り重なる渡り廊下などを見学。伝承館では津波や被災者の思いを伝える映像を視聴した。来場者の多くは高校、大学生ら若い世代。伝承館で上映している階上中卒業式の映像で答辞を読んでいる梶原裕太さんは、オープニングセレモニーの来賓で出席した。 2019年03月11日
宮城県気仙沼市が同市波路上瀬向に整備した「気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館」が10日、開館から1カ月を迎えた。年間見込みの1割以上に当たる約8200人が訪れ、震災遺構の旧気仙沼向洋高校舎や津波の脅威を伝える映像シアターで震災の教訓を学んだ。9日現在の来館者は8266人。1日平均276人で土、日曜が464人、平日191人。開館日の3月10日が1053人と最も多く、次いで3月17日の670人だった。平日で雨だった3月11日は494人。北海道から沖縄県までの全国各地をはじめ、海外からの来館も。市は初年度に7万5000人の来館を見込み、今後は教育旅行や修学旅行の誘致に力を入れる。 2019年4月11日
【2019年3月10日(日)オープン】気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館は、将来にわたり震災の記憶と教訓を伝え、警鐘を鳴らし続ける「目に見える証」として活用し、気仙沼市が目指す「津波死ゼロのまちづくり」に寄与することを目的としています。
JR気仙沼線「陸前階上駅」
「気仙沼向洋高等学校」新校舎
2018年8月24日に入校式が行われた
東日本大震災の津波で被災した気仙沼向洋高の新校舎が気仙沼市長磯牧通に完成し、24日に授業が始まった。同市九条の仮設校舎から移った353人の生徒が新たな一歩を踏み出した。体育館で新校舎への入校式があり、生徒、地域住民らが校舎完成を祝った。新校舎は旧校舎から内陸側へ約1.5キロ移転した。航海技術や無線、ダイビング、溶接などを学ぶ実習室のほか、仮設校舎にはなかった食堂を備えた。同市波路上にあった旧校舎は最上階の4階まで浸水。約8キロ離れた気仙沼高第2グラウンドを借り、2011年11月からプレハブ仮設校舎で学んできた。 2018年08月25日
「南三陸ハマーレ歌津」は、JR気仙沼線「歌津駅」側にある商店街。2017年4月23日にオープンしました。
南三陸ハマーレ歌津は、宮城県南三陸町歌津地区に立つ海を一望、木の温もり感じる商業施設。南三陸海岸I.Cから車で約10分、国道45号線沿いでアクセス良好。飲食店、カフェ、スイーツ、お土産、魚、野菜、酒、食料品、衣料品、釣具、電器等を取り揃える店舗が並び、駐車場、トイレ有。ベンチ等でゆったりとした時間を過ごせます。
JR気仙沼線のバス高速輸送システム(BRT)の新駅「志津川中央団地駅」が1日、宮城県南三陸町志津川新井田に開業した。町内のBRT駅は「ベイサイドアリーナ駅」に次いで2カ所目。町内外の移動手段として利便性向上が期待される。現地であったオープニングセレモニーに関係者約30人が出席。町民を対象に志津川中央団地-志津川間でバスの体験乗車も行われた。新駅設置に伴い、南三陸町の志津川-清水浜間の運行ルートを変更。ベイサイドアリーナ駅の名称が「南三陸町役場・病院前駅」に変わった。 2018年07月02日
宮城県南三陸町は4日、東日本大震災で被災した志津川地区で整備中の町道「復興拠点連絡道路」が26日に全線開通すると発表した。町が防災集団移転促進事業で高台に造成した志津川東、志津川中央、志津川西の3団地が結ばれる。最後に残っていた西工区は、西団地から国道398号の志中大橋交差点までの約120メートル。同工区の工事が完了して復興拠点連絡道路が全線開通することで、西団地から中央団地近くのショッピングセンターや、東団地周辺の町役場に向かうアクセスが容易になる。復興拠点連絡道路は2013年11月に着工し、総延長約2.4キロ。 2019年04月05日
写真は撮れなかったんすけど、BRT車両内から、アニメキャラクターが車体に描かれた移動図書館車「たんぽぽ号」を目にした時は、やっぱインパクトあったっす。
南三陸町「南三陸病院」
2015年12月14日に開院した
日本政府観光局は24日、東日本大震災の支援をきっかけに台湾と交流を深める南三陸町に、台湾・台北市で昨年12月にあった東北のPRイベントで制作されたブロック玩具「レゴ」の作品を贈った。「希望の芽」と名付けられた作品は高さ約120センチ。日本と台湾の絆の象徴として、レゴ社公認作家で台湾出身の黄彦智さんが約5万個のブロックで作り上げた。展示場所となる同町の南三陸病院で除幕式があり、日本政府観光局市場横断プロモーション部の広瀬正彦次長が「交流のシンボルとして両国の人に見てもらいたい」とあいさつした。作品は2月から仙台空港やJR仙台駅で展示され、南三陸町が寄贈先に選ばれた。 2019年03月26日
宮城県南三陸町の南三陸病院(旧公立志津川病院・旧公立南三陸診療所)。東日本大震災で被災し、平成24年4月15日に公立南三陸診療所を開設。同年6月1日には、登米市米山町に公立志津川病院を開設。平成26年12月14日に南三陸病院として本設復興しました。
三陸町「南三陸町役場」
2017年9月3日に開庁式が行われ、4日から業務が開始された。
南三陸町「高野会館」
南三陸町志津川にある民間震災遺構。東日本大震災発生当日、高齢者芸能発表会が行われており、帰ろうとする参加者を上層階へ避難させ、327人と犬2匹の命を救った。町からの支援が受けられない中、阿部長商店グループが保存管理を行っている。
東日本大震災の被災地で遺構の多くが姿を消す中、宮城県南三陸町では一つの建物を保存する取り組みが動き出している。海岸にほど近い冠婚葬祭式場「高野会館」。あの日、利用客ら327人が屋上に避難し、命が救われた。町は財政難などを理由に支援しない方針だが、所有者らは阪神・淡路大震災の遺構の存在から、経験と教訓を伝える「物言わぬ語り部」を残す使命感を新たにしている。831人の死者・行方不明者(関連死を含む)が出た南三陸町。高野会館は志津川湾の約200メートル先にある。8年前の激震が起きたのは、宴会場で催されていた老人クラブの芸能発表会が散会した直後だった。 2019/3/11
南三陸町「南三陸さんさん商店街」
2017年3月3日にオープンした商店街
東日本大震災で被災した宮城県南三陸町志津川の復興商店街「南三陸さんさん商店街」が3日、開業2周年を迎えた。2年間の来場者は約125万人。節目の日に多彩なイベントを通じ、来場者に日頃の感謝を示した。音楽ライブや地元のよさこいチームの演舞もあり、会場を盛り上げた。さんさん商店街は仮設商店街を経て、津波被害を受けた中心市街地を約10メートルかさ上げした造成地に2017年3月、開業した。飲食や鮮魚、日用品などを取り扱う28店が営業し、1年目は約65万人、2年目は約60万人が訪れた。町内を通る三陸沿岸道が2月に気仙沼市まで延伸した効果で、気仙沼方面からの買い物客も増えているという。 2019年3月5日
南三陸さんさん商店街は飲食店やお土産屋28軒が軒を連ねる、南三陸の大型観光施設。
南三陸町「旧三陸町防災対策庁舎」
2013年まで宮城県が管理する事になっており、まだ保存か解体かの最終決断はつけられていません。
JR石巻線・気仙沼線「前谷地」駅
気仙沼線のBRT路線はここが終点、ここから鉄道路線に乗り換えます。
JR常磐線「坂元駅」前の山元町農水産物直売所「やまもと夢いちごの郷」
2019年2月9日にグランドオープンした山元町の農産物直売所。
坂元駅は、2016年12月10日に営業を再開した。
東日本大震災で被災した宮城県山元町のJR常磐線坂元駅前で9日、農水産物直売所「やまもと夢いちごの郷」がグランドオープンした。冷え込む中、大勢の買い物客が足を運び、町特産のイチゴやリンゴを買い求めた。店内には飲食スペースもあり、家族連れが地元産の果物を使ったケーキを味わうなどした。開店に先立ってオープニングセレモニーがあり、テープカットや地元和太鼓グループの演奏で営業開始を祝った。津波で全壊し、仮設店舗で営業していた直売所「夢いちごの郷」の再建と位置付けられる。町内5カ所のイチゴ狩りの受け付け、町の観光案内も担う。 2019年02月10日
JR常磐線「新地駅」
2016年12月10日に営業を再開
新地駅前フットサル場「スマイルドーム」
2019年3月24日に落成式が行われた
利用開始は4月下旬予定
新地町文化交流センター「観海ホール」
新地町複合商業施設「観海プラザ」
2019年3月に完成した新地町複合商業施設。
施設の名称はそれぞれ公募により決められました。
かって新地駅近くには、明治5年に学制頒布される直前に開校した、福島県で最も古い共立学校「観海堂」がありました。萱葺き屋根の建物で、福島県史跡に指定されていましたが、東日本大震災の津波によって流失してしまいました。
新地町が東日本大震災からの復興拠点の一つとしてJR新地駅周辺に建設を進めてきた複合商業施設「観海プラザ」が13日までに完成した。同日は、同町の菊地美加さんが美容店「Le ciel(ル シエル)」の営業を開始した。菊地さんは「被災した町を盛り上げる力になれれば」と力を込める。駅周辺は沿岸部に位置し、施設からは太平洋を望む。震災の津波で相馬市の祖父母を亡くした菊地さんは、「海の近くで店を出すことに初めは抵抗もあった」という。だが、「若い力で復興の手助けをすることができるのではないか」と出店を決めた。同駅周辺は2年ほど前まで、津波による被害でほとんど建物がない更地だった。 2019年03月14日
新地町がJR新地駅周辺で進めている開発事業で、駅東口の新地駅前フットサル場(愛称・スマイルドーム)が完成し24日、現地で落成式が行われた。4月下旬の利用開始を予定している。町が復興の象徴として液化天然ガス(LNG)を利用して進めるスマートコミュニティー事業で発電した電気を使用する。周辺ではほかにも文化交流センターやホテル・温浴施設などの施設が新年度にかけてオープンする予定。スポーツ施設は約2000平方メートル。フットサルやテニスコート2面分で、バスケットボールなどでも利用可能。NTTドコモ東北支社が施設の備品を寄贈した。落成式に合わせてフットサル教室が開かれた。 2019年03月25日
JR常磐線「小高駅」駅舎内
小高駅の新入生を祝福する飾り
JR常磐線「小高駅」
2016年7月12日に営業を再開
南相馬市小高区「双葉屋旅館」
2016年7月12日の小高区の避難指示解除に伴い営業を再開
おかえりなさい!小高で元気に営業しています 南相馬市小高区は、2016年7月12日に避難指示が解除され、それにともない本館も営業を再開することとなりました。小高の再生のため、旅館を運営するだけではなく...と話し始めると長くなってしまうので、詳しくは実際に来てみてください。
南相馬市小高区に2月21日にオープンした「ダイナーボンズ」さんで、「とんかつ定食」ゲッツ!地元産の豚肉や野菜を使用してるっつうことっすけど、かなり美味いっす!たっぷりのキャベツの千切りも嬉しいっす!まじで食後に、もう一食食べたくなるほどだったっす。みんあも食べに来てみてねー #福島 https://t.co/zWCb22V3uD
南相馬市小高区産の食材にこだわった定食などを提供する飲食店「ダイナーボンズ」は21日、同市小高区でオープン。地産地消の食の拠点の誕生に、店長の鈴木秀央さんは「小高の人がのんびりできるアットホームな店にしたい」と前を見据える。東日本大震災と東京電力福島第1原発事故前、同店のオーナーを務める鈴木さんの父一男さんが営んでいたスーパー「すずき・ミート」を改築し、飲食店へ転業した。店名も変え、小高区の住民が再び地元で結束するようにと、絆という意味を持つ「ボンズ」を入れた。お薦めは地元産の豚肉や野菜などをふんだんに使っている「とんかつ定食」。 2019年02月21日
震災後復旧もままならない小高区ですが、H25年4月より小高区にある「ふれあい広場」が再開しました。 管理人である チーバくん より小高区にまつわる最新情報を発信します! お近くにおいでの際には、是非ご来館ください!
まちの記憶を未来へ繋ぐために、神戸大学槻橋研究室で福島県南相馬市小高区の模型を製作し、記憶の街ワークショップを実施しました。
WSの最終日には、WS会場を、震災から4年を迎えるにあたり製作される番組「明日へー支えあおうー震災から4年 つなげよう」のキーステーションとし、WSの模様は被災地各地の映像とともに、全国に中継されました。 (2015.3.1-3.8実施)
南相馬市小高区「小高交流センター」で、ぼっちで「ボルダリング」に挑戦してみた
出典元:YouTube
南相馬市が小高区本町に整備した復興拠点施設「小高交流センター」の開所式は二十六日午前十時から行われる。地元・小高郷騎馬会の合図でテープカットし、復興の象徴となる施設の誕生を祝う。オープニングイベント「にぎわい祭り」を正午から催す。午後零時半と午後三時から、それぞれ富くじ入り投げ餅を繰り広げる。午後一時からは郡山市出身、いわき市在住のシンガー・ソングライターのChano(チャノ)さんのステージがある。イベントは二十七日も行われる。小高交流センターは子どもの遊び場やトレーニングルーム、カフェ、地元農産物の直売所などの機能を兼ねる。 2019/01/26
南相馬市小高区「東町エンガワ商店」跡地 JR小高駅前の灯りがひとつ、消えてしまったまま。駅前の灯りは、灯り続けて貰いたかったなあ #福島 https://t.co/wHkCzqs9Nd
「東町エンガワ商店」は、2015年9月28日に営業開始
2018年12月5日に閉店しました
南相馬市が小高区に整備したスーパー「小高ストア」が6日、オープンした。東京電力福島第1原発事故に伴う避難指示が2016年7月、小高区のほぼ全域で解除されて以降、初の本格的なスーパー開店。「小高ストア」がオープンした前日の5日夜、JR小高駅前の公設民営仮設店舗「東町エンガワ商店」が営業を終えた。復興事業の従事者や一時帰宅の住民らの暮らしを3年2カ月にわたって支えてきた。 2018年12月07日
2019年4月5日(金) 南相馬市小高から浪江町へ!
南相馬市小高区の朝 気温は既に16度! #福島 https://t.co/7nvDBpI2Kx
JR小高駅前の「はまモビ」新規ステーション 3月15日に開始した、乗用車を共同利用するサービスの実証事業。実証事業は、浪江町、富岡町に続いて三例目。 #福島 https://t.co/B94U4m0H0L
福島イノベーション・コースト構想推進機構は十五日、乗用車を共同利用するサービスの実証事業「はまモビ」を南相馬市小高区で始めた。JR常磐線小高駅前に電気自動車「日産リーフ」一台と充電ステーションを設けた。二十四時間利用できる。利用者は専用サイトで会員登録し車両を予約する。一回最長七十二時間まで利用できる。十五分から九時間までの利用料金は一時間当たり八百円。利用時間が長いほどお得になる。実証事業は富岡、浪江の両町に続き三例目。同機構が利用状況や利用者の感想などを調査する。 2019/03/16
JR常磐線「小高駅」
南相馬市小高区「天野家住宅」
一旦は取り壊しが決定したものの、その後の働きかけにより取り壊しが撤回され、2018年11月2日に国登録有形文化財に登録されました。これまで、蔵の一部や、雨漏り箇所などの修繕は行って来ており、今後、持ち主側等と話し合いを行ったうえで、本格的な修繕を行って行きます。
JR常磐線「桃内駅」側に位置しています。
浪江駅構内にある「顔出しパネル」
浪江駅の営業再開に合わせて、神奈川県の城北工業高校デザイン科の生徒が制作した。
浪江町は、2017年3月31日に一部を除き避難指示が解除。2017年4月1日に、浪江駅の営業が再開されました。
浪江町前のカーシェアリングサービス「はまモビ」
2018年12月18日より浪江駅前にて運用を開始
福島イノベーション・コースト構想推進機構は18日、浪江町でカーシェアリングサービスの実証事業「はまモビ」を開始した。同機構は来年1月末に富岡町のJR富岡駅周辺にもステーション(拠点)を新設予定で、イノベ構想対象地域で新たな交通網をつくり、交流人口の拡大を目指す。はまモビは、全国でカーシェアリングサービス「NISSAN e―シェアモビ」を手掛ける日産自動車が運用する。浪江町で始まった実証は来年3月末までで、利用には専用サイトでの会員登録と車両の予約が必要。JR浪江駅そばの駐車場をステーションとして電気自動車(EV)リーフ4台と充電器を配置した。 2018年12月19日
浪江町の解体待機家屋
周辺では幾つもの家屋の解体作業が進められていました。この後、浪江町では、2000件ほどの家屋の解体が予定されているということ。
南相馬市小高区での申請された家屋の解体作業は、すでに終了しています。
社殿再建途中の浪江町「八坂神社」 全町避難で社殿が甚大な被害を受け、2018年7月に社殿を取り壊し、同年9月13日に地鎮祭が行われた。2019年6月完成を予定している。 #福島 https://t.co/zjl3kMUx27
浪江町「八坂神社」
浪江町「牛頭天王宮」
新しい紅白の綱が取り付けられています
浪江町「八坂神社」鳥居
浪江駅方面
現在は使用されていない路線
双葉駅方面
2020年3月までに、現在運休中の富岡駅~(夜ノ森・大野・双葉)~浪江駅間の運転が再開予定。これにより、JR常磐線全線が再開されることになります。
「浪江町役場」本庁舎
2018年12月訪問時に行われていた本庁舎の工事は終わったようです
「おそうざいとおべんとう ぽてと」
2018年5月オープン
浪江町「思い出の品展示場」
浪江町内で復旧作業を請け負っている安藤ハザマが2014年7月開設した。東日本大震災の津波で流された住民の「思い出の品」を展示し、持ち主への返還を行っています。
「思い出の品展示場」の取り組みの様子。2017年8月にお話を伺った時のまとめです。
浪江町「思い出の品展示場」 1年8ヶ月ぶりの再訪だったんすけど、すぐわかったって、覚えててくれてましたー。ぼきの紹介記事も見てくれてたって。町の現状等の貴重なお話も聞かせて頂いたっす。「陸前高田 思い出の品」さんの東京返却会を知り、こちらも頑張るぞって気持ちになったそうでーす #福島 https://t.co/m519fBd69P
1年8ヶ月ぶりの、浪江町「思い出の品展示場」への訪問。
これまでも、何度も展示場前を通ったことはあったのですが、原則こちらは土日がお休み(開店している時もあるので要確認)。ずっと、お休み日にあたっていました。
そしてようやく、今回の再訪。
今回も、いろいろとお話を聞かせて頂いたのですが、2017年8月当時とは若干、運営趣旨などに変化がみられるようになっていました。
その大きなものは、「交流の場コスモス」として、訪れる者たちを広く歓迎していきたいと重きを置いていた「交流の場」としての役割。
2017年3月31日に、一部を除く区域で避難指示解除となった浪江町では、2017年8月当時では、まだまだ町へ訪れた方々の集える場というものが不足していました。しかし現在では、浪江町内には飲食店なども随分と増え、ここ「思い出の品展示場」が、そうした「交流の場」としてとりわけ重要な役割を担う場所であるとはならなくなってきたのでした。
それでもこの場所に、自身の想いを寄せたり、ある展示物に誰かの面影を重ねたりして、訪れる方々が多くいらっしゃることも事実。
だからこそ、ここ本来の役割である、被災した浪江町の方々に「思い出の品」を返却して行くという取り組みに、より重点を置いて活動してゆきたいという思いが強くなっているのでした。
そして、東日本大震災から8年が経過し、あまり伝えられなくなってしまった浪江町の正しい現状を、多くの方々に知って貰いたいという思いも強く伝わりました。
ここ、「思い出の品展示場」では、主に震災の津波により被災した品々を扱っているために、特に、かつては町の沿岸部で暮らしていた方々との結びつきが強くなっています。これまで重ねてきた交流を通して知った彼らの想いや苦労が、決して正しく、そして広く伝えられてはいないと感じられているというのです。
浪江町沿岸部から今も離れて暮らさざるを得ない方々の正しい情報や、みなさんの想いを、もっと正しく、そして広く多くの方に知って貰いたいのだと。
ここ「思い出の品展示場」のスタッフの方は、「無」であるべきだという話をされていました。
それは、ここを訪れる方々にはそれぞれの思いの形があり、それに常に向き合って行こうと心掛ける自分たちが、そこに、こちらの認識を持ち出すのは決して良い事ではない。受け止めるべき心がどのようなものかわからないでいるうちに、形を作り上げてしまうことはしてはいけないことなのだと。
そうした意味での「無」。訪れる方こそが主体であるべきだと。そうした姿勢だからこそ、この場所に、想いを寄り添わせている方々が多くいるのだろうと感じられました。
東日本大震災から8年が経過した現在であっても、まだまだ何も変わっていないものも多くあるのだとも話されていました。
それは、ここを訪れ、ここに来たからこそ吐き出すことの出来た方々の本当の心の叫びを受け止めて、感じられてきたものからの言葉なのでしょう。
「心の復興」を遂げるには、まだまだ多くの時間が必要なのだ。
大きな災禍によって行われてきた、前例のない「思い出の品」返却事業。これまでに閉鎖を余儀なくされてきた施設もあり、この浪江町で行われている「思い出の品展示場」も、これからどうなってゆくのか、明確な道筋はないことでしょう。
それでも、現状の中で今できる精一杯を、ここを訪れる方々のために傾けているのです。
「いつ突然、天皇陛下が来られてもいいような心構えでやっている」と、スタッフの方がおっしゃていました。
1年8ヶ月前に訪問した当時よりも更に、展示物の整理がなされてもいました。
展示されている「思い出の品」の掃除は行き届き、展示場奥の場所は暗くならないように、LEDライトに変えたということでした。
前回訪問時もここに感じられた、入り易い施設、居心地の良い場所という印象。
ここ「思い出の品展示場」に密やかに訪れたいと考える方もおられるために、進んでこの施設をより知らしめるための広報を行うことはしていません。しかし、この場所を多くの人に知って貰い、より多くの方々にここを訪れてもらい、一つでも多くの「思い出の品」を、それを必要としている方の元に届けたいという気持ちは、より大きなものになっているのでした。
今回も突然おじゃましちゃったにも関わらず、いろいろなお話を聞かせていたいただいて、ありがとーございましたー。なんでぼきが勝手に、ちょっちお話の中に出て来たカンニング竹山さんに、この施設に来て貰いたいなってツイしたら、なんとお返事いただいちゃいましたー。
竹山っち!是非、この素晴らしい取り組みを行ってるこの浪江町の「思い出の品展示場」に、一度、足を運んでみてくださいねー。きっとぼきと同じよーに、コーヒーいれてくれると思いまーす。
@takeyama0330 今日、ツイッターなどやってない浪江町「思い出の品展示場」の方が、福島の為の本を発売してくれた竹山さんに、是非この施設にも来て貰いたいって話してたっす。それが、多くの方にここを知ってもらう切欠になるかもって。素晴らしい取り組みなのに、知んない方が多いんすよねここって。
「思い出の品展示場」では、返却事業に関係するこれまでの事柄などが、全て収集・保管されています。東日本大震災という未曽有の状況下で継続されてきた今事業。これは、大切で重要な資料となり得るのではないかと感じました。
3月1日〜12日、東京の原宿で富士フイルムさんにご協力をいただいてミニ返却会と震災前の風景等の写真展+被災写真の救済ワークショップを開催することになりました。
震災後の陸前高田市で開催された七夕等お祭りとまちの様子の映像等も映像で流す予定です。詳細は次のとおりです(ちらし参照)(続 https://t.co/pSlfn88dCU
震災「思い出の品」返却会 3月に原宿で 産経新聞 2019.2.20
東日本大震災の津波で流され、その後、見つかった写真など「思い出の品」を持ち主に返す岩手県陸前高田市の返却会が、3月1日から渋谷区神宮前の「富士フイルム ワンダーフォトショップ」で開かれる。同月12日まで。
返却会は、一般社団法人「三陸アーカイブ減災センター」が企画。会場では、同センターが保管する家族写真など約7万2千枚、木像やランドセルなどの物品約2800点の写真をPCで見ることができる。自分の家族が写るなどしているものは後日、郵送されるという。
返却会はこれまでも都内で複数回実施し、首都圏の避難者などが多数来訪している。今回は同会場にセンター職員が常駐しない日もあるため、会場と同市をインターネットで結んで対応する方針。
「浪江町 東日本大震災慰霊碑」
2017年3月11日、「浪江町営 大平山霊園」内に建立
大平山から眺めた「請戸小学校」
東日本だ震災の津波から逃れるために、2キロ先であるここ大平山を目指し、児童77人全員が無事に助かった
浪江町「大平山」から眺めた沿岸部
出典元:YouTube
東日本大震災による津波からの復旧工事が進められています。
浪江町「大平山の宇宙桜」
2018年4月11日に植樹された。
宇宙飛行士・若田光一さんとスペースシャトルで宇宙を旅した種から育った木の2世が、復興を願って山梨県北杜市から贈られた。
山梨県北杜市から富岡、浪江両町に寄贈を受け、両町で昨年植樹した「宇宙桜(きぼうの桜)」の苗木が八日までに初めて花を咲かせた。富岡町の曲田二号公園、浪江町の大平山霊園に植えられた。このうち、津波で甚大な被害を受けた請戸地区を一望できる大平山霊園では八日、咲いたばかりの薄紅色の花や、小さなつぼみが風に揺れていた。植樹事業は一般財団法人ワンアースによる「きぼうの桜計画」の一環。同法人は東日本大震災の記憶と教訓を風化させずに後世に伝えようと、被災市町村への宇宙桜の植樹を支援している。桜は日本三大桜の一つとされる北杜市の樹齢二千年のエドヒガンザクラ「山高神代桜」の子孫樹。 2019/04/09
「新しい道路を造っています」看板
「水産加工団地」建設地
「水産加工団地を造っています」看板
浪江町「請戸小学校」
東日本大震災の津波に襲われたままの姿を留めている。震災時、教職員に促された児童77人が避難場所である約2キロ先の大平山に向かう。途中、津波に行く手を阻まれるが、生徒らの機転により全員が無事に大平山に辿り着くことが出来た。
福島県内初の震災遺構として保存されることが2019年3月15日に正式に決定しました。
浪江町「請戸小学校」
出典元:YouTube
浪江町「請戸小学校」周辺
出典元:YouTube
植樹のための盛土も進み、堤防も大部分が完成しているようです。
東日本大震災の大津波で被災した、福島県浪江町の請戸小が福島県内初の震災遺構になることが15日、正式に決定した。保存関連を含む2019年度一般会計当初予算が同日、町議会本会議で可決された。請戸小は海岸線から約200メートルに位置し、大震災で高さ15メートルの津波が押し寄せ校舎や体育館が被災した。児童93人と教職員19人は地震直後に近くの大平山に避難するなどして全員が無事だった。町の震災遺構検討委員会が2月、教訓を伝える震災遺構として校舎を公開し保存・活用するよう町に答申していた。 2019年03月16日
浪江町請戸地区「海岸防災林の植栽」
浪江町請戸地区で行われている植樹作業
出典元:YouTube
浪江町「浪江町農協請戸支所」
「解体家屋」との表示が貼られています
「防災林造成」の盛土作業
未だ残る被災家屋
浪江町請戸「苕野神社」仮社殿 2012年2月19日に、震災前の社殿鎮座地に造営された。周辺の復旧工事が進められて、目前の道路部が掘り起こされ、通行止めの箇所もあります。 #福島 https://t.co/h0r7eSHGsj
浪江町請戸地区「苕野神社」仮社殿周辺
出典元:YouTube
「苕野神社」仮社殿は2012年2月19日に、震災前の社殿鎮座地に造営された。周辺の復旧工事が進められていて、目前の道路部が掘り起こされ、通行止めの箇所もありました。
浪江町「請戸漁港」
「荷さばき施設」及び関連施設の工事中
施設に入る希望業者がなかなか集まらないとの話を聞きました
「見晴らし台」からの眺めた「請戸漁港」
浪江町「請戸漁港」にある「見晴らし台」からの眺め
出典元:YouTube
「防災林造成の盛土を行っています」看板
「請戸漁港」から「請戸橋」を渡り、国道6号線方面へ。
更地が続くこの辺りはいつも風が吹き抜けているんすけど、この時の風つったらめちゃくちゃ強い。顔をふせて、ただ黙々と、歩を進めてたっす。
丁度この頃はダンプカーの行き交う時間らしく、もうひっきりなしに、ぼきのすぐ横をダンプカーが走り抜け続けてったっす。
浪江町「大震災内匠町復興祈念碑」
2019年3月建立
浪江町「愛宕堂」
2018年12月訪問時には改修工事中でした。
浪江町北幾世橋内匠町で行われている地域安全などを祈る伝統行事「お念仏」が、毎年10月と11月に催されている。
2018年12月に「愛宕堂」「初発神社」を訪問した時の様子です
改修工事を終えたばかりの浪江町「初発神社」 完成記念報告祭が3月17日に行われた。 #福島 https://t.co/2oShFoOo4o
2018年12月訪問時は工事中でした
本殿附棟札十五枚が県指定重要文化財
「初発神社」 境内の「第六十九回全国植樹祭記念」植木
2018年6月10日に南相馬市で行われた「第六十九回全国植樹祭」を記念した植木。天皇陛下御即位三十年もお祝いしています。
浪江町の県指定重要文化財の初発神社の改修工事竣工祭は十七日、町内北幾世橋の現地で催され、九年ぶりに境内がにぎわった。 同神社は東日本大震災で社殿と鳥居が損壊した。東京電力福島第一原発事故に伴う避難指示が二〇一七年三月に帰還困難区域を除き解除されたのを受け、田村貴正禰宜や氏子が工事を決めた。昨年六月から約七カ月かけ、社殿の床や壁などを改修した。竣工祭では、関係者約四十人が出席し報告式が行われた。装いを新たにした社殿前では、地元の幾世橋芸能保存会が男神楽を奉納した。社殿には華道家、假屋崎省吾さんが生け花を寄せた。 2019/03/18
浪江町「雷神社」
浪江町「幾世橋郵便局」
現在は閉鎖中
浪江町に咲く水仙
浪江町「延命地蔵尊」
浪江町仮設商店街「まち・なみ・まるしぇ」
全町避難が続く浪江町の役場敷地内に2016年10月27日にオープンした仮設商店街
JR常磐線「浪江駅」
2018年11月22日オープンの、浪江駅前の「かふぇ もんぺるん」で「ナポリタン」ゲッツ!なかなかの大盛り具合っす。ほんと、駅前の店舗ってのはありがたいなあって思うっす。そして、浪江町には、昼食時間を過ぎた後に食事が取れるお店ってのもまじ貴重っす。助かるっす。 #福島 https://t.co/WskGYmX6st
器は大堀相馬焼
「かふぇ もんぺるん」は、浪江町の再生を目指す一般社団法人「まちづくりなみえ」が事務所としていた1階を改装した店舗です。
浪江町「中央公園」の桜
浪江町「請戸川リバーライン」の桜並木
出典元:YouTube
夜間のライトアップが開催中。桜の花は、まだポツポツと咲いている程度でした。
福島県浪江町の「なみえ春まつり」が6日、町権現堂集会所と隣の請戸川リバーラインであった。東日本大震災と東京電力福島第1原発事故で中断を余儀なくされ、9年ぶりに再開された。夜には川沿いにほころんだ桜並木の頭上で花火大会があり、淡いピンクと光の大輪の競演を大勢が楽しんだ。今春完成したなみえ創成小・中学校の校歌など音楽に乗って約1000発が打ち上げられ、ライトアップされた桜並木を一層輝かせた。原発事故に伴う避難指示が2年前に一部解除された町が主催した。日中には特設ステージでライブがあったほか、露店が並ぶなど大いににぎわった。 2019年04月08
浪江町「常福寺」
現在は閉鎖中です
浪江町「とんかつ しが」
2017年5月営業を再開
浪江町「なみえ肉食堂」
2018年3月1日オープン
浪江町の「とんかつ しが」、「なみえ肉食堂」隣に建設中だった店舗は、「らーめん 麺屋龍次」さんだったのでしたー。また1店舗、浪江にお食事処が増えましたー。そして駅近くには、「響定食」さんもオープンしてたのでしたー。 #福島 https://t.co/j3H92GGCjP
福島県双葉郡浪江町権現堂新町45-1
いわき市にある「麺屋龍次」が2号店として、3月18日に浪江町にオープンしたこの店舗。
いわき市で避難生活を送る、浪江町出身の「麺屋龍次」常連の方から聞いていた浪江町の状況の中で、浪江町に戻った人たちが温かい食事をとれる場所がほとんどないという話に衝撃を受け、浪江町の人たちに温かくて美味しいラーメンを食べさせてほしいと言われたことで、浪江町への出店を決めたとのこと。
そして「響定食」さんは、浪江駅近くに2019年3月14日にオープン。
南相馬市原町区で「美酒彩菜 響」を営む店主さんの2店舗めのお店です。
福島県双葉郡浪江町権現堂字上続町7-1
浪江町「浪江郵便局」にある慰霊碑 東日本大震災の津波により被災した請戸郵便局を最後まで守り、亡くなられた2名の社員のために建立された。 #福島 https://t.co/vGwjYg0jcL
浪江郵便局は、2017年4月4日に営業を再開しました
日本郵便は7日、福島県の南相馬市小高区と浪江町の郵便局間で小型無人機ドローンを使った飛行距離約9キロの荷物輸送に成功した。補助者を置かない目視外飛行では国内初の取り組み。両郵便局は福島第1原発事故に伴う旧避難区域にあり、帰還者増を目指す両地元の関係者は「手を携えて復興につなげたい」と歓迎した。郵便局間のドローン輸送は毎月第2、3週の火-木曜の昼間、1日最大2往復させる。重さ2キロ以内を搭載し、地上から60メートル以下の高さを時速22~54キロで飛行する。ルート上には「頭上注意」の看板を立てた。現在小高区に暮らすのは約3000人、浪江町は約850人で帰還は進んでいない。 2018年11月8日
浪江町の住民が、外国人の集団に遭遇するという事案があった。その場では何もなかったが、明らかに不審だったという。それを警察が知ることとなったかどうかはわからないが、浪江町への不審者の流入は現在もあるという。そして更に、空き家が荒らされるということがまだ起こるということだった。
JR常磐線「小高駅」
南相馬市小高区の書店「フルハウス」に漸く入店。店舗前には何度も訪れてはいたけれど、営業時間などに合わずじまいでした。ふたば未来学園高校演劇部による舞台「静物画」の関連書籍が、大切に置かれているのが印象的。光が店内いっぱいに差し込む大きな窓。居心地の良い空間。 #福島 https://t.co/m8GAQOfW73
南相馬市小高区の書店「フルハウス」内にある、柳美里さん自らが選んだ書籍が置かれている部屋。多くの絵本や書籍の中にあった、冨樫義博「レベルE」。やっぱ冨樫さんは天才だと思うっす。「ハンター×ハンター」完結してくれー。頼む冨樫ー。お願いだー。 #福島 https://t.co/eilvSnxcUx
南相馬市小高区の書店「フルハウス」にて、柳美里著「JR上野駅公園口」を購入。南相馬市出身の男性が主人公の物語とのこと。扉を開くと柳美里さんの直筆サイン。その瞬間にも美里さんは、建物内にいる様子。作者とその作品に、不思議な親近感を抱かずにはいられない空間だった。 #福島 https://t.co/zzCrpfapNU
書店「フルハウス」は、2018年4月9日にオープン
南相馬市小高区中心部に移住した柳美里さんが自宅を改装して準備を進めていた書店「フルハウス」が9日、オープンする。3日には書籍の搬入を開始。小高区は東京電力福島第1原発事故で多くの住民が避難を続けるが、店主となる柳さんは「繰り返して来店してもらい、書店名のように満員にしたい」と意気込む。JR常磐線小高駅に近い自宅の一部約35平方メートルを改装した。3日は、柳さんが選んだ小説や児童書など約1800タイトル計5000冊が、取次店を通して運び込まれた。「図書館や書店巡り、インターネットで本ばかり見て、1週間をかけてセレクトした」と柳さん。 2018年4月4日
南相馬市小高区の自宅で書店フルハウスを営む芥川賞作家の柳美里さんが、劇団「青春五月党」を再始動させる。20代半ばからおよそ25年ぶりの演劇活動。書店併設のスペースで9月に復活公演を行う。原発事故を反映させ、大幅に書き換えた戯曲「静物画」を演出、ふたば未来学園高(広野町)演劇部の生徒が演じる。柳さんが演劇部員からオーディションで選んだ12人を指導する。フルハウスのトークイベントをきっかけに部員の1人と縁ができて実現した。新たな「静物画」では、白い防護服や放射性廃棄物を詰めた黒いフレコンバッグなどの言葉が象徴的に織り込まれ、柳さんならではの死生観が醸し出される。 2018年9月1日
柳美里さんが23年ぶりに再始動した自身の演劇ユニット「青春五月党」の復活公演第2弾「町の形見」が10月15日から南相馬市小高区の「La MaMa ODAKA」で上演される。出演するのは同市で生まれ育った70代の男女8人。彼らの記憶を同じ舞台上でプロの役者たちが演じる。今回の公演は同市で生まれ育った70代の男女8人の震災時とそれまでの人生体験の記憶を舞台上に再現する。本人たちと役者が交互に記憶の情景を演じることで語り部でもないドキュメンタリーでもない演劇世界となっている。出演する地元市民8人は柳さんがパーソナリティーを担当していたラジオ番組にゲスト出演していた人々。 2018.10.11
作家の柳美里さんが2018年4月9日にオープンしたこの書店「フルハウス」には、2017年12月にプレイベントを行い開館した劇場「La MaMa ODAKA」が併設されています。
柳美里さんは、四半世紀ぶりに自身の主宰する演劇ユニット「青春五月党」を復活させ、その「La MaMa ODAKA」で、2018年9月14~17日に戯曲「静物画」を、次いで10月15~20日には「町の形見」を上演しました。
「静物画」は、ふたば未来学園高校演劇部の生徒が演じました。柳さんが21歳の頃に書いた戯曲「静物画」を、東日本大震災発生当時小学生だった生徒たちの体験を聞き取り、大幅に書き直した作品。
「町の形見」は、地元の70代の男女8人を「話者」、東京の俳優たち7人を「演者」として出演させた新作戯曲です。
ふたば未来学園高校演劇部つったら、2017年2月に行われた舞台「数直線」の東京公演を観て以来、ぼきがずっと注目しているところ。
2018年12月に福島を訪問した時のまとめには、「第51回 東北地区高等学校演劇発表会」に出場し、「Indrah~カズコになろうよ~」で最優秀賞を受賞した、ふたば未来学園高校演劇部の様子も紹介しています。
ふたば未来学園高校演劇部は、この「Indrah~カズコになろうよ~」で、7月27~29日に佐賀県鳥栖市で開催される全国大会に出場します。
2018年9月に「La MaMa ODAKA」で上演された「静物画」は、残念ながら観に行くことが出来なかったのですが、なんとその、ふたば未来学園高校演劇部によって上演される「静物画」の東京公演が行われることになったのでした。
昨年九月の復活公演が大好評だった南相馬市小高区在住の柳美里さんの演劇ユニット「青春五月党」の舞台が三月、東京都内の劇場で再び幕を開ける。広野町のふたば未来学園高演劇部の生徒が、東日本大震災と原発事故での自らの体験を盛り込んだ戯曲を演じる。小高区で行われた復活公演。「これで終わるのは嫌だ。もっと演じたい」。あふれ出る思いを口にした生徒の願いを受け取った柳さんが都内での再演を実現。三年生の関根颯姫さんと鶴飼美桜さんにとって高校最後の公演になる。関根さんは「仲間と再び演劇ができてうれしい。不安はあるが、多くの人に見てもらえる喜びを感じながら演じたい」と決意した。 2019/1/17
そして、「静物画」東京公演に先駆けて、3月11日午前4時台のNHKラジオ深夜便では、「柳美里 原発事故に向き合い高校生と演劇上演 ~福島県南相馬~」が放送されました。作家の柳美里さんと舞台「静物画」の出演者である、現在は卒業式を終えた、ふたば未来学園高3年時の関根颯姫さんと鶴飼美桜さんが出演し、「静物画」にどのように取り組んで行ったのか、舞台にかける意気込みなどを話しました。
#NHK ラジオ深夜便「柳美里 原発事故に向き合い高校生と演劇上演 ~福島県南相馬~」 ふたば未来学園演劇部3年の関根颯姫さんと鶴飼美桜さんが出演。一番印象に残っている講師は、鶴飼さんが林修さん。関根さんが秋元康さん。復興を担う学園の中で、それぞれにプレッシャーを感じて来ていたという。
舞台「静物画」を作り上げていく過程で、震災に関わる話を引き出して行く作業はつらかったと、ふたば未来学園演劇部の関根颯姫さん。それまでは、震災の話を意図的に封印して来ていたが、次第と気持ちが楽になって行き、本番の時は、観客に聞いて貰えてるということが実感できたという。 #ラジオ深夜便
鶴飼美桜さんは、震災前の家の細かな記憶が驚くほど甦ってきた。まるで舞台が、観客と共に自分の家にいるかのように感じられた。きっと、その記憶を忘れたくないと思っていたのだろうし、人にも話したかったのだろう。そうした自身の思いを引き出してくれた柳美里さんが凄いと感じられた #ラジオ深夜便
「静物画」東京公演に向けて。東京での公演は2年前の「数直線」に次いで2度目の関根颯姫さんと鶴飼美桜さん。当時のメディアの扱いが、福島の悪い所ばかりしか取り上げておらず、それに落胆し、メデイア恐怖症になってしまったと関根さん。福島の良い面も伝えようと演じていたのに。 #ラジオ深夜便
今後、福島を知らない人に伝えるために、正しく伝えるためにはどうしたらいいのだろうか、自分の震災の思いを悲劇としか受取らない人たちに、どうしたら悲劇だけではないということを伝えられるのかということを、鶴飼美桜さんは考えているという。 #ラジオ深夜便
柳美里さんと出会う前は、人のことが怖くて全然信じられなかったという関根颯姫さん。ちゃんと自分のことを聞いてくれる人もいなかったから。美里さんはちゃんとそういうのを聞いてくれたから、自分の中には信頼関係がある。すごい信頼してて、いろいろぺちゃくちゃしゃべっちゃう。 #ラジオ深夜便
いよいよ明日15日から、福島県立ふたば未来学園高校演劇部と卒業生らによる、青春五月党「静物画」東京公演が、北千住BUoYにて17日まで行われるっす。出演者の皆さん!とりわけ、卒業式を終え、これが皆との最後の舞台になるであろう関根颯姫さんと鶴飼美桜さん。思う存分、楽しんでって下さいねー
そして行われた東京公演。
こりを見逃すはずが、ないじゃあないっすか!
上演2日目の女子版を観に行って来ましたー
南相馬市小高区在住の芥川賞作家、柳美里さんの演劇ユニット「青春五月党」の東京公演は十五日、東京都足立区の劇場「北千住BUoY(ブイ)」で始まった。十七日まで。広野町のふたば未来学園高演劇部の生徒が男女各六人のチームに分かれ、男子版、女子版各四公演を行う。初日の公演は女子版で、生徒が東日本大震災と東京電力福島第一原発事故の自身の体験を織り込んだ戯曲「静物画」を演じた。会場は観客で満席となった。十六日は男子版、女子版各二公演、十七日は男子版二公演、女子版一公演を行う。 2019/03/16
青春五月党「静物画」東京公演・女子版 柳美里さん19歳の時の戯曲「静物画」の構成を借り、ふたば未来学園高演劇部生徒らの、震災と原発事故の体験を加味し書き直された、薄れゆく震災の記憶を伝える、関根颯姫さんと鶴飼美桜さんにとり、ふた未として最後の舞台。その為、男子版はあえて観ない事に https://t.co/RfiYNi6eMD
舞台「静物画」は、出演者の東日本大震災と原発事故にまつわる記憶や感情が語られる。であるから、演者が異なる男子版では、女子版とはまた違った場面が語られるだろう。それを観られないのは残念だったが、それでも、卒業を終えた二人の最終公演として強くとどめておきたいとの思いが、勝ってしまった
徐々に忘れられ様としている震災と原発事故の記憶。今ここで伝えなければ、忘れ去られてしまうのではないかと抱く危機感。翻弄され続けて来た時の中にも、彼女たちが過ごしてきたかけがえのない日々は確かにある。そうした想いが、青春五月党「静物画」には込められている。直視できない辛い現実と共に
青春五月党「静物画」東京公演・女子版で、なおが語る、震災前の自宅とその周辺の描写。鮮明なる記憶がよみがえって来るというその語り口に、その想いがにじみ出る。そしてそれを隣で慈しみ聞き入る、まことの表情が印象的だった。自身の中にあるだけのその地の記憶を用いて、その描写を形作ろうとした
舞台奥から差し込む照明が美しい、青春五月党「静物画」。あたかも、薄暮を表わしているようなその全景を受け止めるには、舞台正面に座するのが好ましいのだろう。残念ながらサイドからの観劇となってしまい、そのさまは画像でしか確認することが出来ないが。それはまさに、崇高な絵画のそれのよう。
ふたば未来学園高演劇部が演じる、青春五月党「静物画」。震災がもたらした記憶の中を紡ぐ。和太鼓の音、テディベア。懐かしく思い浮かべる思い出、家の情景。年老いた自分と、両親へ向けられた言葉。何も無ければ、思いつかなかったかも知れない。そして思い浮かんだ「原発事故よ、ありがとう」の言葉
南相馬市小高区在住の芥川賞作家、柳美里さんの演劇ユニット「青春五月党」の東京公演は二日目の十六日、東京都足立区の劇場「北千住BUoY(ブイ)」で男子版が上演された。広野町のふたば未来学園高演劇部の男子部員による女子版とは趣の異なる熱演に観客は引き込まれた。最終日の十七日は計三公演が披露される。男子版第一回公演を終えた森崎陽さんは「初の東京での舞台に不安もあったが、みんな気合を入れて臨み、楽しみながら演じられた。このような舞台と機会を与えてくれた柳美里さんに心から感謝している」と笑顔を見せた。 2019/03/17
青春五月党「静物画」も素晴らしい舞台だったっすけど、それを思う時、どうしてもぼきん中では2年前の「数直線」を引き合いに出して来ちゃうんすよね。そしてその舞台の細部までもが、今でもありありと甦って来るんすよ。震災から6年の、今から2年前の言葉たち。時は必ず、めぐり続ける
小さかったぼくたちが、舞台で語る震災の記憶 福島・ふたば未来学園演劇部、柳美里・作「静物画」に出演 毎日新聞 2019年3月30日
置いて逃げたプラレール/車中泊で食べたアップルべークン
福島県立ふたば未来学園高校の演劇部が芥川賞作家の柳美里さんの舞台作品「静物画」に出演、15~17日、東京公演を行った。2011年の東日本大震災当時は小学生だった部員たち。セリフにはそれぞれの被災体験が盛り込まれた。出演した2年の半杭奏人さんは「小さかったぼくたちが、自分のことを振り返って語れるようになった。前に進んでいる姿を伝えたい」と話す。
「静物画」は文芸部の高校生6人の揺れ動く心を描いた物語。舞台には六つの机とイスが置かれ、ありふれた高校生のやりとりが続く。しかしその後ろでは、白い防護服姿の人たちが除染作業をしている。「2011年3月11日金曜日午後2時46分18秒、みなさんはどこでなにをしていましたか?」という問いかけに、それぞれの記憶や体験が語られる。やがて1人の死で物語は終わる。
男女二つの台本
柳さんが21歳の時に書いた台本を、東京電力福島第1原発から避難した部員たちの体験などを聞き取って書き直した。部員たちは女子と男子の2チームに分かれ、少しずつ違う台本で演じた。昨年秋の福島での公演に続き、東京都足立区の劇場での公演が実現した。
出演した「男子チーム」の部員たちに公演終了後に話を聞いた。今回「あゆむ」役を演じた2年の新妻駿哉さんは、劇の中で「大切なもの」として、避難するときに福島県大熊町の家に置いてきた「プラレール」を挙げ「あの家と庭には大切な記憶があります」と語った。「無心で、感じたことをありのまま舞台で伝えた」と振り返る。
避難後、初めて帰宅
一方、同じく大熊町から避難した半杭さんは今回、「りょう」という役を演じるにあたり、帰還困難区域に指定され、震災以来戻っていなかった自宅に一時帰宅した。「学校のプリントやおもちゃが小学3年生の時のまま置かれていた。時間が止まっていると思った」と話す。
「静物画」をきっかけに、避難した夜、車中泊をしながらおかしの「アップルクーヘン」を食べたことなどを家族と振り返った。当時の体験はそのまま「りょう」のセリフになった。「震災のことは家でも学校でもずっと話せずにいた。舞台で記憶を語ることで、普段閉じ込めていた自分をさらけ出して、心の重りを外すことができたと思う。今のぼくたちはもう、震災を引きずっている子どもじゃない。振り返って語れるくらい前に進んで成長しているんだと伝えたい」とすがすがしい表情で話していた。
ふたば未来学園高校演劇部、こりからもがんばれー。応援してるっす!
「小高駅」と「双葉屋旅館」
今日の宿も双葉屋旅館さんでーす
南相馬市小高区「小高交流センター」内の「めざせ!殿様食堂」で「準優勝とり唐揚げ定食」ゲッツ!ボリューム満点でジューシーな唐揚げに甘辛ソースがマッチして美味いっす!ダイナーボンズさんの「とんかつ定食」といい、急に小高区の美味しい食のレパートリーが増えちゃって、嬉しい限りっす!#福島 https://t.co/dsKg9QBRGH
サーフボード製作所直営店「M.S.P」
「小高交流センター」内にオープン
閉店後の店内です
福島県南相馬市小高区本町に26日開所する同区復興拠点施設「小高交流センター」の一角に、地元の室原サーフボード製作所(M.S.P)の直営店がオープンする。同社社長で県サーフィン連盟理事長も務める室原真二さんは「南相馬のサーフィン文化を発信する場にしたい」と期待を込める。同市では国内有数のサーフスポットとして知られる原町区の北泉海水浴場が7月、9年ぶりの再開を控える。室原さんは、店を通じ同海水浴場のにぎわい復活、そして海の風評払拭のために一役買いたいと願う。中学3年時にサーフィンを始めた。25歳で地元のサーフボード製作工場に入社後、2006年にM.S.Pを設立。 2019年01月26日
南相馬市小高区の金房小の二〇一〇年度卒業式が二十三日、小高区四小学校で行われた。東日本大震災と東京電力福島第一原発事故で卒業式ができなかった。当時の六年生二十一人のうち、十六人が八年ぶりの再会を喜び、決意を新たにした。震災後、卒業証書は教員が児童全員に届けた。九年越しとなった式では、当時校長だった津島義勝さん(小名浜二小校長)が改めて卒業証書を手渡し、「八年間の経験をこれからの人生に生かしてほしい」と激励した。担任だった遠藤正隆さんらが立ち合った。卒業生、教員、保護者ら約六十人が出席した。式終了後、今は使われていない校舎を訪れ、小学校の懐かしい思い出に浸った。 2019/03/24
東京電力福島第1原発事故に伴う避難指示が大部分で解除された南相馬市小高区で来年1月20日、起業家らの活動拠点となる民間の複合型施設「小高パイオニアヴィレッジ」が開所する。原発事故により一度無人となった被災地で事業を起こすパイオニア(開拓者)たちが、小高区で新たな営みを生み出す。運営するのはITベンチャー起業家ら4人でつくる小高区の一般社団法人「パイオニズム」。和田智行代表は「行政から物や人を受け取っているだけでは地域は生き残れない。地域を残していくためには、行政から独立した民間の事業を起こす必要がある」と力説する。 2018年12月22日
南相馬市は10、11の両日、同市内で、市外の人に南相馬を知ってもらうきっかけづくりとして市民が企画運営したスタディツアーを展開した。第3弾は「田舎の夜をチャラくする!手づくりDJイベント」と題して、起業型地域おこし協力隊の井上雄大さんが企画した。南相馬市小高区の小高パイオニアヴィレッジで行われたツアーには県外から9人が参加した。初日の10日は参加者が手作りでスピーカー2台を製作した。夜はDJを迎え、地域住民らと共にDJパーティーを繰り広げ、盛り上がった。 2019年2月13日
福島県南相馬市でガソリンスタンド(GS)などを経営するマツモトグループの松菱商事は、東日本大震災と原発事故後、休業している同市小高区のGSを3月に再開する。同市によると、小高区内でのGS再開は3店舗目。松本卓真社長は「小高の皆さんへの恩返しと復興に貢献できれば」と話している。同社のGSは「小高の玄関口」といわれる小高区大井の国道6号沿いに1972年9月に「三菱石油小高サービスステーション(SS)」として開所。小高SSは震災の津波で浸水して全壊し、原発事故などで長らく休業を余儀なくされた。新GSは、完全セルフの「ENEOSセルフ小高SS」としてオープンする。 2019年01月29日
塚原に本当の春を届けよう―。東日本大震災による津波で甚大な被害を受けた福島県南相馬市小高区塚原の塚原海岸で、アートの力で古里を再興しようとするプロジェクトが本格始動した。塚原行政区の住民有志らが塚原海岸アート実行委員会を昨年設立。今夏、同海岸に整備された防潮堤に、震災前の活気にあふれた塚原の様子などを描き、南相馬の復興を発信する。塚原行政区は震災、原発事故の影響で行政区の一部が住居を新築できない災害危険区域に指定された。現在、震災前の6分の1程度の住民が帰還しているが、若者の姿はない。また、海岸の防潮堤のかさ上げで、身近だった海などの自然が遠い存在となっている。 2019年03月24日
2019年4月6日(土) 南相馬市小高区から、「桜まつり」開催中の富岡町へ!
南相馬市小高区での宿は、お馴染み「双葉屋旅館」さんでしたー。柳美里さんと「フルハウス」を取材するテレビクルーも宿泊してたんすけど、情報解禁前っつうことで詳細は内緒っす。食卓には、小高で生産している「唐辛子」が並んでいまーす。お世話になりましたー。また来まーす。#福島 https://t.co/46bt3DvCUo
この日は、地域の放射線量の測定に来られたボランティアの方々も宿泊していました。放射線量の測定は、最低でも2020年までは続けたいとのお話でした。
柳美里さん取材のテレビクルーは、5月11日放送のEテレ SWITCHインタビュー 達人達(たち)「柳美里×栗林慧」のテレビクルーなのでしたー
南相馬市小高区「金性寺」
本HPは福島県南相馬市小高区にある金性寺のWEBサイトです。震災のため現在は大甕の妙仲庵にて開山しております。金性寺は改修工事を行っております。
南相馬市小高区「相馬小高神社」
南相馬市小高区「相馬小高神社」の桜
出典元:YouTube
小高に来たら会いに行くおばちゃんとこで、お茶して来たっす。おばちゃんは、小高交流センターの殿様食堂で既に食事済み。気になった点とか伝えればよかったかなだって。リピーター獲得のためにも伝えたらよかったんじゃないかなって。ダイナーボンズさんのとんかつ定食を、お勧めしときましたー #福島 https://t.co/q2muJcZ2QI
南相馬市小高区「小高交流センター」
「小高マルシェ」
地元の農産物等の直売所
「双葉屋旅館」と「小高駅」
JR常磐線「浪江駅」
ここからJR代行バスで富岡駅へ向かいます
浪江町「思い出の品展示場」
積み上げられたフレコンバック
富岡町「富岡ホテル」
2017年10月17日オープン
富岡町は、2017年4月1日に、一部を除く区域で避難指示が解除された。
JR常磐線「富岡駅」
2017年10月21日に営業を再開した
「富岡町桜まつり」会場へのシャトルバス
今日と明日(6日、7日)は、「富岡町桜まつり」開催日
富岡町桜まつり2019を下記のとおり開催いたします。ステージイベントや桜並木でのよさこい・郷土芸能等、賑やかなイベントを多数ご用意しておりますので、是非ご来場ください。
富岡町「富岡桜まつり」さくらYOSAKOI
出典元:YouTube
富岡町夜の森地区「帰還困難区域内にある桜並木」
出典元:YouTube
富岡町夜の森地区「帰還困難区域内にある桜並木」
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富岡町夜の森地区「帰還困難区域内にある桜並木」
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富岡町夜の森地区「帰還困難区域内にある桜並木」
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富岡町夜の森地区「帰還困難区域内にある桜並木」
出典元:YouTube
富岡町夜の森地区「帰還困難区域内にある桜並木」
出典元:YouTube
富岡町桜まつりは六日、富岡二中などで始まり、原発事故に伴う帰還困難区域内にある夜の森地区の桜並木が、来場者に初めて公開された。町が用意したバスに乗り込んだ町民らが、車窓越しに九年ぶりの花見を楽しんだ。富岡二中から六号国道まで約二・二キロの桜並木は、富岡二中周辺の三百メートルを除いて帰還困難区域にあるため、普段は自由に立ち入ることができない。町民らの観桜を求める声を受け、町が夜の森公園を周回する約一・五キロのコースで六日限定でバスを運行した。貸し切りバス十台が交代で時速二十~三十キロ程度で走り、桜並木のトンネルを約二十分かけて巡った。町民らは見頃を迎えた古里の桜の眺めを楽しんだ。2019/4/7
富岡町「桜まつり2019」普天間かおりステージ #福島 https://t.co/4HAYCxquSm
普天間かおりさんは、ラジオ福島での生放送中に東日本大震災に遭遇。その後、「Smile Again 0311」支援プロジェクトを立ち上げるなど、多くの支援活動を行って来ています。
富岡町「富岡桜まつり」 普天間かおりステージ
出典元:YouTube
富岡町を歌った曲「桜舞う町で」
富岡町「富岡桜まつり」さくらYOSAKOI
出典元:YouTube
富岡町「富岡桜まつり」さくらYOSAKOI
出典元:YouTube
「夜ノ森駅」方面
「富岡駅」方面
富岡町「夜ノ森駅」駅舎跡地
出典元:YouTube
2019年1月21日に駅舎の解体工事が開始。駅舎自体の解体は完了しています。
富岡町とJR東日本は21日、原発事故で帰還困難区域となっている同町夜の森地区のJR常磐線夜ノ森駅舎の解体に着手。100年近くにわたり町民の生活を支えてきた駅舎が現在の姿をとどめる最後の日となった。同駅は1921年に開設。瓦屋根の木造平屋建て約100㎡の駅舎は現在までほぼ当時の姿が保たれている。原発事故前はホーム脇に約6000株のツツジが咲き誇り駅周辺には町のシンボルの桜並木も広がるなど観光客の玄関口となっていた。原発事故で人の立ち入りが制限されてから8年近くが経過し駅舎の劣化が進んだ。除染しても屋根や柱などの放射線量が十分に下がらない可能性もあり町とJR東が解体を決めた。 2019年1月22日
二〇一九年度末のJR常磐線の全線運転再開に向けて、富岡町とJR東日本が整備するJR夜ノ森駅の新駅舎は、東西自由通路に大きな窓を設け駅のシンボルであるツツジが楽しめるようにする。JR東日本などが十五日、夜ノ森駅の完成予想図を発表した。橋上駅となる新駅は、駅東側の夜の森地区と西側の高津戸地区を結ぶ東西自由通路の中央部に設置される。東西自由通路の南側と北側に大きな窓を設け、斜面に植えられているツツジの花約六千株を楽しめるようにする。町などは、除染により枝葉を切ったツツジの再生を目指す。今年春にも着工し、二〇一九年度末のJR常磐線の全線運転再開に合わせ供用を開始する。 2019/02/16
「ヘリコプター視察飛行会場」
ヘリコプターに乗り、空から富岡町を見る「復興状況視察飛行」が4月6日に行われた。予約制で、誰でも参加することが出来ました。
富岡町 癒しランチ&BAR「カフェY」さんでひと休み。2017年6月に国道6号線沿いにオープンしたお店。そこから2019年1月に現在のスポーツセンター側に移転。店オリジナル手作り缶バッチ貰っちゃいましたー。ちょっち改良して正式グッズにしちゃえばいいのに。ママさんがいい人すぐるっす #福島 https://t.co/F5xddzE1Gk
富岡町本岡字王塚の国道6号沿いにクリーム色の洋風の店が立つ。復興の最前線で、帰還した住民や廃炉・復興事業の作業員らに憩いのひとときを届けているのが「カフェY」だ。ママこと店主の渡辺愛子さんは、地元いわき市の飲食店で働いていた際、顧客から富岡町の空き店舗を活用した出店を依頼された。震災前、富岡に縁はなかった。それでも「古里に戻ってきた人や被災地で働く人たちが互いに楽しくコミュニケーションを取れる場が必要になる。地域のコミュニティーを再生するために少しでも役に立ちたい」と出店を決心した。6月に仮オープンし、7月下旬から本格営業を始めた。 2017年11月11日
富岡町「双葉警察署」
富岡町の本庁舎での本格的な業務を2017年3月30日に再開した
富岡町「津波で被災した双葉署のパトカー」跡地 2021年開設予定のアーカイブ施設で保存するために、2019年3月28日にこの場所からパトカーは運び出された。「東日本大震災慰霊碑」は、そのままの場所にあります。 #福島 https://t.co/awX11zIeYx
2015年から展示
東日本大震災発生時、住民の避難誘導の際に、2人の警察官が殉職し、そのうちの1人は未だに行方不明
福島)被災パトカー公園から撤去 富岡 2019年4月2日 朝日新聞
東日本大震災の震災遺産として富岡町の公園で屋外展示されていたパトカーが3月28日、撤去された。震災と原発事故を伝えるため、町が新たに整備するアーカイブ施設で保存展示される予定で、修復のために一時的に別施設に移された。
パトカーは双葉署に2003年に配備された「双葉31号車」。震災時、増子洋一警視(当時41)と佐藤雄太警部補(同24)が住民に津波からの避難を呼びかけようと同町仏浜に急行した際に使用し、津波にのみ込まれた。のちに車両は無残な姿で見つかり、増子さんも1カ月後に約30キロ沖合で発見されたが、佐藤さんはいまなお行方不明のままだ。
パトカーは長く仏浜に残されたままだったが、県警から贈与された町は15年3月、「2人の使命感や勇気とともに地震や津波の威力のすさまじさを後世に伝えよう」と双葉署の隣の公園に展示。署も2人を殉職警察官として顕彰し、今年の「3・11」前後も2人をしのび、誓いを新たにする人の姿があった。
公園から撤去される被災パトカー
2019年4月2日 朝日新聞
「福島県立博物館」で平成31年2月16日~4月11日まで開催されていた、平成30年度特集展「震災遺産を考える」には、この富岡町の被災パトカーの一部であるドア部なども展示されていました。
会津若松市「福島県立博物館」 平成30年度特集展「震災遺産を考える」 東日本大震災発生から8年が経過し、これから震災遺産をどのように取り扱っていくべきなのかを問う。画像1枚目から、浪江町・新聞、富岡町・時計看板。富岡町・文化交流センター2階(再現)。楢葉町・Jヴィレッジ。 #福島 https://t.co/nP3WbKjGdn
「震災遺産を考える」展 東日本大震災による津波に破壊されたパトカーのドア部等。富岡町の公園から28日に運び出されたパトカーの一部。あの車体以外に残った部分がある事を知りませんでした。今後、パトカーの車体同様、富岡町のアーカイブ施設に移される事になるのかは、まだ未定とのこと。 #福島 https://t.co/dD3JIzJBmv
改修工事中の富岡町「龍台寺」と、割れたままも寺の銘板 #福島 https://t.co/QmT0PDjbI6
東日本大震災と東京電力福島第一原発事故で被害を受けた富岡町小浜中央の龍台寺。再建に向けて2015年1月から本堂などを解体した。
「彼岸の入り」の20日、一時全町避難した富岡町の龍台寺では早朝から多くの町民が墓参りに訪れ、先祖の霊を慰めた。帰還困難区域を除く避難指示の解除から1年5カ月が過ぎたが、町に戻った町民は人口約1万3000人の1割に満たない。郡山市で避難生活を送る男性は妻と共に先祖が眠る墓に花を手向け、手を合わせて冥福を祈った。男性は「古里で墓参りすると気持ちが安らぐ」と話した。 2018年09月21日
福島イノベーション・コースト構想推進機構は31日、富岡町のJR富岡駅周辺に、カーシェアリングサービスの実証事業「はまモビ」の新規ステーションを開設した。浪江駅周辺に既に開設しているステーションと合わせて、常磐線の不通区間「浪江―富岡間」で車の乗り捨てが可能になる。実証事業では、イノベ構想に関連する施設と拠点間を結ぶ交通ネットワークをつくり、地域産業の集積と交流人口の拡大を狙う。カーシェアリングの導入効果や採算性、課題を把握する。昨年12月18日に開設した浪江駅側では14件(1月29日時点)の利用があるという。電気自動車(日産リーフ)を4台配置した。 2019年02月01日
富岡町「わんわん・れんたかー」
富岡駅側に、2018年12月19日オープン
「富岡町消防団 第一分団」
2018年12月訪問時には、まだ建物の建設途中でした
富岡町「富岡ホテル」
今日の宿はこちら
又お世話になりまーす
富岡町での夕食は、再び「カフェY」さんまで足を伸ばして「カキフライ定食」ゲッツ!ママさんに、これまでのご苦労話を聞かせて頂いたっす。そして、ほんのわずかの間にも、地域の皆さんとの絆を垣間見せて貰ったっす。みなさんのための場所を提供出来ればっつうママさん。ほんと応援してるっす。#福島 https://t.co/jyidBRL5ck
富岡町 癒しランチ&BAR「カフェY」さんでの、食事の用意が出来るまでのこんな心遣いも嬉しかったっす。ママさんの、2017年のオープンからこれまでのご苦労は、並々ならぬもの。それを支えてくれたのもまた、地域のみなさん。まさに、富岡は負けん!っす。益々、富岡を応援したくなったっす。#福島 https://t.co/PYhIuaXNsi
ちなみに、富岡町の癒しランチ&BAR「カフェY」さんで頂いたお団子は、2018年10月にリニューアルオープンした楢葉町の「菓子処 かんの家」さんとこのお団子っす。そりゃあ美味しいわけっすね。
「カフェY」さんでのお話の途中で、チラッとお名前が出た「北川玉奴さん」。そうそう、北川玉奴さんはこちら、「カフェY」でも時折ライブを行ってるんすよね。北川玉奴さんのライブ開催日に、「カフェY」さんとこに来れたらいいんすけどねえ
富岡町「宝泉寺の枝垂れ紅桜」 桜の季節に合わせてのライトアップ。既に解体されている宝泉寺本堂跡地では、再建工事作業が進められていました。 #フォトジェニックとみおか #福島 https://t.co/Fupcl2jMfc
富岡町「宝泉寺の枝垂れ紅桜」
出典元:YouTube
富岡町「宝泉寺の枝垂れ紅桜」
出典元:YouTube
桜の季節に合わせてのライトアップ。既に解体されている宝泉寺本堂跡地では、再建工事作業が進められていました。
富岡町「宝泉寺の枝垂れ紅桜」
福島県双葉郡富岡町の花寺:紅葉山宝泉寺、福島県 双葉郡 宝泉寺別院 970-8183 福島県いわき市泉町下川字下代145-1 ☎0246-56-0180 宝泉寺 ※宝泉寺墓地(富岡町)、納骨可能です。
富岡町「富岡は負けん!」横断幕 #フォトジェニックとみおか #福島 https://t.co/LfxpBLdhco
2019年4月7日(日) 旅行最終日は富岡町から、ちょっち楢葉町へ!
前方に「富岡駅」
「夜ノ森駅」方面
富岡町沿岸部
出典元:YouTube
復旧工事が進められています
富岡町「富岡港」周辺
出典元:YouTube
富岡港の整備は進み、堤防も随分と完成しています。
富岡町沿岸部周辺 整地作業はほぼ完了。堤防工事は進み、港湾整備も進んでいます。サーファーたちがサーフィンを楽しんでいました。
富岡町「富岡港」周辺
出典元:YouTube
富岡港の整備は進み、堤防も随分と完成しています。
富岡町「富岡港」周辺
出典元:YouTube
「富岡駅」遠景
国道6号線から沿岸部まで繋がる陸橋が一部完成しています
「富岡ホテル」遠景
JR富岡駅上空を舞うヒバリのさえずり
出典元:YouTube
富岡町での宿は、お馴染み「富岡ホテル」さんでしたー。今回は桜まつり開催日ということで満室。今年も、夜の森の桜並木のライトアップを見れずじまいだったんで、今後、ホテルによる夜間臨時バス運行なんてどうすかねえ(タクシー利用は思いつかない体で)お世話になりましたー。また来まーす。#福島 https://t.co/PQss9Hm5Aq
「富岡町消防団 第一分団」の消防車
訓練を行っているようでした
「富岡町消防団 第一分団」
富岡町「東京電力廃炉資料館」 2018年11月30日オープンした、東京電力による東日本大震災における原発事故発生のメカニズムの検証結果や廃炉作業状況を紹介している施設。3度目の訪問。 #福島 https://t.co/QElE8einb8
福島第一原子力発電所 廃炉情報誌「はいろみち」
廃炉作業に携わる人物のインタビューや、関連メカニックの紹介などを紹介。
福島第一で働く社員が取材や編集を行っている。
2017年4月創刊で隔月発行。
東京電力福島第一原子力発電所の廃炉をいろいろな観点から切り取り、関係者の思いとともに伝える情報誌がある。東電ホールディングス(HD)が昨年4月に創刊し、隔月で発行する「はいろみち」だ。取材や編集を行うのは、福島第一で働く社員。最新号の取材と編集を担当した3人が誌面に込めた思いに迫った。
しんしんと雪が降る1月上旬の岩手県一関市に、東電HDの広報担当者の姿があった。福島第一廃炉推進カンパニー廃炉コミュニケーションセンター所属の川島伸介さん、吉崎沙紀さん、上野理菜さんだ。同市にある一関高専を「はいろみち」で紹介するため、福島第一から車を走らせてきた。 2018年3月12日
福島第一原発1~4号機の状況を記している配布資料
「東京電力廃炉資料館」の桜
富岡町「東京電力廃炉資料館」
「富岡町消防団 第一分団」
JR常磐線「富岡駅」
富岡駅ホームから眺めた沿岸部
復旧工事が進められています
富岡駅から眺めた沿岸部
出典元:YouTube
富岡町沿岸部にある建築物
富岡町での廃棄物処理が2018年12月に完了。
もと仮設廃棄物処理施設があった場所の近くにあった建設物。何であるのかはわかりませんでした。
2019年1月6日~7日に、福島県楢葉町と富岡町を訪れた際の様子をまとめました。
2018年8月24日には特定廃棄物埋立情報館「リプルンふくしま」が、11月5日には双葉郡8町村の情報発信施設「ふたばいんふぉ」が、11月30日には福島第1原発事故の記録と廃炉までの道筋を示す「東京電力廃炉資料館」が、富岡町内に相次いでオープンしました。
未だ全域で立ち入りが制限されている大熊町に隣接する同町が担う役割の大きさが感じ取れます。
JR常磐線「竜田駅」駅舎
楢葉町では、2015年9月5日に全域で避難指示が解除となりました
「武ちゃん食堂」隣に建設中の建物
楢葉町「武ちゃん食堂」
2018年8月24日オープン
楢葉町「大楽院」
楢葉町「そば処 やぶそば」さんで「せいろそば」ゲッツ!震災前の店舗から移転し2018年12月15日にオープンしたお店。ぼきが1月に来たのを覚えててくりて、ありがとうって声をかけて貰っちゃいましたー。次から次にいらっしゃるお客さん。皆さんきっと再開を待ち望んでたんだろうなって #福島 https://t.co/l7vvuh4rvd
再起のそば、再び故郷で 楢葉の店主、7年9カ月ぶり営業 東京新聞 2018年12月16日
東京電力福島第一原発事故で避難を強いられ、営業できなくなっていた福島県楢葉町のそば店が十五日、町内の別の場所に移り、七年九カ月ぶりに再開した。店主の山内悟さんは「今後も不安ばかりだけど、そばを打てるこの日を迎えられて、本当にうれしい」と笑顔を見せた。
再開した「そば処 やぶそば」は午前十一時の開店と同時に、原発事故前からのなじみ客が詰め掛け、三十分で満席になった。町内のパン店で働く木幡柚美さんは天ぷらそばをすすり「幼い頃から、元のお店に来ていました」とうれしそう。山内さんは次々に入る注文に手際よく応じた。
町役場前にあった元の店は山内さんが始め、二十二年続いた。原発事故で全町民が避難し、主を失った店は荒れた。山内さんは、いつかは故郷の町で再びそばを出したいと願っていたが、放射能の影響を心配する家族は反対した。
事故四年後の二〇一五年三月の本紙の取材に、山内さんは「帰るか、帰らないか、どっちかにしないといけないんだよな」と胸の内を明かしていた。
同年九月に避難指示が解除され、翌年五月ごろ、元の店の解体と、町内の自宅近くに移っての再開を決めた。決断の理由を「ほかの場所で候補地を探したけどしっくりこない。3・11で止まったままの俺の人生を、原点の楢葉でやり切りたい」と明かした。
町に住む人は現在、住民登録者数の五割。その四割を高齢者が占める。客は来るだろうか、自身もいつまで店に立てるか-。「心配事? 全部ですよ。ただ、どうしても自分のやりたいことを、やり遂げたいのです」
楢葉町「そば処 やぶそば」
楢葉町「菓子処 かんの家」
東日本大震災前に営業していた同じ場所に、2018年10月にリニューアルオープン。
本日は定休日。
富岡町「カフェY」で出してくれたお団子はこちらのもの。
みんなの交流館「ならはCANvas」
楢葉町の復興拠点「笑ふるタウン」内に2018年7月30日にオープンした。
管理運営は「一般社団法人ならはみらい」が行っている。
楢葉町 みんなの交流館「ならはCANvas」にて展示 楢葉町の復興のお手伝いをしようと訪れた法政大学、神戸大学、東京都立農業高校の学生による取り組みの紹介。昨年11月に学生が休耕田に蒔いた種は、今春、立派な花畑になったそうです。 #福島 https://t.co/jMDkUMuGIJ
みんなの交流館「ならはCANvas」に展示されている、法政大学、神戸大学、東京都立農業高校の学生が撮影した写真は、2017年5月に「オリンパスプラザ東京」にて、「楢葉町の休耕田を活用した花畑の写真展」として展示されました。
新宿「オリンパスプラザ東京」にて31日迄開催、法政大学・神戸大学・都立農業高校の学生が福島県楢葉町を撮影した「学生が撮影した楢葉町の魅力」写真展。主催の「一般社団法人ならはみらい」では、震災時から現在に至る迄の語り部も行う楢葉町町内ガイドを実施する等、地域復興に向け取組んでいます https://t.co/Vw0r1PlKl5
楢葉町 みんなの交流館「ならはCANvas」にて開催中、楢葉町の和布細工教室「ほのぼの」さんの作品展示会 館内がめちゃくちゃ華やかに彩られてまーす。体験教室もやってまーす #福島 https://t.co/gEEc0wzLUp
富岡町「カフェY」のママさんが話してくれた、楢葉町でライトアップされ素晴らしいっつう桜が判明!上繁岡で震災後直ぐに、地域の皆でライトを集め実施したものみたいっす。ママさんの話の通りに白鳥がやって来る場所で、観察用の「白鳥の館」ってのもあるそう。教えてくれた「ならはCANvas」の方の携帯にあった画像を見せて貰ったっすけど、ほんと美しかったっす
みんなの交流館 ならはCANvasは、全9回のお茶飲みワークショップの中で語られた町民の想いをもとに設計されました。施設のオープンは、ゴールではなく“はじまり”。楢葉町の方はもちろん、地域を超え、世代を超えて愛されることを願い、何度も来たくなるようなたくさんの魅力とこだわりが詰まった施設です。
ならはみらいのホームページにお越しいただき、誠にありがとうございます。
東日本大震災に伴う福島第一原子力発電所の事故による全町避難から4年6ヶ月が過ぎた平成27年9月5日に避難指示が解除され、町民や町、町外応援団と共に町の復興を目指す福島県双葉郡楢葉町のまちづくり会社です。
JR常磐線「竜田駅」
楢葉町とJR東日本が進めている竜田駅の橋上化と東西自由通路整備で町などは新駅舎の使用開始を2020年6月と見込んでいることが17日分かった。12月に着工する。17日に楢葉町役場で開かれた町議会全員協議会で町が説明。新駅舎は現在の駅舎の南側に整備。鉄骨2階建てで延べ床面積は95.46㎡。駅東側には集合住宅やテナントビルがあるほか駅東口広場が整備される予定で自由通路を東西市街地を繋ぐ拠点として機能強化を図る。自由通路の側面には鋼板を加工して山や海の絵が浮かび上がる仕組みを施す。駅舎と自由通路の総事業費は8億9000万円で町とJRが負担する。現在の駅舎は新駅舎開業後に解体する。2018年10月18日
2018年8月20日と9月7日に楢葉町訪問時の様子です
これで、今回の旅行は終わりっす。
福島県内にはまだ、原発事故の影響による帰還困難区域が残されているってことを知らない人も随分と増えて来てしまっているっす。もう原発事故による影響なんて、終わってしまってるんだって。
それは、こうした事柄を、あまりメディアも取り上げなくなってしまった所為もあるっす。そして、次々に発生する新たな自然災害などに関心が移ってしまうってえこともあるしょ。
とにかく、8年の年月は長いっす。
東日本大震災の当事者ではない方々に、いつまでも、当初のように関心を持ち続けていって貰うっつうのも難しいかも知んないっす。
けれども、出来ることなら、まだまだ多くのみなさんが、困難や苦悩の想いを抱き続けてるってえ現状に、想いを傾けてって貰いたいなって思わずにはいられないっす。お願いするっす。
そんな中、2019年04月10日、大熊町の一部を除いた地域の避難指示が解除になったっす。
しかし、双葉町では、未だに全域に避難指示が出ている状況っす。
JR常磐線の全線開通も、予定している2020年3月まで待たなくっちゃあならないっす。
本当の復興までには、まだまだ時間が掛かるっす。
ぼきには応援することしかできないっすけど、いつまでも応援し続けていきたいなって思ってるのでした。
おしまい
<全町避難>大熊町が初の避難解除 2地区対象、町面積の38%
東京電力福島第1原発事故で全町避難した福島県大熊町の一部地区で、避難指示が10日午前0時に解除された。町は復興の第一歩を踏み出す。第1原発が立地する同県双葉、大熊両町では初の解除となり、住民の町への帰還に向けた取り組みが本格化する。
解除対象は、大川原(居住制限区域)、中屋敷(避難指示解除準備区域)の両地区。放射線量が比較的低い地区で、面積は計約30平方キロと町全体の38%を占める。一方、住民登録(3月末)は計138世帯367人で、町全体の3.5%にとどまる。
昨年4月に準備宿泊が始まり、登録する21世帯48人(今月3日現在)が既に長期宿泊している。大川原には東電の社員寮があり、廃炉作業に従事する約700人が特例として居住する。
町は大川原を復興拠点に位置付ける。14日に新しい役場庁舎の開庁式を行い、5月7日に業務を開始。災害公営住宅は6月1日入居開始の50戸の入居者が決まり、続く2期分の40戸、移住者向け再生賃貸住宅も今後整備される。
当初の帰還者は高齢者が多いと見込まれるが、生活環境の整備完了にはやや時間がかかる見通し。
大川原に町が設置する診療所は2021年4月の開所を予定。町は当面、隣接する富岡町など町外施設の利用を呼び掛け、巡回車や送迎車の運行を準備する。スーパーを核とした商業施設は20年の開業予定。コンビニエンスストアなど3店舗を今年6月に先行オープンさせて対応する。
町は大川原への住民帰還と復興の取り組みを呼び水に、事故前に住民の96%が暮らした帰還困難区域内に居住エリアを設ける「特定復興再生拠点区域」の避難指示解除やエリア拡大、まち再生へとつなげたい考えだ。
2019年04月10日